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ご近所さんを感じる季節

夏ですねー 梅雨ですねー 暑くてジメジメですねー。
そんな季節ですが窓から吹き込む風が気持ちいい日は、
冷房を使わずに自然の風で過ごしたい派です。
できれば就寝中も夜風で過ごしたいのが本音ですが、
何が侵入するか分からない物騒な世の中なのでぐっと我慢しています。
先日も美容室の方が、
近隣の店舗兼住宅のお店が数年前から強盗被害に遭っていると、
話をしてくれました。
この美容室も条件はどんぴしゃなのですが、
店主曰く、子供たちが夜中も起きているお陰か、
今のところは被害に遭っていないとのこと。
町内会で防犯カメラを増やそうとの話も出ているそうです。
在宅中に狙われると思うと、
無防備に窓の開けっぱなしはやめた方がいいに決まっていますよね。
そんな心配がいらない世の中になれば、
節電にも繋がるのでしょうけど。


さて、窓を開ける季節になってまず感じるのはご近所さんです。
網戸越しに飛び込んでくるのは、子供を怒っている親の声。
それを聞くと、あーそうそうこの感じだったと昨年のことを思い出し、
今年もまた怒られているなぁ~と苦笑い。
会話は全く聞こえないのですが、
こと注意というか躾というか、それらが怒鳴り声なのでこちらまで声が届く訳です。
頻繁に聞こえてくるお宅は、
上の男の子は怒られても泣き声や反発した声は聞こえてこないのですが、
下の女の子は泣くしわめくしと、親に負けないくらいの声が聞こえてきます。
手を出している感じはしないので、虐待ではないと捉えていますが、
たまに廊下でこちらの親子に出会うと楽しそうに両親に寄り添っているので、
その姿を見て大丈夫だなと、挨拶しながら勝手に様子確認をしています。

まあ、一軒家でも集合住宅でも気に掛けるのは近隣さんとのお付き合い。
今のところ引っ越し先のどこでも問題なく過ごせてきましたが、
集合住宅で暮らすようになってからは、音が気になるときはあります。
上の階からはダンスでもしている?かのような、
時々ドンドンといった大きな足音が聞こえてきますし、
両サイドからもガタンといった音は壁越しに響きます。
きっと我が家の音も聞こえていることでしょう。

以前、知人が足音や話し声などの生活音を、
「近くに人を感じられていいじゃない」と言ったことがありました。
それまでそんな捉え方をしたことが無かったので、驚きと発見でした。
余りにうるさい騒音になれば話は違いますが、
そう言われてからは人の気配を感じながらの生活も、
悪くないなと思うようになりました。
取り方次第で気持ちも変わってくるものですね。

きっと、怒鳴られている声が聞こえなくなったら成長を感じるとともに、
少し寂しさも感じるかもしれませんよね。
あと数年かな。

[fu~ma]
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『1/4の奇跡』

『1/4の奇跡』という話をご存知でしょうか。

マラリアという感染症があります。
蚊がヒトを刺す際に、感染源となるマラリア原虫が、
蚊の唾液を介してヒトの体内に注入されることで感染します。
さらに、反対に、マラリアに感染したヒトを蚊が刺すことで、
蚊の体内にマラリア原虫が取り込まれ、
その蚊が次にヒトを刺す際にそのヒトを感染させてしまったりもします。
蚊など、いくらでも発生しますので、爆発的に感染の広がる病気です。

そのマラリアとの長い闘いの歴史を持つアフリカでの話。
ある地域がマラリアで絶滅しそうになりますが、
ある村だけ、なんとか踏みとどまったそうです。

その村の村人は、1/4が亡くなり、3/4が生き残ったそうです。
その理由を調査した医師のによれば、
亡くなった1/4の人が、ごく一般的な赤血球の遺伝子を持っていたのに対し、
生き残った3/4の村人は、「鎌状赤血球」という、
変質した赤血球の遺伝子を持っていたそうです。
つまり、この村を救ったのは、
鎌状赤血球という、血液の奇形を抱えた人たちだったということです。

この、生き残った3/4の人をさらに調べたところ、
その遺伝子が原因で障害を持っている人たちが全体の1/4いたそうです。
残りの2/4の人は、鎌状赤血球の遺伝子を持っていながら、
障害は持っていない人ということですね。

