飛鳥の執念① ~シンデレラストーリー?
タレントに「神田うの」という方がいらっしゃいますよね。
“うの”という珍しい名は本名で、
歴史上の人物である「鸕野讚良(うののさらら)」からとったそうです。
「鸕野讚良」
私も昔から、この女性にかなり関心を持っています。
鸕野讚良は中大兄皇子(のちの天智天皇)の娘で、
13歳のとき、叔父である大海人皇子の妻となり、
18歳のときに「草壁皇子」を産んでいます。
夫・大海人皇子は、「壬申の乱」を起こし、
兄の子(大海人皇子にとって甥、鸕野讚良にとって異母弟)である
大友皇子を破り、天皇の地位を手に入れ、天武天皇として即位します。
同時に、鸕野讚良は皇后としての地位を手に入れます。
鸕野讚良は、天皇を輔弼する政治家として、
非常に有能であったと言われていますが、
母としては、天武天皇から我が子の草壁皇子に皇位を伝えることに
執念を燃やします。
当時は一夫多妻制だったため、草壁皇子の異母弟が何人かおり、
鸕野讚良は我が子・草壁皇子が天武天皇の後を嗣げるよう、
夫に入念に働きかけて草壁皇子を皇太子に就け、
草壁皇子のライバルであった異母弟・大津皇子を排除しました。
大津皇子は鸕野讚良の夫と姉の間にできた子であり、
鸕野讚良にとっては甥っ子でした。
それを排除したのですから、その執念たるや。
ところが、この草壁皇子、
近親相姦に次ぐ近親相姦で非常に弱い子であり、
即位前に亡くなってしまいます。
鸕野讚良は激しく落胆したことでしょうが、気を取り直し、
草壁皇子が妻・阿閇皇女(これも天智天皇の子、つまり鸕野讚良の妹)
との間に遺した軽皇子(自らの孫)に皇位を伝えるべく、
再び執念を燃やします。
しかし、軽皇子はまだ7歳でしたから、
やむをえず自らが即位し、持統天皇となりました。
何としても孫に皇位を伝えるという執念を感じます。
・・・みなさん、どう思われますでしょうか。
最終的に女帝となったわけですから、その執念の賜物なのでしょうが、
これがシンデレラストーリーに思えますでしょうか。
『執念』という言葉をたくさん使いました。
野望を抱いては挫折、野望を抱いては挫折の繰り返し。
その途中もライバルの影に疑心暗鬼。
兄弟だって安心できない生活で、いつ安らげるというのでしょうか。
私は、執念・執着というものは疲れるものだと思うのです。
それなのに、何かを自分の思うようにしたいなんて、どうして思うのでしょう。
その、執念を燃やしている時間はきっと怒りのパワーに満ちていて、
他人の目にはあさましく映ったことでしょう。
しかも、疲れるばかりで、最終的に叶わなかったりもします。
現代でもあるでしょう。
自分の思いどおりにならないと攻撃的になったり、
大きな声を出して言うことを聞かせようとする人が。
「行雲流水」という言葉がありますが、
さらさら流れる雲や水のように、
何事にもとらわれずに生きたいものです。
さて、その後の話です。
祖母・持統天皇から15歳で皇位を引き継いだ文武天皇(軽皇子)ですが、
なんと25歳で7歳の首皇子を遺して崩御してしまいます。
歴史は繰り返します。
幼い首皇子に皇位をつなぐべく、祖母や叔母が中継ぎをするのです。
しかして、そうやって即位した聖武天皇(首皇子)の皇統も、
その子・孝謙天皇の代で途絶えてしまいます。
こうして、鸕野讚良が執念で守った系譜は滅びました。
平清盛しかり、豊臣秀吉しかり。
自分の欲望を成そうとする執念・執着は、
疲れるばかりで実を結ばないのです。
[SE;KICHI]
“うの”という珍しい名は本名で、
歴史上の人物である「鸕野讚良(うののさらら)」からとったそうです。
「鸕野讚良」
私も昔から、この女性にかなり関心を持っています。
鸕野讚良は中大兄皇子(のちの天智天皇)の娘で、
13歳のとき、叔父である大海人皇子の妻となり、
18歳のときに「草壁皇子」を産んでいます。
夫・大海人皇子は、「壬申の乱」を起こし、
兄の子(大海人皇子にとって甥、鸕野讚良にとって異母弟)である
大友皇子を破り、天皇の地位を手に入れ、天武天皇として即位します。
同時に、鸕野讚良は皇后としての地位を手に入れます。
鸕野讚良は、天皇を輔弼する政治家として、
非常に有能であったと言われていますが、
母としては、天武天皇から我が子の草壁皇子に皇位を伝えることに
執念を燃やします。
当時は一夫多妻制だったため、草壁皇子の異母弟が何人かおり、
鸕野讚良は我が子・草壁皇子が天武天皇の後を嗣げるよう、
夫に入念に働きかけて草壁皇子を皇太子に就け、
草壁皇子のライバルであった異母弟・大津皇子を排除しました。
大津皇子は鸕野讚良の夫と姉の間にできた子であり、
鸕野讚良にとっては甥っ子でした。
それを排除したのですから、その執念たるや。
ところが、この草壁皇子、
近親相姦に次ぐ近親相姦で非常に弱い子であり、
即位前に亡くなってしまいます。
鸕野讚良は激しく落胆したことでしょうが、気を取り直し、
草壁皇子が妻・阿閇皇女(これも天智天皇の子、つまり鸕野讚良の妹)
との間に遺した軽皇子(自らの孫)に皇位を伝えるべく、
再び執念を燃やします。
しかし、軽皇子はまだ7歳でしたから、
やむをえず自らが即位し、持統天皇となりました。
何としても孫に皇位を伝えるという執念を感じます。
・・・みなさん、どう思われますでしょうか。
最終的に女帝となったわけですから、その執念の賜物なのでしょうが、
これがシンデレラストーリーに思えますでしょうか。
『執念』という言葉をたくさん使いました。
野望を抱いては挫折、野望を抱いては挫折の繰り返し。
その途中もライバルの影に疑心暗鬼。
兄弟だって安心できない生活で、いつ安らげるというのでしょうか。
私は、執念・執着というものは疲れるものだと思うのです。
それなのに、何かを自分の思うようにしたいなんて、どうして思うのでしょう。
その、執念を燃やしている時間はきっと怒りのパワーに満ちていて、
他人の目にはあさましく映ったことでしょう。
しかも、疲れるばかりで、最終的に叶わなかったりもします。
現代でもあるでしょう。
自分の思いどおりにならないと攻撃的になったり、
大きな声を出して言うことを聞かせようとする人が。
「行雲流水」という言葉がありますが、
さらさら流れる雲や水のように、
何事にもとらわれずに生きたいものです。
さて、その後の話です。
祖母・持統天皇から15歳で皇位を引き継いだ文武天皇(軽皇子)ですが、
なんと25歳で7歳の首皇子を遺して崩御してしまいます。
歴史は繰り返します。
幼い首皇子に皇位をつなぐべく、祖母や叔母が中継ぎをするのです。
しかして、そうやって即位した聖武天皇(首皇子)の皇統も、
その子・孝謙天皇の代で途絶えてしまいます。
こうして、鸕野讚良が執念で守った系譜は滅びました。
平清盛しかり、豊臣秀吉しかり。
自分の欲望を成そうとする執念・執着は、
疲れるばかりで実を結ばないのです。
[SE;KICHI]
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