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季節感のある話

秋です。

自然とか気候に感動しない私ですが、
1年のうちで一番好きな季節は秋です。
花粉も飛ばず、湿気も少なく、暑くもなく、寒くもなく、
秋の夜長って、時間的に余裕があって、いろいろなことができるからです。

ただ、秋は、指先が痛くなるのが困ります。
何の話か分かっちゃいました?

鬼皮剥きの話です。
渋皮煮を作るのに、2kgほどの栗の、鬼皮を剥かなくてはなりません。

栗

いちおう、下準備として、熱湯に栗を漬けて柔らかくはしておくのですが、
いや、国産の生栗は本当に硬いです。
1~2mmのところに包丁で切れ目を入れ、そこに爪を差し込んで剥くんですが、
もう、ものの10分で爪の隙間に破片が刺さり、ジンジンしてきます。
しかも、熱湯でふやけている栗に爪を差し込むわけなので、
爪がふやけて、爪のほうが鬼皮に負けてグニュグニュと反ったりして、
モチベーションがどんどん下がってきます。
指先を気遣いながらでは作業スピードが落ち、遅々として進まぬ感じで、
自分はなぜこんな作業をしているのかと、悲壮感が漂ってきます。

しかし、この悲壮感は、私にとって、秋の味覚を得るための税金のようなもの。
だいたい私は、素材を焼いただけとか煮ただけのような調理法を好まず、
ちょっと意匠を凝らしたというか、手間のかかった料理が好きなので、
秋の味覚と言えば、さんまの塩焼きとかより、
こういう渋皮煮とか、マツタケの土瓶蒸しのような、面倒なものが好みなのです。
私にとって、この面倒な感じが秋の風物詩なんです。

栗③

悲壮感を乗り越え、できあがった渋皮煮は、とてもおいしいです。
周囲の方にお配りするのですが、とても好評です。
ただ、指先は、痛いです。

自然や気候では感動しない私ですが、
エレベーターのボタンを押すときなど、指先に鈍い痛みを感じ、
「あっ、そうだった、鬼皮を剥いたんだった」と思い出すのです。
私は、目に映るものというよりは、
こういう自分の作業を通じて、あぁ、秋だなぁと思うのです。

[SE;KICHI]
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本当の化け物

私の息子が、SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ)という四人組のバンドのファンで、
車で出かけるときに息子がそのバンドの曲をかけることがあるのですが、
聞こえてくる「世界平和」という楽曲の歌詞にドキッとしたことがあります。

 YouTube → http://www.youtube.com/watch?v=PIT6M_SPYdM

歌詞の冒頭は
 人間という怪物は「セカイ平和」という戦争を起こしてる
 平和なんて化け物は本当は存在していない
 普通に異常な貴方は「間違い」を主張して笑おうとする
 「正解」なんて化け物は本当は存在していない

というところから始まります。

私は、“平和なんて化け物”“「セカイ平和」という戦争”という作者の感性に、
いたく感心しました。

確かに、平和という化け物を追いかけて戦争をしている人間は、
怪物なのかもしれません。
人間有史以来争い事が絶えたことがないと言われますが、
事実いまこの瞬間も世界の各地で武器を手に、殺し合いを続けています。

日本においては、やれ憲法9条だ、やれ日米安保だと、
自分達は戦争とは遠いところにあると他人事のようにとらえがちですが、
竹島では韓国が実効支配をし、尖閣諸島では中国船が頻繁にやってきています。
北方領土では日本の漁船が近づくとロシアに拿捕されます。
また、お隣の朝鮮半島では、
南北での戦争を決してやめたわけではなく、休戦しているだけです。
時々国境付近で小競り合いをして犠牲者が出ています。
日本海にも北朝鮮発の弾道ミサイルが度々飛んできます。
つまり、
日本国内および近隣諸国は、
常に戦時に近い緊張状態にさらされています。


最近議論されている集団的自衛権、憲法9条改正などは、
こういった事実をしっかり踏まえて、
当事者として真剣に考えなければいけません。


本当は存在していない平和という化け物に踊らされている場合ではありません。
怪物はごく身近なところに存在しています。

[M M]

板を下ろせば?

