国語の教科書
新学期が始まり、1ヶ月ほど経ちましたね。
先日、友人のお宅にお邪魔する機会があったのですが、
新学期早々、その友人の愚痴ること愚痴ること。
なんでも、息子さんの国語の教科書がふざけていると。
例えば『ちいちゃんのかげおくり』。
4人家族のお父さんが出征したあと、残された家族も空襲に遭って、
主人公の幼児・ちいちゃんも亡くなってしまい、
天国のようなところで家族と再会するという話。
まぁ、『火垂るの墓』的なお話です。
国語の教科書には、こういう救いのない暗い話がたくさん載っていて、
時折、それを音読する宿題が出たりするそうで、
息子がそんなものを家で音読しているのを聞くと気が滅入るといいます。
友人曰く、
「こういう救いのない話を繰り返し音読させることが、
子供の情操教育に悪影響を及ぼさないか、すごく心配」とのこと。
・・・確かに。
彼女は小学生の息子の国語の教科書に衝撃を受けたため、
中学生の娘たちにも教科書を見せるように言ったところ、
さらに衝撃を受けたといいます。
例えば『大人になれなかった弟たちに・・・』。
もう、タイトルからして悲壮感が漂っていますが、内容も案の定、
戦争中、弟が栄養失調で亡くなってしまうという話。
例えば『蝉の声』。
戦争体験を語る祖父が、主人公の「和男」の名前の由来について語ります。
「出世なんかしなくてもいい、戦争さえしなければいい」と。
・・・んもう、暗い。というか退廃的。
私も少し読ませてもらいましたが、あまり気分の良い話ではないですね。
逆に、何かを成し遂げた話や、偉人伝などはほとんどありません。
戦争の悲惨さなどを伝える平和教育の教材として、意図は分からなくはないのですが、
非武装中立など「軍隊を捨てる」ことを賞賛してみせる題材もあったりして、
うまく言えないのだけれど、
国語教育を通じて、別のことを刷り込んでいる印象。
“別のこと”って、平たく言えば左翼的な思想ですね。
私自身は、ことさら戦争を煽る者ではありませんが、
韓国が日本を敵視する政策をとってきたり、中国の哨戒機が領空に飛来する昨今、
丸腰でさえあれば良いとは思っていません。
日本は、昨年のアルジェリアの人質事件ですら、日本人を救出できませんでした。
亡くなった方には、私も面識のある方が含まれていたので、
身近な人が無抵抗で犠牲となったことに、かなりの衝撃を受けたものです。
まぁ、思想や哲学というのは、書籍や報道などに接する中で、
本人の意思で組み上げるものだとは思うのですが、
確かに、自我の発展途上にある小学生から中学生の子供に与えるには、
この国語の教科書は、ちょっと左に寄り過ぎているのではないかと思います。
もちろん、戦争の悲惨さや平和の大切さを教えることは大事ですが、それはそれ。
国語の時間に、戦争で幼い子供が死んでしまった悲しい話ばかりを繰り返し読ませ、
そのうえで、歴史の授業などで南京大虐殺や慰安婦問題を教えているとするなら、
日本が極悪非道の悪い国だったと思う青少年が増えるのは当たり前だし、
衝撃的な内容を悲壮感たっぷりに描いた作品は、青少年へのインパクトは充分であり、
いわゆる自虐史観というか、そういう情けないものが育つのも当然のような気がします。
私は、彼らの教科書を見て、
国語の時間なのだから、反戦など、変に思想的主張のある文章を読ませず、
もっと名文に接して読解力や情操を養うことに注力すればいいのにと、思ったものです。
地方によっては、公立学校への進学を避け、
小学校や中学校から私立の学校へ進学することが当然の地方もありますが、
こんなことでは、さもありなんという感じもしてしまいます。
こんなものを音読させていては、
学校に行けば行くだけ、去勢された大人になってしまうわけですから、
もう、中国かどこかの差し金かと思ってしまうほどです。
国の根幹の教育が曲がっている件、気をつけなければいけません。
[SE;KICHI]
