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続・考えない

座禅を組むと無心になれるものでしょうか。

結論から言えば、自分次第だろうと思います。

私は習慣的に座禅を組みますが、無心になるかどうかは自分の采配によります。
無心になりたければなればいいし、何か思慧したければすればいい。

無心になること自体は、慣れればそう難しくはありません。
自分の身体がなくなり、雲か水になったようなイメージをすればよいのです。
無心の感覚は、フワフワして気持ちのよい感覚です。
それをやりたければ、そうすることも自由です。

しかし、少なくとも私の場合は、無心になろうと思って座禅を組むことは少なくて、
だいたいは何かを思慧、つまり考えています。

おいおい、考えない練習はどうしたんだ、とお思いでしょうか。

実は、極端な話、
私がものを考えるのは座禅を組んでいるときだけです。
座禅を組んでいないときには、仕事を含めて、あまりものを考えず、
楽天的に過ごしています。

そう書くとバカっぽく聞こえますが、それは、努力してそうしているのです。

人間、放っておくと、四六時中、何かを考えてしまいます。
そして、それはたいていネガティブです。
特に仕事中や就寝前など、無意識に思い浮かべることと言えば、
本当にろくでもないことばかりです。
ジョセフ・マーフィーの言う通りなら、
ネガティブな思考によって、
無意識にネガティブな現実が引き寄せられてしまいます。


その法則に従えば、ポジティブな思考を持つことで、
ポジティブな現実を引き寄せることができるはずです。
しかし、それには、ネガティブが現れたらそれを看破し、
ポジティブな強い言葉で上書きするという強い意志が必要で、
それを身に付けるには相応の鍛練が必要です。
ポジティブに生きることが最善だと知ったうえで、
それがなかなか難しいことであるなら、少なくともネガティブな思考を持つよりは、
何も考えないほうが数倍マシというものです。

だから私は、大事なことは、
ネガティブに流されがちな日々の暮らしのなかでは考えないことにして、
静かな座禅の時間などに集中的に考えるようにしているのです。

もっとも、壮年あたりの世代では、座禅に対して、
足を組むのが大変そうとか、肩を打たれるのが痛そうとか、
苦しげなイメージを持っている人も少なくないようです。
でも、そういった形式的なことよりも、
大切なことは日常の忙しさ“ネガティブの素”から離れることですから、
姿勢など、こだわる必要はないでしょう。

要は、座禅というより、瞑想が大事なのです。

私は足が悪いので、楽な姿勢で座禅を組みます。
また、本来は半眼と言って薄く目を開けておくものですが、
私の場合は、完全に目をつむります。
完全につむると雑念が湧きやすいと言われていますが、私はつむります。
だって、そのほうが自分に合っているからです。
そんなもんでいいと思うのです。
ほら、ヨガのシャバアーサナだって、あれも一種の瞑想ですが、
姿勢はあんなのだけど、究極の癒しのポーズと言われていますよね。
実際、うまく入れるとかなり気持ちいいですよね。

大事なのは心を静めることなので、
凪いだ湖面などをイメージして、心を落ち着かせます。
そして、そのうえで、自分が気になっていることを、ゆっくりと考えます。

ネガティブを否定し、ポジティブな未来を鮮明に思い描きます。

静かで穏やかな心で考えると、
いつもとは違うインスピレーションが得られたりして、
気づいたら懸案が解決していたりします。

ようするに座禅は癒しなんです。

最近、働き盛りの若い世代を中心に、座禅会が人気なんだそうですが、
なんでも、座禅を組むと、胆力、いわゆる肚の力がつくということで、
有能な経営者には座禅を習慣にしている人は多いようです。

経営者でなくても、
毎日の生活がネガティブに流されないようにすることは大事です。
肚の力をつけておきたいものです。

冬はきついですけどね。

[SE;KICHI]
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考えない

何も「考えない」ことは雑念を取り払い頭の中がクリアになり、
ストレスや不安を感じなくなる。
また、問題を解決したりアイデアを出すのに
非常にいい作用をしてくれるのではないかと。
そう思うと「考えない」ことを一度でも体験してみたくなります。

しかし、人の頭の中は放っておくと、
どうも物事を否定的に考えてしまうようです。

楽しかったことや未来への希望ではなく、
過去の嫌な体験や未来を不安に思うことに時間を費やしてしまいがちです。

そういう私も修行が足りないので、
考えても解決するわけではなかったり、ある程度時間が経過しないと結論が出ないような、
今考えても仕方がないとわかっていることでも、
気が付いたらいろいろ考えているときがあります。