仏教的なアプローチの記事を書けと、リクエストをいただきました。

はぁ。
リクエストをいただくのは嬉しいのですが、なかなかエネルギーのいるテーマです。

同僚のT氏は固定観念の男。
「男が昼食にパスタなんて、みっともない」とか、
「男がエアロビクスなんて、恥ずかしい」という、
今どき寺内貫太郎ばりの頑固な男

最近聞いた話では、
「昔、シャンプーに『メ○ット』を使っていたら禿げてきたから、いまだに苦手」と、
またしても因果関係のはっきりしない話を力説。

普通に生活していれば、同僚やら友人やら、
いろんなところから様々な情報が耳に入るものですが、彼はなにしろ頑固。
周囲から新しい情報をもらっても、
自分の固定観念に沿わなければ聞き入れません。

なぜかというと、どうも勇気がないからなんだそうです。
新しいことに取り組むとか、知らないところに行ってみるというような、
一歩踏み出すことに対して、勇気が出ないのだそうです。
自分の固定観念に沿わなければ他人のアドバイスも聞けないという性分は、
他人のアドバイスをないがしろにしているということではなくて、
そのアドバイスに従って自分の価値観を変更することに勇気が出ないから、
結果としてアドバイスを無視する形になるのだそうです。

私自身は新しい価値観に飲み込まれる感じが割と好きなので、
彼のこのメカニズムを知った時、不思議な感じがしましたが、
よくよく考えてみれば、世間では意外と見かける話かもしれません。

私は、母方の先祖に職業として哲学者をやっていた者が多い関係か、
学生の頃から成功哲学などを学ぶのが好きです。
というか、哲学のない人はダメだとすら思っています。
私の場合、最初にデール・カーネギーの『道は開ける』を読み、
悩みの克服方法とか、心とはどうあるべきかなどといったことを学び、
続いて、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』で、
いわゆる“引き寄せの法則”脚注 について知り、これを実践するようになりました。

この、実践というのがミソです。たぶん。

ほかにも、ニール・ドナルド・ウォルシュとか、コリン・ターナーとか、
成功哲学は世の中にたくさんあると思いますが、
成功哲学というものは、ベースが自己暗示なので、
実践しないことには何事も起こりません。
知っただけで実践しなければ、毒にも薬にもならないのです。

実際、成功哲学を知ったうえで、
「そうは言っても、なかなかねぇ」と実践を渋る方は多いようですし、
そればかりか、どうせやらないからと、ハナから知ろうとすらしない方も多いようで、
当然、そういう方に対して、哲学は何の役にも立ちません。

実践するかしないかの差は、その内容を知ったうえで、受け入れるかどうかの差です。
成功哲学を例に出しましたが、他人のアドバイスでもなんでも、
結局、受け入れないことには何も起きないのです。

仏教とは関係ない話を長々としてきましたが、
この、受け入れるということは、仏教的にも大切なテーゼだと思います。

残念なことだけれど、人生、辛いことや悲しいことも起きます。
耳に痛いアドバイスやら叱責やらを聞かなくてはいけないこともあります。
他人に騙されて悔しい思いをすることもあるでしょう。
人間関係などに悩み、神様を恨みたくなる日もあることでしょう。

しかし、その逆境から甦る方法は、まず現状を受け入れることでしょう。
立ち上がって歩き出す方法を考えるために、
まずは自分の現状をきちんと認識し、受け入れることが大事です。

そんな時、寺内貫太郎ばりの固定観念や先入観は、邪魔です。
先入観を持つということは、中心概念を絞るという面ではアリな気もしますが、
多くの場合は、「自分にとっての正解を狭く限定する」ということです。
ダーツで言えば、アタリがものすごく小さい状態。

「担板漢」って、知ってますよね?

