ココロとカラダのアップデート
先日、あるお寺で開かれている坐禅会と、
これはまた別の日ですが、
ヨガと坐禅がセットになったヨガ坐禅に参加してきました。
坐禅は初体験。
ヨガは2回目。
今回は坐禅を中心に少しばかり紹介したいと思います。
お付き合いくださいませ。
坐禅は、文字通り、坐る禅。
では、禅とは何でしょう?
梵語(インドの古代語)でゼンナという言葉があり、
それに音を表す禅という文字を当てたものです。
物事の真実の姿やあり方を見極め、
これに正しく対応していく心の働きを調えることを言います。
そのためには、身体を調え心を静かにして、
物事の好き嫌い、善し悪しなど、
日頃の心の働きに執らわれてはいけません。
流れのままに任せることが大切ということです。
そして、禅を行う最も基本的なかたちが「端坐(たんざ)」でして、
「参禅(仏道をまなぶ)は坐禅なり」と、坐禅を重視する訳です。
おおよそですが、このようなことです。
「坐禅会」。
さぁ、やってみました。
まずは足を組むんですが、
右の足を左のももの上に深くのせてから、左の足を右のももの上にのせます。
これが結構キツイ。
「痛たたたっ。」
心の中で叫びました。
手の組み方はというと、右手を左の足の上に置き、
その上に左の手をのせて、両手の親指を合わせます。
そして、首筋をまっすぐにのばし、
頭のテッペンで天井を突き上げるようにして、あごを引きます。
体のどの部分にも無理な力が入らないような位置に体を落ち着かせて、
最終的にはフルリラックス。
さて、少々驚いたのは、目の作法。
目を閉じてはいけません。
自然のままに開きつつ、視線は1m前方、45°の角度に落とすのです。
お寺によっては、目を閉じることもあるようですが(眠ってしまうよ)。
坐禅25分の2セット。
坐禅のやり始めは、色々余計なことが頭を巡ります。
外からはバイクの音や虫の鳴く音が耳に飛び込んできます。
若者がバイクで疾走する映像がよぎったり。
あの鳴いている虫は何だろう?
鈴虫かな。
カエルの鳴き声も聞こえるぞ。
今日は皆既月食だ、今見えてるかなぁ(夜だったので)。
などなど。
「思いを決して追いかけないことがポイント。」と言われていたのに、
「追いかけない」、これがなかなか難しいです。
それでも、その駆け巡る思いを否定する必要はないとのこと。
これには救われました。
「私は、私が」という主観的な見方から離れて、
客観的に物事を見つめる。
そのための坐禅でもあります。
さて、途中から慣れてきたのか、集中できたのか、自分に合っているのか、
あっという間に終わりの合図。
1セット25分が10分程度に感じ、2セット目も同様。
全て終わってお寺を出ると、皆既月食です。
坐禅の初体験の日が皆既月食の夜なんてと、勝手に根拠のない縁を感じる自分。
心がフラットになり、穏やかでもあり、楽しくもある、そんな気分。
「坐禅はいいね。続けてみようかな。」
そう感じました。
但し、足の痺れが尋常ではなかったことを付け加えておきます。
その後、1週間、中指と薬指に痺れが残りました。
ちなみに、「ヨガ坐禅」。
ヨガについては、先生についていくのに必死。
見よう見まねでポーズを決めると、体が軋み、痛いのなんの。
堪えながらやりきりました。
心がどうのこうのは、遠く先の話です。
ヨガは呼吸法も重要ですから、坐禅より高難度に感じます。
いずれにせよ、ヨガも坐禅も継続して行う必要があります。
でも、はっきりしたこと。
どうやら私には坐禅の方が合っているみたい。
[TOTSU]
これはまた別の日ですが、
ヨガと坐禅がセットになったヨガ坐禅に参加してきました。
坐禅は初体験。
ヨガは2回目。
今回は坐禅を中心に少しばかり紹介したいと思います。
お付き合いくださいませ。
坐禅は、文字通り、坐る禅。
では、禅とは何でしょう?
梵語(インドの古代語)でゼンナという言葉があり、
それに音を表す禅という文字を当てたものです。
物事の真実の姿やあり方を見極め、
これに正しく対応していく心の働きを調えることを言います。
そのためには、身体を調え心を静かにして、
物事の好き嫌い、善し悪しなど、
日頃の心の働きに執らわれてはいけません。
流れのままに任せることが大切ということです。
そして、禅を行う最も基本的なかたちが「端坐(たんざ)」でして、
「参禅(仏道をまなぶ)は坐禅なり」と、坐禅を重視する訳です。
おおよそですが、このようなことです。
「坐禅会」。
さぁ、やってみました。
まずは足を組むんですが、
右の足を左のももの上に深くのせてから、左の足を右のももの上にのせます。
これが結構キツイ。
「痛たたたっ。」
心の中で叫びました。
手の組み方はというと、右手を左の足の上に置き、
その上に左の手をのせて、両手の親指を合わせます。
そして、首筋をまっすぐにのばし、
頭のテッペンで天井を突き上げるようにして、あごを引きます。
体のどの部分にも無理な力が入らないような位置に体を落ち着かせて、
最終的にはフルリラックス。
さて、少々驚いたのは、目の作法。
目を閉じてはいけません。
自然のままに開きつつ、視線は1m前方、45°の角度に落とすのです。
お寺によっては、目を閉じることもあるようですが(眠ってしまうよ)。
坐禅25分の2セット。
坐禅のやり始めは、色々余計なことが頭を巡ります。
外からはバイクの音や虫の鳴く音が耳に飛び込んできます。
若者がバイクで疾走する映像がよぎったり。
あの鳴いている虫は何だろう?
鈴虫かな。
カエルの鳴き声も聞こえるぞ。
今日は皆既月食だ、今見えてるかなぁ(夜だったので)。
などなど。
「思いを決して追いかけないことがポイント。」と言われていたのに、
「追いかけない」、これがなかなか難しいです。
それでも、その駆け巡る思いを否定する必要はないとのこと。
これには救われました。
「私は、私が」という主観的な見方から離れて、
客観的に物事を見つめる。
そのための坐禅でもあります。
さて、途中から慣れてきたのか、集中できたのか、自分に合っているのか、
あっという間に終わりの合図。
1セット25分が10分程度に感じ、2セット目も同様。
全て終わってお寺を出ると、皆既月食です。
坐禅の初体験の日が皆既月食の夜なんてと、勝手に根拠のない縁を感じる自分。
心がフラットになり、穏やかでもあり、楽しくもある、そんな気分。
「坐禅はいいね。続けてみようかな。」
そう感じました。
但し、足の痺れが尋常ではなかったことを付け加えておきます。
その後、1週間、中指と薬指に痺れが残りました。
ちなみに、「ヨガ坐禅」。
ヨガについては、先生についていくのに必死。
見よう見まねでポーズを決めると、体が軋み、痛いのなんの。
堪えながらやりきりました。
心がどうのこうのは、遠く先の話です。
ヨガは呼吸法も重要ですから、坐禅より高難度に感じます。
いずれにせよ、ヨガも坐禅も継続して行う必要があります。
でも、はっきりしたこと。
どうやら私には坐禅の方が合っているみたい。
[TOTSU]
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