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予祝

“あえのこと”というのをご存知でしょうか。
毎年12月5日、一年の豊穣に感謝し、
収穫を終えた田んぼから「田んぼの神様」を自宅に迎え、
翌春の2月9日まで、
見えない神様を、あたかも人間のように入浴と食事でもてなし、
長く厳しい冬を家族と一緒に過ごすという、奥能登の民俗行事です。

あえのこと
https://food-japon.com/p/news/aenokoto-gourokuan

さて、昨年11月、
男鹿のナマハゲなど10件が、『来訪神;仮面・仮装の神々』ということで、
ユネスコの無形文化遺産に認定されました。

ナマハゲ
https://forbesjapan.com/articles/detail/24195#

ナマハゲから連想すると、鬼のような異形の者が襲ってくるイメージが浮かびますが、
儀式として注目すべきなのはそこではなく、
大事なのは、年に一度、決まった時期に人間界に来訪するとされているところです。
そういう意味では、“あえのこと”も、異形ではないものの、れっきとした来訪神で、
2009年にはとっくに世界無形遺産に登録されていました。

そもそも、日本人というのは、
「普段はいない神様が特定の時季にだけやってくる」という考え方が好きです。
ユネスコの無形文化遺産という“肩書き”がついたので、
来訪神に、やや堅苦しいイメージがついてしまった感がありますが、
本来、日本人にとって、来訪神というのは馴染み深い存在でしょう。

だって、たとえばお正月。
「数え年」というのがありますが、あれは、
元日にお出ましいただく神様から1年を授かるという考え方から来ているもので、
いわば、日本人全員の誕生日を元旦に設定するという感じのもの。
年に一度の儀式ということですから、これも来訪神と言えるでしょう。

そうそう、お正月といえば、みなさん、
玄関に門松を飾って注連縄を張りましたでしょうか。
あれは、神様をお迎えする準備だと言われています。
門松は、来訪する神様に「この家ですよ」とお知らせする看板みたいなもの、
注連縄はそのエリアが不浄でないように結界を張るセコムみたいなものです。
つまり、来訪する年神様に備えて飾っているわけです。

何が言いたいかというと、
何のためにそれをやるのかを考えることが大事ということです。
最近では、門松や注連縄を完備している家は少なくなりましたが、
門松や注連縄を飾らない家でも、鏡餅は置くかもしれません。
最近では中に砂糖が詰めてあるプラスチックの鏡餅なんてのも売ってますが、
鏡餅は神様の大好物で、それ自体が依り代にもなる……というわけで、
それを知ったら、砂糖で代用なんてダメですよね。

そもそも、新年を祝う理由を考えたことがあるでしょうか。
お正月がめでたいのは、新しい年が明けたから……ではありません。
お正月がめでたいのは、日本古来の予祝という考え方によるからです。
予祝……あらかじめ祝う……前祝いです。
何の前祝いかって、古代日本人の一番の願いは秋の豊作です。
稲がたわわに実って、お米がどっさりとれることが大事ですから、
その願いの実現を引き寄せるために、
お正月に、その一年の五穀豊穣の前祝いをしているわけです。

春先の“お花見”も、
時節柄、たまたま桜がきれいに咲いていたから眺める……のではありません。
そんな、風流というか感性的な話ではなくて、
秋の豊作に感謝する“祭り”の一種だと言われています。
これも、日本古来の予祝という考え方によるからです。
春に満開に咲く桜を、秋のお米の実りに見立て、
仲間とワイワイお酒を飲みながら喜び、お祝いすることで、
本願である秋の豊作を引き寄せるというわけです。

夏の盆踊りも、夜が暑くて眠れないから踊る……のではありません。
あれも、予祝、秋の豊作を喜ぶ踊りです。

このように、もともと日本人は、
すでに叶ったという気分でお祝いするのが習慣づいている民族です。
先に喜び、先に祝うことで、その現実を引き寄せるというのが、
古代日本人がやっていた、夢の引き寄せの法則なのです。
あらかじめ叶ったという気分になっておけば、
「あぁ、めでたい。神様、ありがたいなぁ。ご恩返ししなくちゃなぁ」と、
感謝の気持ちも高まろうというもの。
結果、一種の自己催眠もあって、現実が追い付いてくることでしょう。
日本という国は、それを個人ではなく、国家全体でやっている国で、
そりゃあ、感謝・報恩の文化が育まれるはずです。

ちなみに、予祝の本質は、いま、喜ぶこと。
いまの喜びは、未来の喜びになるわけです。

さぁ、みなさん。
1年分の大繁栄を祝おうではありませんか。

[SE;KICHI]
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クリスマスに靴下をさげるわけ

そろそろクリスマスです。
クリスマスといえばシュトレン。
この時期にだけ食べられるシュトレンは、
芳醇なドライフルーツの風味が私好みではあるのですが、
それにしたって、
この時期は11月末頃から毎日シュトレンを食べなくてはならないので、
さすがに、12月も中旬を過ぎると食指も鈍ってくるというものですが、
みなさん、そのへんはいかがでしょうか。

