魅惑の・・・(3)
最近、とある方から、
「私、広隆寺の弥勒菩薩像が見たいんですよね」と聞きました。
広隆寺の弥勒菩薩像と言えば、「国宝第一号」と紹介されることも多いですし、
ご存じの方も多いことでしょう。
日本に所在する仏教彫刻では、5本の指に入る有名な作品です。
この像について、ドイツの哲学者カール・ヤスパースが、
「人間実存の最高の姿」と激賞したことも、よく知られていますね。
弥勒菩薩については、
以前、このブログでも地蔵盆を紹介する記事で少しだけ触れたことがありますが、
覚えていらっしゃいますでしょうか?
弥勒菩薩は、お釈迦様が入滅(死去)した後の後継者です。
お釈迦様の救いの手から漏れた方々をことごとく救済する役目を担っているのです。
ただし、着任はお釈迦様の死後56億7000万年後の予定。
実際のお釈迦さまが亡くなってからまだ2400年くらいしか経っていませんから、
まだまだ相当先の話です。
私は、仏教のこのあたりの世界観が大好きなのですが、
現在、弥勒菩薩は須弥山という山の頂上の兜率天というところで、
「どうしたらことごとく救済できるか」と考えながら、
地上に降りる日をずっと待っているのだそうです。
56億年も考えつづけなくてはならないかと思うと、私なら気が変になりそうですが、
それは、それ自体が弥勒菩薩の修行なのだそうです。
それはともかく、弥勒菩薩は考え事をしているため、広隆寺の像のように、
腰をかけて右足を左の大腿に乗せ、右手を頬にあてて考えている、
なんというかアンニュイな「半跏思惟像」の姿になっています。
ちょっと専門的な言い方をしますが、
私は、施無畏印や与願印のような一般的な印相を結ぶ仏像よりも、
如意輪観音やこの弥勒菩薩のような、思惟印を結んでいる仏像が好みです。
何を言っているか分からないかもしれませんが、
まぁ、頬にあてた指がセクシーで、その優美さが好きだと、そういうことです。
みなさんも歴史の授業で習ったと思いますが、
日本では平安時代のころに末法思想が大流行したことがあり、
いまの世はダメだから、未来に期待しようということで、
未来に現れる、救世主的な側面を持つ弥勒菩薩に対する信仰が大変盛んになりました。
いま、書いていてふと思ったのですが、
2013年の現在も、「いまの世はダメだから、未来に期待しよう」という考えはありますよね。
強いリーダー出現を待ち望む風潮も変わっていないですね…。
平安時代も現代も同じということでしょうか。
ところで、弥勒菩薩がこの世に現れると、人々はことごとく幸せになるといいます。
作物はどのようなものでも豊富に収穫でき、
人々は喜びに満ち溢れて、せっせと働き、すべての国々は繁栄するというのです。
全員が繁栄するわけですから、人々の争い、国と国との争いもなくなり、
言葉も一つになることで意思の疎通が容易になって、誤解や曲解が解消されることで、
理想的な世界が出現するというのです。
隣国からミサイルが飛んでくるという事態が現実味を増している現在、
その弥勒菩薩の理想的な世界は現実味がない話に感じられてしまいますが、
それは、単純に、
理想的な世界の到来を信じられなくなった、
私たちの心が汚れているということなのでしょうね。
少し前にこのブログで即身仏を紹介しましたが、
その即身仏の正体は、弥勒菩薩の下生を待つために自らミイラとなって、
56億7000万年を土中で過ごそうとしたお坊さんです。
それほど、弥勒菩薩の理想の世界は魅力的な世界だということです。
なんとなくしんみりしてしまいましたが、
とにかく、弥勒菩薩は56億7000万年後に昇進して弥勒如来となり、
この地上に着任する予定だそうです。
そういうわけで、この弥勒菩薩像には装身具をつけている“菩薩型”と
法衣を身に着けている、昇進後の姿を表した“如来型”があります。
広隆寺の弥勒菩薩像のような思惟像は“菩薩型”の造像例です。
ほぼ広隆寺(京都)の独壇場ですので、それ以外の名品は多くないのですが、
最後に、オススメをご紹介しておきますね。
菩薩型;中宮寺(奈良)、野中寺(大阪)、醍醐寺(京都)
*中宮寺の菩薩半跏像は「伝如意輪観音」とされていますが、おそらく弥勒菩薩像であるといわれています。
*醍醐寺の弥勒菩薩像は半跏思惟像ではなく禅定印を結ぶ坐像ですが、如来への移行期を表現したといわれる快慶の名作で、塔頭の三宝院に安置されています。
如来型;當麻寺(奈良)、興福寺(奈良)、東大寺(奈良)
一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。
[SE;KICHI]
「私、広隆寺の弥勒菩薩像が見たいんですよね」と聞きました。
広隆寺の弥勒菩薩像と言えば、「国宝第一号」と紹介されることも多いですし、
ご存じの方も多いことでしょう。
日本に所在する仏教彫刻では、5本の指に入る有名な作品です。
この像について、ドイツの哲学者カール・ヤスパースが、
「人間実存の最高の姿」と激賞したことも、よく知られていますね。
弥勒菩薩については、
以前、このブログでも地蔵盆を紹介する記事で少しだけ触れたことがありますが、
覚えていらっしゃいますでしょうか?
