続・考えない
座禅を組むと無心になれるものでしょうか。
結論から言えば、自分次第だろうと思います。
私は習慣的に座禅を組みますが、無心になるかどうかは自分の采配によります。
無心になりたければなればいいし、何か思慧したければすればいい。
無心になること自体は、慣れればそう難しくはありません。
自分の身体がなくなり、雲か水になったようなイメージをすればよいのです。
無心の感覚は、フワフワして気持ちのよい感覚です。
それをやりたければ、そうすることも自由です。
しかし、少なくとも私の場合は、無心になろうと思って座禅を組むことは少なくて、
だいたいは何かを思慧、つまり考えています。
おいおい、考えない練習はどうしたんだ、とお思いでしょうか。
実は、極端な話、
私がものを考えるのは座禅を組んでいるときだけです。
座禅を組んでいないときには、仕事を含めて、あまりものを考えず、
楽天的に過ごしています。
そう書くとバカっぽく聞こえますが、それは、努力してそうしているのです。
人間、放っておくと、四六時中、何かを考えてしまいます。
そして、それはたいていネガティブです。
特に仕事中や就寝前など、無意識に思い浮かべることと言えば、
本当にろくでもないことばかりです。
ジョセフ・マーフィーの言う通りなら、
ネガティブな思考によって、
無意識にネガティブな現実が引き寄せられてしまいます。
その法則に従えば、ポジティブな思考を持つことで、
ポジティブな現実を引き寄せることができるはずです。
しかし、それには、ネガティブが現れたらそれを看破し、
ポジティブな強い言葉で上書きするという強い意志が必要で、
それを身に付けるには相応の鍛練が必要です。
ポジティブに生きることが最善だと知ったうえで、
それがなかなか難しいことであるなら、少なくともネガティブな思考を持つよりは、
何も考えないほうが数倍マシというものです。
だから私は、大事なことは、
ネガティブに流されがちな日々の暮らしのなかでは考えないことにして、
静かな座禅の時間などに集中的に考えるようにしているのです。
もっとも、壮年あたりの世代では、座禅に対して、
足を組むのが大変そうとか、肩を打たれるのが痛そうとか、
苦しげなイメージを持っている人も少なくないようです。
でも、そういった形式的なことよりも、
大切なことは日常の忙しさ“ネガティブの素”から離れることですから、
姿勢など、こだわる必要はないでしょう。
要は、座禅というより、瞑想が大事なのです。
私は足が悪いので、楽な姿勢で座禅を組みます。
また、本来は半眼と言って薄く目を開けておくものですが、
私の場合は、完全に目をつむります。
完全につむると雑念が湧きやすいと言われていますが、私はつむります。
だって、そのほうが自分に合っているからです。
そんなもんでいいと思うのです。
ほら、ヨガのシャバアーサナだって、あれも一種の瞑想ですが、
姿勢はあんなのだけど、究極の癒しのポーズと言われていますよね。
実際、うまく入れるとかなり気持ちいいですよね。
大事なのは心を静めることなので、
凪いだ湖面などをイメージして、心を落ち着かせます。
そして、そのうえで、自分が気になっていることを、ゆっくりと考えます。
ネガティブを否定し、ポジティブな未来を鮮明に思い描きます。
静かで穏やかな心で考えると、
いつもとは違うインスピレーションが得られたりして、
気づいたら懸案が解決していたりします。
ようするに座禅は癒しなんです。
最近、働き盛りの若い世代を中心に、座禅会が人気なんだそうですが、
なんでも、座禅を組むと、胆力、いわゆる肚の力がつくということで、
有能な経営者には座禅を習慣にしている人は多いようです。
経営者でなくても、
毎日の生活がネガティブに流されないようにすることは大事です。
肚の力をつけておきたいものです。
冬はきついですけどね。
[SE;KICHI]
結論から言えば、自分次第だろうと思います。
私は習慣的に座禅を組みますが、無心になるかどうかは自分の采配によります。
無心になりたければなればいいし、何か思慧したければすればいい。
無心になること自体は、慣れればそう難しくはありません。
自分の身体がなくなり、雲か水になったようなイメージをすればよいのです。
無心の感覚は、フワフワして気持ちのよい感覚です。
それをやりたければ、そうすることも自由です。
しかし、少なくとも私の場合は、無心になろうと思って座禅を組むことは少なくて、
だいたいは何かを思慧、つまり考えています。
おいおい、考えない練習はどうしたんだ、とお思いでしょうか。
実は、極端な話、
私がものを考えるのは座禅を組んでいるときだけです。
座禅を組んでいないときには、仕事を含めて、あまりものを考えず、
楽天的に過ごしています。
そう書くとバカっぽく聞こえますが、それは、努力してそうしているのです。
人間、放っておくと、四六時中、何かを考えてしまいます。
そして、それはたいていネガティブです。
特に仕事中や就寝前など、無意識に思い浮かべることと言えば、
本当にろくでもないことばかりです。
ジョセフ・マーフィーの言う通りなら、
ネガティブな思考によって、
無意識にネガティブな現実が引き寄せられてしまいます。
その法則に従えば、ポジティブな思考を持つことで、
ポジティブな現実を引き寄せることができるはずです。
しかし、それには、ネガティブが現れたらそれを看破し、
ポジティブな強い言葉で上書きするという強い意志が必要で、
それを身に付けるには相応の鍛練が必要です。
ポジティブに生きることが最善だと知ったうえで、
それがなかなか難しいことであるなら、少なくともネガティブな思考を持つよりは、
何も考えないほうが数倍マシというものです。
だから私は、大事なことは、
ネガティブに流されがちな日々の暮らしのなかでは考えないことにして、
静かな座禅の時間などに集中的に考えるようにしているのです。
もっとも、壮年あたりの世代では、座禅に対して、
足を組むのが大変そうとか、肩を打たれるのが痛そうとか、
苦しげなイメージを持っている人も少なくないようです。
でも、そういった形式的なことよりも、
大切なことは日常の忙しさ“ネガティブの素”から離れることですから、
姿勢など、こだわる必要はないでしょう。
要は、座禅というより、瞑想が大事なのです。
私は足が悪いので、楽な姿勢で座禅を組みます。
また、本来は半眼と言って薄く目を開けておくものですが、
私の場合は、完全に目をつむります。
完全につむると雑念が湧きやすいと言われていますが、私はつむります。
だって、そのほうが自分に合っているからです。
そんなもんでいいと思うのです。
ほら、ヨガのシャバアーサナだって、あれも一種の瞑想ですが、
姿勢はあんなのだけど、究極の癒しのポーズと言われていますよね。
実際、うまく入れるとかなり気持ちいいですよね。
大事なのは心を静めることなので、
凪いだ湖面などをイメージして、心を落ち着かせます。
そして、そのうえで、自分が気になっていることを、ゆっくりと考えます。
ネガティブを否定し、ポジティブな未来を鮮明に思い描きます。
静かで穏やかな心で考えると、
いつもとは違うインスピレーションが得られたりして、
気づいたら懸案が解決していたりします。
ようするに座禅は癒しなんです。
最近、働き盛りの若い世代を中心に、座禅会が人気なんだそうですが、
なんでも、座禅を組むと、胆力、いわゆる肚の力がつくということで、
有能な経営者には座禅を習慣にしている人は多いようです。
経営者でなくても、
毎日の生活がネガティブに流されないようにすることは大事です。
肚の力をつけておきたいものです。
冬はきついですけどね。
[SE;KICHI]
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