さて、シュトレン以外でクリスマスといえば、サンタクロースですか。

サンタクロースは、実在しました。
いや、グリーンランドに国際サンタクロース協会があって……という話ではなく、
サンタクロースはもともと、聖ニコラオス(セント・ニコラオス)という、
4世紀のキリスト教の司教で、実在した人物なのです。
ちゃんと、イタリアにある聖ニコラ大聖堂の祭壇の下の地下聖堂に、
彼のものとされる聖遺物(遺体・遺骨)も安置されています。
聖ニコラオスは、正式には「ミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ」と呼ばれ、
キリスト教の全ての教派で、子供や海運の守護聖人として崇敬されています。
守護聖人、なんです。

手元に絵本がありましたので、ご紹介しましょう。

むかし、むかし、ミュラという町に、ひとりの男の子がいました。
名前はニコラス。
お父さんが町中で一番のお金持ちだったので、
ニコラスはおもちゃもお菓子も、なんでも余るほど持っていました。
けれども、ニコラスは、少しもわがままを言わない、心の優しい子に育ちました。
小さい時から、神様の教えを信じていたからです。
大人になってからも、ニコラスさんは、
子供の時に信じていた神様の教えを忘れませんでした。
「神様は、お互いに助け合え、分け合えとおっしゃっている。
私は、自分の財産を残らず貧しい人たちのために使うことにしよう。」

ある日、ニコラスさんは、町の人たちの噂話を聞きました。
「ねぇ、知ってる? あの3人のお嬢さんのいるご主人の話を」
「ええ、なんでも、お仕事がうまくいかなくて、
財産をすっかりなくしてしまったとか‥‥・・」
「もとは身分の高い貴族でも、いまはただの一文無し」
「お嬢さんたちの結婚の支度も、してやれないんですって」
「ほんとうにお気の毒・・・・・・」

気の毒な親子の話を聞いたニコラスさんは、
ある晩、こっそりと親子の家に行きました。
「神様、お願いいたします。
どうぞ、その人たちが幸せになれますように
ニコラスさんは、金貨の入った袋を、開いていた窓から部屋の中に投げ込みました。
すると金貨の袋は、洗濯して暖炉のそばに吊るしてあった靴下のなかにチャリーン。
それはとても小さな音だったので、眠っていた親子は少しも気が付きませんでした。
次の日の朝、目を覚ました親子はびっくりしました。
「お父様、見てくださいな。靴下の中にこんなたくさんの金貨が!」
「不思議だわ。いったいどうしたことでしょう」
「ねぇ、お父様、どなたがこんな贈り物をくださったのでしょう」
「ああ…… これはきっと神様のお使いからの贈り物に違いない」
それから間もなく、、一番年上の娘の結婚式が挙げられました。
「神様、ありがとうございます。
おかげでこうして人並みに式を挙げることができました。」
お父さんも娘たちも、喜びと感謝で胸がいっぱいです。
でも、このことを知って、誰よりも一番うれしく思ったのはニコラスさんでした。

何日かすぎて、
ニコラスさんは、また、夜中に親子の家に行って、金貨をそうっとおいてきました。
おかげで、2番目の娘も立派に結婚式を挙げて、
幸せな暮らしができるようになったのです。
不思議なことが二度も続いたので、娘たちのお父さんは思いました。
私たちにこんなお恵みをくださったのは、どんな方だろう。
神様のお使いにお会いして、一言お礼を言いたいものだ。
そこで、お父さんは夜も寝ないで、
窓のそばで、神様のお使いを待っていました。

それからまた何日かすぎた、ある晩のこと・・・・・・。
ニコラスさんがこっそりやってきて、金貨の袋を窓から投げ込もうとしました。
その晩も寝ないで待っていたお父さんは、とうとうニコラスさんに会えたのです。
「おお! 神様のお使いは、あなた様でしたか!」
お父さんは夢中で外に走り出て、ニコラスさんの前にひざまずきました。
「あなた様はいったいどなたですか。どうぞお名前を聞かせてください」
「いいえ、私はただ、みんな助け合いなさいという、
神様の教えに従っただけなのです。
どうかこのことは、誰にも内緒にしておいてください」

けれども、ニコラスさんのしたことは、すぐに町の人に知れ渡ってしまいました。
「ふうん……神様のお使いはニコラスさんだったのか。実に立派な方だ」
「本当に神様のお使いにふさわしいお方ですわ」
時がたつにつれて、ニコラスさんはますます、
みんなからほめたたえられるようになりました。
ニコラスさんは、それからもずっと、暮らしに困っている人を助けて、
たくさんの良いことをしました。
そして、誰からも愛され、慕われ続けて、幸せな一生を送りました。