一時、考えるのをやめられないのは自分の性分なのだから、
とことん考えればいいやと思い、実行してみたことがあります。
そのうち考えることに疲れて、どうでもいいやと思えるようになりますが、
そこに行きつくまでに大変時間がかかるのです。

楽しいことならまだいいのですが、
楽しくないことをずっと考えているのはとても無駄で、
時間がもったいないと感じます。


このブログでも過去に「考えない」ことの大切さを書いていますが、
実践するのは本当にむずかしいです。
いかに普段、多くの時間を邪念や雑念に頭の中が支配されているのかがわかります。

考えてみると邪念や雑念は、気が付いたら湧いて出てくる、
過去や未来に対しての否定的な思考がほとんどではないだろうかと思います。
そうであるとすれば、
そのことにどれだけ無関心になれるのかが鍵なのだと思います。
否定的な思考が出てきたら、
受け流す、放っておく等の無関心になろうとする忍耐力が必要ですが、
それができるようになれば、ネガティブな思考は消え去ることになります。

普段、目の前のことに集中したり熱中している時は、余計なことは考えていません。
ひょっとするとそれは、何も「考えない」ことに非常に近い状態なのかもしれません。
無心になろうと座禅を組んだり、お経をあげるのも、
今のこの一瞬一瞬を大切にしている行為と言えるかもしれません。
どこか共通するものを感じます。
だとすると、
今現在の瞬間に集中し、そこにあるものを楽しむなら、
不要な思考はなくなり、いつもいい気分でいられると思われます。


常に穏やかな気持ちでいることや、自分を客観的に捉える冷静さが重要なのだと思います。

[M M]

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[AKA]

シュールなルーツ

以前、自然物よりも、人間が作ったものが好きと書きました。

そのルーツは、意外かもしれませんが、廃村なんです。

昔、長野県の八坂村というところに住んでいたことがありました。
現在は合併でなくなってしまいましたが、人口1000人ほどの小さな過疎の村でした。

その八坂村の村起こしの話です。
最近だとインターネットが普及しているので村の宣伝も簡単にできますが、
当時はそんなツールはなかったので、
村の宣伝はパンフレットなどの印刷物に頼るしかありませんでした。

あるとき、村のパンフレットを作るために、
村中の道祖神の写真を撮って回ったことがあります。

道祖神、分かりますでしょうか。

集落の入口や三叉路などに安置されている守り神の石像のことで、
八坂村のあった信州安曇野と言えば、
双体道祖神と呼ばれる、男女を一対に彫った形の道祖神で有名です。

130924-道祖神 http://azumino.kokoton.net/doso/yasaka2/

それを、村内一円、写真を撮ったり、造立年を調べたりして、調査して回りました。

調査と簡単に言いましたが、市街地のお地蔵さんを見て回るのとは訳が違います。
そもそも過疎の村ですから集落にも人は少なく、
また、集落と集落との間が離れているため、
道祖神を探して回るだけでも大変です。

なかには、営農の効率などの都合で打ち捨てられてしまった集落もあります。
そういう、もはや土に帰ろうとしている集落は、
そこに向かう道もなくなっていることが多く、また、地図からも消えています。

130924-廃村
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/3017953.html

廃村とは不思議なものです。
崖をよじ登り、藪を掻き分け、天狗に騙されているのではないかと思うほど歩いて、
ようやくたどり着いた廃村は、
かつては村人で賑わっていたであろう生活感はすでになく、時間が止まっている感じ。
数軒の崩れかけた廃墟と、同じく崩れかけた神社などが放置されています。
そして道祖神。

かつて人が暮らしていた頃、
道祖神は住人を厄災から守ることを期待され、大切に祀られていました。
住んでいた人は新天地に移転したのでしょうが、祀られていた道祖神はそのまま。

それは、本当にシュールな光景。

かつては村が栄え、それを見守ってきた道祖神ですが、
現在は守るべき対象を失い、朽ち果てた廃墟を眺めています。
果たして、どういう気持ちでしょうか。
今日はたまたま私が訪れたけれど、明日からは、また誰にも会わずに一日が暮れていく。

仏像って、物体としては、所詮は石や木や鋳物に過ぎないんだけれども、
それを神仏に見立てて奉ろうとする人間の畏怖の念があって初めて、
仏像という信仰の対象として成立するのだと思います。