有名な比喩ですが、大きな板を肩に担いでいる人のことです。
大きな板を担いでいるもんだから、視界が狭くて、足元しか見えない。
板を下ろすと視界が開けると思うのだけれど、
本人はその板を大事なものだから失ってはならぬと、担ぎ続ける。
板は重いでしょうから、歩くのも大変でしょうねぇ。

担いでいる板は、プライドだったり、物欲だったり、固定観念だったり。
つまらないプライドにこだわるあまり、視界が開けず、
人間関係がこじれたり、お金に執着しすぎて仕事でつまずいたり。

一度、板を下ろして周りを見回したほうがいいですよね。

人生は修行というか、勉強だと思います。
つまらない固定観念のために人生が限定されるのは損。
視野を広く持ち、自分に与えられた機会を受け入れ、
幸からも不幸からも、たくさんの学びを得たいものです。

どうでしょうか。
ギリギリ仏教的なところに着地できたと思うのですが、どうでしょうか。

 注)簡単に言えば、最初に目標を立て、うまくいくイメージを繰り返し繰り返し思い描き、肯定的な言葉を自分に語りかけるというやり方です。

[SE;KICHI]

やっぱりその席ですか

少し前になりますがお盆の最中、
上越市のラーメン店 「麺やあごすけ」へ出かけてきました。

こちらはかなりの人気店で並ばずには食べられません。
新潟市からわざわざここのラーメンを食べに行くのが目的なので、
並ぶのは覚悟の上です。
今までは開店前から並んで、開店と同時に一巡目に入店できていました。

今回はお昼の閉店に間に合えば良いぐらいのおなか具合で目指しました。
到着して目に飛び込んできたのは、今までに経験したことがない、
長い、長い列。
意を決し最後尾へ着いたのが12時25分。

並び始めて少しすると店員さんがメニューを持って来てくれ、
暫くすると冷たいお茶を持って来てくれ、
そして注文を聞きにまわってメニューを回収して、
また暫くすると冷たいお茶を持って来てくれるなか、
少しずつ、少しずつ移動し、
店舗裏の日向から日よけ&雨よけがある軒下の長椅子へと根気強く並びます。

並んでいる途中、小学3、4年生くらいの女の子が
「もっとすいている処に行って食べたら時間(待ち時間)を別な事に使えるじゃん」
と両親を説得にかかる光景も。
この時点で既に1時間半は並んでいたので、
そりゃそうだよね~、お腹もペコペコだしつまらないよね~、
自分の意志で来ていなければ当然の意見ですよ。と私の心の声。
でも自分の意志で並んでいるその子の両親はなんとか誤魔化しながら並び続けました。

そんな人間模様なども見聞きしながら待ちに待ってようやく入店。
しかしここでも最後の待ち席があり、まだお預け状態。
店内はL字型のカウンター席とテーブル席があります。
食べている人達の背中を見ながら次はどの辺りの席の人が立つかな~とそわそわ。
それというのも、過去6回程訪問していますが、
全て5席程の短いカウンター席にしか通された事がないのです。
次はいよいよ私たちの番、出来れば違うところに座ってみたいなー。
と、願いを込めて見つめました。

それから数分後、いつもの定位置に案内され座っていました。

麺や あごすけ http://cat.lolipop.jp/agosuke/

食べ始めたのが15時30分、会計をしたのが15時55分。
お店に入るまで並んだ時間は3時間にもなっていました。
いやー、夢の国でもこんなに並んだことはなかったです。
ただ、これだけ並んでも後悔はしないラーメンに満足して店を出ました。
あの女の子も最後こんな気持ちになったかな?
並ばされた後悔が吹っ飛んでいたら良いな。

