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ステイホームの結末

コロナ禍によるステイホーム。
この間、様々な変化があったご家庭もあると思います。
我が家でも変化がありました。

子供たちがスポーツ少年団や部活動で野球部に所属しているため、
また、主人も野球指導者をしているため、
これまでずっと野球漬けの休日を送ってきていたのですが、
休校措置に伴い、3か月間ほど活動が中止となっていました。

もともと野球嫌いの私には、
送迎もお茶当番も洗濯もない、
はっきり言って、ありがたい休息期間となりましたが、
ずっと体を動かしてきた主人や子供たちにとったら、
それこそ最初のころは休みを満喫していましたが、
そのうち暇を持て余すようになりました。
もちろん、体もなまってしまいます。
そうはいっても、不要不急の外出も禁止され、どこに行くこともできません。

そこで、主人が思いついたのが自転車に乗って体を動かすことでした。

我が家には子供たちの3台の自転車しかなかったので、
突如主人用の自転車を購入しました。
そして、時間のある時に子供たちと一緒に、
サイクリングに出掛けるようになりました。

野球は嫌いだけれど、体を動かすことはそこそこ好きな私も、
一緒に体を動かしたいと思うようになり、一緒に外へ出るようになりました。
とはいえ、自転車は4台しかありませんから、
一人はジョギングします。
それを長男・次男と私とで交代で走りました。
そんなに距離は走れませんが、いい気分転換になりました。

さて、我が家の近所には一級河川が流れており、堤防があります。
ずっと進んでいくと海に出ます。
幾度か主人から、
「自転車買われ。みんなで海まで自転車で行こう。」と言われましたが、
自粛期間が終わればまた野球漬けになり、自転車に乗ることがなくなるからと、
しばらく断っていたのですが、なにやらうまいこと乗せられて、
結局私も自転車を買ってしまいました。
しかも緊急事態宣言が解除される2週間前に。
買うならもっと早く買えばいいのにと、自分へ突っ込みたくなりました。

何はともあれ、自転車を買ったので、5人で海まで自転車で行ってきました。
片道10kmほどだったでしょうか。
海に行ったからと言って、海水浴の季節でもなく、
一時間ほど砂遊びをしてすぐ帰ったんですが、
信号で止まったり、渋滞にはまることもなく、気持ちのいいサイクリングでした。
それからも何度か出かけましたが、
そうこうしているうちに自粛も解け、部活も再開し、
自転車に乗る回数はめっきり減ってしましました。

ところがです。
つい先日のことです。
主人から「自転車屋さんまで送っていってほしい」と言われました。
「え・・・・まさか・・・????」

そう、主人はすっかり自転車の虜になってしまい、
前に買ったごく普通の自転車では飽き足らず、
おしゃれなスポーツタイプ?の自転車を購入してしまったのです。
確かに私の自転車を買いに行ったとき、
あれいいなあ、あれもいいなあと少年のような眼で眺めてはいましたが、
まさか本当に買うなんて・・・。

まあ、自分のお小遣いをやりくりして購入されたので、とやかくは言えませんが、
どこに置くのでしょう? 
置けるスペースははっきり言ってありません。
聞くと、「まあ、考えるよ」と。
はまるとどっぷり浸かるタイプの主人です。

そんなこんなで、我が家のコロナ禍による一番の変化は、「自転車の数」でしょうか。

[Okei]
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それは“逃げ”ではなくて?

この春、政府発出の緊急事態宣言によって日本全国が自粛の嵐となりました。

自宅軟禁状態は学生たちも例外ではなく、
ほとんどの小中学校や高校が、おおむね3箇月に渡って休校になりました。
現在、その多くは再開しているようですが、
「学習の遅れをどうするのか」という問題が立ちはだかっています。

そんな折、5月に持ち上がったのが『9月入学制』への移行案でした。
現在では議論は頓挫したようですが、
当初は街頭インタビューでも、
「これで世界標準に合致するから留学生に朗報だ」などと、
歓迎する声も多く聞かれ、一時は政府も本格的に検討したようです。

私は、少し違和感を持ちました。
若く清新なイメージでモノをはっきり言うタイプの知事とか、
ロクなこと言わないのにクネクネとシナを作る教育評論家とか、
そういう一部の目立つ方々が賛意を表明されているので、
分かりやすさを重視する世論がそちらに流れたのでしょうが、
私は、ちょっと賛成できません。