だとすれば、放置され、人々からの畏怖の念を受けなくなったとき、
つまり信仰の対象ではなくなった仏像は、
誰の目にも触れず、石や木や鋳物に戻っていくしかないのです。


廃村の石像も、勝手に湧いて出たものではなく、
かつての住人の想いを受け、人間の手によって作られたものです。
それが今、誰にも気に掛けられず、少しずつ朽ちていこうとしている。
どういう気持ちなのでしょうか。

私が仏像好きになる発端はこの道祖神ですし、
仏像を見るときの擬人化というか、仏像の気持ちになるというスタイルも、
このシュールな廃村体験に端を発しますが、
そのベースには「人工物が好き」というのが明確にあります。

ただの石や木や鋳物に、命を吹き込むのも、命を奪うのも人間。
私は、そこにある想いを感じるのが好きなのです。

[SE;KICHI]

切り替えについて

皆様、今夏はほんっとに暑かったですね。
我が富山でも7、8月は連日30~35℃超え、
いやもう、体感温度は絶対40℃ほどだよねという日が、
来る日も来る日も続きました。

殊に、8月上旬の一番暑い盛りに、自宅のエアコンが壊れた日には、
家族3人このまま熱中症になってしまうのかな・・・と、
マジで身の危険を感じました。

結局、悪夢のようなエアコンの無い5日間を乗り越えて、
管理会社さんがエアコンを新設して下さったので、事なきを得ましたが。
やはり、業者さんの都合が超多忙で、なかなかつかまらなかったそうです。
お子さんも居るし、そこをなるべく早めにと、
管理会社さんがお願いしてくださったそうで、
有難くて私、涙ちょちょぎれた出た次第です。

そして、今夏ほど、命の危険を感じた暑い、いや、熱い夏はなかったように思えます。
皆様は、この暑い夏をどのように過ごされたでしょうか。
いや、お茶や水など、水分は多分、
いつもの半年分は、この夏で飲んだと思います。(一部誇大表現有り)

さて、本題ですが、
今回は気持ちの切替について考えてみたいと思います。(「視点・論点」風に)

私は、自分の悪い癖なのですが、
つい他人と自分の幸せを比べてしまう傾向にあり、
それを直そうと日々努めていますが、
やれ、「(友人の)○○さんが新築した」、
「(知人の)☆☆さんのところ、年内に二人目を出産だって」と、
他人のおめでい事を聞くと、心がとてもざわつくのです。

それは、現在の自分では、例えば上記の二点についてだと、
絶対叶えられぬ事だと思っているからです。
そういう努力もせず、つい思いこんでしまうのも悪い性格なのですが。

悩む私に、先日会った私の大切な友人のAさんがこう話してくれました。
「私はテニスをしているのだけど、そういう長大な目標を、
しかも自分だけで今、人と同じように叶えようとするから辛い。
例えば、この試合に勝ったら、ご褒美に焼き肉を食べようとか、
そういった、
叶えられる可能性のある、少しずつの目標でいいんじゃない。
そうしないと身が持たないよ。」と淡々と話してくれて、
私はようやく考えの切替が出来たのです。

ところで私は自分自身では、あまり悩まず、
選択と決断する時はさっとする人間だと思っていたのですが、
そうでは無かった。
しかも切替下手。最悪です。
でも、友人Aさんとの会話で、切替が出来た。
やはり、人との繋がりで、
たくさん気付かされることがあり、
本当に日々勉強です。


ちなみに私は来年で大台の、「不惑」になりますが、
人生にまだまだ惑っていそうな自分を叱咤激励しつつ、
ちょっと可愛いなと思う今日この頃です。

そして、日々のご褒美には、熱い珈琲と、チョコリエールかチロルチョコがいいな。

[Y.T]

じぇじぇじぇ!

キャッチーなタイトルをつけてみましたが、ただ驚いただけで、
国民的なあのドラマとは、全然関係のない話をします。

私の向かいにパートさんが座っておられます。
この方は、このブログで4月頃に紹介した、
大津皇子に関心のあるという、あの女性です。
この方は、大津皇子だけでなく、鉄道や城郭にも造詣が深いという方で、
いわゆる“変わり者”です。
まぁ、私は“変わり者”が嫌いではないですし、それも個性の一部。
私自身、なんでも興味を持つほうなので、
彼女が京浜急行のVVVFインバータについて熱く語る様子を見ても、
別に辟易したりせず、興味深く拝聴しております。

