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今、考えるべきこと②

前回のコメントに、抑止論についての是を唱えるコメントがありました。
しかし「平和学」というのは先述の通り、”平和についての研究”であり、
戦争の是非を問うもの以前に、
“争いそのものを否定ありきで考える学問”なんです。
ですので、平和学においては戦争肯定はまずあり得ないし、
議論として徹底的に否定されるものなのですよ。
アカデミックな世界です。
答えがないようでいて、土台が決まったところからスタートしている、
全く矛盾しているような感覚になってきます。
とはいえ、これについて毎日必死に研究している人が世界のどこかにいるのです。
(ここでは抑止論についても触れなければいけません。)

前回、かつての米ソ東西冷戦での、その抑止論について少し触れてみました。
“安全保障のジレンマ”という、重要な問題で必ず抵触する事柄ですが、
冷戦期の米ソを中心とした核開発の問題は、ここから来ているものであり、
今日の人類が向き合わなければいけない、遠いようでとても身近な問題であります。

核兵器禁止条約の採択
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_01_1.html

1989年末の米ソ首脳によるマルタ会談によって東西冷戦は終結したとされていますが、
それまでの遺恨はもちろん、
その産物たちは直ちに消えてなくなったわけではありません。
ご存知の通り、核兵器です。
核兵器について触れますと、
核兵器は、日本にも落とされた核分裂を利用した原子爆弾、
核融合を利用した水素爆弾、
核爆弾に運搬手段(航空機、ロケットエンジン等)を付け加えた核ミサイルを総称したものです。
核爆弾の原理は割愛しますが、
原爆の場合でも石炭火力の200万倍のエネルギーが100万分の1秒で分裂するため、
凄まじい熱、衝撃波、放射線が数百万度の熱と共に炸裂します。
現代の弾道ミサイル(ICBM)は、なんとこの670倍もの威力を持っているとされています。
ではなぜ核兵器が作られたかといいますと、やはり第二次世界大戦が契機です。
ナチス・ドイツが早くからその研究に関心を持っていたことから、
その対抗としてイギリスを中心に連合国側も研究を開始。
後にドイツは降伏し、原爆の研究を行っていなかったことが分かってからも、
連合国側は開発を続けました。
当初の目的は、表向きはドイツ、
はては日本を打倒して戦争を終わらせるためという大義のもとでしたが、
その実は、対ソ連の為だったということは今日では有名です。
当時は同じ連合国として同盟を結んでいた米ソでしたが、
裏では既に政治的な対決として動いていたということになります。

1954年 アメリカの水爆実験
http://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=62&lang=jpn

この当時について余談を話すと、原爆開発をアメリカが極秘裏に進めた「マンハッタン計画」に参加したノーベル賞受賞者、ロートブラット博士曰く、開発の目的はドイツに対して脅しの意味も含めてがきっかけでしたが、ある時、アメリカ軍将校が秘密裏に対ソ連用が真意であると話したそうです。この言葉に、同盟国であるソ連に対しての強い背信を感じたそうです。今この瞬間も、西ヨーロッパに連合軍が上陸する為、東部戦線で毎日1,000人以上のソ連兵が時間稼ぎの為に死んでいるのに・・・。研究している我々の代わりに、極限の中犠牲を強いられている人たちに、政治的、戦略的兵器を作りそれを向ける為に作っているとは!彼はこの計画から離脱しましたが、他の研究者らは残ったそうです。そもそも離脱すること自体大変なことではありますが、他の研究者らは、純粋な科学的好奇心や、日本に落とすことで多くのアメリカ及び連合国兵が助かることを説得されたり、自らの将来に不利な影響が出るのを恐れ、この戦争で麻痺している凶暴さの前に個人の態度も出せず残ったと振り返っています。この戦争の凶暴な異常性の前には冷静な判断や合理的思考もままならない。だからこそ私たちは戦争そのものに反対する、そう博士は語っています。

実はもうひとつ興味深い余談ですが、日本に原爆を落としたことで降伏を早め、多くのアメリカ兵を救う”原爆神話”以外にも、原爆を使用した理由があります。当時日本はソ連を通じて和平ルートに動いていました。それをアメリカは知っていましたが、あえて使いましたが、何故でしょうか? それはポツダム宣言でソ連の対日参戦を確認した際、アメリカが日本降伏後のソ連に対して、優位性を勝ち得る為、参戦より先に落として牽制するためです。巨額の計画の成果を発揮する十分な機会であり、計画そのものを正当化すること。また、アジアや日本に対する差別的な意識から実験的使用への躊躇いが少なかったことも理由だそうです。どれも驚きで、なんともいえない気持ちになりました。単純な問題ではありません。

核兵器の開発理由は、最初はナチス・ドイツに対抗するため、
日本を降伏させるためであったのが、やがてソ連を抑え込むために変わり、
冷戦時代には仮想敵国に対しての大量報復という役割に変わりました。
冷戦終結はそれらを打ち消すチャンスではありましたが、
核は温存され、今や核は”使える兵器”との転換が図られています。
要は、核はその必要性があって存在しているのではなく、
核そのものが存在する理由を必要とされてきたと言えるのでしょう。
もはや本末転倒な気がしますが、
その背景、根底には、前回話しましたように、
”武力にはより強い武力を”という、
根強い「戦争の文化」があることだと言われています。