これは、障害のない2/4のグループが存在するとき、
重度の障害を抱えた1/4のグループが存在することになる、ということです。
つまり、障害を引き受けた1/4の人たちがいなければ、
健常なグループは存在せず、
その村は絶滅していたということなのです。


人間がマラリアとの戦いに勝つためには、
マラリアにかかりにくい「強い遺伝子」が必要だけど、
そのためには、重い障害を引き受ける「弱い遺伝子」も必要……ということです。
アフリカの人たちはそれを知っていて、
自分がいま健康なのは、
自分たちの障害を一手に引き受けている仲間がいるからだと観じ、
障害を抱えた仲間を丁寧に看護するのだそうです。

すごい話だなと思います。

生きる価値がある命とは何でしょうか。
多様性について様々に言われていますが、
このマラリアのエピソードは、
「強者が生き残り、弱者は淘汰される」という定説をくつがえす話であり、
病気や障害が、私たちにとって必要だということを、示唆しています。

先日のLGBTの件もしかりです。

ちょっと理系的な話で恐縮ですが、
同性愛の方の繁殖について、私は不思議に思うのです。

L(レズビアン)は女性の2%、G(ゲイ)は男性の4%くらいの割合で存在し、
その割合は世代が変わってもそんなに変動しないそうです。
つまり、生物学的に、これほどの一定割合で存在できるということは、
同性を愛し、子が生まれない彼らでも、
その遺伝形質を次世代に伝えているということです。
子を作れないにも関わらず、です。
私たちに理由は分かりませんが、その形質は残されるべくして残されているのです。

だから、必要のない命なんて、そもそもないと思うのです。
私は、別に法律なんか作らなくても、必要でない命はないと思うし、
お互いに、神様の計らいを感じて尊重し合うだけでいいのだと思うのです。

いま、私たちが、元気でいられるのは、
過去や現在、病気や障害をもち、苦しんで生きてくれた人のおかげではないだろうか、
そんな気がします。
お互いを認め合って大切にし合うことを法律で定めるなんて、
なんて不自然なんだろうかと思う、今日この頃です。


[SE;KICHI]

「オリジナルのまま放送させていただきました。」

いやあ、『らんまん』、面白いですね。
高知編では子役は上手だし、広末涼子は可愛いし、松坂慶子は貫禄たっぷりだし、
東京編でも長屋は楽しそうだし、浜辺美波は可愛いし、牧瀬里穂は若々しいし、
観ていて楽しい感じです。
要潤もイカレてるしね。
何よりも、主人公の万太郎演じる神木隆之介が少年のようで楽しいのです。

特に、この主人公・万太郎が、
実在の植物学者・牧野富太郎をモチーフにしているというところが、
相当の安心感につながっています。
前作の『舞いあがれ』にしろ、その前の『ちむどんどん』にしろ、
特定のモチーフがいなかったドラマでは、
主人公のキャラクターに一貫性がなかったり、破天荒すぎて現実感がなかったり、
そもそも、先が見通せないことで視聴者がイラつくような感触があったようです。
その点、実在の人物をモチーフにした『らんまん』は、
主人公はスーパーマイペースですが、そこそこ現実感があって、
反感を買わずに済んでいるようです。

あと、これはこの先の話ですが、
未来を予測しすぎないことも大切かもしれません。
『ちむどんどん』では最終回、時代設定が30年ほど未来へ飛び、
主人公たちは4人とも還暦を超えた設定となって、孫まで生まれており、
一族郎党が、90歳になろうかという母・優子の誕生日を祝うという大団円。
続く『舞いあがれ』でも、
大阪の町工場の総力を結集するというストーリーは悪くはなかったと思いますが、
最終的に、学生時代の仲間と「空飛ぶクルマ」を作るんだという話になり、
最終回には当然のようにそれが完成していました。
私としては、別にそういう結末でも文句はなかったのですが、
ついていけなかった視聴者からは批判の声が上がったようです。
思うに、閉塞感であふれかえる現代において、
未来を思い描くことを苦しいと考える人が増えたのでしょう。
継続性のなさそうに見える未来像を、
荒唐無稽だと感じたのかもしれません。
その点、『らんまん』は、なにしろ実在の人物の物語ですからね、
モデルの牧野富太郎は昭和32年に亡くなっていますし、
納得のいかない未来は描かれないことでしょう。
安心です。