まぁ、 しかし、客観的には“変わり者”であることは間違いないでしょう。
社内的には、もちろん好意的にではありますが、
そういう扱いを受けている彼女です。

さて、今日は彼女の話ではありません。Hさんの話です。

Hさんというのは、当社が業務を委託している会計事務所のスタッフさんで、
月に何度か、当社に顔を出してくださいます。

わりと気さくに話してくださる女性なのですが、
先日、突如として航空機好きということが発覚し、周囲を驚かせたのでした。

飛行機のシルエットが好きとか、客室のサービスが好きとか、
兼高かおるが好きだったとか、航空機好きと言ってもいろいろあるのでしょうが、
Hさんはわりと硬派で、
エンジン音がたまらないとか、
乗らないのに空港まで飛行機を見に行くとか、
自宅は航空機の模型で一杯とか、

そういうことを言います。

聞いていると、対象が鉄道か航空機かの違いだけで、
言っていることは最初に登場したパートさんとほぼ同じ。
ご主人が、それに輪をかけたマニアだという点でも2人は似ているようです。

ところで、私は意外だったのですが、
鉄道好きは旅行で飛行機に乗らず、鉄路を進むわけですし、
逆に、飛行機好きは鉄道などには乗らないで空を飛ぶわけです。
互いに、自分の好きな交通手段を一番だと思っているわけで、
鉄道好きは航空機を、航空機好きは鉄道を否定するのかと思いきや、
意外にも鉄道にとっての航空機、航空機にとっての鉄道は、
移動手段という括りで互いに周辺領域になるらしく、
この2人は互いに認めあい、簡単に意気投合したのでした。

狭いオフィスで、寝台特急について尋ねる女性とそれに答える女性。
また、政府専用機について質問する女性と解説する女性。
メンバーだけ見れば、明らかに女子会だけれど、
飛び交う単語はゴリゴリの交通用語です。

それにしても、これは聞いていてなかなか面白いのだけれど、
いつもは“変わり者”扱いされているマニアさんが、
勢力を拡大して、ここぞとばかりに語る構図になっているため、
もしかして熱く語れない自分のほうが変なのではないかと、
一瞬、妙なアウェイ感を感じたものです。

最終的に、
プリウスとか、最近の自動車は、
ハイブリットとか言ってエンジン音が静かになっちゃって、
あんなの、つまらないよね
などと、
もはや鉄道でも航空機でもない、エンジンのことで盛り上がる女子会なのでした。

まぁ、馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、と言いますが、
人は見かけによらず、意外な一面を持っているものですね。
熱く語れることがあるというのは、羨ましいことです。

[SE;KICHI]

第2回プレパパ奮闘記①

私事で恐縮だが、妻が妊娠4ヶ月だ。
今週末で5ヶ月目に入る。
待望の第二子である。
長女が4歳なので、待望のと言ってもいいだろう。

私も妻も結構いい歳なので、
私の両親も妻の両親も2人目は考えていなかったようだ。
妻曰く、妊娠を報告すると、一人目の時と違って、
みんなキョトンとした様子だったらしい。
「ホントに大丈夫?」みたいな。
経済的なことなのか、高齢出産に対する心配なのか・・・。

それでも、私も妻も、もう一人子供が欲しかった。
一人っ子はかわいそうだ、という思いがあった。
私自身が二人兄弟で、妻が三人兄弟で育ったので、そう思うのかもしれない。
現実には、大人になって、
兄弟がいるからといって日々そのありがたみを感じるものでもないんだが・・・。

それから、近所を見渡すと不思議と子供が2人、3人の家ばかりなんだ。
何なんでしょう。
世の中、少子化、少子化と言うけれど、それも若干あってか、子作りに頑張った。
そしたら、何とか妊娠したんだ。
実を言えば半分以上あきらめていたんだが。

この頃、娘は少し大きくなってきた妻のお腹をさすって
何かしら声をかけている。

娘は男の子だというが、そうであれば、
自分の弟に向かって何を話しかけているんだろう。
今度じっくり耳を傾けてみよう。
まあ何にせよ、無事に生まれて二人で遊んだり、
喧嘩したり、好きにやってほしいと願うばかりだ。