いかがでしょうか。
個人的な感覚ですが、私自身、このような、
見も知らぬ誰かの幸福のために行動するという生き方を、
理想的な生き方であると考えてはいるものの、
「どうぞ、その人たちが幸せになれますように」とは、
なかなか思えるものではありません。
このエピソードを読むにつけ、
さすが列聖(聖人として教会に認められること)される人物だと頭が下がりますし、
自分自身の利他の思いの軟弱さが恥ずかしい限りです。
まぁ、それはともかく、
サンタクロースは、実在した、超立派な人だってことです。

聖ニコラス像
https://pixabay.com/ja/photos/%E8%81%96%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9/?

しかし、現代の日本では、それを知らない人が多いのか、
本当にサンタクロースというのがいる、とは信じられていないようで、
小さな子を持つ親がサンタクロース役を演じてプレゼントを枕元に置いたり、
恋人同士がちょっと奮発した贈り物やディナーを楽しんだり、
店によってはキャンペーンの特別コスプレだったりと、
もっぱらプレゼントを贈る演出に使われている感じのサンタクロース。
私からしたら、サンタクロース(=聖ニコラオス)を汚すなって感じです。
わが子や彼女にプレゼントしたいなら、
別にサンタクロースを使わなくても、感謝を伝えてプレゼントすればいいのだし、
お店のキャンペーンならもっと普段からサービスしとけって話です。
なんで、サンタクロースの名をかたってプレゼントするんでしょうか。
照れ隠しでしょうか。

ハロウィンが、バカ騒ぎしてトラックをひっくり返す祭りに化しているのと同じで、
サンタクロースも、聖人として事績をしのぶでもなく、
単にクリスマスというバカ騒ぎのマスコットになっているようで、
ちょっと寂しい感じもします。

ちなみに、私は、
母親から、知らない人から物をもらってはいけませんと育てられてきましたので、
子供のころから現在に至るまで、仮に相手がサンタクロースであっても、
面識のない老人から何かをもらうことには抵抗があるほうです。
かわいくないですね。

クリスマスにくつしたをさげるわけ

[SE;KICHI]

ファーストクラス体験記

ファーストクラスを利用してハワイまで行ってきました!
搭乗するのに向かった先は成田や羽田ではなく池袋!!
池袋国際空港のその名はFIRST AIRLINESです。
すでにお気づきかと思いますが、バーチャル空港施設です。

ファーストクラスに乗ってみたい!
フライト前に航空会社のラウンジを利用してみたい!!
私のちょっとした夢です(笑)
普段飛行機を利用することも少ないし、正直に言えば飛行機は苦手な私です。
でもってビジネスクラスさえ利用したこともないのに、ファーストクラスなんて
夢のまた夢です(苦笑)
そこで疑似体験ってわけです(笑)

その空港は雑居ビルに存在しました。
このビルの中にそんな体験ができるのか?と、
田舎者の私は怪しみながらエレベーターに乗り込み8Fで降りました。

ドアを開けて中に入るとこんな感じ。

FIRST AIRLINES① FIRST AIRLINES②

少し早めに着いたので受け付けは無人でした。

しばらくすると奥から乗員らしき制服の方が登場し、
後ろからは前の便に搭乗していた方達がゾロゾロと出ていらっしゃいました。
おお、結構な人数!
この狭い空間の奥にどんな設備があるのか楽しみになってきました。
そうこうしていると同じ便を体験する人たちが集まり始め、座席は満席のようです。

まず受付で搭乗手続きし、パスポートを貰いました。

パスポート

そしていよいよ座席へ。
二人掛けの座席が縦にずらっと並んでいました。
前から2列目が私たちのシートでした。

客席

狭い空間に上手く作られていました。

座ってみると広いし、リクライニングで足元も上がるし、座り心地もバッチリ!
長時間座っていても疲れなさそうです。
足回りも広くて快適です。
シート自体はかなり年代物のようですが、
エコノミークラスしか利用したことがない私には高級感は半端ないです。

さあ、いよいよフライトです。
ドアが閉められ離陸準備開始とともに、
CAさん(に扮した)が本番さながらにシートベルトの着用や、
ライフジャケットなどもろもろの説明がはじまりました。
えっ、実際は飛ばないからシートベルトはしなくてもいいのでは?と思いましたが、
皆さんカチャカチャと締めはじめ、こちらも本番さながらです。
すでに滑走を始めているので座席からはゴッゴッゴッゴッと振動が伝わり、
いざ離陸。
ここまではリアル感たっぷりの演出です。