弥勒菩薩は、お釈迦様が入滅(死去)した後の後継者です。
お釈迦様の救いの手から漏れた方々をことごとく救済する役目を担っているのです。
ただし、着任はお釈迦様の死後56億7000万年後の予定。
実際のお釈迦さまが亡くなってからまだ2400年くらいしか経っていませんから、
まだまだ相当先の話です。
私は、仏教のこのあたりの世界観が大好きなのですが、
現在、弥勒菩薩は須弥山という山の頂上の兜率天というところで、
「どうしたらことごとく救済できるか」と考えながら、
地上に降りる日をずっと待っているのだそうです。
56億年も考えつづけなくてはならないかと思うと、私なら気が変になりそうですが、
それは、それ自体が弥勒菩薩の修行なのだそうです。
それはともかく、弥勒菩薩は考え事をしているため、広隆寺の像のように、
腰をかけて右足を左の大腿に乗せ、右手を頬にあてて考えている、
なんというかアンニュイな「半跏思惟像」の姿になっています。
ちょっと専門的な言い方をしますが、
私は、施無畏印や与願印のような一般的な印相を結ぶ仏像よりも、
如意輪観音やこの弥勒菩薩のような、思惟印を結んでいる仏像が好みです。
何を言っているか分からないかもしれませんが、
まぁ、頬にあてた指がセクシーで、その優美さが好きだと、そういうことです。
みなさんも歴史の授業で習ったと思いますが、
日本では平安時代のころに末法思想が大流行したことがあり、
いまの世はダメだから、未来に期待しようということで、
未来に現れる、救世主的な側面を持つ弥勒菩薩に対する信仰が大変盛んになりました。
いま、書いていてふと思ったのですが、
2013年の現在も、「いまの世はダメだから、未来に期待しよう」という考えはありますよね。
強いリーダー出現を待ち望む風潮も変わっていないですね…。
平安時代も現代も同じということでしょうか。
ところで、弥勒菩薩がこの世に現れると、人々はことごとく幸せになるといいます。
作物はどのようなものでも豊富に収穫でき、
人々は喜びに満ち溢れて、せっせと働き、すべての国々は繁栄するというのです。
全員が繁栄するわけですから、人々の争い、国と国との争いもなくなり、
言葉も一つになることで意思の疎通が容易になって、誤解や曲解が解消されることで、
理想的な世界が出現するというのです。
隣国からミサイルが飛んでくるという事態が現実味を増している現在、
その弥勒菩薩の理想的な世界は現実味がない話に感じられてしまいますが、
それは、単純に、
理想的な世界の到来を信じられなくなった、
私たちの心が汚れているということなのでしょうね。
少し前にこのブログで即身仏を紹介しましたが、
その即身仏の正体は、弥勒菩薩の下生を待つために自らミイラとなって、
56億7000万年を土中で過ごそうとしたお坊さんです。
それほど、弥勒菩薩の理想の世界は魅力的な世界だということです。
なんとなくしんみりしてしまいましたが、
とにかく、弥勒菩薩は56億7000万年後に昇進して弥勒如来となり、
この地上に着任する予定だそうです。
そういうわけで、この弥勒菩薩像には装身具をつけている“菩薩型”と
法衣を身に着けている、昇進後の姿を表した“如来型”があります。
広隆寺の弥勒菩薩像のような思惟像は“菩薩型”の造像例です。
ほぼ広隆寺(京都)の独壇場ですので、それ以外の名品は多くないのですが、
最後に、オススメをご紹介しておきますね。
菩薩型;中宮寺(奈良)、野中寺(大阪)、醍醐寺(京都)
*中宮寺の菩薩半跏像は「伝如意輪観音」とされていますが、おそらく弥勒菩薩像であるといわれています。
*醍醐寺の弥勒菩薩像は半跏思惟像ではなく禅定印を結ぶ坐像ですが、如来への移行期を表現したといわれる快慶の名作で、塔頭の三宝院に安置されています。
如来型;當麻寺(奈良)、興福寺(奈良)、東大寺(奈良)
一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。
[SE;KICHI]
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