その後、足をのばし日本三大薬湯にもあげられている松之山温泉へ。
ここも混んでいました。
浴場に入ったら、洗い場に並ぶ列。
うわ、今日はこんな日なんだなと、再び順番待ちの列へ。
一人、二人と進み先頭になった時にいやな予感が。
ここの洗い場、待っている人の目の前から奥にL字型になっていて、
一番手前に座ったら常に後ろに人が立っている状態で洗うわけです。
うーん、そこだけは避けたい。

奥の洗い場の人が終わるかな~と願いを込めつつ様子を伺っていると・・・
すくっと立ち上がり、どうぞーとバトンタッチしてくれたのは目の前の、
望んでいない席の人でした。
あぁ、ここもかー。

また違う日に挑戦してみたいと思います。

[fu~ma]

夏の高校野球

今年の夏の高校野球は北信越地方にとって特別な夏となりました。

新潟県代表 日本文理高校

富山県代表 富山商業高校

石川県代表 星陵高校

福井県代表 敦賀気比高校

長野県代表 佐久長聖高校

全て初戦突破!
そして日本文理と敦賀気比の2校が準決勝進出という快挙です!

高校野球不毛の地であった北信越地方がここまで強くなったのは感慨深いです。
(星陵に松井秀喜がいたとか言いっこなしで(笑))

特に新潟県民にとっては日本文理高校の強さが本当に証明できたようで、
うれしい限りでした。

思い起こせば2009年の甲子園決勝、
日本文理対中京大中京において奇跡の9回2死からの追い上げは、
甲子園史上に残る素晴らしい試合として、
先日の『アメトーーク』の「高校野球大大大好き芸人」の中でも、
最も時間を割いて放送されるという、
誰が見ても感動できるあの戦い。
僕も当時泣いていました。

しかしながら、
甲子園においてネームバリューのある強豪校を倒してきたわけでなかったので、
くじ運の文理と揶揄されて悔しい思いもしました。

それから早5年。

日本文理の2回戦は、
過去春夏通して新潟県勢が甲子園において一度も勝ったことのない愛知県勢。
今年の春も豊川高校に破れてしまった。
その雪辱を晴らすチャンスがやってきました!

しかも超名門「東邦高校」(選抜甲子園4回優勝)

東邦高校のネームバリューに負けず、
ピッチャーの飯塚君が完全に抑え込む素晴らしい試合にて勝つという快挙!

この時、ついに新潟日本文理は、
くじ運でなく実力で強いんだと証明できた気がしました。
(そもそもくじ運というのも一部のアンチが言っていただけな気もしますが…。)

そしてその直後にありました日本文理対富山商業。

正直まだまだ北信越対決は無くてよかった。
でもしょうがない。これも運命。

そして9回の日本文理新井君の逆転サヨナラホームラン。

震えました。

これこそ日本文理だと。

最後まであきらめない。

今大会もいろいろな名試合がありましたが、
日本文理対富山商業が今回1番の試合でした。

負けた富山商業のエース森田君が、
「岩城で打たれたなら仕方ない。
岩城がいなかったら僕は良い投球ができていなかったと思う。
ありがとうと言いたい。」

もう文字だけで泣けてきます。

今回の名言№1です。

いやあー高校野球っていいなー。青春だなー。

森田君はU18アジア杯の決勝でも良いピッチングで、
8回途中まで1安打という素晴らしい内容でした!
ホントいいピッチャーだわ。

飯塚君と森田君はぜひプロで活躍してほしい!

今回の夏の甲子園で、
残念ながら夢の北信越決勝を見ることはできませんでしたが、
これだけのレベルに成長しつつある北信越、
これからまた期待が持てます!

がんばれ!北信越の高校球児に限らず、全国の高校球児!

[ハク]

9月9日、歴史的な出来事!