ところで、そんな『らんまん』ですが、高知編では批判が殺到していたようです。
それは、第1週で描かれた本家と分家の身分制度とか、
女性が入ってはいけないゾーンがあって入ったらめちゃくちゃに怒られるとか、
そういうのです。
また、第2週では、地元の武家の子が通う学問所へ特別に入学を許された万太郎が、
そこで身分を理由にしたいじめに遭ったりもしました。
こういうのを指して、
ネット上では「朝からしんどい」という批判的な意見が集まったようです。

呆れますね。
みんな、バカなんでしょうか。


これは、当然ながら、差別を推進しようとしてそういう演出になっているのではなく、
その時代がそんな感じだったから、そういう描写になっているわけです。
描かれた差別が正しいか正しくないかという話ではありませんし、
「朝からしんどい」という気持ちも理解できます。
しかし、その頃がそうでなければ、万太郎の行動に臨場感はなくなるし、
時代背景を理解することが難しくなります。
もちろん、事実だからと見せ続ければ視聴者は辟易しそうなので、
描写もほどほどにしといたほうがいいかもしれませんが、
とはいえ、少しも描写しないほうが不自然というものです。

昔の時代劇などを見ていると、
盲目の按摩師などがチンピラにからかわれたりする描写があったりします。
それを、しつこいのは論外だとしても、それほどでもないのに、
現代の価値観からして適切でないから放送できないとか、
放送すべきでない、のようなことを言うのはナンセンスではないかと思うのです。

タイトルは、時代劇チャンネル等で番組が始まるたびに表示されるテロップ。
果たして、そんなことを断らないと、苦情が殺到するのでしょうか。
制作時期に一般的だった価値観で作られてるに決まってるとおもうのですが。

制作時には大丈夫だったものの、現代においては不適切と思われる表現を、
現代に合わせて現代の人が自粛するのは、仕方ないとは思うし、
今まで差別されてきた人が、価値観が変わることで、
「その表現はやめて」と主張するのは尊重するべきだと思います。
ただ、表現を言い換えたとしても差別がなくなる訳ではないし、
むしろ、逆に問題を潜在化させることになることをもっと考えるべきではないでしょうか。
制作当時の時代背景から、
歴史的な価値観を学ぶことは大切なのではないかと思うのです。

オリジナルを尊重して
https://blog.goo.ne.jp/neji44jp/c/49da09db2261343240eb685d4d89226a

[SE;KICHI]

ダレトクなんだよ?

はじめに断っておきますが、
私には記念切手や記念硬貨を収集する趣味はありません。

先日、財布のなかに奇妙なものを発見しました。

記念硬貨・表記念硬貨・裏

最初、ゲームセンターのメダルかな?と思ったのですが、
ボクはゲームセンターに行く趣味もないので、
メダルが財布に入るなんて、訳が分からず。

よくよく見てみたら、「百円」と書いてあるではないですか。
オリンピックのデザインも彫られているので、
これは、先刻の東京オリンピックを記念して作られた、
記念コインなのだなと推察されました。
推察……というのは、
このようなものが発行されていることを私は知らなかったので、
状況から、正式なコインなのだろうなと思うしかないため。
なにしろ、切手とかコインの趣味がないので、見ても分からないのです。

ふつうのヤツとの比較

記念コインですからね、いずれ希少性から価値が上がるのでしょう。
しかし、いまは100円の価値しかない百円玉です。
なので、興味のない私は100円として使おうとします。

そういえば、私の上司は急かされるのが苦手な人で、
食堂で食券を買うとか、駅の販売機で切符を買うとか、
誰かが後ろに並びそうなシチュエーションでは緊張してしまうのだそうです。
なので、たとえば、2,000円札とか、
そういうエキセントリックな券種を支払いに使って、
機械が対応していなかったり、レジの人がまごついたりして、
後ろに並んだ人から奇異な目で見られるのがイヤだと、
そういうことを常々言っています。

しかし、実際には、飲料以外で2,000円が使えない自販機はほとんどないですし、
レジの人が怯んだとしても一瞬のことです。
他人からどう思われるか、あまり気にしない私としては、
上司に対して、妙なことを気にするものだなという印象だったのです。

しかし、手元に舞い込んできたオリンピック記念コインは、私の意識を変えました。
使える場所が、全然ないんです。
使えなさは、2,000円札どころではありません。
なにしろ、100円玉が使えるはずの機械ですら、
この記念コインは使えず、カランカランと乾いた音で落ちてきます。