怖ろしいことに、今も核兵器の数は現実にこれだけあります。
既存の文明が○○度滅んでも足りないほどの・・・と聞いたことありますが、
想像するだけで怖ろしい数です。

核兵器保有数 2019
https://hiroshimaforpeace.com/hiroshima75/present-issue/

米ソの対立による冷戦は、世界を分断しました。
第二次大戦後、戦勝国として影響を強めた米英に対し、
ソ連は安全保障地帯確保のため、東欧を中心にそれを強引に進めました。
影響力拡大を図ったソ連のもと、共産圏が増えていくのを過剰に嫌う米英、
特にアメリカは核の力を誇示して封じ込めに入ります。
ソ連も自ら核をもってアメリカに対抗する道を選択し、
互いに核兵器開発競争や宇宙開発に発展し、
ご周知の通りそれは熾烈さを極めていきました。
核兵器が大量に作られたことにより、今までの力と力の均衡から、
恐怖と恐怖による均衡へと変貌していったとも言えるでしょう。
(その過程において、アメリカがビキニ環礁で行った6度の水爆実験。日本のマグロ漁船、第五福竜丸が被曝し、日本は原水爆による三度被害を受けた唯一の国となってしまいました。)

こういった中で、
1950年代にストックホルム・アピールから始まる反核平和運動が始まっていきます。
1955年には、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインら、
超一級の科学者11名により、
核兵器廃絶等を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、
東西、加被害を超えて行われた、
有名な1957年のパグウォッシュ会議実現へと繋がっていきます。
(日本からは湯川秀樹博士も参加。)

さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、
きびしく、おそろしく、そして避けることのできない問題がある――
私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、
幸福と知識の絶えまない進歩がある。
私たちの争いを忘れることができぬからといって、
そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?
私たちは、人類として、人類に向かって訴える――
あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。
もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。
もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

「ラッセル・アインシュタイン宣言」本文より抜粋


それでも米ソ核開発戦争はイデオロギーの対立によって激化し、
様々な危機的状況を引き起こしていきました。(キューバ危機など)
やがて他国も核実験に成功し、次々と保有国が増え始めていた中でも、
パグウォッシュ会議のような、
こうした民間レベルでの地道で純粋な建設的行動が、
次第に世間より認められていくようになりました。
研究者シオ・レンツが出版した『平和のための科学をめざして』のなかで、
これまでは戦争と文明が共存してきたのだから、
将来においてもそうできると考えるのは誤りである。
核戦争前と核戦争後は同じではない。
戦争と絶滅か、平和と生存か、どちらを選択するかが、
今日の喫緊の課題なのである。
我々は平和科学をひとつの過程――
人間が持つ調和のある戦争のない世界への望みを実現させるために、
必要なことを与えるような知識を求めて、
大胆で自由な人々がその時間と最高の能力を、
客観的、協力的で創造的な探求に従事する過程であると考える。

と唱えました。
この文面にも書いてあるように、
この頃より平和研究が盛んに進められていきました。
平和学の誕生です。
そしてそれは核のみならず、
前回触れたガルトゥング博士の”消極的平和”と”積極的平和”などに細かく体系化され、
ここまで広がり発展してきたのです。

話しが大きくずれてしまいました。
これを今、考えるべきことが、年初にありました。

2021年1月22日に発効した、「核兵器禁止条約」です。
これは2017年7月7日に国連総会で122ヶ国地域の賛成で採択された、
人類史上初めての一切の核開発、製造、保有、使用を禁じたもので、
2020年10月までに50ヶ国がこれに批准したため、発効されました。
しかしこの条約には、米露含む5大国や保有国、
また抑止力に頼る”核の傘”に守られた?日本や韓国は参加していません。
日本だけで言えば、
唯一の被爆国なのに、三度も被爆したのに、なぜ!?
と思われる方が多いかもしれません。
この条約の推進国は、この国際規範が確立されたことにより、
直ちに減ることはなくても、将来的に保有国や不参加国への圧力となり、
その弾みになることを期待していますが、本当に大丈夫なのでしょうか。
日本はどうなっているんだ! ……そう思ってしまいそうです。
これを説明するには、もうひとつネックとなる条約が存在します。

「核が平和を保った」と主張する人がいますが、
これは偏った見方と言えます――
今日まで西側の歴史家に入手可能になったソ連の公式文書を調べても、
抑止力が有効であったことを実証しうるものは見当たらないのです。

ロートブラッド博士


先ほど、その存在理由について、
核兵器そのものへは、後から都合をつけて用いられてきた旨を話しました。
時代や状況によって核兵器は技術のみならず、
存在意義まで進化してきたと言ってよい。
しかしその核を用いた抑止論によって、本当に平和だったのか?
米ソの直接対決はなかったものの、
それでどの国も自信を持って平和だったと言えるのか?
そう問われると答えに困ってしまいそうです。
でも、現代の日本においては、
お隣北朝鮮や中国は核兵器を保有していて、
とても危険な状態なのに、
アメリカが安保理に基づいて、
核の抑止力(=核の傘)で守ってくれるから、なんとか大丈夫。
だから抑止論は必要だ! だって危ないし仕方ないじゃん!

おそらくこう思っている人もおられると思います。
はい、これで結論出た! となってしまっては、平和学の意味はありません。
もう少し考えたいと思います。

先述の核禁止条約に日本が入らない理由にもなっているのが、
日本を含む世界191ヶ国地域が加盟する、核不拡散条約(NPT)の存在です。

1970年に発効したこの条約は、
その名の通り、当時冷戦期で世界中に蔓延していた核の闇に光を指すべく、
核兵器を不拡散とし、軍縮し、
原子力を平和的に利用することを目的としたものです。
具体的には、米露英物中の5大国を”核兵器国”とし、
それ以外の国への拡散を防止、
核軍縮交渉を定期的に行う義務を規定するなどです。

しかし問題点もあります。
ひとつに核拡散に対する検証システムが有るのに、
“核兵器国”の軍縮取り組み規定は不明確なまま。
また、”核兵器国”とそうでない国との差別性から、
5大国ではない核保有国が非加盟となり、保有を宣言。(インド、パキスタンなど)
お隣北朝鮮も、2003年に脱退宣言して、今日の様に保有しています。
つまり拡散を防止できていないことです。
ふたつに核抑止論を容認してしまっていることです。
非核保有国に不使用を迫る一方、
核保有国が拡大抑止のための“核の傘”をもって安全保障する、日本のような状態です。
日本は現在お隣北朝鮮が危険な状態でありますので、
「被爆国」と「核抑止依存国」というジレンマを抱えている状態と言ってよいでしょう。
みっつに核保有国と非核保有国との対立があります。
当然、核兵器に対する見方や考え方が違いますので、
それぞれの主張が先に出れば、嚙み合わないのは想像がつきます。

こういった中でもNPT再検討会議が何度も続けられ、
核兵器の非人道性などから「核兵器のない世界」を意識するようになりました。
それでも交渉や検討は度々決裂し、
これ以上の力のある禁止条約を求める声が高まり、採択へと至りました。

では、先述の”核の傘”を被る核抑止依存国日本は、
この条約に対してどのような見解なのでしょうか。
条約が採択された2017年3月28日の当時の岸田外務大臣の会見です。

我が国の基本的な立場、核兵器の非人道性に対する正確な認識と、
厳しい安全保障に対する冷静な認識、この二つの認識の下に、
核兵器国、非核兵器国の協力を得、現実的・実践的な取組を積み重ねています。
(この交渉に)核兵器国は参加していません。
こうした核兵器国が参加していない議論を、非核兵器国だけで進めることは、
核兵器国と非核兵器国の亀裂、ますます決定的なものにしてしまうのではないか、
そういったことを考えますときに、是非、両者への協力をしっかりと得た上で、
現実的・実践的な取組を行わなければならない、このように考えます。


日本政府としては、この条約は核兵器国や依存国との間に溝を深め、
NPT体制に悪影響を及ぼすだろうとの見解でいます。
原爆被害者の方々が見たら、憤りを感じる文面かもしれません。
しかしこの政府のような考えを持つ、条約に賛同しない勢力を、
支持へと変化させるために必要なことを考えるのが平和学であります。
是か非か切って捨てるのではなく、
誰がどのようにどんな効果を期待して取り組むか、これを私も考えているところです。
この条約には、参加していない日本にも大きな責任があると言われます。
被爆国として、核抑止依存からの脱却を、世界からいつも注目されているということです。

次に、昨年の原爆投下による追悼式典での平和宣言と、
それに対する首相の挨拶を見てみましょう。

追悼式典での首相挨拶
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202008/06hiroshima.html

ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、
その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、
今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、
NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、
核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、
核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて、
同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、
世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。

また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で、
様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

「広島平和宣言」2020年8月6日 広島市長 松井 一寶


それに対し、首相あいさつ。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を、
有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。

「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、
継承する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、
保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、
原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、
高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、
今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式首相挨拶 」
2020年8月6日 内閣総理大臣 安倍 晋三


世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、
核超大国である米ロの核兵器削減など、
実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、
一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、
北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の、
平和の理念を永久に堅持してください。

そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、
未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

「長崎平和宣言」2020年8月9日 長崎市長 田上 富久


長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、
二度と繰り返してはなりません。
唯一の戦争被爆国として、
「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を、
一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、
核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、
各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、
共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。
我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、
各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、
核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。

「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍や、
その非人道性を語り伝え、承継する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ 」
2020年8月9日 内閣総理大臣 安倍 晋三


広島、長崎のどちらの市長も宣言内で、
この「核兵器禁止条約」について触れています。
世界各国の駐日大使も毎年参加するこの式典で、
まさに魂の訴えといった内容です、
それに対し、総理の挨拶は日本政府の見解そのままに、
「核不拡散条約」(NPT)について言及するに留まっています。
(しかもまさかの流用wwwこれは・・・。)

日本が条約に参加しないのは、
先述してきた通り、核依存国であることや、
現状の厳しい環境からによるものです。
外務大臣や当時の大使ステートメントにあるように、
条約が出来たからといって、直ちに核兵器がなくなるわけでもありません。
しかし、そのための努力を、唯一の被爆国である日本が、
または日本人一人一人が行動していくことが大切ではないでしょうか。
国が動かないのであれば、民間レベルでもいい。
パグウォッシュ会議のように、継続して対話の道、啓蒙の道を続けていけばいい。
必ずしも海外に行って、それを行わなければいけないわけでない。
外国人相手にのみ、理解してもらわないといけないわけでもない。
まずは核兵器について知ること。
そして相手を知ること。
人と人、その相互理解があらゆる不信を取り除いていく第一歩のように思います。
私の持論ですが、世界平和といっても、なにもテレビの中だけではなく、
雲の上の話でもないと思います。
それは、一番身近な人間関係から始まるものだと思っています。
理想論だと一笑する人もいるかもしれませんが、
実際、冷戦も様々な諍いも、
小さな誤解や綻びが大きなものに膨れ上がって起きてきました。
そして全てではないですが、理解して解決されてきました。
我々は人種や環境は違いますが、
きっと理解し合えることができると思います。

同じ地球に生まれた、地球市民なのですから。

最後に、バラク・オバマ元米大統領がノーベル平和賞を受賞した、
有名な「プラハ演説」です。

今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。
歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、
核攻撃の危険性は高まっています。
核兵器を保有する国家が増えています。
核実験が続けられています。
闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。
核爆弾の製造技術が拡散しています。
テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。
こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、
全世界的な不拡散体制を軸としていますが、
規則を破る人々や国家が増えるに従い、
この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、
21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて、
共に戦わなければなりません。
そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、
米国には行動する道義的責任があります。
米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、
その先頭に立つことはできます。
その活動を始めることはできます。
従って本日、私は、
米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、
信念を持って明言いたします。
私は甘い考えは持っていません。
この目標は、すぐに達成されるものではありません。
おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。
この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。
しかし、今、私たちは、
世界は変わることができないという声を取り合ってはいけません。
「イエス・ウィ・キャン」と主張しなければならないのです。
では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。
まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。
冷戦時代の考え方に終止符を打つために、
米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、
他国にも同様の措置を取ることを求めます。
もちろん、核兵器が存在する限り、
わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、
チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、
安全かつ効果的な兵器を維持します。

しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。


オバマ大統領 プラハ演説
http://tsuiteru-reosan4949.seesaa.net/upload/detail/image/E382AAE38390E3839EE5A4A7E7B5B1E9A098E38080E38397E383A9E3838FE6BC94E8AAAC4-13ba2-thumbnail2.jpg.html

様々な意見がありましたが、
やはり初めて広島を訪問したり、新しい時代の大統領であったのでしょう。
自分が被害者だから責任がないのでもなく、自分は知らないからでもなく、
地球市民として、今後も平和について考えていきたいと思います。

[K.K]
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新しい季節

もうじき4月となります。
春は私にとって好きな季節です。
新生活のスタートを目前に、期待や不安でいっぱいの方も多いことかと思います。
私は新潟から、というより実家から出たことがありません。
今思ったら一人暮らしは経験しておけば良かったなぁと思います。
現状では、親も今までより体の具合が良くない為、
これから家を出る機会というのは、何か大きな転機がないと起こりそうにありません。
ただ、どのような状況でも自分のやりたいことの為に、
信念を持って行動している方は素直に尊敬します。

少し前のWAKAさんのブログに心を打たれました。
なぜ地元にいたいのか、ということです。
人とのつながりで生かされている、と言っておりました。
WAKAさんは昔の友人も多そうですし、
読んでいて、「あ、なんか分かる分かる」と思いました。
私の場合は、昔の友人は大事だと思っているのに、
私生活が忙しいと引きこもりがちになっております。
最近気付いたことは、ずっと自分の中に閉じこもってしまってたんだと思いました。

入社してから、とある方に言われたことがあります。
「もういいおっさんなんだから、自分自分って話をするな」と。
これは今ものすごく突き刺さっています。
それは、自分が今までの人生で何かをやり遂げたことは無いと感じているからです。
もちろんに何かでトップになるということは難しいのですが、
自分なりのゴールに辿り着いたこともありません。
いつも途中で辞めてしまうので、一からのスタートになります。
再開するものもあるのですが、ブランクがあると気分は一からのスタートです。
「積み上げたものぶっ壊して~♪」懐かしい好きな曲が出てきました!笑

私は自分では自覚してなかったのですが、
自分自分と、自己顕示欲が強かったみたいです・・・

友人とのやりとりでもそれに気づかされました。
新しい季節を迎えるにあたり改めて自分を省みたいと思います。
新しくチャレンジすることもあるので気分を変えていきたいと思います。

[SYUN]

今、考えるべきこと①

大学って何でも学ぼうとすれば、どれだけでも学べる良い環境かと思います。
勉学そのものが自由ですし、仕事のように拘束されない。
それこそ一日中勉強してもバイトに明け暮れても、
レポート締め切りと試験の後の単位の取得をこなしていけば、もう自由でしょう。
現役の学生生活を経ていませんので、あまり適当なことは言えないのですが、
一応学生でもありますので、
時間の使い方は別にして、やることは変わらないと思います。
私は様々な授業が受けれる総合大学にいますので、
好きな歴史関連は履修科目として多く占めています。
それでもそれだけでは卒業はできません。

総合大学としての強みでもある様々な分野の科目、
特にその大学が大切にしているカラーのような授業が、選択必修で用意されています。

昨年の秋、選択必修で選び受けた科目で「平和学」という学問があります。
この学問は、一般に紛争などの争いの背景や経済、
地政学などから回避する方法や平和維持などを科学的に研究する分野のことです。
正式には、アカデミックな世界では学問の分野では通っておらず、
平和研究に近いイメージでしょう。
その目的は、紛争及び戦争を回避防止すること。
学問的で客観的な視点で捉えず、”争いの否定有りき”で有るため、
先述のように学問ではないとの批判や、
人間の動物的な本能から、根絶することは不可避なため、
研究そのものが無駄ということまで言われてきたそうです。
いかにも意見が偏りそうで、
しかし一つだけではない科目といったイメージでしょうか。
私が好きな歴史のように、一つの答えだけ覚えれば良いといったものではないので、
考え論じることがメインです。
(他にも哲学、人間学、異文化コミュニケーション等といった授業もそうです。かと言って、数学は大変苦手ですが。笑)

我が大学では「平和学入門」「平和学」の2科目が取れることになっており、
私は両方共受けてみることにしました。
(※様々な角度から平和について研究が進められている為、ここではかなり限定的な私の意見を書いていきます。)

そもそもですが、皆さん、
平和とはどのような状態を考えますでしょうか?
国と国の間で交易や交流が行われており、戦争なんかになっておらず、
お偉いさん同士が仲良く手を繋いでカメラの前で笑っている、
テレビの奥の光景といったところでしょうか。
私もこの授業を受けるまでは、そんなレベルでしか考えたことがありませんでした。
平和学では国連のことが取り上げられるのですが、その中でも重要なワードとして、
「消極的平和」「積極的平和」という言葉があります。
「消極的平和」とは、単に戦争が無い状態を意味するもので、
先述の私のイメージに近い状態です。
「積極的平和」とは、戦争が無い状態に加え、
個人間レベルにおける肉体的暴力、精神的暴力、性的暴力などの”直接的暴力”と、
戦争の原因となる”構造的暴力”が無い状態であることを意味します。

”構造的暴力”の概念は広く、
経営者と労働者の関係や貧困、飢餓、抑圧、差別といったものが、
間接的や潜在的にふりかかってくるものであるとされ、
極端なことを言えば、暴力の主体者がいないような状態ですので、
不平等かつ貧困に苦しむ国々に住む人たちが、
裕福な国に住む人々らに自国の資源を、
貿易によって吸い上げられているような状況でしょうか。
戦争するための軍隊を持つことそれ自体が暴力ですが、
例えば徴兵制そのものが強制力のある”構造的暴力“であり、
警察官の特権であるそれも、人が人を死刑に処する法律そのものも、
”構造的暴力”といえるのでしょう。
(もちろんいじめや各ハラスメント等もこれらに属すものです。)
(一方で、軍や警察といった暴力装置が無くても、全く大丈夫かと言われると、それはおそらく否と言えます。現に必要暴力として日本にも警察、自衛隊が存在しているのも事実です。秩序を守る為に必要な、矛盾があるということです。)


この理論はノルウェーのガルトゥング博士が唱えた理論で、
現在は、平和学の当初の研究対象であった戦争や紛争のみならず、
貧困飢餓、開発、ジェンダー、コミュニティ、
はてはLGBTなどにまでその対象を広げてきました。
実際、1960年代のインドからの国連に対する報告では、
「戦争が無くても平和ではない」というものでした。
差別や弾圧、極度の貧困など、
一国の中でも人間全体の発展の可能性を奪う構造的な暴力の形ができていました。
今も北半球と南半球に代表される地球規模での、
”構造的暴力”で溢れていると言えます。
現在の「平和学」とは、こういったあらゆる暴力を多角的に捉え研究し、
その解決を図っていくのが課題であり目的なのです。

国際連合旗
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E3%81%AE%E6%97%97

1つ、考えてみます。
今、日本は周辺国との関係性が非常に冷め切っていると言われているほど、
決して平和な状態とは言えない状態です。
隣国は1つだけではありませんが、領土問題や核ミサイルなど、
日本は平和なようでいて、実際は「平和学」的に見ても、
十分考察に足り得る危険な問題を抱えた状態であることは間違いないでしょう。

「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ。」とは、
4世紀後半のローマの軍事評論家ヴェケティウスの、
『軍制論』に由来する、格言とされています。
これは好戦論ではなく、簡単に言えば、
平和の為に戦争の準備をしておけば、戦争の回避をすることができるという、
現代の解釈で言う抑止論でしょう。
(抑止論では核兵器について展開できますが、それは次回にしたいと思います。)

しかし、自らの安全のために、戦争回避のために、自衛の備えを行うことによって、
逆に自らの安全を損ねてしまう場合があります。
国際政治の世界でも度々問題になる、「安全保障のジレンマ」と言われるもので、
分かりやすい例で言えば、冷戦時代の米ソの関係でしょう。
ここでは核については深掘りしませんが、
明確にぶつかってもいないのに、互いに抑止のために開発競争を繰り返した結果、
相互不信と不安が生まれ、やがてそれは膨れ上がりました。
そして相手国のみならず、
自国、ひいては人類全体を破滅に追いやるだけに十分な量の、
兵器を生み出してしまったのです。
これは悪循環の例であり、
まさにヴェゲティウスの格言通りの行動は、平和を損ねてしまう場合があるのです。

現に日本の周辺だけでも、北朝鮮の核問題、中国の南シナ海における軍事行動など、
彼らが言う自国防衛のためが、他国に脅威を与え、
様々な軍事的緊張を引き起こしています。
かくいう日本の防衛予算も、
2020年度予算案は5兆3千億円超と例年過去最高となってきています。
まさに「安全保障のジレンマ」を引き起こしていると言えるのではないでしょうか。

こういったものに対して「平和学」をはじめとする分野から、
平和のための準備を重要としていることから、
それを達成するための”手段”も様々検討されてきました。
具体的には、先進国が主導の国連の存在やPKO等各種支援の動きです。

第二次大戦後の国連誕生において、国際憲章が制定され、
人権が国家主権より大切に扱われるようになり、
各国国家間の戦争が減り、新興国家が独立する一方、
民族間や宗教思想の対立である国内紛争または国際化した紛争が多くなりました。

国連は平和創造や平和維持の為に、平和とは真逆のように思える国連軍を組織し、
激しい人権侵害や危機にある国家において、
主権国家が自国民を守れないまたは守らない場合に、
強制的に武力を用いて介入していきました。
人道的介入といわれる、軍事介入です。
(有名な例で言えば、コソボ紛争におけるセルビア空爆などです。)

それは、1993年にもアフリカのソマリアでも行われました。
そのソマリア内戦(モガディシュの戦闘)の実話をモデルにした、
「ブラック・ホークダウン」という映画を先日鑑賞する機会がありました。

『ブラックホーク・ダウン』
https://movies.yahoo.co.jp/movie/236636/

映画は戦闘シーンが多く、その他のことは詳しくは触れられていませんでしたが、
国連安保理のPKO活動によって国連軍(米兵、英兵等)が派遣され、
平和建設と破綻国家となった政府再建のため、
敵対する敵将幹部らの拘束を迅速に遂行する作戦となっていました。
ですが、当初予想はしていなかった、激しい応戦を伴った被害の大きい戦闘となって、
結果的に全軍を撤退するきっかけとなりました。

ソマリアは、まさに人道的に治安も衛生的にも悲惨な状況のなかにある中で、
国連による軍事的介入を受けたんです。
当然彼らの反発は強くなりますし、
登場するソマリア人の人物や民兵らの台詞も心に突き刺さるものがありました。
関係の無い一般市民も多く被害にあっており、
アメリカ視点とはいえ、平和的な手段を選ぶ、
平和構築を行うことの重要性を考えさせられるものでした。
国連の決議と失敗とはいえ、これからも起きてしまうだろう事態の教訓として、
より平和的に思考と行動に反映するべきではないでしょうか。

1994年のルワンダ内戦では、逆に不介入を行ったために、
多くの人が虐殺されてしまう悲劇が起きています。
失敗を重ねて、現在は伝統的PKOに回帰する方針が示されています。
このように、国連だけにおいても、平和における様々なジレンマを抱えているのです。

私の住む北陸地方でも、かつて北朝鮮による拉致被害者が多くいたことからなのか、
かの国に対して、目には目を歯には歯をの理屈で、
早く指導者を殺して報復してしまえばいいなどと漏らす人もいます。
ですが、
憎しみに対する報復は、結局憎しみを生んできたのも現実です。
安易に軍事や暴力で片づけてしまえると考えることを、
平和的思考に転換していく為には、
「平和学」の視点からも、平和的に話し合うことからであると思います。
仲の良くない隣の住人とのトラブルも、対話中心で模索していく。
幼い頃の子供の喧嘩でさえ、よく考えて話し合えていれば、
お互い傷つけずに解決することもあったのかもしれません。
案外、そのヒントは近くにある気がします。
普段からコミュニケーションを取ること等、
近しい人から、平和構築について学ぶ何かがあると思うのです。

話しは大きく変わりますが、先日、あの森喜朗さんが辞任しましたね。
SE;KICHI さんも取り上げておられましたが、
問題の発言、女性蔑視だ、切り取った部分しか報道していないとか、
もうめちゃくちゃ報道されていましたよね。
(安倍晋三さん、森喜朗さん、今度は誰なんでしょうか?笑)
すみません、脱線しました。

女性蔑視そのものはダメとして、男女が全く同じことはできないと思います。
男しかできないこと、女しかできないこと、あるはずです。
更に言えば、男性は力強いイメージ、
女性は優しく包み込むイメージがあったりするものですが、
全員がそうではない。
肉体的構造を抜いてみても、一人一人違ったりするのですから、
個人レベルではよりややこしいです。
でも、それぞれ得意不得意があって、
ずっと昔からそういったものをお互いに補いながら、
人間は生きてきたのも事実だと思います。
そこに”構造的暴力”があると言われれば、おそらく間違いないかもしれませんが。
(個人論ですが、男性は奮い立たせる力があり、女性は男性にはない優しい癒す力がある。幼いころからそう思っていたりします。)
男性が狩りに出て、女性が家で家族を守り食事を作る、
縄文時代の関係性は極端ですが、
きっと持ってる能力が違ったのだから、
こうなったのだろうと思っています。


昔、役職をお持ちの年上のお客様と話すのに、気を遣って上手く話せないと、
SE;KICHI さんに相談したことがあります。
その時のSE;KICHI さんのアドバイスが未だ忘れられないのですが、
「天皇も、総理も、女優も、社長も、皆、役目があるんだよ。
それぞれが必要な役割があって存在しているように、
あなた自身にも役割がある。
そのお客さんも役割があってそこにいるんだから、
変に気を遣う必要は無い。
偉いか偉くないじゃない。
一人の人間であり、おじさんなんだから。」
と言われたのを覚えています。

これは私の中で今も心している指針の一つですが、
どこか、「平和学」の視点で考えれる点だと思います。

森さんが意図して発言したかどうかは別として、
女性蔑視の発言そのものは「平和学」から見ても、
”構造的暴力”の片鱗が出ているような気がする・・・。

あらゆる暴力をなくしていく学問として、
こういった問題からも、「平和学」の研究ができると考えます。

[K.K]

『傾城反魂香』

昔、岩佐又兵衛という絵師がいました。
黒田官兵衛を幽閉したことで有名な、有岡城主・荒木村重の子として生まれ、
反逆が鎮圧された際、荒木一族はそのほとんどが斬殺されたところを、
当時2歳だった又兵衛だけが助けられ、母方の岩佐姓を名乗ったという人物で、
動乱の人生のなか、独自の画風を作り上げた人です。
猟奇的な場面やビビッドな色遣いの作品が熱海の美術館に収蔵されているので、
鑑賞したことのある方も多いかもしれません。

さて、近松門左衛門作の『傾城反魂香』という歌舞伎の演目に、
この岩佐又兵衛をモデルとした、又平という絵師が出てきます。

又平は生まれつき「どもり」の障害を抱えていて、
淀みなくすらすら言葉を繰り出すことができません。
日頃から又兵衛の世話をしているのは妻のお徳ですが、
言葉の出ない夫に代わり、相手に話して伝えるのもお徳の役目になっていました。

又平の絵の師匠が、土佐将監という人なのですが、
この人はちょっとワケあって謹慎生活を送っており、
又平夫妻は毎日のように手土産をもってこの師匠の家を訪ね、
不自由な謹慎生活の世話を焼いています。
その又平の誠実な人柄を、師匠も、その奥方も、
また、その家には住み込みの若い弟子もいるのですが、その若い弟子も、
みんながみんな、好ましく思い、一目置いています。

ところが、当の又平本人は、自分の「どもり」の障害に深い劣等感を感じ、
のびのびと振る舞うことができません。
いつも、愛想笑いを浮かべながらぺこぺこと卑屈なお辞儀を繰り返し、
師匠とのやり取りは妻のお徳に任せてしまうのです。


このお芝居を観た人は、だいたいの人が、
不自由な言葉のことなんて気にしないで、
たとえ一言でもいいから自分自身の口で師匠と話せばいいのに、
しっかししろよ、又平!……などと、
又平に対するもどかしい感じを抱くものです。
まぁ、そういうお芝居です。

しかし、人間、そういうものかもしれません。
自分が本当に負い目に感じていることは、
なかなか人前で披露できるものではないのかもしれません。

しっかししろよ、又平!……などと言っては見ましたが、
自分自身にだって、無意識にそういう何かがあるかもしれませんから、
観客とは無責任なものです。

さて、師匠が名乗っている“土佐”は、
学校で習った“狩野派”みたいなもので、
“土佐派”という絵の流派の一員であるという証拠です。
又平も、いつか師匠に認められて“土佐”を名乗ることを夢見ています。
先ほど登場した住み込みの若い弟子は、
又平に先んじて“土佐”を名乗ることが許されました。
それを知った又平も、意を決して、
「自分にも名乗らせてください!」と師匠に嘆願します。
……もちろん、その嘆願も、妻のお徳を通じて、ですが。


いや、さすがにそれは……しっかししろよ、又平!
だって、自分にとって最大の願いであるのに、
それすらも他人に頼るなんて、それはちょっと……。

又平のそういう態度を見かねてか、さすがに師匠は突き放します。
「オマエは、一生そうやって生きていけばいいわ。もう帰れ。」と。


おそらく、劣等感から自信を失い、伝える能力すら不足している状態が、
普段の画風にまで影響を与えていたのでしょう。
師匠は暗にそのことを指摘してくれているわけで、
師匠の突き放したような態度は、愛ゆえの励ましであろうと思うのです。
お芝居を見ている私たちは、
自分が変わらなければ道は開けないぞ、
勇気を出すんだ、又平!
……と祈るような気持ち。

最終的に、この演目のクライマックスは、
死をも覚悟して又平が走らせた筆が奇跡的な出来となり、
それを認め、師匠は又平にも“土佐”を名乗ることを許すのですが、
その手前に感動的なシーンがあります。

「お……お願…い!」と、又平がついに自分の言葉で、
師匠に“土佐”を名乗らせてもらえるよう、直談判します。
当然、つっかえますし、言い間違えますし、活舌も悪い。
しかし、そのようなことは気にせず、ひたすらに思いをぶつける又平。
それはもう、すごい気魄です。
結局、又平に欠けていたのは気魄だったというわけです。


このところ、自己分析が堪能な方が多いような気がします。
曰く、「オレって、母子家庭だったせいか、〇〇、苦手なんですよね……」とか、
曰く、「私、貧乏だったから子どものころから△△とかできないタイプで……」とか、
曰く、「ボク、親が公務員だったんで、昔から××ってやれないんすよ……」とか。
その自己分析は、たぶん正しいのでしょう。
自分でそう思うんだから、間違っているはずはありません。
しかし、母子家庭も貧乏も親が公務員も、かつてそうだったにすぎません。
年齢、性別、職業、血液型なども然りで、
何ひとつ、今後も自分が何かを苦手であることの証明にはならないはずです。

自分を変える勇気。
その勇気を振り絞るのは簡単なことではないですが、
しかし、人間にとって、ここぞというときには、
それが局面を打開する大切な勇気になると思えます。

[SE;KICHI]

相場観

残念ながら昨年は行けなかったのですが、
時折、ラオスとかカンボジアとか、そういうところを訪れます。
というのも、私が里親として学費を負担している奨学生の女生徒がいて、
ときどき、その子に会うために、彼女が住む村を訪れるわけです。

想像はつくと思いますが、学費に困窮する彼女の住む村ですから、
水道やガスは通っておらず、トイレやシャワーもない生活です。
日本人である私の感覚では、
近くの大きな都市にホテルを確保して村まで通ったほうが気楽なのですが、
その大きな都市と村とは、悪路で3時間も離れているので、
彼女や周囲の大人が、パトロンである私にぜひ泊まるように勧めることもあって、
私は、自然と彼女の村にホームステイする形になります。

生活は世界ウルルン滞在記(←古っ)みたいなもので、
「水を汲みに行くから付き合って」と言われて、
歩き始めたはいいが、水汲み場は2kmも先だったとか、
普段、日本で甘やかされて暮らしている私にとっては、なかなかハードです。
里親としてホームステイすることはやぶさかではありませんが、
毎回、うっすらとした後悔が襲う瞬間です。

さて、慣れない生活で身体じゅうがバキバキに凝ってしまうホームステイなのですが、
うまいことなっているもので、この村にはマッサージが上手なオバチャンがいます。
見た目は、そうですね、石立鉄男みたいなオバチャンで、
実は私が里親になっている娘の母親なのですが、
腕は確かで、この地で生き抜いてきたたくましさを感じる施術です。
周囲に子どもが群がり、ニワトリなどが歩き回る中での、
東屋でのマッサージは日本とは雰囲気がまるで違いますが、
私は訪問するたびに、これを楽しみにしています。
ただ、毎回、真剣な顔で「右脚に水牛の霊が憑いている」と言われるのと、
最初に足を洗われる時の水が超冷たいのには閉口するのですが。

この方はマッサージ屋さんをしているわけではなく、
遠く日本から来た私が喜ぶからと、好意でしてくださっているだけです。
私が言うのもナンなのですが、
自分の娘の里親だからサービスしているという面もあるかもしれません。
そもそも、このような村で「〇〇屋さん」などという現金商売など、成立しませんし、
そういうことをすると神から叱られると言って、
施術料の受け取りはかたくなに固辞されます。

しかし、こちらも、ホームステイさせてもらっていながら、
水汲みなどではいっこうに役に立たないうえに、
みっちり1時間もマッサージをしてもらうなんて、
何も返さないというのも申し訳ないというか、おさまりが悪い気がして、
娘のほうに「宿泊料金」と称して現金を押し込んでくるわけです。

が、ここで法外な現金を渡してしまうと村人の金銭感覚を崩してしまうので、
感謝を形にするにしても、そこは慎重である必要があります。
で、娘に「マッサージ1時間の相場は?」と聞いてみたわけですが、
彼女の答えは、「村に相場はないけど、街だと 15,000リエルくらい」とのこと。
1,000リエルは日本円で25円くらいなので、15,000リエルは375円くらい。
えっ、マッサージ1時間 375円?

というわけで、辺境の村での力強いマッサージに、
毎回、ちょっとしたチップも含め、
20,000リエル(約500円)を払うことにしている私。
果たして、そんな金額で彼女たちの恩に報いたと言ってよいのか、
毎度ながら、少しの後味の悪さを残して村を後にします。

帰路はマイクロバスのようなものに乗り、
舗装もされていない悪路にグワングワン揺られながら空港まで戻ると、
もうすでに搭乗予定の飛行機の時間が迫っています。
急いで搭乗手続きをとったのですが、
搭乗前の慌ただしさで、機上の人となったころにはもうクタクタです。
クタクタ……なので、マッサージを受けたくなりますよね。
私が乗った飛行機は日本への直行便ではありませんでしたから、
タイのスワンナプームで乗り換えだったのですが、
トランジットの間に私が向かったのは、またしてもマッサージ屋さん。

タイでマッサージと言えば、世界的にも有名なマッサージです。
身体をまんべんなく、無理なくほぐしていく手技はさすがで、
私はウトウトしながら、大いに満足したのでした。
もちろん、空港内でのマッサージなので割高で、
施術料の受け取りをかたくなに固辞……されるようなことはなく、
だいたい、60分で450バーツくらいを請求されます。
いま、100バーツは350円弱くらいですから、450バーツは1,500円ちょっと。
村のマッサージは500円(勝手に払っているだけですが)でしたから、
それと比べると3倍の価格高騰。
なのですが、タイ古式マッサージが1,500円というのは、日本人にとっては破格なので、
まぁ、気持ちもよかったし、そこは許すことにしましょう。

そして帰国後数日が経ち、
薄っすらと疲れてきた私はマッサージに行きました。
普段からたまに行っている日本のマッサージ屋さんで、
1時間のマッサージをお願いしました。
私の身体を揉んでくれたお姉さんはフィリピンから来日した方で、
肘などを使って力強く私を揉みほぐしていきます。
それはいいのですが、日本でのマッサージの相場って、10分1,000円くらいです。
つまり、1時間では6,000円程度。

村で1時間 500円の超安価マッサージを知ってしまった私、
もう、もとの感覚には戻れません 笑
空港のマッサージすら 1,500円だったのに、
1時間 6,000円と聞くと、高っ!と思ってしまいます。
もちろん、サービスのきめ細やかさは価格と比例するのでしょうが、
それにしても、村のマッサージの12倍ですからね、
なんか、こう、不当なのではないかと感じてしまいますわね。

なるほどねぇ。
東南アジア人が日本に来てマッサージ屋を始めるわけだなと、
そのへんの事情が垣間見えたのでした。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
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FAX:(076)451-0543

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〒950-1142
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TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



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