ということで、今は、悪阻で大変な妻と、妻に甘えたい娘と、
ひどく頼りない私の、3人、否、お腹の子を含めての四人生活だ。

子供が生まれる予定日は2月下旬。
妻が無事出産まで快適に、できれば楽しく、
さらには、
いい旦那をもって良かったと思ってもらえるように
サポートしていきたい。


娘の面倒、食事・洗濯など家事全般、その他いろいろあるでしょう。
悪阻が落ち着けば、ちょっとした旅行もいいかも。
妻が行きたいと言えばの話だが。
私の行動指針は、「妻の思いを優先!」
「国民の生活が第一」ではない(笑)。
自分勝手な思いを押し付けることのないよう強く意識して、
第2回プレパパ期を歩みたい。


これから、出産までの出来事をちょこちょこ報告させて頂きます。
関心のない方もいらっしゃると思いますが、お付き合いの程宜しくお願いします。

[TOTSU]

半沢直樹さん

いま、日本一有名な会社員と言えば、東京中央銀行の半沢直樹さんでしょう。
すごい人気ですね。

ここ何年も社会には閉塞感が漂っていて、なんとなく、鬱々とした空気に覆われています。
そんななか、半沢さんは、上司からの理不尽な圧力などに屈することなく、
正義のために自分の信念を貫きます。
その姿勢はとても痛快であり、
日々、宮仕えの悔しさを感じている諸氏の溜飲を大いに下げているのでしょう。

私も、日ごろ宮仕えの苦しみを味わっているかどうかは別にして、
毎週、視聴している一人ではあります。

しかし、よくよく見ていると分かるのですが、
このドラマは、構成自体はわりと単純なのです。

ある意味で漫画的というか、
いかにも悪人ヅラした悪人の出てくる分かりやすい勧善懲悪のドラマで、
その構造は時代劇に似ています。
つまり、ドラマとして、演出上のひねりは、あまりないのです。

だとすれば、受けている理由は、あの決めゼリフ以外には考えられません。

やられたら、倍返しだ。

おおお、なんという痛快さ。
これは普通の社会人が言えるセリフではないので、
この痛快なセリフに、このドラマが支持される理由が集約されていると言えます。

しかし、私は、この決めゼリフが好きではありません。

このドラマでは、半沢さんが善で大和田常務が悪という構図が明確なので、
視聴者は必ず半沢側に肩入れするようになっています。
そのため、絶対正義の主人公が悪を成敗しているように見えますが、
私は、大切なのは悪人側の視点ではないかなと思うのです。
つまり、やり返される側。

「やられたら倍返し」は、やられる側から見れば、
いらぬことをすると、倍返しされるということを意味しています。
因果応報という言葉がありますが、これは怖いことです。
悪いことはするものではないですよ、
倍になって返ってきますよ、
ということでしょう。

主人公に肩入れして、悪をちぎっては投げ、ちぎっては投げの半沢さんに、
やんやの喝采を送っている私たちですが、果たして自分はどうでしょうか。
もしかしたらちぎって投げられるほうだったりしないでしょうか。

ドラマの主人公だから、倍返しも正当化されている感じがします。
実際には、ドラマほど劇的でないにしろ、因果応報は働いているはずです。
善行も悪行も倍に増幅されて帰ってくるでしょう。
ドラマだから、主人公が絶対的な立ち位置なだけです。

倍返しされないために、日ごろから悪いことはしないことです。

ちなみに私は、ハンムラビ法典じゃあるまいし、
そもそもやり返すという考え方が好きではありません。
私は「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」のほうが好きです。
仏教もキリスト教も、復讐は否定しています。

「やられたら倍返し」は、フレーズがキャッチーなので、
子供や若者の社会で流行する可能性が高そうで心配です。
最近の若者は、コンビニの冷蔵ケースに入って写真を撮るなど、
自分の行動の及ぼす影響に対する想像力に欠ける人が多いようなので、
キャッチーなセリフを真に受けてなんでもかんでも倍返しにすることのないよう、
祈るばかりです。

『半沢直樹』公式 ⇒ http://www.tbs.co.jp/hanzawa_naoki/

[SE;KICHI]

幸福な国

ヒマラヤにあるブータンの首都ティンプーを訪れた取材番組をたまたま観ました。

ブータンは、国の発展を「国内総生産(GDP)」で示されるような、
金銭的、物質的な豊かさを目指すのではなく、
精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから
「国民総幸福量(GNH)」を使って測ることを世界で初めて提唱した国です。
実際、ブータン国民の97%(2005年調査)が自分は幸せだと感じているように、
国をあげて国民の幸福を第一に考える政策を摂り続けているという、
ある意味世界の最先端を走っている国です。