それは、よく言われている、会計年度とのズレとか、そういうことではありません。
確かに、そういう問題も出るでしょうが、そんなのはいずれ慣れるでしょうし、
会計年度のほうをズラせば統一することもできるでしょう。
3万人近くの教員が不足するとか、待機児童が25万人になるとか、
そういう研究結果もあるようですが、それも、再任用とか規制緩和とか、
物理的な課題は、何か手を打てば乗り越えられる課題だと思います。

『9月入学制』の導入がよいことなのか、悪いことなのか、私には分かりません。
しかし、そんなことはどうでもよいのです。
私が本当に不快なのは、目下の「学習の遅れ」に対して、
『9月入学制』の導入で万事うまくいくとでもいうような雰囲気です。
クネクネ評論家などは、「現場は疲弊してるのよぉん、早く決断しないとぉ」などと、
対処法はそれしかないと言わんばかりの論陣を張っていますが、
結局、「もう無理だから、学年末を延期してほしい」という、
教職員側の願望に過ぎないのではないでしょうか。

これが会社だったらどうでしょうか。
コロナの影響で期待していたような売り上げが上がらず、
今年は予想を大きく下回りそうだぞとなったとき、
「もう無理だから、決算期を半年延期しよう」なんて、
そんなことはできないでしょう。
では、それはできないこととして、どうするのでしょうか。
……売り上げ確保のため、工夫するしかないですよね。
とにかく、いまできることを徹底的にやろうとするでしょう。

私は、それが正常だと思うのです。
やはり、危機の時こそ互いに智慧を出し合い、
いまやれることを淡々と進めるのが大人というものでしょう。

不安がる子供を慰め、疲弊する最前線の人々を励まし、
別に何の確証もなくても「大丈夫さ」と言って自他を鼓舞することこそ、
大人として期待されている姿なのではないでしょうか。


そういう意味で、『9月入学制』というのは、私には正しいとは思えません。
それは、この4月から8月の半年間を捨てようということであり、
結局、智慧を出すのではなく環境を変えようとする試みであって、
大人として洗練された乗り越え方ではないように思うのです。
やはり、いち早く授業数を充足できるようにと智慧を出すべきであるし、
最終的にそれが実を結ぶかどうかは別としても、
最初からそのための努力を放棄して仕切り直しを考えるなんて、
ちょっと、子供に見せられる思考プロセスではないような気がします。

端的に言えば、うまくいかなかったらリセットボタンという、
ゲーム感覚の思考回路でしょうね、これは。

なぜ、『9月入学制』という要請が出るのかといえば、
公立と私立の資金力の差などにより、オンライン授業ができたりできなかったり、
通っている学校によって公平でなくなるからという、
“格差への配慮”的なことなのでしょう。
しかし、世の中、公平でないことなんていくらでもあります。
通っていた学校が都会か田舎かとか、その学校の規模とか、
学校の重点教育領域とか、先生方の出身大学とか、
環境に影響を与えるものの、自分でコントロールできないことなんて、
いくらでもあるはずですよね。
“格差への配慮”を考え始めると、どうしても社会主義の方向に進みます。

いま、必要なのは、サミュエル・スマイルズなどの、自助の思想でしょう。
置かれる環境は人によって様々ですが、
その場所で最大限の努力を惜しまなかった者が成功を手にするのです。
誰かが何かをしてくれるんじゃないかと、
口を開けてボーっとしている者に、成功は訪れないでしょう。
日本的に言うと、二宮尊徳などのような努力家が、
「あっ、ズルい、不公平だ!」なんて言うでしょうか。
彼のように、とても貧しかったとしても、環境に文句を言わず、
怠ることなく努力した者が成功するのです。
ちょっと、日本人は肝に銘じたほうがいいですね。

ところで、果たして、3箇月に渡る休校は必要だったのでしょうか。
私は、ワクチンが未開発だったとはいえ、
既存のインフルエンザに準じた対応でよかったのではないかと思っています。
この原稿を書いているゴールデンウィーク明けの時点で、
日本で重症化した10代以下は1名で、死者に至ってはゼロでした。
厚生労働省も、感染者の年齢が低いほど、
他人に感染させるリスクが低くなると認めています。
つまり、子供に限れば、外出を禁止するほどのことではないということです。

それより、休校が続いたことによる弊害のほうが甚大です。
子供たちは新たなクラスメイトや担任と信頼関係が築けないし、
座って勉強する習慣もつかなければ、体育による体力の増進もできません。
会社を休まねばならなくなった親御さんの経済的な負担も看過できません。
また、それどころか、熊本の慈恵病院によれば、
一斉休校によって中高生からの妊娠の相談が激増しているそうです。
Stay Home で外に出られないからっ♡……ってことでしょう。
だからって中に出すことはないと思いますが。