結局、とある県庁所在地駅前のファミリーマートで使ったのですが、
レジの、アジア系と思しきお姉さんは奥の店主を呼び、
呼ばれて出てきた70歳くらいの店主はためつすがめつコインを眺め続けました。
3分くらいかかっても眺めているので、
それしかコインを持ってなかったわけではないので、
ダメならダメでと引っ込めようとした時、
「あ、百円って書いてあるね」ってことで、支払いが許されたのでした。
いや、そうでもしないと使いきれないコインだったってことです。

もう……何度も言いますが切手とかコインの趣味がないので、
手元に渡ってきても価値が分からないのです。
というか、大事に保管せずに流通させた方がいるからこそ、
私の手元にまで来たのでしょうし。
心から思います。
もう……ダレトクなんだよ、コレ。

[SE;KICHI]

たった7円に泣くことがあるということ。

先日、とある方が、小学2年生の娘さんを、
子ども向けのイベントに送り出したとのこと。

その日は、子どもたちだけで知らない街を探検し、
地域の人を取材してマップを作るという、自立心を促すイベントだったそうで、
そういう趣旨なので、
そもそも、集合場所まですら、親の手を借りずに来れるよう、
あらかじめ練習しておくように言われていたとのこと。
したがって、その娘さんも、自力で集合場所に集まれるよう、
当日までに、何度か親子で行き方を練習したそうです。

ところが彼女は、街歩きの際、先生が、
「お買い物してもいいけど、
帰りの富山駅までのバス代と富山駅からの電車代を残しておきなさい」
って言ってくれてたのに、
それを聞き漏らして、お菓子を買ったりジュースを買ったりと豪遊してしまったらしく、
気がついたら、お家に帰るお金まで使い込んでしまっていたそうな。

「お家に帰るにはお金が7円足りなくなった」と、
困った彼女から親元に電話。
しかし、ここで簡単に助けては彼女のためにならぬと、
心を鬼にして電話を切ったのだそう。

親に見捨てられた彼女は、先生から出された助け舟を元に考えに考えて、
バス代を浮かせるべく、バス1区間を歩くことにしたそうですが、
しかし、そこは知らない街ですから、道が分からない。

そこで、先生から、
「自分で何とかしようとすることはすごく大切だけど、
分からないことは分かる人に教えてくださいって言うことも大切だよ」って、
再び助け舟を出してもらって、
また考えに考えた彼女は、仲間に呼びかけて、
道が分かる人を見つけて同行してもらったんですって。

もう、たまらないですよね。
彼女、たぶん、お金が足りないって分かった時、すごく焦ったと思うし、
親に電話しても助けてもらえなかった時、もう愕然としただろうし、
そこから先、ずっと目に涙を浮かべていたことでしょう。
ちゃんと駅に着いて、最後に切符を買えた時、
それはそれはホッとしたでしょうねぇ。

副産物というか、その彼女がバス通りを歩くことにした時、
「アタシも付き合うよ」と言ってくれた優しい子もいたそうで、
それも、心強かったことでしょう。

考えに考えて、仲間と窮地を切り抜けた体験は、
ドラクエだったらレベルアップ音が鳴った瞬間ですね。

「おお、そうかそうか、
じゃ、お父さんがクルマで迎えにいってあげよう」とかやったほうが、
親も子もラクなのかもしれないけれど、
それをやると彼女のレベルは上がらないでしょうから、
それをグッと我慢した親御さんも立派だったと思います。

そして、何より、この話には後日談があって、
このイベントに参加していた子どもたちが、
この彼女の、「7円足りずに帰れない」騒動を見て、
「そういうことがあるんだ!」と衝撃が走ったようで、
急に襟を正しだしたようです。

というのも、昔は、駄菓子屋で5円足りなくて希望のものを買えないとか、
そういう経験が、どの子にもあったものですが、
今どきの子どもたちは、現金を使った決済を経験しないので、
5円とか7円足りないという場面がないのでしょう。
結果、私も驚いたのですが、集合時にバス代を払うとき、
両替が分からなかったり面倒だったりということで、
180円の運賃に対して、200円を払ってきたとの子が続出。
バス会社は嬉しいかもしれませんが、
私たち世代としては、両替が面倒ってどういうことだと呆れるばかり。
それが、数円をバカにする者は数円に泣くことを目の当たりにして、
周囲の子どもたちにとっても、すこぶる勉強になったんだそうです。

立派な勇者になるためには、レベル上げも大事ですよね。
彼女自身も、それを見ている周りの子も。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
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