首都ティンプーは、山間の自然に溶け込んだ整然とした街並みで、
ゴミひとつ落ちていない非常にきれいなところです。
街の人を見ると、笑顔の人が多く皆さん穏やかな表情です。
不機嫌そうな顔の人は、テレビに映る限りでは見当たりません。

街を歩く男性に、生活に満足しているか聞いたところ、
「どれだけいい家に住んでいても、どれだけ大金持ちになっても、
死んでしまえば皆同じさ。」と笑顔でさらりと答えていました。
チベット仏教の信仰が厚い国で、輪廻転生の考えがベースにあるようです。
また、別の年配の男性にインタビューすると、
「ここは本当に平和でいい国だ。
極楽浄土もここと良く似たところだと思うよ。」と
これまたニコニコ顔で答えていました。
今自分がいる場所が、
極楽浄土と同等だと思っていることに大変驚きました。

さすが「世界一幸せな国」と呼ばれているだけあります。

日本でもGNHを新たな指標として取り入れようと、
シンポジウムが開かれるなどの動きがあるようです。
金銭や利便性を求め続ける今の日本の社会を、
精神的な豊かさを目指す社会に
少しずつでも変換することができるでしょうか?

まずは「足るを知る」ところからですかねぇ。

[KAZSOU]

人間臭さを意地悪く見る趣味

不動産が好きです。

と言っても、投資が好きとか、そういう話ではありません。
大雑把に表現するなら、建築物に関することが好きという感じです。

もともと家の片付けとか、模様替えとか、家に関することが好きなほうで、
休日など、張り切って2時間くらいかけてバスタブを磨くとか、
半日かけて庭の芝生を入念に刈りこむとか、
そういうことが苦にならないタイプです。

とりわけ、家財を効率的に収納するとか、デッドスペースを有効活用するとか、
インテリア関係に関心があります。
蔵書が多いので、
たまに入れ換えないと収納箇所が不足するという特殊な事情はありますが、
インテリアに関心があるのは、
インテリアコーディネーターの母の影響かもしれません。
なので、「渡辺篤史の建もの探訪」とか「大改造!!劇的ビフォーアフター」とか、
「ははぁん、この空間を収納に使ったかぁ」というような見方が好きです。

もともと自然物にはほとんど関心がなく、人間が作った造形物が好きなので、
「なぜそういうデザインなのか」を考えるのが大好きです
華厳滝よりも滝壺に向かうエレベーターのほうが好きなタイプです。
スカイツリーからの景色より、スカイツリーの構造のほうに興味があります。

そういう感じなので、仏像好きが高じて出かける寺社でも、
もう25年も見て回っていますのでね、
自然に建築物にも詳しくなってきました。

詳しさついでの余談ですが、
昔「千と千尋の神隠し」というアニメがありましたよね?
公式発表ではその舞台“油屋”のモデルは道後温泉本館だそうですが、
道後温泉以外に、「ウチがモデル」と主張する旅館、多いですね。
建築物マニアとしては、ああいう、唐破風を備えた湯屋建築って、
全国的に古い温泉街でわりと見かけるもので、そう珍しくもないのですが、
なんてことのない建物でも、何かのモデルと言われれば話は別で、
日本人は「○○のモデルになった」っていうの、好きなんだなぁと思います。

そういう高尚な建築物に対する高尚な見方もありますが、
最近では住宅の外側にも関心が出てきてしまいました。
縁もゆかりもない住宅地にわざわざ出掛けては、
他人の家の外観を見て回る
ようなこともするようになってしまい、
我ながら困っています。

最近の住宅はお洒落で、外装にも“遊び”が多く見られます。
壁材ひとつとっても、
プロバンス風とか、アメリカンスタイルとか、凝った意匠が増えました。
ただ、どんなにお洒落に演出しても、お洒落にできない部分が残りますよね。
電気の供給線や、テレビのケーブル、ネットの配線などの、いわゆる電線の類いや、
エコキュートの大きなボックスや、電気やガスのメーターボックス。
灯油タンクを設置している家もありますね。
ちょっと意地悪ですが、私は、こういう設備類と、
お洒落な外観とのギャップが気になります。
「こんなにお洒落な外観なのに、
勝手口の脇にエコキュートの大きな金属の箱があるなんて、変」ってね。


お洒落の基準って人それぞれだと思いますが、
最終的にどうにも乗り越えられない部分が出てきたとき、
人は妥協するものです。

たぶん、そういう人間臭い部分を見るのが好きなのです。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
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FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
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