先日、友人のお宅にお邪魔する機会があったのですが、
新学期早々、その友人の愚痴ること愚痴ること。
なんでも、息子さんの国語の教科書がふざけていると。
例えば『ちいちゃんのかげおくり』。
4人家族のお父さんが出征したあと、残された家族も空襲に遭って、
主人公の幼児・ちいちゃんも亡くなってしまい、
天国のようなところで家族と再会するという話。
まぁ、『火垂るの墓』的なお話です。
国語の教科書には、こういう救いのない暗い話がたくさん載っていて、
時折、それを音読する宿題が出たりするそうで、
息子がそんなものを家で音読しているのを聞くと気が滅入るといいます。
友人曰く、
「こういう救いのない話を繰り返し音読させることが、
子供の情操教育に悪影響を及ぼさないか、すごく心配」とのこと。
・・・確かに。
彼女は小学生の息子の国語の教科書に衝撃を受けたため、
中学生の娘たちにも教科書を見せるように言ったところ、
さらに衝撃を受けたといいます。
例えば『大人になれなかった弟たちに・・・』。
もう、タイトルからして悲壮感が漂っていますが、内容も案の定、
戦争中、弟が栄養失調で亡くなってしまうという話。
例えば『蝉の声』。
戦争体験を語る祖父が、主人公の「和男」の名前の由来について語ります。
「出世なんかしなくてもいい、戦争さえしなければいい」と。
・・・んもう、暗い。というか退廃的。
私も少し読ませてもらいましたが、あまり気分の良い話ではないですね。
逆に、何かを成し遂げた話や、偉人伝などはほとんどありません。
戦争の悲惨さなどを伝える平和教育の教材として、意図は分からなくはないのですが、
非武装中立など「軍隊を捨てる」ことを賞賛してみせる題材もあったりして、
うまく言えないのだけれど、
国語教育を通じて、別のことを刷り込んでいる印象。
“別のこと”って、平たく言えば左翼的な思想ですね。
私自身は、ことさら戦争を煽る者ではありませんが、
韓国が日本を敵視する政策をとってきたり、中国の哨戒機が領空に飛来する昨今、
丸腰でさえあれば良いとは思っていません。
日本は、昨年のアルジェリアの人質事件ですら、日本人を救出できませんでした。
亡くなった方には、私も面識のある方が含まれていたので、
身近な人が無抵抗で犠牲となったことに、かなりの衝撃を受けたものです。
まぁ、思想や哲学というのは、書籍や報道などに接する中で、
本人の意思で組み上げるものだとは思うのですが、
確かに、自我の発展途上にある小学生から中学生の子供に与えるには、
この国語の教科書は、ちょっと左に寄り過ぎているのではないかと思います。
もちろん、戦争の悲惨さや平和の大切さを教えることは大事ですが、それはそれ。
国語の時間に、戦争で幼い子供が死んでしまった悲しい話ばかりを繰り返し読ませ、
そのうえで、歴史の授業などで南京大虐殺や慰安婦問題を教えているとするなら、
日本が極悪非道の悪い国だったと思う青少年が増えるのは当たり前だし、
衝撃的な内容を悲壮感たっぷりに描いた作品は、青少年へのインパクトは充分であり、
いわゆる自虐史観というか、そういう情けないものが育つのも当然のような気がします。
私は、彼らの教科書を見て、
国語の時間なのだから、反戦など、変に思想的主張のある文章を読ませず、
もっと名文に接して読解力や情操を養うことに注力すればいいのにと、思ったものです。
地方によっては、公立学校への進学を避け、
小学校や中学校から私立の学校へ進学することが当然の地方もありますが、
こんなことでは、さもありなんという感じもしてしまいます。
こんなものを音読させていては、
学校に行けば行くだけ、去勢された大人になってしまうわけですから、
もう、中国かどこかの差し金かと思ってしまうほどです。
国の根幹の教育が曲がっている件、気をつけなければいけません。
[SE;KICHI]
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