なに自分のことばっかり言ってるんだ!

結論から言うと、タイトルに書いた通りです。

1週間ほど前、北陸で記録的な大雪になりましたね。
新潟県三条市では、積雪の影響で、
JR信越本線の普通電車が動けなくなるというトラブルがあり、大きく取り上げられました。
折からの遅延の影響で、この電車には430人もの乗客が乗っていましたが、
この電車の運転見合わせは、なんと15時間以上に及び、
その間、数時間に渡って立ちっぱなしの方もいらっしゃったようで、
その想像を絶するご苦労に、乗り合わせられた方々には、気の毒でなりません。

大雪に限らず、架線トラブルとか強風とか、
何らかの原因でダイヤが乱れたり、電車が立ち往生することはままありますが、
さすがに15時間というのは類例のない長時間でしょう。
そのため、JRに対して、対応に不備があったのではないかと、
そのさなかから、報道番組を中心に議論百出の様相を呈しておりました。

確かに、私も、JRに何の非もないとは思いません。
駅を出て2分で停車し、そのまま15時間なんて、どう考えてもダメです。
雪が重そうなら電車を前進させなければよかったのだし、
「これはヤバい」と感じた時点で速やかに後退すればよかったのです。
とにかく、運行を継続するかどうかの判断が甘かったことは明らかです。

しかし、だいたい、この手のトラブルはいくつかのミスの積み重ねで起こるものですが、
それは、後から思い返してみてという結果論であって、
そのひとつひとつの判断は、いちおう、熟考のうえでなされていたはずです。
つまり、JRは、一生懸命に考えて、失敗したということです。
ぼんやりしていたわけではなく、考えて、ミスったわけです。
そういうことって、私たちも、普段の生活のなかで、ありますよね。

とにかく、トラブルは起こってしまいました。
事ここに至っては、「あの時の判断が・・・」とか言ってみても仕方ありません。
「いま、どう対応するか」がすべてになるのです。
そして、私は、そのときのJRの対応は、そう悪くはなかったと思うのです。

今回、ニュースでは、缶詰になった人の家族などにカメラを向け、
JRの対応についてインタビューしていました。
多分に恣意的なものであり、そういう質問のされ方をするせいもあって、
「情報が何もない、JRの対応はおかしい」という回答が多数を占め、
なかには「すぐに降ろしてあげてほしい」と訴えるご家族もいらっしゃいました。

私は、今回のJRの対応は、そこまで悪くはなかったと思うのです。
「すぐ降ろせ」って、気持ちは分かりますが、
雪の吹きすさぶ深夜の暗闇のなか、
土手だか田んぼだか分らぬような場所に430人も降ろしたら、
どこかに落ちたり埋まったりして行方の分からなくなる人が出たはずです。
みなさん、北海道の岡田幹男さんを覚えていませんか。
4~5年前、9歳の娘と乗っていたクルマが大雪で立ち往生した際、
近くに見えた友人宅を目指してクルマを降りてしまったために遭難してしまい、
最後は娘だけでも守ろうと、10時間にわたって娘に覆いかぶさり、
そのまま亡くなってしまった
方です。
衝撃的な事件でしたが、その、忘れてはいけない教訓は、
「吹雪の中で外に出てはならぬ」ということでしょう。
今回、JRは夜間における乗客の降車を許さなかった結果、
確かに体調不良のお客様は出てしまいましたが、
最終的にケガ人を一人も出さずに済みました。
これは、もっと評価されてしかるべきではないかと、私は思うのです。

まとめますと、JRは、事態を未然に防ぐことには失敗しましたが、
それは、その後の対処法とは別の話であり、
JRは、負傷者を出さずに事態を収束させることには成功しました。
そう、これは成功です。

それは、不用意に乗客を降ろさないという、熟慮の末の判断と、
代替輸送のバスですら接近できないほどの積雪に対し、
人海戦術で除雪に尽力した乗務員やスタッフの必死の除雪の賜物でしょう。
そういうのを責めるのはどうなのかと私は思います。