9月9日の歴史的な出来事に、私は興奮しました。

そう、それは、“昭和天皇実録”の公表です。

“昭和天皇実録”は、
昭和天皇の誕生から崩御までの87年間について、
宮内庁が24年5箇月もかけて編纂した公式記録です。

私の、最も関心のある領域は、一言でいえば『民俗学』とか『社会学』で、
「ヒトが、どういう心情で、どう行動したか」などを考えるのが、大好物です。
天皇という存在に『民俗学』などをあてはめてしまってよいのか分かりませんが、
私は、この手の実録モノに、結構、興奮を覚えるのです。

今回の“昭和天皇実録”は、8月21日に今上天皇に奉呈されたそうですが、
それが9月9日付で公表されるとは、
先々代の“大正天皇記”が、70年余も編纂の事実が隠されていたうえ、
最近ようやく公開されながら黒塗りの箇所が多いのと比べると雲泥の差で、
まず、今回の宮内庁のスピード感に驚きます。

いまのところ、私はいくつかの新聞などに載った抄録を読んだだけなのですが、
今回の“昭和天皇実録”では、
2・26事件や太平洋戦争における軍部の暴走に対する苦悩など、
その時々の昭和天皇の心情が伝えられており、
特に、原爆投下から終戦に至る重大な局面「ご聖断」については、
正確な時系列で会談相手や発言内容が明らかにされています。

この“昭和天皇実録”によれば、
昭和天皇は、太平洋戦争の開戦について、
「捨て鉢の戦をするにほかならず、誠に危険」と、
開戦には反対の立場で、できるだけの外交努力を指示し、
杉山参謀総長の楽観論を喝破するなど、一貫して回避を主張していたようです。

凄いなと思うのは、真珠湾攻撃の2箇月前から、万一の開戦に際し、天皇は、
「戦争終結の手段を最初から充分に考えよ」と言っていることです。
この考え方は、当時の軍部からは弱腰の意見に見えたかもしれませんが、
孫子の「善く戦う者は不敗の地に立ち、而して、敵の敗を失わざるなり」に近く、
現代の経営学や参謀学などの分野で、弱者の兵法として確立されているものです。
真珠湾攻撃の2箇月前、開戦すらしていない段階での意見としては、
かなり先見性を感じるものです。

それから終戦に至る4年ほどの間、天皇は終戦を訴え続けながら、
その主張をことごとく軍部に押し返されるという、
統帥権の総攬者と言いながら、無力感たっぷりの日々を過ごしています。

結局、アメリカとの外交工作が決裂した後、
天皇は大元帥として軍を鼓舞する役回りを求められ、
表向きはそれを忠実にこなしつつも、
側近の木戸幸一などには、「陸軍の強硬意見で、何も言えない」と愚痴っており、
立場上の迷いや葛藤の深さが窺い知れます。

私は、太平洋戦争(というか第二次世界大戦)には、
アジアの植民地の解放という意味合いもあったと理解しているほうなので、
必ずしも戦争がなければよかったとは思っていませんが、
昭和天皇のように、戦争回避の強い意志を持ちながら、
それを阻まれた方がいらっしゃったことに、感銘を受けます。

私は、これを読んで、つくづく、天皇というのは、大変な立場だなぁと、
特に面識があったわけではないけれど、
その苦しみに思いを馳せずには居られません。

また、私は、以前話した持統天皇のほか、
桓武天皇や継体天皇なども面白いと思っているのですが、
なかなか、昭和天皇という天皇も、歴代天皇のなかでは異色でしょう。

特に、いわば“神の一族”として生まれ、
幼少期から、そのように振る舞うことを求められるのは全天皇共通でしょうが、
昭和天皇は、戦後、アメリカによる統治上の戦略として天皇制が残された後、
最終的に終戦によって「神ではない」と宣言しなければならないなど、
普通の人間としてもあり得ませんが、歴代天皇にもない話です。
その心中はいかばかりか、一般人の私は想像するしかないわけですが、
今回の“昭和天皇実録”で、その一端は垣間見させてもらえたような気がします。