どうするんでしょうか、この状況を。

入学時期を世界標準に合わせても、国力は増しません。
教育内容そのものが変わっていないのに、
海外の優秀な人材が日本に集まってくるはずがないでしょう。
むしろ、先行きの不透明なこの国を見切って、
日本の優秀な学生が脱出していくような気すらします。

『9月入学』などと、場当たり的にごまかしてないで、
どうすれば効率的に学習できるか、建設的に考えたいところです。

[SE;KICHI]

うふふふ、しょうもないですね。

7月から全国の小売店でレジ袋が有料化されるそうですね。
経済産業省によれば、
廃棄物削減、海洋ゴミ対策、地球温暖化対策等の課題に対応するため、
その一環として、レジ袋の過剰な使用を抑制するということだそうです。
義務づけだということなので、仕方ないのですが、
うふふふ、しょうもないですね。

現在レジ袋は国内で年間300億枚、
乳幼児を除いた国民1人あたり約300枚が使用されていると言われています。
これを原料の石油に換算すると、年間50万キロリットルだそうですが、
それはつまり、国民1人あたり、わずか3リットルにしかなりません。
3リットルって、普通車で30キロほど外出する際のガソリン量ですから、
つまり、30キロの外出を我慢すれば、
1年分のレジ袋の節約ができるという計算になります。

どうしてレジ袋はダメなのでしょうか。
燃やしたときに有害ガスが出ると思っている人もいますが、
レジ袋はポリエチレンなので、二酸化炭素と水が発生するだけです。
そもそも、いまどき、そんな危ないものが入っているはずもないでしょう。
それどころか、ゴミ処理会社を経営する友人によれば、
生ゴミみたいな濡れたものだけを燃やすのは大変で、
燃やすために余計に燃料が必要となるのだそうですが、
そこにレジ袋を入れておけば、薄くて発熱量が高いので燃料の代わりになり、
燃料のムダ遣いを抑えられて助かるのだそうです。

また、そのへんに捨てると鳥や魚が飲みこんだりするからとか、
そういうことを言う人もいます。
でも、それなら、釣り糸とかアイスの棒とか何かのキャップとか、
動物が飲みこんだりしそうなものはだいたいダメでしょう。
これらは、テキトーに捨てんなよって話であって、
だからレジ袋はダメだよねって話ではないと思うんです。

ごみ問題の解決に効果的なのは、4Rと言われていますね。
Refuse(無駄な消費をやめる)、Reduce(減量)、Reuse(再使用)、
そして、日本人が好きな recycling(再利用)ですが、
私は、本来行うべきことは、効果の薄い recycling よりも、
効果的な Refuse もしくは Reduce、
つまり、化石燃料などの資源の使用量を削減をすることなのではないかと思うのです。
いや、小さなことからコツコツと、
その第一歩としてのレジ袋削減なのだという意見もあるでしょうが、
日本の石油消費量は年間約2.4億キロリットルのうち、
レジ袋は前述のとおり50万キロリットルなのですから、
レジ袋なんて、日本の石油消費量のわずか0.2%に過ぎないのですよ。

政府主導なのだったら、もっと効果の高い政策があるだろうと思うのです。
たとえば、私。
通勤距離は片道15kmほどですが、燃費12km/Lくらいのクルマで通勤しています。
仕事が年間250日あるとすれば、
使用するガソリンは 625リットルで、ドラム缶3本ちょっとです。
1人これだけって、なかなかの量でしょう。
もっと言えば、この時に発生する二酸化炭素は37万リットルで、
これをドラム缶に換算すると1800本以上に相当します。
そう思えば、日本中のマイカー通勤のサラリーマンが、
たとえば、ノーマイカーデーなどに1日でも協力するだけで、
レジ袋なんかよりも環境に対してインパクトのある負荷軽減が図れるはずです。

結局、目の前のレジ袋がターゲットに仕立てられたのです。
中小企業は、競争力が弱く、環境への投資が遅れがちですが、
そこを狙い撃ちするような今回の政策は、
私は、単なる弱い者いじめのようだなぁと思うのです。
それに、もし、そのような弱い者いじめの意図はないとしても、
そもそも、たとえば、「環境負荷の少ない新たな素材を開発する」という、
時代の変化によって新たなニーズが生まれるような方向ではなく、
単純に「排出量を抑制する」という考え方に進むのであれば、
結果的に経済活動が縮小されるということもあって、
なんというか、環境問題に姿を変えた社会主義への接近に見えて、
危機感を感じます。
いや、ほら、飛行機は環境に悪いからヨットで行きますとか、異常ですよね。
私たちにそういうのを強いられても困りますよねという、感覚的な話です。

