規格品製造なのかな?
個人的に、ちょっと行政に関わるようなことに参画している関係から、
先日、2件ばかり、とある小学校の運動会に引き出されまして、
偉そうにテントの下に座って、子供たちの運動会を見ておったわけです。
実は私は、自分が子供の頃から、運動会がイマイチ好きではなく、
今回、別に自分が出場するわけでもなければ、
自分の子供が出ているわけでもないので、全体をボケ~と眺めておりました。
運動会が好きではない理由は、目的がよくわからないから。
運動会って、基本は“かけっこ”なんだから、いちおうは競争なんでしょうが、
出場する子供たちにライバル意識というか、
「とにかく戦って勝つぞっ!」という闘志があるはずもなく、
勉強の成績に影響するわけでもないから、なんだか遊び感覚のようです。
そのくせ、遊びにしてはそれほど楽しそうではないという、
競争なのかレクリエーションなのか、よくわからない感じ。
そういうわけで、私は、
運動会より授業の方が好きな困った子だったわけですが、
今回、改めて眺めてみて、やはり運動会が好きではないことを再確認した次第。
まぁ、それはともかく、
今回、見ていて少し気になったことがあるんです。
競争ではなく、学年全体とかでやるダンスのようなプログラムがあったのですが、
たくさん練習したのでしょう、ポーズがビシッと決まっていて、
それはもう整然としていて・・・気持ち悪い。
共産圏のマスゲームのようです。
「指先までピシッと揃ってないと、みっともないですよ!」という、
先生たちのヒステリックな指導の光景が目に浮かぶようです。
つくづく、日教組って、
こういう、全員で同じ動きをさせようとするのが好きなんだなぁと思います。
ダンスというのは、パフォーマンスです。
「一糸乱れぬ」ということを、
パフォーマーである子供たちが自ら企図しているなら構いませんが、
そうでないなら、そもそも整然と揃っている必要などなく、
思い思いに身体を動かしてこそパフォーマンスだと思うんですよ。
ほら、EXILE も AKB も E-girls も、個々の動きの自由度は高いでしょう。
学校のダンスと EXILE は違うと言われるかもしれませんが、
私はそうは思いません。
最近は下火になっていますが、昔の運動会には入場行進というものがありました。
整然とザッザッザッザッと歩かされ、そのためにかなりの練習をしたものです。
みんな、こんなものを楽しいと思ってやっていたはずはないでしょう。
同じ“行進”ということで言えば、
オリンピックの選手入場なんか、ちっとも整然となんかしてないじゃないですか。
ダラダラ歩きながら、観客席に手を振ったり、笑顔を見せたり、
選手自身の感情の発露として、好きに歩いているじゃないですか。
それでいいと思うのです。
オリンピックも子供の運動会も、おしなべてそれでいいと思うのです。
人生もパフォーマンスも、他人を不快にさせなければアリで、
必ずしも整然としている必要はないと思うのです。
私は、人生というのはある種のパフォーマンスだと思っています。
他人の迷惑を顧みないとか、そんなのはダメですが、
人生哲学として、経験や教育から一本筋の通った考え方を身につけ、
そのポリシーに従って「自分は、こうである」と振る舞うことが大事で、
それって、アーティスティックなことだろうと思うわけです。
学校の運動会にしろ、何かのコンクールにしろ、
私は、「自分は、こうである」という自己を発露する行為のなかで、
それぞれの子供の自我が育っていくものだと思っているので、
全員で同じことをやり、わざわざ揃えるなんて、ナンセンスだと思います。
要は、自分の生き方に責任を負いつつ、
自分の思うように行動するということが大事で、
学校はその練習をする格好の場所だと思うんですよ。
成長段階の子供たちに、せっかくの自我の発露という機会を与えず、
揃っていることを美徳とする指導を押し付けるなんて、
日教組はバカなのか。
こういう教育をしていると、
大人になっても哲学を持たず、周囲にどう見られているかばかり気にして、
周囲から浮かないようにということばかりに注意を払う、
大衆に流されやすい、くだらない大人が育ってしまうでしょう。
それでは国が傾くかもしれません。
まぁ、そういう大衆に迎合する感じを常識とか社会通念とかいうのかもしれませんが。
でも、
時代を動かすのは、
常識にとらわれない表現力を持った人なんですけどね。
というわけで、まぁ、招待されておきながらナンなんですが、
まぁ、先生たちの指導のおかげで、見ていて超つまらないダンス×2校で、
こんなもの、授業を潰して練習するなよと思ってしまいました。
[SE;KICHI]