この“昭和天皇実録”については、重要な岐路について明言していないとか、
両論併記のような曖昧な形になっている個所があるとか、
まぁ、それなりに批判も出ているようですが、
昭和天皇の人間的な側面を知ることができ、有益な資料だと、私は思います。

自分の一生のうち、
天皇の実録の公開に接するなどという機会もなかなかないでしょうから、
これはやはり歴史的な出来事。
無関心でいることは損ということで、
まずは興味を持たれることをお勧めします。

 タイトルを見てテニスの話だと思った方、すいません。
 勝負事にはからっきし、興味を持てない性分なものですから。


[SE;KICHI]

縛られる快感?

今日は、ちょっとまとまりのない話になりそうです。

以前から気になっているのですが、
富山弁って、やたらと must が多いような気がします。

例えば、富山弁でいうところの「○○せんなんがよ」という話法。
共通語で「○○しなくてはいけないのだよ」というような意味ですが、
富山では、この『せねばならぬ』という義務の表現を、かなり多く使うのです。

『せねばならぬ』といえば must で正解なのですが、
富山では、“食事をする”とか“風呂に入る”程度の、
いわゆる would like という意味合いでも「○○せんなんがよ」と言います。
例えば、「遊ぼうよ」と誘ったとして、
「ご飯を食べなきゃいけないから、また今度」とか、そういう断り方をします。

たぶん全国的に、「ご飯を食べなきゃいけないから」という断り方は、稀でしょう。
なぜなら、普通は、ご飯は must ではないから。
ご飯は義務ではなく、自分の意思で食べるものなので、
断る理由にはならないのが普通だと思います。
しかし、富山ではご飯は「食べんなん」、すなわち must、義務です。

たとえば、仕事の締め切りを破った人がいたとしましょう。
破られたほうは、キミはいったい何をやっていたのかと、叱責します。
そのとき、叱責されたほうは、なにか言い訳をしてみるものですが、
そのときの言い訳が、
「いやぁ、昨日は妻の洋服を買いに行かなくてはいけなかったので」
だったことがありました。

これ、富山ではOKかもしれません。
全国的にはアウトでしょうね。

この人も、「××しなくてはならなかったもので」という意味の富山弁で、
「××せんにゃいけんかったがんで」と、
あたかもそれが義務であったかのような話法を用いていましたが、
妻の洋服購入なんて義務であるはずはないので、
全国的には「好きなTVを見なきゃいけなかったので」みたいな、
言い訳として成立しない表現であるように思います。

富山の人は、「必ず」という単語も好きみたいです。
「ここを通るときは必ずオラに声かけて」みたいに、
わりとどうでもいいようなことに対しても「必ず」を使います。
うまく言えないのですが、
どうも、富山の人は、
義務を課すこと、課されることに心地よさを感じているようです。

私は、
『せねばならぬ』ことは
人生にそれほどたくさんはない

と思っています。
何でしょうね、納税とか、安全運転とか、その程度。

私は、ほとんどのことは、自由意思にゆだねられている
と思っています。
食事も入浴も、個人の意思にゆだねられています。
したければすればいいし、したくなければしなくていい。

会社に行って働くことも、イヤならやらないという自由はあるでしょう。
地域の行事に参加するとか、親族の冠婚葬祭にかかわるとか、
そんなの、イヤだと思うならやめればいいのです。
もちろん、
その選択によって一定の制裁というか不利益を受けることもあるかもしれませんが、
それは自己責任の範疇なので、本人がそれでよければ、それで構わないわけです。

つまり、
『せねばならぬ』ことなど本当はなくて、
ほとんどは自分の意思で選択したことであり、
その結果に関する責任は自分に帰属する
と思っているのです。

だから、「××せんにゃいけんかったがんで」という must 表現は、
自分で選択したことであるにもかかわらず、
何者かによって選択を強要されたように聞こえるので、
本当は苦手、というか、私は不快です。

must が多いということは一般に息苦しいことですが、
その中で暮らしている県民は義務に囲まれることでむしろ安心しているところがあり、
真面目な県民性はそうやって培われたような気がします。