前述のとおり、JRは一生懸命に考えて、そのうえでミスったわけです。
日本という国は、かつて、こういうのを許容する国であったと記憶しています。
人を傷つけたり、人のものを盗んだりという実害があればまた別ですが、
そうでない場合には、たとえ一定の迷惑が掛かったとしても、
それが一生懸命に考えて行動した結果なのであれば、
お互い様だからと水に流す文化があったと思うのです。
松岡修造さんも林修さんも、失敗しても何度でも立ち上がれと言っていますよね。
会社関係の研修とかでも失敗してもいいからやってみろと、よく聞きます。
ところが、実際はどうでしょうか。
今は寛容性が失われ、ちょっとのミスも許さない社会になっています。
それを見て、「結局、失敗したら袋叩きに遭うんじゃん」って思ってしまいます。

私も昔、電車の立ち往生に遭遇したことがあります。
私の場合は9時間くらい閉じ込められたのですが、
特急電車の指定席だったので、環境的には苦しくはありませんでした。
しかし、それでも、車掌に詰め寄る乗客はいらっしゃいました。
「急いでいるのに、どうしてくれるんだ!」と食って掛かっているわけですが、
その理由というのが、「大事な取引に遅れてしまうではないか」というものから、
「息子と遊園地に行く約束をしているのに」とか、
「法事の予定に間に合わないじゃないか」のような、ごく個人的なこと。
そんなことを言ってみても動き出すわけでなし、
車掌さんもどうにもできずに困るだけで、うるさいな、と、
配られた毛布にくるまりながら、眠りたい私は、
なに自分のことばっかり言ってるんだ!と、不快に思っていたものです。

今回も、電車が立ち往生したのがセンター試験の2日前だったために、
当事者の家族を中心に「センター試験が近いのに」という、
個人的な理由から、「ウチの子だけでも」という訴えが出ましたが、
私は、やはり、なに自分のことばっかり言ってるんだ!と思います。

「こうすれば良かったのに」とあとから批判するのは誰でもできます。
しかし、その場で最善と思われる手段を選んで実行に移し、
その責任については甘んじて受けなければいけないという仕事は、
誰にでもできることではないと思います。
「ウチの子だけでも」などというバカ者の言うことを聞くのは簡単ですが、
JRは430人を無事に安全な場所に移動させる義務があったわけです。
それは、そもそも、なかなかの無理難題であったはずです。
今回の対応は、成人式の当日に雲隠れした無責任な着付け屋とは違って、
逃げることなく対処した、実に責任ある対応だったと思います。
私は、JRの方々はよく頑張ったと思っています。

15時間立ちっぱなしというのは、確かに大変ですが、
その15時間、運転士さんや車掌さんはずっと除雪していたそうです。
その除雪のおかげで15時間後に運転が再開されたわけですが、
乗客のみんな、監禁されていた電車を降りるとき、
徹夜で除雪してくれた車掌さんに、
ちゃんと「お疲れサマ」言えたでしょうか。
私は、他人の状況を思いやることは美しいことだと思っています。
一人でも多くの乗客が車掌さんをねぎらっていますように。
そういう日本でありますように。

[SE;KICHI]
スポンサーサイト

耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ

よく、戦争モノ、特に終戦を扱ったような映像作品を見ると、
雑音だらけのラジオから終戦の詔書が流れていて、
聞きながらみんなが呆然とするというシーンをしばしば目にします。
私は、実際にその時代を生き抜いてきた世代ではないので、
長らく、そんなもんかなという感じでそのシーンを眺めてきたのですが、
それにしても不思議なのは、そのシーンで流れる文言が、
きまって 耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・ だということ。
そして、その文言の、なんとなくのイメージとして、
「屈辱的なところを耐え、降伏を受け入れます」という内容なのかなと思ってきました。
だって、みんな呆然としてるし。

終戦の詔書、正式には『大東亜戦争終結ノ詔書』と言いますが、
全文を調べてみた私はびっくりしました。

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所 耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ


まず、意外と長いことに驚きますよね。
それと、しょっちゅう耳にする“耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・”というのが、
途中の地味な場所に埋め込まれているというところも。

心して読んでみると、意外と重要なことが述べられています。
特に2段落目、
曰く、天皇が、万国の共存共栄を喜びとすることを心掛けておられたこと。
曰く、宣戦の理由が東アジアの安定と独立自存を希求したものだったこと。
曰く、天皇が、他国の主権を奪い、領土を侵略することなど望んでいなかったこと。

7段落目では、
この先、感情に任せて事件を起こすなよと、好戦的な輩を牽制し、
そういうことをすると世界の信義を失うことになるぞと戒めています。

そして、最後の8段落目、
国を挙げて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、
持てる力の全てを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道に遅れを取らぬよう、心掛けよ・・・・・・と述べられています。

確かに戦後日本は、「持てる力の全てを未来への建設に傾ける」ことと、
「世界の進む道に遅れを取らぬよう心掛ける」 というところだけは、
必死になってやってきたのだと思います。
その証左が高度経済成長なのだと思いますが、
一方で、「神国日本の不滅」とか「道義」とか「志操」については、
すっかり忘れてしまっているように思われるのです。
いまどき、「神国日本の不滅」などというと、
軍国主義への回帰か、そうでなければ極右かという、
ものすごく歪曲されたイメージでしかみられないという始末で、とても残念です。
つまり、物質的な建設と、世界に遅れるまいとする姿だけが肥大化し、
連綿と続いてきた高い精神性を投げ捨ててしまったのでしょう。

国家にとって民族にとって、民族意識こそ最大最強の武器であるはずです。
日本軍は物理的には弱かったけれど、精神性の高さで他を圧倒しました。
連合国がもっとも恐れたのは、日本の軍事力などではなく、
日本人の民族意識や精神力だったわけですよ。
それゆえに、マッカーサーは、戦後処理のまず最初に、
日本の民族意識を粉砕するべく、新憲法によって精神性を無力化したのです。
日本人の精神力を骨抜きしにして、精神的に丸腰にすることこそが、
連合国にとっての、日本の最大の武装解除だったのです。

コレ、もっとちゃんと学校で教えたほうがいいんじゃないですかね。
“耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・”というフレーズだけが有名ですが、
むしろその部分にはたいした意味はなく、
全文、特に8段落目から、
昭和天皇の、日本の行く末を案じる気持ちが伝わってきますよね。

まもなく平成30年。
すなわち、昭和天皇崩御から30年。
あたかも今日の日本のていたらくを、
すでに50 年以上も前に予期されていたかのようです。

[SE;KICHI]

お葬式

私の祖母が先日亡くなりました。
98歳でしたし長く入院していて生かされている感じでしたから、
「お疲れ様でした」と思う感じが私的には強いです。

父親が早くに他界しておりますので、
母親ではなく長男の私が喪主をすることになります。
それはいいのですが、
私が生まれてから祖父、曾祖母、父の葬儀を我が家では行っていますが、
幼い頃の事で全く記憶にありません。
田舎ですし親戚も多いので不安でした。

朝早くに亡くなったと連絡が入り、
出社し段取りをして新潟から富山の自宅に着いたのが夕方だったので、
結構段取りが進んでいるかと思っていたのですが甘かったです。

祖母の実家の方が葬儀委員長をしてくださっていたのですが、
こんなことも無いとなかなか集まらないのか昔話ばかりで全く話が進まない。
心の中ではそんな話はいいから早く進めろよと思っていましたが言えず(涙)
結果その方がいるときは話が進まないので、
不在の間にセレモニー会社の方に助言いただき、
叔父さんと2人で決めて報告する様な感じにしてようやく形になりました。
セレモニー会社の人がいますから大方のことはやっていただけますが、
お金もかかりますので本当にいい経験になりました。

葬式といえば、
焼香の順番が私の方が先だとか生花の順番が違うとか、
グチュグチュ文句を言って喪主を困らせる奴がいる記憶が強い私には、
今回そんな話が私の耳に届かなかったのが何よりでした。
昔は近所のおじいさんが家に上がり込み、
葬儀の采配を振るっている方がいたのを記憶しています。
親戚ではなかったと思いますから好きなのか責任感?からなのか。
頼られるジジイになるのが私の目標ですから、
ある意味ああいう方が目標像なのかな。

繰り返しですが本当に良い経験でした。

ちょっと面白かったのは、その後に除籍などの手続きをしに役所にいき、
祖母が嫁いできてからの原戸籍?をもらったら、
知らないことがたくさんありました。
父親が改名している?