先日、2件ばかり、とある小学校の運動会に引き出されまして、
偉そうにテントの下に座って、子供たちの運動会を見ておったわけです。
実は私は、自分が子供の頃から、運動会がイマイチ好きではなく、
今回、別に自分が出場するわけでもなければ、
自分の子供が出ているわけでもないので、全体をボケ~と眺めておりました。
運動会が好きではない理由は、目的がよくわからないから。
運動会って、基本は“かけっこ”なんだから、いちおうは競争なんでしょうが、
出場する子供たちにライバル意識というか、
「とにかく戦って勝つぞっ!」という闘志があるはずもなく、
勉強の成績に影響するわけでもないから、なんだか遊び感覚のようです。
そのくせ、遊びにしてはそれほど楽しそうではないという、
競争なのかレクリエーションなのか、よくわからない感じ。
そういうわけで、私は、
運動会より授業の方が好きな困った子だったわけですが、
今回、改めて眺めてみて、やはり運動会が好きではないことを再確認した次第。
まぁ、それはともかく、
今回、見ていて少し気になったことがあるんです。
競争ではなく、学年全体とかでやるダンスのようなプログラムがあったのですが、
たくさん練習したのでしょう、ポーズがビシッと決まっていて、
それはもう整然としていて・・・気持ち悪い。
共産圏のマスゲームのようです。
「指先までピシッと揃ってないと、みっともないですよ!」という、
先生たちのヒステリックな指導の光景が目に浮かぶようです。
つくづく、日教組って、
こういう、全員で同じ動きをさせようとするのが好きなんだなぁと思います。
ダンスというのは、パフォーマンスです。
「一糸乱れぬ」ということを、
パフォーマーである子供たちが自ら企図しているなら構いませんが、
そうでないなら、そもそも整然と揃っている必要などなく、
思い思いに身体を動かしてこそパフォーマンスだと思うんですよ。
ほら、EXILE も AKB も E-girls も、個々の動きの自由度は高いでしょう。
学校のダンスと EXILE は違うと言われるかもしれませんが、
私はそうは思いません。
最近は下火になっていますが、昔の運動会には入場行進というものがありました。
整然とザッザッザッザッと歩かされ、そのためにかなりの練習をしたものです。
みんな、こんなものを楽しいと思ってやっていたはずはないでしょう。
同じ“行進”ということで言えば、
オリンピックの選手入場なんか、ちっとも整然となんかしてないじゃないですか。
ダラダラ歩きながら、観客席に手を振ったり、笑顔を見せたり、
選手自身の感情の発露として、好きに歩いているじゃないですか。
それでいいと思うのです。
オリンピックも子供の運動会も、おしなべてそれでいいと思うのです。
人生もパフォーマンスも、他人を不快にさせなければアリで、
必ずしも整然としている必要はないと思うのです。
私は、人生というのはある種のパフォーマンスだと思っています。
他人の迷惑を顧みないとか、そんなのはダメですが、
人生哲学として、経験や教育から一本筋の通った考え方を身につけ、
そのポリシーに従って「自分は、こうである」と振る舞うことが大事で、
それって、アーティスティックなことだろうと思うわけです。
学校の運動会にしろ、何かのコンクールにしろ、
私は、「自分は、こうである」という自己を発露する行為のなかで、
それぞれの子供の自我が育っていくものだと思っているので、
全員で同じことをやり、わざわざ揃えるなんて、ナンセンスだと思います。
要は、自分の生き方に責任を負いつつ、
自分の思うように行動するということが大事で、
学校はその練習をする格好の場所だと思うんですよ。
成長段階の子供たちに、せっかくの自我の発露という機会を与えず、
揃っていることを美徳とする指導を押し付けるなんて、
日教組はバカなのか。
こういう教育をしていると、
大人になっても哲学を持たず、周囲にどう見られているかばかり気にして、
周囲から浮かないようにということばかりに注意を払う、
大衆に流されやすい、くだらない大人が育ってしまうでしょう。
それでは国が傾くかもしれません。
まぁ、そういう大衆に迎合する感じを常識とか社会通念とかいうのかもしれませんが。
でも、
時代を動かすのは、
常識にとらわれない表現力を持った人なんですけどね。
というわけで、まぁ、招待されておきながらナンなんですが、
まぁ、先生たちの指導のおかげで、見ていて超つまらないダンス×2校で、
こんなもの、授業を潰して練習するなよと思ってしまいました。
[SE;KICHI]
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