真面目な県民性は良いことなのですが、
義務に囲まれていると、やはり自由闊達な感じが失われるというか、
創造性に欠けるような気がします。
あまり『しなければならぬ』と自分に枷をかけず、
「自分の意思でやるのだ」と考えたほうが、
結果的に伸びるのではないか
と、私は思います。

[SE;KICHI]

私の兄は・・・・・

小さな頃から王様でした。

王様ゆえに下々の者(私)に厳しく、時に厳しく。また、気分いい時には厳しく・・・・
あれ?

私が年長の頃に激怒させてしまった王は私に・・・・
助走をつけての飛び膝蹴り。
ありゃ?

きっといい思い出が・・・・

小学校3年のプールの帰りに母の自転車の後ろに乗っていた私に、その後ろから・・・・
引きずり落として顔面から落下。
おおぅ?

面倒は見ていてもらっていました。

小さな頃からどこに行くのにも連れて行ってくれて、兄の友達の家行くのも一緒でした。
幼稚園に上がったころの話でしょうか。
遠足の前日。
翌日の牧場へ遠足にわくわくしていた私に兄が教えてくれた事が。

兄「おい。牛乳ってどうやって作られてるか知ってるか?」
私「牛から出るんだよ」
兄「そうだ。牛の乳絞ると牛乳が出るんだぞ。」
私「知ってるよ。」
兄「実はな。知らない人が多い秘密の話なんだが・・・・」

と教えられた真実を胸にいざ遠足へ!

牧場で初めて見る大きな体の牛。
牛について説明してくれる牧場の方。
ひとしきり説明を受けたあとに私の口から放たれる牛の真実!

「白い牛からは牛乳が出るんだぜ!」
「黒い牛からはコーヒーが出るんだ!」
「白黒の牛からはな!なんと!コーヒー牛乳が出るんだぜぇ~!」

どうよ!牧場の人!秘密を皆に告げてやったぜ!

今でも忘れられない牛の秘密。

兄の子供(私の姪)にも小さなときに教えてあげましたよ。
大真面目な顔で。

どうなったんだろ?

私は今でも牛。特に白黒の斑の牛を見ると思い出します。

当然我が子にも秘密は伝えてありますよ。
大真面目な顔で。

けれども皆の前で自慢げに話したのは私だけなんでしょうね。

あ、前回の花火の話はソレはソレで、いまだに兄も火を付けます。

[Y2K2]

気になるどうでもいい話③

車を運転しながらマンガ雑誌を読んでいる人を見たことがありますが、
先日コンビニに売っているようなオムソバを食べながら運転している人を見ました。
ハンドルの上で、左手に容器を持ち右手でフォークを使って食べていました。

ながら運転? ながらオムソバ?

[KAZSOU]

えつ、信用していたの?

知人のエステティシャンの話。
彼女は2人の子供を持つママさんですが、
週末は、毎食、一家で外食に出かけるんだそうです。

なんでも、土日、ご主人は仕事が休みなのに、
私だけ主婦として働くのは不公平!ということで、
週末は夫に合わせて自分もお休み、
食事の準備などは一切やらないと決めているのだそうです。
なるほど、一理あるような気もします。

そんな彼女ですが、今年のお盆に久々に会った際、
上海福喜食品の食品スキャンダルの報道を見て以来、
毎週末の外食に対して、ちょっと不信感というか、緊張感があると言っていました。

もちろん、彼女の一家が行っている外食というのは、
きちんとしたコース料理を出すお店のことであり、
某ハンバーガーチェーンとか、そういうお店ではないのですが、
厨房から向こう、食材の調達がどうなっているか見えない
という意味では、
高級レストランもハンバーガーショップも同じことであり、
気にし始めると、怖くて仕方ないと言います。

