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死にたいヤツは独りで死ねよという暴言

川崎市登戸の路上で児童ら19人が相次いで殺傷された事件。

この事件は、朝、子供がスクールバスを待っているところに、
突然、包丁を持った男が現れて、児童ら19人を切り付けたというもので、
前途ある外務省職員と女子児童が犠牲になった実に痛ましい事件でした。
また、その凶行は30秒ほどの短時間で行われたことから、
その、吹き矢の如く、避けようのない感じも世間を震撼させました。

この事件では、犯行後に犯人も自ら首を切って絶命しており、
犯行が、いわば、「自殺の道連れ」のように見えることから、
ネット上では早い段階から犯人への非難が殺到しました。
曰く、「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ね」とか、
「死ぬなら迷惑かけずに死ね」とか、
なかなかに強い表現も見受けられました。

私はげんなりしています。
日本人って、こんな感じだったかと。


もちろん、この事件は痛ましい事件で、
犠牲になった方には何の落ち度もなかったわけですから、
犯人側にどのような事情があったにせよ、
凶行に及んだ事実は許されるものではありませんし、
その理不尽に憤る気持ちは私にだってあります。

しかし、です。
「死ぬなら迷惑かけずに死ね」というのは、どうなのでしょうか。

少なくとも私は、学校では「命は大事だよ」と教えられ、
通夜や葬儀では「生かされている大切な命」と諭されてきました。
そうやって育てられてきた私には、
「死ぬなら……死ね」という価値観は、ありません。
生かされている命であるとするなら、
「死ぬなら……死ね」という発言は、
神様のみに許されているのではないのでしょうか。

私には、神様のみに許されている発言を人間がすることに、
「何? みんな、神様のつもりなわけ?」と、違和感を持ちますし、
もっと強い言い方が許されるなら、
「命は大事」と「死ぬなら……死ね」が、同じ口から語られることに、
違和感というか、大人に対する欺瞞を感じるのです。

古今東西、このような凶行を行う犯人は、
「こんな生きにくい社会は間違っている」というような、
社会に対する一方的な義憤に駆られている場合が多いようで、
彼らは、“必殺仕事人”よろしく、
社会に天誅を下すような気分で犯行に及ぶケースが多いのだそうです。
だとすれば、この手の事件をこれ以上発生させないために必要なことは、
「死ぬなら……死ね」という冷たいメッセージではなく、
「困っていたり、辛いことがあるのなら、社会は助けてくれるよ」という、
温かいメッセージだと思うのです。
いや、実際に社会が助けてくれるかどうかは問題ではありません。
しかし、追い詰められて凶行に及ぼうとしている彼らに、
それを思いとどまらせる程度の温かさがあれば、それでいいのです。

川崎市登戸の事件の犯人は、
なにも、世界で唯一の、特殊な攻撃性を持った人物ではありません。
あのような人物は、世界に唯一の存在ではなく、
それなりの確率で存在して、社会生活を営んでいます。

そういう人物に対して、もしかしたら社会に憤ったりしている彼らに対して、
「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ね」という言葉は、どう響くでしょうか。
やはり社会は何もしてくれない、自分を責め続けるこんな社会は間違っている、と、
より、“必殺仕事人”気分を募らせるかもしれません。
仮に、犯人に向けられた「死ぬなら……死ね」という冷たい言葉だったとしても、
当人のほかにも、犯人と同様の想いを持つ別の人物にも届くでしょう。
そうすると、やはり社会は何もしてくれない……と、
寝た子を起こすようなことにもなりかねないわけです。

言うまでもなく、彼らの“必殺仕事人”気分は間違っています。
なぜ、そんな間違っている者に配慮せねばならぬのか、と思うかもしれません。
しかし、彼らの主張がいかに理不尽で一方的な理由であったとしても、、
そう思ってしまう人々がいることは事実だし、
その一部が凶行に及ぶのであれば、阻止しなければなりません。

この事件の犯人は50代の引きこもりの男でしたが、
その少し後に、元農林水産事務次官の父親に刺殺された息子も、
50代の引きこもりの男でした。
50代の引きこもり、怖っ!と思いますが、
そもそも、昔は50代の引きこもりなんていませんでした。
近所付き合いとか親戚付き合いとか、社会が許さなかったですから。
いま、どのような価値観も自由ですという世の中になりましたが、
そうやって、引きこもるも自由、自殺するも自由ということになってきた結果、
鬱屈した人物が社会に潜在するリスクは高まってきていると言えます。
そういう鬱屈した人物が、負の感情をぬぐえず、
最終的に猟奇的な事件を起こすケースが後を絶たぬのですから、
挫折して引きこもりやすい社会になっていることが問題でしょう。

そこを何とかするほうが大事なのではないでしょうか。

もともと犯人の目的が自殺であったとして、
関係のない人を道連れにしたことは正当化はできませんし、
その部分を糾弾されることは当然の報いだとは思います。
ただ、50代の犯人の、もともとの目的が自殺であったのであれば、
そのような目的を抱いたプロセスに注目し、
悩みや憤りなどを解消してあげないと、事件は防げないでしょう。
そのことが、「死ぬなら……死ね」という神の如くの批判を加えるよりも、
ずっとずっと大事なのではないかと思うのですが。

[SE;KICHI]
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ワニワニパニック

先日の、大津で起こった交通事故は、
散歩中の幼稚園児にクルマが突っ込むというもので、
それはそれは痛ましいことでした。
ひとつ前の記事でも書かれていましたが、
この事故では、直進車と右折車のどちらが悪いのかはともかくとして、
悪いのはクルマの運転手ですよね。
ところが、一部では幼稚園側を責める声が出ていて、
私はひどく驚きました。
要するに、「そんな危ないところ、散歩しなければよかったのに」と。
この幼稚園には園庭がなく、
散歩せざるを得なかったのだと園長が釈明していましたが、
いやいや、園庭があってもなくても、散歩は必要でしょう。
お花が咲いているねとか、虫さんがいるよとか、
そういうことを感じるために散歩してるわけで、
隕石のように急に飛んできたクルマを避けれなかったからといって、
引率の先生や幼稚園を責めるのはおかしいと私は思うのですが、
みなさん、どう思われますでしょうか。
安全のために、お花や虫さんに触れさせるなということなら、
幼稚園に預けないで、自宅で首輪でもして繋いどけということになります。

それから、少し前の記事で、
東名高速で幅寄せした石橋容疑者について触れました。
彼のしたことは決して許されることではありませんが、
それでも、しかし、彼は法に従って裁かれ、罪を償うわけなので、
無関係の私たちが彼について言及することは正しくないと思っています。

しかし、どうにも最近の世の中は、
ちょっと変わった言動の人物が現れると、そいつをロックオンして逃がさず、
新たな標的が現れるまで、その人物を叩き続けるという図式になっています。
なんだか、バイオハザードみたいに、
ゾンビが襲い掛かる対象を探しながらさまよっているようです。

誰かを叩きたい感情であふれているのでしょうか、昨今。
半沢直樹以降でしょうか、
相手の落ち度を見つけたら、反射的に叩いてもよく、
そして、死ぬまで叩き続けていいというルールができた感じです。

反射的に叩くといえば、ちょっと、これに似ていませんか。

ワニワニパニック https://sumally.com/p/1315948

出てくるワニを「ただ叩くだけ」というシンプルなゲームでしたが、
叩かないと自分が噛まれてゲームオーバーになってしまうので、
あんまり理性的に考えず、無心で叩くゲームです。
このところの世の中の、特に深く考えずに他人をとにかく叩く風潮は、
ちょっと、これに似ていると思うのですが、どうでしょうか。

しかし、最近では、ワニとも石橋被告とも違って、
特に何も悪いことをしていないのに叩かれるケースもあるようです。

昨年9月に猛威を振るった台風21号では、
神戸・六甲アイランドにあるフェラーリ正規ディーラーで、
51台ものフェラーリが高潮の被害に遭って海水につかって全損、
十数億円の被害が出そうだというニュースが報道されました。

そもそも、関西空港の水没から民家の屋根瓦が吹き飛んだまで、
大小さまざまな被害が出ていたなか、
わざわざフェラーリだけを取り上げて報道したのは、
ちょっと恣意的なのではないかと思ったりもするのですが、
いずれにせよ、売るためにおいてあった商品がダメになったのですから、
その商品がフェラーリなのか日用品なのかは関係なく、
店主にとって、それは明らかに悲報です。

しかし、このニュースにもコメント欄はあって、
「乗るのは金持ちなんだから、また買えばいいじゃん」とか、
「金持ち相手の商売が水没しても痛くも痒くもない」とか、
“ざまぁみろ”と言わんばかりのコメントが、あるわあるわ、800件。
ちょっと、品位を疑いますね。
だって、売るためにおいてあった商品がダメになったんですよ。
その商品の単価は関係なく、その店や所有者にとっては“被害”なわけで、
まさに頭を抱えるような出来事です。
手痛い被害を被っている相手を貶めるようなコメントには、
ちょっと、お里が知れるというか、頭おかしいんじゃないかと思わざるを得ません。

カルロス・ゴーンの逮捕もそうですが、
あんまり多くの報酬を受け取ると日本では嫉妬されやすいため、
退任後に年金的に受け取ることにしていただけであって、
実際に受け取っていたわけではないと思うのですが、
そこに対して脱税の容疑をかけるとは、法解釈としてどうなのでしょうか。
キリスト教では、マタイ福音書にもマルコ福音書にも、
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
という清貧の思想が出てきますが、
日本人は、キリスト教に興味などないくせに、
そこの教えだけは好きなのでしょうか。

どうしたんでしょうかね。
日本って、こんな感じだったでしょうか。
向こう三軒両隣、悪いことに手を染めてしまった者には叱咤し、
被害にあってしまった者に対しては手を差し伸べる、
日本ってそういう国じゃなかったでしたっけ。

あんまり、感情に任せて他人のことをガタガタ言わないようにしたいものです。

[SE;KICHI]

交通事故

このところ毎日ニュースで日替りのように、
次々と起きる交通事故が報道されています。

事故の巻き添えで命を落とす方々が絶えません。
高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いによる事故が多いようです。
踏み間違いの事故は何も高齢者ばかりということではなく、
若い人でも同じくらい多いのですが、
死亡事故にまでなるのは、圧倒的な割合で高齢者が多いようです。

また、交差点での事故に巻き込まれて、
歩道を散歩中の幼稚園児達が犠牲になりました。
直進車が右折車と接触し、
直進車がそのまま歩道に突っ込んだのですが、
前をよく見ずに曲がった右折車の責任は当然大きいですが、
私は直進車の過失が小さいとは言え、
右折車が止まるだろうと思い込んでの衝突ですから、
まずは視界に入っているであろう右折車の動きを全く予測していなかった事と、
次に接触した後そのまま歩道に突っ込み園児との衝突を、
ブレーキも踏まずハンドルも切らず、回避できなかった事が悔やまれます。

双方とも制限速度を大きく超える速度ではなかったとの事で、
毎日車を乗っている人ならわかると思いますが、
その状況であれば園児がいようといまいと、
反射的にブレーキを踏むか、
衝突を回避するためにハンドルを切るものだろうと思います。
回避出来なければ自分がどこかに衝突して、
命を落とす事になりかねませんし、
目の前に幼稚園児達がいれば尚更です。
ちなみに右折車は52歳、直進車は62歳で、
2人ともそれほど高齢とは言えません。

これだけ多い事故を受け、
高齢者の運転免許自主返納の話が活発になってきましたが、
認知機能の低下にばかり目がいっていると感じます。
私は認知することが出来たとしても、
運転技術が伴わなければ事故は回避できないと思います。
そういう意味では年齢は関係ありません。

若い人でもしょっちゅう車をどこかにこすって傷だらけにしていたり、
駐車場に入れる姿を見ていると、
よくこれで免許が取れたと思うくらい下手だったり、
車道を走っていても、
明らかに周囲が見えていない自分勝手な危ない運転の人が多いです。
また、高速道路で、
後ろから車が来ているにもかかわらず、
制限速度のままずっと何Kmも追越車線を走っていたり、
そもそも道路交通法を知らない人もかなり目にします。

そういうことからして運転免許を持っていても、
実際には運転に向いていない人は相当な数いると思われます。
ですから高齢者ばかりにとらわれず
全ての運転者に対して定期的に実施講習や試験を行い、
運転技術や法規の知識、マナー、運転時の視野、様々な状況を予測する力、
とっさの判断や回避行動が取れるかどうかを、総合的に判断し、
運転免許を更新するかどうかを審査すればいいのではないかと思います。
(※あくまでも私個人の見解です。)

私も毎日運転していますので決して他人事ではありません。
事故のニュースを見るたびに、
自分も気をつけて運転しなければと、気を引き締めています。
自分の車だけではなく、周囲にも気を配り、
迷惑にならないよう心掛けて行きたいと思います。

[KAZSOU]

令和元年

5月1日から元号が令和に変わりましたね。
4月30日、天皇の退位礼正殿の儀が行われ、
1日0時に新天皇陛下が即位され、令和元年がスタートしました。
皇后となられた雅子さまのにこやかな笑顔を拝見し、
気持ちが明るくなったのは私だけではないことでしょう。
平成では皇室を離れた方々のご結婚ばかりでしたので、
令和では新しい皇室をと想います。


さて、昭和生まれの私ですが昭和の時代よりも平成の時代を長く生きています。
以前、社内の朝礼で、私もぎりぎりゆとり世代かなって発言したら、
即刻違いますからって皆さんから否定されました!
間違いなく昭和の人間でした。
今年の1月、入院していた母の見舞いに病院へ行った際、
ベッドの頭上には生年月日と氏名が大きく書かれた用紙が貼ってありました。
カーテンが開いていて隣のベッドの方の生年月日が見えたのですが、明治でした。
昭和のなんてもんじゃありませんね。
「明治」の二文字に人生と元号への歴史を感じました。

明治、大正、昭和、平成、令和。
つぎからつぎへと便利な製品が開発され暮らしが豊かになるなかで、
逆に不便さや危険度が増した時代にもなりました。
刀を持っていた時代からスマホを持ち歩いている時代になるなんてね。
令和の時代は何を持ち歩くようになるのでしょうか。
刀もスマホも護身にもなれば武器にもなります。
どれも使う人次第です。

最後にいちごの写真です。

いちごの写真① いちごの写真② いちごの写真③

昨年、笑さんから水耕栽培キットをなかば強引に押し付けられました。
渡された時に育てるのは苦手だし億劫だからと断ったのにグイグイと。
貰ったからにはと、早々に栽培を始めました。
本人よりも早く。
芽が出て苗が育つまで途中カビの発生があったり、
芽がドンドン枯れ、残り一本のみとなったりで、
半ば諦めがちに育てました。
途中やけくそになり大胆に育てたのが功を奏したのか、
残った一本の芽がグングン育ち立派な苗となり、
花が咲き見事に実をつけました♪
そこからは次から次へと成長して、
昨年の春過ぎに育て始めてから現在まで楽しませてもらっています。
そばによると小さな赤い実から甘い香りがします。
味もちゃんといちごです。

このいちご、
平成30年から31年そして令和元年を生き抜いています。
1年ほどなのになんだか物凄く長寿な感じがします。

押し付けて貰ったお蔭です! 笑さんありがとう♪
令和元年に!でしょうか? 
その後の続きを楽しみにしていますね~。

[fu~ma]

ボーっと生きてんじゃねーよ!

国旗“日の丸”というのは、いくらで売られているか、みなさん、ご存知ですか。
まぁ、ピンキリなのでしょうが、
私の手元にあった日本会議の機関紙『日本の息吹』によれば、
70×102cmのテトロン製の旗に、鉄製の受け金具もついて、1500円だそうです。
あっ、いま、思ったより安いと思ったんじゃないですか、みなさん。

しかし、思ったより安いのに、国旗を掲揚する家庭が少ないのには驚きます。
というか、国旗用の受け金具を備えていない家庭も多くて、
国旗を掲揚して慶事を寿ぐという風習が失われつつあるのかと、残念に思います。

この連休中、4月30日に平成が終わり、今月1日から令和元年となりました。
この改元が慶事なのかといえば、単に年の呼び方が変更されるだけなので、
私は、改元自体にはそれほど意味はないと思っています。
では何が、国旗を掲げて寿ぐほどの一大慶事なのかというと、
天皇が譲位され、御代替わりすることだと思うのです。

この1か月あまり、新聞・テレビでは平成30年間を振り返る特集が数多く組まれ、
さながら、「さよなら平成、こんにちは令和」のような雰囲気だったわけです。
そして、4月30日から5月1日に変わる時間帯には、
カウントダウン特番のようなものが組まれ、
日付が変わるその瞬間には、
渋谷で「イエーイ」と嬌声を上げる若者たちの映像が映し出されました。
ハッキリ言って、ものすごくイラつきます。
御代替わりを何だと思っているのか。
単なる記念日と思っているんじゃねーぞって。


繰り返しますが、大事なのは何かというと、
天皇が退位され、新天皇が即位されることです。
それなのに、これを、平成から令和に変わる単なる記念日と思っている人が多く、
ハロウィンみたいに「イエーイ」と嬌声を上げるようなことをしてしまったり、
郵便局で平成最終日や令和初日の消印をもらおうとしてしまったり、
お寺や神社で特別な日付の御朱印をもらってしまったりするわけです。
また、逆に、自分とは関係のない単なる記念日と思っていれば、
どこかに旅行に出かけたり、サークルや部活の活動があったり、
友人とバーベキューに出かけたりと、普通の休日として過ごしてしまうのです。
何度も言いますが、5月1日は御代替わりの日だったわけです。
私は、御代替わりを、単なる記念日と思っている人に、
強めの憤りを感じるのです。


日本中がパリピになったのでしょうか。
前述の新聞・テレビの特集では、
平成30年間を「戦争もなく、良い時代だった」と総括していました。
本心だとすれば、ずいぶんバカですよね……。
確かに戦争はありませんでしたが、戦争さえなかったらいい時代なんでしょうか。

8年前の東日本大震災以降、私はボランティアで何度か被災地に行っています。
そして、現地で知り合った、身重の妻と両親を一度に失ったという津田さん。
中学3年生の息子の遺体を土中から自分で掘り出したという酒井さん。
水中で年中の娘の手を離してしまったことを今でも悔いている村澤さん。
一度は避難できたのに息子を探しに行ったまま夫が戻らなかったという森さん。
彼らの平成30年間は「戦争もなく、良い時代だった」ではないでしょう。
そんな彼らは、平成から令和になる瞬間、
どういうわけか、夜空を見上げて放心してしまったと言っていました。
そして、フッと我に返って、涙を流しながら、
令和こそは、令和こそは良い御代になりますように」と、
それはそれは尋常ではない強さで願ったそうです。

渋谷で「イエーイ」と嬌声を上げる若者たち……恥ずかしくないですか。
いや、渋谷のパリピに限らず、みんな同じです。
平成30年間、みんなしてスマホとか眺めながらボーっと生きていたせいで、
日本の国力は、かつてないほどに下がり、国際競争力が奪われました。
これは、自国への誇りのなさの表れと言ってよいでしょう。

私は、何も、全国民に一般参賀に馳せ参ぜよと言っているのではありません。
ただ、単なる記念日だと思って雰囲気で騒いでいる人々や、
単なる休日だと思って遊びなどに興じている人々に対し、
もっと神妙に、天皇の譲位に思いを馳せても罰は当たらんだろうと思っているのです。
私は10年以上前、皇居の勤労奉仕に参加したことがありますが、
皇居の勤労奉仕では、天皇皇后両陛下からの「ご会釈」というのがあります。
その時にお声がけいただいた当時の天皇皇后両陛下の印象は、
率直に、国民の幸せと世界の安寧のために祈っておられるご存在という感じでした。
そのような元首をいただく国など世界のどこにもないでしょう。
私たちは、国の歴史や皇室のあり方など、固有の文化をよく学び、
それらをもっと誇りにするべきなのではないでしょうか。

念のために、もう一度言っておきますが、
ボーっと生きてんじゃねーよ!
御代替わりを単なる記念日と思ってんじゃねーよ!


[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
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FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
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TEL:(025)283-5311
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