父親の誕生日も知らない私ですから面白いことだらけです。
少しお金かかりますが、
手書きの戸籍謄本見るのも面白いですよ。
おすすめです。

[WAKA]

隠れたい 籠りたい 出たくない

近頃はめっきり寒くなって、もう冬か!という感じですね。
車通勤なので気づかなかったのですが、
いつの間にか吐く息も白くなっていました。

冬と言ったら雪、マフラー、クリスマス、こたつなど、
思い浮かべるものはたくさんありますが、
その中でも私は、そろそろマスクの季節だな~と思います。

マスク、あの白い、不織布のやつですね、
冬はマスクをしている人が本当に多いです。
まさかマスクの人全員が風邪を引いているわけではないですよね。
予防の人がほとんどなんじゃないでしょうか。
私も、学生の頃は親にマスクしていきなさい!と言われていました。

マスクって、つける前は、別にいらないでしょ~と面倒なのですが、
つけると、なんか安心感があります。
それは別にこれでもう風邪を引かないぞ!という安心ではなく、
自分の顔、表情が隠されているという落ち着きです。
私は常々、着ぐるみを着て生活してみたいなと思っている…わけではないですが、
そんなに真剣に考えているわけではないですが、今、そう思いました。

自分の心というものがあって、それを入れる自分の身体があって、
服を着て、さらにそれを着ぐるみで包んだら、どんな気持ちだろ~と思います。

なんだか、小さいころ、自分の部屋の中で、
さらに狭いところに入っていたことを思い出します。
クローゼットの中はもちろん、大きな段ボール箱に入ったり、
勉強机にビーズで作った暖簾をかけて下に潜ったり、
ベッドの周りをシーツで囲ったりしていました。

あと、これはたまに考えるんですが、
冬眠できたらいいなと思います。
私の好きなキャラクター、ムーミンは、11月から4月まで冬眠します。
子供のころから、
毎年冬が近づく時期に『ムーミン谷の十一月』という童話を読むのですが、
私はこの文章が大好きです。

「冬もま近な、ひっそりとした秋のひとときは、寒々として、いやなときだと思ったら大まちがいです。せっせと、せいいっぱい冬じたくのたくわえをして、安心なところにしまいこむときなのですからね。自分のもちものを、できるだけ身近に、ぴったりひきよせるのは、なんとたのしいことでしょう。自分のぬくもりや、自分の考えをまとめて、心のおくふかくほりさげたあなに、たくわえるのです。その安心なあなに、たいせつなものや、とうといものや、自分自身までを、そっとしまっておくのです。」
『ムーミン谷の十一月』より引用。

この文章を読んだ時の、静かなドキドキ、そわそわした気持ち!
あ~早く、あたたかい布団に入りたいなあ…。

マスクや着ぐるみ、冬眠と、話がとっ散らかってしまいましたが、
結局何が言いたいかというと、
朝布団から出たくない季節になったな、ということです。
マスク…付けたら顔、あたたかいですよね…。
着ぐるみ…着たら絶対あたたかいですよね…。

こんな風に馬鹿なことを考えてしまう寒さです。

[a.]