ん~、まぁ、一理あるような気もしますが、
それを言い出すと水も飲めなくなってきますし、
かといって自炊するにしても、
スーパーで売ってる食品も信用できる保証なんてないわけですから、
たとえば「無農薬」と書いてあるけれど本当か、なんて、
疑い始めるときりがありません。

私からは「信頼できるお店に行こう」とアドバイスしました。
じつにありきたりなアドバイスです。

それはそうとして、
もともとあの国が食品衛生に関してそのような感覚を持っているということは、
私たち日本人はかなり前から知っていたと思うのですが、
某ハンバーガーチェーンとか某コンビニチェーンは、
問題を起こした上海福喜食品から年間4300トンも輸入していたそうで、
正直、私は、かなりびっくりしました。

某ハンバーガーチェーンとか某コンビニチェーンは、
記者会見で「私たちも被害者だ!」と怒っていましたが、
まぁ、それはそうかもしれないけれど、
逆ギレしてんじゃねーよ。
相手の国がそういう国だってことは分かっていたわけだし、
査察などで見抜けなかった以上、
結果的に目が節穴だったということで、責められてしかるべきという気もします。

「自分たちも被害者だ!」と逆ギレする光景は、
2011年の焼肉酒家えびすの勘坂社長と似ています。
私はその日、仲間内のお誕生日会で焼肉酒家えびす砺波店におり、
しっかり腸管出血性大腸菌O-111入りのユッケも完食しましたので、
ばっちり重篤な食中毒に陥ったわけです。
食べたこと自体は自己責任なので、仕方がないとも思っていますが、
事件の原因は卸業者にあるという、責任転嫁のような釈明会見を見て、
逆ギレしてんじゃねーよ。と、
死人まで出しておいて何を言っているのかと思ったものです。

そこで私が得た教訓は、
安いものは、怪しいということです。
食品に限らず、世の中に安く提供されているものは、
企業努力の部分も含め、もちろん何か知らの安い理由があるわけで、
裏側は見えないとはいえ、何かあるに違いないと、警戒しないといけないと思うのです。

しかし、世の中一般ではそういうものでもないらしく、
たとえば、今回の上海福喜食品の事件を受け、
ワイドショーのレポーターなどが駅前などでインタビューしたところ、
「子供が好きなので、よく食べていたんですけど・・・」とか、
「信用していたのに残念です・・・」とか、
街の人はそういうふうに答えていました。

私はそれを見て驚きました。
えっ、そんなの子供に食べさせていたの?
えっ、そんなの信用していたの?


繰り返しますが、
私は、焼肉酒家えびすで、安いユッケを食べて食中毒を食らった経験から、
安いものは怪しいと思って警戒しています。

今回の某ハンバーガーチェーンとか某コンビニチェーンだけではなく、
某回転寿司チェーンとか、某牛丼チェーンとか、
某ファミリーレストランとか、某カレーチェーンとか、
安く提供されているものには、何か秘密があるわけで、
もしかしたら、あの怪しい国で加工されたものなのかもしれません。
あの国は、ああいう国なのですから、
私は、そんな怪しいものは、子供には食べさせられませんし、
ましてや、そんなものを信用する気持ちもありません。

昔、安物買いの銭失いということわざがありましたが、
今は、安物買いの命失いということです。
「これは安いから、もしかしたら毒かもしれないな。
でも、安さの魅力には勝てないから、心して食べよう。アーメン」
というのが、安物を食べるときの正しい心構えかもしれません。

しかし、実際には日本国内の外食産業を支えているわけで、
そう思うと、あの国の、レベルの低い衛生環境が改まらないのも、
消費地としての日本のユーザーが不衛生を許容している部分もあるのではないかと、
ちょっと意地悪な見方もしてしまうのです。

今回の記事はあくまで個人の感想です。

[SE;KICHI]
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Author:kkseishin
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私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

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富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



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