昨年の関西広域連合の発表によれば、
大阪湾を調査した結果、レジ袋約300万枚が海底に沈んでいるそうです。
なかなか刺激的な数字に思えますが、
こういう刺激的な数字が、レジ袋有料化に正当性を与えているのでしょう。
本質は、単なる“マルクスの呪い”かもしれませんよ。

[SE;KICHI]

紙媒体

新聞に折り込まれてくるチラシに変化が見られるようになって、
2ヵ月くらい経つでしょうか。
徐々にチラシが減り、日に日に新聞が軽くなっていきました。
こと、G.Wは例年なら山のようなチラシが入るのですが、
今年は寂しい限りでした。

チラシに変化を感じたのは、
よく買い物に行くスーパーが、第一段階として、
土日の特売時間を設けないところからでした。
土曜日が午後3時から6時、日曜日が午前から午後1時までだったのが、
終日同一価格のチラシとなり、
それからほどなくして、チラシ自体が入らなくなました。

この土日の時間帯設定をしない対策は大賛成でした。
買いだめなのか、レジには長い列が出来るようになっていたので、
集中する時間帯を無くすことで、三密になりにくくなりますもんね。
ここまでは良かったのですが、
チラシ自体が入らなくなってからの買い物がけっこう辛いものとなりました。
皆さんいろいろな買い物スタイルがあると思いますが、
私は買い物リストをメモ書きにしてから行きます。
特売品と組み合わせて献立を考えたり、
なくなりそうな物がチラシに載っていたら、買い足したりと、
割とチラシありきで買い物をしていましたが、
その目安が無くなったことで、
店内をウロウロしている時間が長くなってしまいました。
本当なら短時間でスパッと帰らないといけない状況なのに、トホホです。
ちょっと反省しながらの買い物ですが、ウロウロしたことで、
陳列棚に並んでいる商品をじっくり見る機会となり、新たな発見もありました。
普段どれだけ駆け足で買い物をしていたのか、自分のことながら驚いています。

さて、今回の騒動で、テレワークなど働き方に変化があった会社も多いかと思います。
今までと同じ働き方を見直そうとする動きもあります。
同じように変化を余儀なくされた飲食店ですが、
「宅配やテイクアウトメニュー」を始める店も多くみられました。
この、宅配は出前という名で重宝されていた時代もありましたよね。
また、駅に伝言板が復活したとか、今だと逆に目新しさを感じます。
進化し続ける事も大切ですが、昔ながらのアナログの素晴らしさもあります。
いざという時はアナログの方が強かったりすると感じています。

激減したチラシですが、
この「テイクアウトや配達します」のチラシが徐々に多くなってきています。
私も何店舗かテイクアウト利用しましたけど、良かったですよ♪
これからもテイクアウトメニューが残って欲しいくらいです。
お店のWebページを開けば情報が載っていますが、
そこは、わざわざ検索しにいかにと目にはしないので、
とっかかりとしての紙媒体チラシは必要だと思います。
そこからPCやスマホなどで、
より詳しい情報を求めていくようなスタイル好きです。

チラシも無くなったら無くなったで、
それなりに暮らして行くとは思いますが、
紙で情報を目にする楽しみは捨てがたいです。
今週辺りから徐々にチラシが復活してきました。
これからも役立つ情報を沢山届けてほしいです。

[fu~ma]

変容に隠れている弱体化

〽戻りたい 戻れない 気持うらはら……
という歌がありました
が、いま、そんな感じですねぇ。

学校が休校になっている都合で、子供たちの学習が遅れがちになっているので、
それを補うため、全保護者を定期的に学校に呼び、
課題を持ち帰ることを要求している学校があるようです。
要は、宿題を保護者が取りに行くスタイルです。
その手法が良いのかそうでもないのか、私には分かりませんが、
私が驚いたのは、その方法。
訪問した保護者を校舎内には入れず、
玄関の外に出した仮設の机で対応しているんだそうです。
寒風吹きすさぶ机のところに先生が交代で立って、
やってきた保護者の身元確認をし、課題を渡しているんだそう。
それを聞いた私は、寒い中で立っている先生方が気の毒で、
「そんなの、玄関に近い理科室とか、屋内でやればいいのに」と思ったのですが、
ダメなんですって。