“人間だもの”

少し前の話ですが、東名高速道路の下り線で、
バカな男が、家族連れの乗ったワゴン車を追走し、
蛇行運転などで進路をふさいで停車させるということがありました。
このケースでは、
本線上の追い越し車線で不用意に停車させられたワゴン車が後続車に追突され、
結果、ワゴン車の夫婦が娘2人を遺して落命するという、
なんとも痛ましい結果になってしまいました。
どうも、その、蛇行運転でワゴン車を停車させたバカな男は、
手前のパーキングエリアで、駐車マナーか何かを注意されていたとのことで、
そのことを恨みに思ったのか、注意した男性のワゴン車を追走したようです。
自分の駐車マナーが悪かったのに、注意されて逆切れするなんて困った人です。

しかし、昨今ではありえないトラブルではないので、驚きはしません。
こういう怖い社会ですから、「触らぬ神に祟りなし」と、
マナー違反も見て見ぬふりする人が増えるのは、致し方ないことなのでしょうか。
だとすれば、傍若無人が得をする世の中ということになりますので、
私なんかは、それでいいとは思えないのですが・・・・・・まぁ、それは別の話。

それよりも、私が違和感を覚えたのが、
容疑者の男が逮捕前にテレビのインタビューに応じ、
「言われたらカチンとくるけん、こっちも人間やけん」
と言っていたこと。
コレ、みんなどう思ったんでしょうか。

「言われたらカチンとくるよ、こっちも人間だから」という言い方は、
人間であればカチンときて当然であるというふうに聞こえます。
ロボットじゃないんだから、言われたらカチンときますよ、という。

ここにすり替えがあります。
まぁ、バカ者の言うことなので、すり替えなどという高尚なものでもないのですが、
言われたらカチンときて報復行動に出るというのは、
きちんと教育を受けて自制心が育まれた人間のやることではありません。
なにかされて、反射的にやり返すというのは、犬とか猫とか、家畜のやることです。

動物は、食べたいときに食べ、眠くなったら寝、交尾をしたくなったら交尾をします。
メスの取り合いなどで相手を殺すまで戦うこともあるし、殺されることもあります。
弱肉強食とは言いますが、それが自然の摂理であり、
欲求のままに行動するのが動物の動物たるゆえん。
もちろん、人間も動物の一種なので、そういう面はあるでしょう。
しかし、人間が動物と決定的に違うのは、心を制御できることであり、
そのことこそ、人間が、人間であることの条件だろうと思うのです。
逆に、心を制御できない者は人間ではないとすら思います。

「言われたらカチンとくるけん、こっちも人間やけん」は、
カチンとくることが人間の証明みたいな雰囲気で話していますが、
それは、感情に振り回される動物の条件であって人間の条件ではなく、
耳を貸してはならない屁理屈です。
「言われたらカチンとくるけん、こっちも感情に振り回される動物やけん」なら、
100歩譲って納得はしますが。

この屁理屈、今回の事件の容疑者に絡めて話すと、
誰の目にも、野生のバカが自分勝手なことを言っているように見えると思いますが、
普段、悪気なくこの論法で話す人は、存外多く見受けられます。
曰く、「いやぁ、俺も人間だからさぁ、ついカッとなっちゃってさぁ」とか、
「アタシも人の子だから、そこでついウルッときちゃって・・・」とか。
つまり、この屁理屈は、
感情に流された時の正当化に使われるのです。
人間だもの、喜怒哀楽があるのは当然だということですね。

喜怒哀楽は否定しません。
しかし、人間だもの、それを短絡的に行動に結びつけてはいけません。
そもそも、怒るというのは動物的な行為です。
感情に任せた行動なわけですから、怒ったりカチンときた時点で動物同然です。

結局、何が言いたかったかというと、
ただ怒りに任せて自分勝手に暴れただけのくせに、
「こっちも人間やけん」とか、バカなことを言うなということ。
そんなことが人間の条件なら、
巷間はすぐ怒るヤツやすぐ泣くヤツで溢れかえることでしょう。

人間だもの、自分の心は自分でコントロールしなくてはいけません。
・・・・・・ちなみに、この、有名な相田みつをの“人間だもの”は、
「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」が全文です。
つまづいたっていいかどうか、それを決めるのも人間たる自分です。
やっぱり、自分の心は自分でコントロールしなくてはいけません。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR