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島田知事の話

島田叡という、命と引き換えに県民を守った知事をご存知でしょうか。

大東亜戦争末期の1944年7月、政府は沖縄県民の集団疎開を決定しました。
この時点で、軍部は、沖縄に米軍が上陸してくるのは時間の問題と見ており、
地上戦になれば民間人を戦闘に巻き込んでしまうことから、
この沖縄県民の集団疎開には迅速さが求められていました。
ところが、当の県民たちは危機感が薄く、
家族が離散する懸念から疎開を渋ったため、
県民の疎開は遅々として進まなかったようです。
それは、心情的に致し方ないことのように思えますが、
戦火はすぐそこまで迫っているわけで、
米軍上陸が先なのか疎開完了が先なのか、シビアな局面に追い込まれていました。

ところが、不幸にも、当時の県知事がすこぶる腰抜けで、
疎開の指揮をとることを嫌がり、戦火の迫る沖縄から脱出しようとします。
県職員と押し問答しているうちに、10月には沖縄を大空襲が襲ったため、
知事はひとつの指示も出さずに真っ先に防空壕に逃げ、
その後、「出張」と称して上京したまま、沖縄に戻りませんでした。
この人は泉守紀という人物で、きちんと記録があります。悪いことはできないものです。

逃げた知事の後任に名前が挙がったのが島田叡さんでした。
沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、
後任者の人選は難航し、何人もの候補者が任命を辞退するなか、
着任の意思を尋ねられた島田氏は「お受けします」と即答しました。
夫の決断に妻は驚愕し、
「なぜアナタが行かねばならないのですか!」と泣き叫んだそうですが、
島田氏は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、
言われた俺が断るわけにはいかんやないか。
俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。
」と、
答えたそうです。
これは、なかなか言えることではありません。
自分や、自分の家族の損得ばかりを考えがちな現代人は、
彼の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいですね。

こうして就任した島田知事は、佐賀県警察部長在任中、
近くの寺で開かれていた勉強会に参加し、
そこの住職から教わった『葉隠』と『南洲翁遺訓』に感銘を受けたのだそうで、
以後、彼はこの2冊を愛読していたそうです。
『南洲翁遺訓』については、先日このブログでも書評が掲載されましたが、
島田知事は、その「責任を負わねばならぬことが生じたとき、
正義を貫いて誇りある死を選択できる人間になれ
」という教えを、
公務にあたるうえでの座右の銘としていたそうです。

沖縄に赴任した島田知事は、まさに八面六臂の大活躍で、
前任者のもとで遅々として進まなかった北部への県民疎開などで、
優れた行政手腕を発揮します。
赴任は45年1月でしたが、
翌2月には4万人、3月中には5万人を疎開させる計画を立て、
受け入れ施設を用意しました。
続いて着手したのは食料確保で、
2月に米軍に撃墜されるのを覚悟で飛行機に乗って台湾に渡り、
沖縄を救ってほしいと訴えた結果、
県内疎開者を飢餓から救う蓬莱米3000石分の確保に成功しました。

こうやって約9万人の県民の疎開を完了した翌月、米軍は沖縄に上陸。
島田知事は、狭い避難壕内で、一人でも多くの県民を救うため、
避難の陣頭指揮を取りながら、自らも壕を掘る作業にあたったそうです。
しかし、ご承知のとおり、日本軍は必死の抵抗もむなしく、
最終的に沖縄本島南端まで追い詰められます。
ちなみに、追い詰められた陸軍の首里撤退に関して、
島田知事は
「首里から摩文仁(糸満)に撤退すれば、住民を道連れにすることになる」と反対し、
私が関心を持っている牛島満中将と、軍議の席で真っ向から対立されたとのこと、
いかに住民のことを考えていたかが分かります。

島田知事は、県職員たちに、
「生き延びて沖縄再建のために力を尽くせ」と訓示したあと、出奔します。
島田知事は、「軍人ではないのだから、死ぬ必要はありません」と、
投降を勧める声に、「自分ほど県民の力になれなかった知事はいない」、
「多くの県民を死なせた知事は、その責めを負うべき」と語っていたそうで、
実際、拳銃で自決したという情報があるそうです。

享年44歳。
知事というから、初老の紳士の話かと思いきや、
まだまだ壮年の、立派なリーダーの話です。

沖縄戦では民間人9万4千人を含む、県民の4分の1が亡くなりました。
しかし、一方で、約20万人の県民を疎開させ、命を守った、
島田知事と職員たちの奮闘を忘れたくないものです。
自分や、自分の家族の損得ばかりを考えがちな現代人は、
彼の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいどころか、
指ごとしゃぶらせてもらったほうがいいような気がします。

島田知事
https://ja.wikipedia.org/wiki/島田叡

[SE;KICHI]
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東京医大の不正入試

みなさん不正を働いたり、働きかけをしたことはありますか。

不正行為とは、法律などの規範に従わない行為をしめす。
通常は、何らかの罰が課され、中には重大な社会問題に発展する。
ウィキペディアより)

自分が身を置いている立場によっても違いはありますが、
不正行為は罪となります。

今回、大学側は理事長、学長も含めた組織ぐるみ。
そして、文部科学省学技術に勤めていて、
教育機関の不正を監督・是正する立場の公務員が職権を悪用した。
事実なら受託収賄罪となるようです。
明るみにならなければ、お互いの望みが成立し、
Win-Winな関係と言えばいいのでしょうか。

わが子の為に裏口入学を選択した親は、
どれだけ自分想いなのでしょうか。
親のエゴや見栄でしかないですよね。

その大学を入学したという事実さえあれば、その先の人生安泰なのですか。
裏口入学で合格さえすれば、卒業も約束されているのでしょうか。
裏口卒業!なんてものも存在するのでしょうか。
さすがに命にかかわる職業を目指しているわけですから、
不正に卒業されては困ります。
それ以上に心配なのは、
国家試験に裏口はないですよね? 大丈夫ですよね?

今回は大学のトップやトップ官僚が事件に関与していましたが、
人の上に立つ人間が裸の王様では困ります。
地位と権力とお金。
これらで人を動かしていた人は、失った時に残るものは何なのでしょうかね。
この疑問はこれらを持ち合わせていない、私のひがみなのでしょうか。

先日、新たに別な容疑で文部科学省勤務の人間が逮捕されました。
裏口入学も裏口入学リストなる物もあるようですし、
また、新たに女子受験生の得点を一律に減点し、
合格者数を抑えていたとの事実が明るみに出ました。
まだまだ騒動は続きそうですが、不正は決して無くならないでしょうね。
需要と供給がある限り、そして欲がある限り絶対。

それでも、真面目に一生懸命がんばっている人、
必死に勉強し、正々堂々と受験をしている方達のほうが、はるかに多いはず。
やるせないですね。

不正に入学した人が、その方達に対しての償いは、
入学後、真面目に学力をつけ、実力で国家試験に合格し、
就いた職種をまっとうすることじゃないでしょうか。
不正入学に限らず、
不正で今の立場を手に入れた人は、
世の中に貢献することで頑張ってほしいです。

願わくは。

[fu~ma]

対岸の火事でいいのかしら。

富山市の交番が襲撃され、拳銃が奪われて2人が殺害された事件。
いつも静かな富山市にしてはセンセーショナルな事件でした。

この事件の犯人は、何が狙いだったのでしょうか。
この手の事件のとき、私たちは、わりと安易に、
「最近は、危ないヤツが増えて、怖いねぇ」という話をしがちです。
それは、もしかしたら、そのとおりなのかもしれません。
しかし、そういう話にすると、話が「くわばらくわばら」で終わってしまいます。

かつての日本は、みんなが互いに関わり合って生きていました。
煮物を多く作りすぎたと言っては鍋ごとおすそ分けをいただき、
鍋を返す際には、カラの鍋は返せぬと代わりに何かを詰めて差し上げ、
延々と終わらぬおすそ分けのラリーは、
いまどきのご時世からすると鬱陶しいこと極まりないと感じますが、
そういうやり取りのなかで、
「あら、○○ちゃん、学校はどう?」とか、
「あそこの△△ちゃん、テニス部だって」みたいな、
周りの大人が地域内のメンバーを仲間として認識していたと思うのです。
それは、ある意味で“プライベートなんてない”状態だったかもしれませんが、
もともと、日本とは、互いに関わり合う、そういう国でした。

かつての社会とはそういう社会でしたから、
あそこの家の若造が自衛隊やめて帰ってきたらしい、と聞けば、
親世代はその青年が働ける場所があるか聞いて回ったし、
地区の青年団みたいな面々は、本人に対して、
オマエ、どうしたんだ、これからどうする気だと、
地域みんなが彼のことを放っておきませんでした。

だから、私は思うのです。
危ないヤツが増えたのは、地域が、そいつを放っておいたからだ、と。

人間、生まれついての極悪非道などということは、ないはずです。
おぎゃあと生まれたそのときは、純粋な目をしてママの指を握っていたはずです。
それなのに、その20年後に殺人事件の加害者になってしまう青年がいる現実。
この20年の間に何があったというのでしょうか。
「最近は、危ないヤツが多いねぇ」という話は、そのとおりだとしても、
純粋な赤ん坊をそのように変質させる力が社会にあるのではないかと、
私は、なんだか恐ろしくなるのです。

もちろん、この犯人がやった、
無辜の人物を殺めるという行為は許されることではありません。
いまのところ推察ですが、動機はおそらく、身勝手な欲望に基づいてのことでしょう。
しかし、このニュースに接して、
「あぁ、うちの地区でなくてよかった」とか、
「いやぁ、うちの子が無事でよかった」とか、
自分と関わりのない事件で良かったと胸をなでおろした私たち、
突き詰めれば、自分と自分の家族さえ無事ならよいと言っているわけで、
それだって、身勝手な感覚なのではないでしょうか。
これは、震災関連のニュースの際にも感じることです。

マスコミも然りです。
少し前の、新幹線車内で刃物を振り回して乗客を殺傷する事件もそうですが、
このような特殊な事件を、手口などを含めて広く全国に報道する意味は何なのか。
また、これから犯人像というか、加害者の性癖から通院歴までが暴かれ、
面白おかしく報道されるのでしょうが、
それを私たちに伝えようとする意図は何でしょうか。
知る権利?
少なくとも、私はそのようなことを知りたいとは思わないのですが。
知る権利を隠れ蓑に、
何でも流せばいいというものではないと思う
のです。
マスコミにとっては絶好のコンテンツかもしれませんが、
加害者の異常性を暴き立てる報道の仕方では、
次の被害はなくならないのではないでしょうか。

そうそう、その1週間ほど前の大阪の地震では、
ブロック塀が倒れて小学生の女の子が犠牲になりました。
実に痛ましいことだと思うのですが、
だいたい、小学校に、どうしてブロック塀が必要なんでしょうか。
プールなどの目隠しのため?
本気の変質者が来たら、ブロック塀などでは防げないでしょう。
そんな視点で安易にブロック塀なんか作るから、倒れてしまうんです。
この先どうするんでしょうか。
全国的にブロック塀は撤去の動きですが、
そしたら、今回のような拳銃持った暴漢への守りはどうするのでしょうか。

そういうことじゃないですよね。
必要なのはブロック塀でもないし、さすまたでもないでしょう。
もう一度言いますが、
危ないヤツが増えたのは、地域が、そいつを放っておいたからです。
そいつにみんなで関わって、そいつの人間力を高めておけば、
少なくともそういう事件を起こすような人物にはならなかったでしょう。
そういう意味では、
社会に一員としての私たちにも責任はあるでしょう。
反省すべきだし、対策を考えるべきです。
また、第四権力としてのマスコミにもそれを促す力になってほしいものです。

私は、そういう問題提起があっても良いのではないかと思うのです。

[SE;KICHI]

働き方改革

前回のブログ内容と変わって今回は少し真面目なお話となります。
テーマ通りですが、
安倍首相が提唱した「働き方改革」についてのお話となります。
自分の思ったこととなりますので、
ちょっと違うんじゃないか等あるかもしれませんが読んでいただければ幸いです。

「働き方改革」とは一人ひとりの考え、能力、事情などを考慮し、
私生活の充実、仕事の生産性アップ、合理化等を実現し、
誰しもが活躍できる社会を目指すものだと思っております。
実現となったら素晴らしくて正直びっくりするかもしれませんよね。
今の生活とだいぶ変わる方も多いと思います。

しかし、このようなことを敢えて唱えるということは、
現状は問題があるということです。
私がわからない部分も多々あると思いますが、
私が気になった2点を書こうと思います。

まずは「労働人口の減少」が予想されます。
少子高齢化が進んでいる背景もあり、
年々に労働人口が減っていくのは簡単に予想できることです。
働く人がいなくなってくるということは、
様々な企業の生産性ダウンに繋がると思います。
そんな状態になれば誰もが活躍できる社会どころではないですね。

そして「長時間労働の問題」です。
世界的にみても日本の長時間労働は深刻らしく、
特に働き盛りの30~40代の長時間労働の割合が多い状態とのことです。
長時間労働で過労死や、様々な事情があり自殺をしてしまう方もいます。
人の命が関わっているのでこれは重大な問題だと思っております。

以上が私が気になった点です。身近に感じやすいところですので、
この問題について何かしら思っている方は多いのではないでしょうか?
ここからは問題点についての私の思ったこととなります。

「労働人口の減少」についてですが、やはり出生率が大きく関わると思っています。
少子高齢化問題は以前からもありました。
私自身も独身ではありますが、私の友人でも独身の方が多くいます。
以前はそんなに宣伝はされていないと思っているのですが、
最近では婚活や街コンなどが多く宣伝されています。
私もそうなのですが、今は外に出なくても楽しいものがたくさんあり、
出会いの機会を多く逃してしまっている方々も少なくないと思われます。
そんなこともあり多く宣伝活動されているのではないでしょうか。
書いてみると、
その問題にちゃんと向き合わなければいけないですね・・・

「長時間労働の問題」については、
作業効率のいいシステムをそれぞれの企業が見直すべきだと思います。
物理的に限界はあっても一度見直し、
改善することにより30分でも1時間でも労働時間が短くすることも可能だと思います。
諦めたり、
面倒に感じたりして見直さなければずっと変わりません。

作業効率が悪いと感じたら一度手を止め考えるべきだと思います。

効率化という部分に関してはいいと思いますが、
個人的には残業はしてもいいと思っております。
これは先程も書いたように物理的に限界がある場合があるからです。
毎日同じ仕事をされている方であれば、
効率化を実行し、残業をなくすことが可能かもしれません。
(あくまで仕事量による話ですが)
しかし、毎日が違う仕事をしている方は残業せざるを得ない場合もあると思うのです。
それは自分のペースで仕事をできない業種であると思います。
そして自分のペースで出来ない業種というものは世の中に非常に多くあります。

ただ、意味も生産性もないのに、
サービス残業を押し付けたりする企業は問題があると感じます。
私が残業は賛成というのは、
そういった押しつけられたりする環境ではないからかもしれせん。
自主的に残業をしています。
残業は仕方のないことだとしても、
その時間をいかに減らすかという効率化は目指したいですけどね。

最後に私の知人の変わっている考え方を書こうと思います。
あくまで私が変わっていると感じたことです。
労働人口が少なくなっても、
これから機械化が進み、ロボット等が仕事をすれば問題ない。
能力のある人間が多く稼ぎ、働き口がない人たちに還元すればいいというのです。
まあ、個人的にはかなり思い切りのいい意見だなと思いました 笑
ちなみにその知人は、
いかに仕事を早く終わらせて遊ぶ時間を作るかを心掛けているとのこと。
遊ぶ時間というのは、テレビや漫画を見る時間ではなく、
今の仕事と関係なくても、
これからさらに稼ぐ為の勉強時間
とのこと。
私としては遊びの時間には思えなかったが、
その知人にとっては仕事以外の時間だから遊びとのこと。
色々な方がいますよね・・・

今日のお話は以上です。
仕事量が多くても少なくても効率よくやっていきたいですね。
私も自分で書いていて改めないとなぁと感じました。
「働き方改革」は、小さなことでも、
それぞれの気づきや習慣の見直しでできることだと思っております。
少しずつでも改善し、私生活も仕事も充実させたいものです。

[SYUN]

安かろう悪かろう、か。

子供の教育に費用が掛かるので、
つまり、生活を考えたら子供なんて産んでいられないということで、
日本は果てしなく少子化が進んでいるという状況だそうです。

安倍首相なんかは、
幼児教育を無償化すればもっと子供を産むだろうと思っているようですが、
それはどうなんでしょうか。
前回は大学の無償化について触れましたが、
幼児教育も無償化すれば、日本はよくなるのでしょうか。

私は、本音を言うと、もっといろいろ選択肢があればそれでよいと思うのです。
一時期、教育勅語を暗唱させている幼稚園について賛否両論が出ましたが、
私は、もちろん、そのような幼稚園があっても良いと思うし、
そうでない幼稚園もあってよいと思うのです。
ヨコミネ式しかり、七田式しかり、同じことです。
そういう、いわゆる高級な幼稚園や保育園があったっていいし、
安いところがあってもいいし、タダのところがあってもいいと思うのです。

資本主義社会なのですから、
お金がある家庭はお金を払って、高額な幼稚園に行けばいいのです。
これは小学校以上の教育にも言えることですが、
お金のある方は、高額で高度な教育をお受けになればいいと思うのです。
やっかんではいけません、
国家財政を考えても、そういう家庭が存在することはありがたいことです。
そういう家庭の納税で国が回っているのですから。
一方、経済規模が標準程度かそれ以下の家庭であれば、
月謝が安ければ安いに越したことはないでしょうし、
「タダにしてくれないと子供なんて産めない」という家庭にとっては、
無償で預かってくれる幼稚園・保育園も必要でしょう。

何が言いたいのか分かりますでしょうか。
選べるようにしてくれれば、それでよいという話です。
政府は幼児教育をタダにすればもっともっと子供が増えると思っているようですが、
そんなわけないだろう。
普通の感覚では、子供を幼稚園に預けようとするとき、
まずは教育勅語等に代表される教育方針など、
その学校の運営方針が自分の家庭にあっているか、
そういうことを検討したうえで、自宅からの距離や費用等を勘案し、
各家庭で選び、決めればよいと思うし、そうしていると思うのです。
タダでさえあれば、
たとえば昨年あったような給食が貧しい幼稚園でもいいかと言われれば、
それは、たぶん多くの親御さんが、タダでもイヤだと思うのです。

なんか、こう、いろいろ無償化すればみんな喜ぶみたいな論調が流行ってますが、
現状のすべての子育て世帯が、
「タダにしてくれないと子供を産めない」なんて言っているわけではないし、
全施設をタダにしろなんて言っているわけではないと思うのです。

高校もタダという流れになってきていますが、
考えてみれば、学校教育が充実していれば塾なんて行く必要はないのに、
現状では、大学へ進学するためには学校教育だけでは充分ではなく、
みんな、学校教育よりもはるかに高いお金を払って塾に通っているわけです。
つまり、今後、せっかく高校をタダにしても塾通いの費用がかさむという、
ワケの分からないことになる可能性はあります。

結局、親の金銭的負担は増し、
子供はダブルスクールで疲れるということになります。
それで、いったい誰が幸せなのかという話です。
ダブルスクールなんて、学校へ通いながら夜勤で働くようなものでしょう。
そんな戦後すぐみたいな教育事情で良いはずがありません。
疲弊した子供たちは、「せめて学校に行っている間は眠ろう」と、
授業中にうたた寝をしたり、保健室で休んだりするかもしれません。

いいかげん、国には、
タダならみんな喜ぶよね~という感覚を捨ててほしいのです。
もちろん、均一の水準であれば、安いほうがありがたいのは事実です。
たとえば、100円ショップで売っているような雑貨であれば、
300円で売っても売れることはないでしょう。
それは、その商品には100円の価値しかないからです。
逆に言えば、300円分の価値があれば、
つまり、300円払っても惜しくないとみんなが思うような商品であれば、
300円でも売れるはずなのです。

教育は、それとは違います。
教育とは、もともとレベルにピンからキリまであるものであり、
そのクオリティは均一ではないわけですから、
教育レベルや環境が付加価値ということになります。
選ぶ側はどこに価値を見出すかは自由なので、
必ずしも、タダなら良いということにはならないはずです。

結局、内容がよければ、人々は優先度を変えて自分のお金を使うのです。
「くだらぬものには一銭も出したくない」のは当然のことですが、
その延長線上に、
「くだらぬものはタダでもいらぬ」という感覚もあると思うのです。
やはり、いくら公立がタダであり、私立はお金がかかったにしても、
その教育が良いものであるならば、私立に通わせたくなるのが親心でしょう。
もちろん、各家庭には各家庭の経済力というものがありますから、
そのへんのファクターはあるとは思いますが、
基本的には、各家庭で用意できる範囲の最良を子に与えたいと思うもの。

国には、タダならみんな喜ぶよねという、
資本主義を無視した感覚を捨ててほしいものです。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
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FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
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TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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