「校舎に入りたくないっておっしゃる保護者の方、
このところ多いものですから」
ですって。

もちろん、その学校は、コロナ感染者が出た学校ではありません。
ただ、教育委員会の指示で休校しているだけの、いつもの学校で、
別に、今回のコロナ騒動で特に汚染されたということはないのです。
つまり、特に汚れているわけではない普通の学校なんですが、
そこに足を踏み入れたくない保護者が多いということなのでしょう。

少し、冷静さを欠いているのではないでしょうか。

まぁ、このご時世ですから、
見えないウイルスの脅威に戦々恐々という気持ちも分からなくもないのですが、
学校が再開された暁には、
ご自分のお子さんもそこに通うのだということを、どう許容するのでしょうか。

かつて、学校というものは、そうキレイな建物ではありませんでした。
いや、掃除の時間というのがあって、毎日のように雑巾掛けしていましたから、
それなりにはキレイにはしていたのでしょうけど、
古くなった建物と設備は、そんなに清潔とは思えませんでした。
そんななかでしたが、児童たちは、
教科書を読み合わせたり、消しゴムを貸し借りしたりしていました。
給食の時間には向かい合わせで話しながら食べ、
お調子者のトークに牛乳を吹き出す子などもいましたし、
床に落とした磯辺揚げなんかを、拾い上げて食べたりもしたものです。
さきほど掃除の時間の話をしましたが、
その時に使う雑巾は牛乳臭く、お世辞にもキレイとは言えませんでしたし、
それ以外にも、ボールを掴んだり、鉄棒を握ったり、
学校生活が清潔かと言われれば、そうとは思えないことばかりでした。

もともと、キレイなんかじゃないんですよ。

それでも、毎日通って集団生活するなかで、
ほどほどにおなかを壊したりモノモライを作ったりしながら、
床に落とした磯辺揚げは食べてはいかんのだな、とか、
トイレに行ったら手を洗わんといかんのだな、などと、
体調を崩さないような知恵を学んだり、
常在菌に対する免疫を獲得していったと思うのです。

それは、駅も、市役所も、図書館も、病院すら同じで、
そんな場所が、そんなにキレイなはずはないでしょう。

……などというと、
コロナは治療法もないし、死者も出しているのだから仕方ないと言われます。
いや、それはその通りです。
基本再生産数が高くないので、感染力は弱めのウイルスだと思うのですが、
現時点でワクチンがない以上、封じ込める以外にできることはなく、
警戒するに越したことはないという点で、私も異論はありません。

しかし、そういう話ではありません。
「コロナの感染者が出ていなくても、校舎には入りたくない」というのは、
もはや、コロナに関するエビデンスに基づいた発言ではなく、
常在菌も含め、「なんか清潔じゃない場所、怖い」というイメージ、
恐怖心の問題です。
繰り返しますが、学校なんて、もともとキレイではなかったんですよ。
もっと言えば、この世にキレイな場所なんて、あるんですか。

仏教に、不浄観という観法があります。
自分あるいは異性の身体に対する執着を離れるための修行法の一つであり、
自他の身体が大小便や血や脂などの不浄に満ちていることを観想し、
たとえば、「あんなに美しい人でも、中身は大小便や血や脂で、一緒なのだ」と、
肉体に恋々としない境地をめざすものです。
やってみると意外と難しい観法ですが、
慣れれば、いろいろなことがどうでもよくなってきます。
つまり、SEXなどを想像するといいと思いますが、自分の身体を含め、
この世にキレイな場所なんてないんだということです。

もちろん、時代の変容に抵抗しようという話でもありません。
このところ、打ち合わせは zoom が主流になっていて、
その簡単さから、一日に何本も zoom の打ち合わせが設定されますし、
むしろ、コロナ感染が到来する以前よりも毎日が忙しくなっていますよね。
小学校でも、zoom を利用して授業を行っているところだってあるようです。
おそらく、アフターコロナも、会わずに打ち合わせることのできる zoom が、
世の中の趨勢となることでしょう。
便利になっていくことは、喜ばしいことです。

しかし、そういう話ではありません。
「菌が怖くて触れない」というのは、便利云々の話ではなく、
人間が弱くなったということです。
zoomのほうが便利だねということでオンライン化するのは正しいと思いますが、
不潔が怖くて学校に行けないという社会は、ただの弱体化だと思います。
そんなことでは、人間が常在菌にも負ける日も、やってきかねません。

学生時代、微生物学の教授が言っていた、
「こんな、生物かどうかも分からないようなものに、人類は負けない」という言葉を、
あらためて思い出します。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
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FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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