飛行が落ち着きシートベルトを外し、くつろいでいると、
一人一人にVRが配られ始めました。
ヴァーチャルリアリティを体験するためのVRを装着してハワイ観光です。

私自身がドローンになったかのように、
きれいな海の上を飛びワイキキビーチやハワイ島のてっぺんへと瞬時に移動。
またショッピングストリートなどあちこち観光しました。
訪れたことがある人はあーこんな感じだよねー、となるでしょうし、
未体験の人はヘーこんな感じなのねー、と楽しめると思います。
色んな角度からの映像を見てみようと頭をぐるぐるまわしてVRを試していたら、
途中気持ち悪くなりました。
けっこう重かったせいもあると思います。

観光が終わり、いよいよお待ちかねの機内食タイムです。
ドリンク1杯付でコース料理となっていました。
ハワイ便なので料理もハワイ風です。

機内食① 機内食②
機内食③ 機内食④

カトラリーは料理毎に用意され、
冷たいものは冷たく、温かいものは温かく、スープは熱々で提供されました。
最後にコーヒーをもらい、食事を終えました。
足りなければ、ドリンクも料理も追加でサイドメニューから頼めます。
別料金となりますが。
写真を撮り忘れアップできませんでしたが、ココナッツカレースープが絶品でした♪
後日、我が家でも作ってみました。
同じ味とはいきませませんが、それなりに美味しくできました♪
どれも美味しくてとても満足しました。

帰国便はないのでハワイへ行きっぱなしですが、
2時間後には無事に池袋に降り立っていました(笑)

想像していたよりものすごく楽しめました。
5,980円はお値打ちです。
次回はどの国へファーストクラスで旅行しようかと思案中です。

本物と比較出来なのが残念ですけど。

FIRST AIRLINES 公式 HP → http://firstairlines.jp/index.html

[fu~ma]

小粋な調べ

存在を知ってから興味を持つまでに、私は30年もかかってしまいましたが、
御詠歌というものがございます。

かつて、西国三十三所霊場について書いたことがあったと思いますが、
これは、平安時代から伝わっている日本最古の巡礼コースで、
現在の2府5県にまたがっている総延長は1000kmにおよびます。
古くから、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、
この世で犯したすべての罪業が消滅すると言われているため、
多くの人がその功徳を願って巡礼をしてきたと伝えられていますが、
現代の私たちからすると、総延長1000kmを歩くなんて、正気の沙汰ではありません。

さて、この巡礼には御詠歌というものがあるのです。
基本的に、“歌詞”の内容は、祀られている観世音菩薩を讃えるものですから、
キリスト教でいうところの賛美歌みたいなものでしょう。
たとえば、教会での葬儀に参列すると歌われる賛美歌320番。
映画『タイタニック』で船が沈む時、最後に楽団が演奏したアレです。


左 アカペラ https://www.youtube.com/watch?v=94XDAo7T1FU
右 映画『タイタニック』 https://www.youtube.com/watch?v=1_3ndgpggoM


タイタニック沈没の際、状況的に、もはや死は避けられぬと見た乗客たちですが、
宗教的な法悦に意識を向けることで、死の恐怖を抑えようとしたのでしょう、
沈没に際し、ヴァイオリンを弾いた者がいたかは分かりませんが、
自然発生的にこの賛美歌320番が歌われたことは史実だそうです。
そういう生死を分ける場面と同列に論じていいのかどうかは不明ですが、
総延長1000kmの西国巡礼も、かつては徒歩で巡っていたわけで、
決死の覚悟で歩き続け、ようやく札所に到着し、
自らが犯したすべての罪業が消滅するようにと薄暗いお堂で一心に祈る時、
おそらく、ある種の宗教的法悦の境地に至る、
そういう効果があったのではないかと感じています。

ところで、面白いのは、この御詠歌、西国巡礼の33寺、すべてで異なる点。
キリスト教でいうと、教会ごとに讃美歌が違う状態です。
寺ごとの“指定曲”って、各駅の発車メロディーみたいなものでしょうか。

曲といっても、平安時代発祥ですからポップなものではなく、
鉦の音に合わせて短歌のようなものにフシをつけて詠う感じです。
たとえば、みなさんよくご存知の、京都・清水寺。
ここは、西国巡礼の第十六番札所なので、御詠歌があります。

https://www.youtube.com/watch?v=PMFTC1LVNSk

どうですか、不思議でしょう。
何キロも歩き続け、ようやく着いたお寺の、薄暗いお堂で一心に祈る巡礼者。
揺れる灯明の中、どこからかこんな曲が聞こえてきたり、または自ら口ずさめば、
宗教的にハイになること請け合いです。

ところで、私は、実は、御詠歌の節回しにはそんなに興味がありません。
私が興味を持っているのは、“歌詞”。
清水寺の場合は、
松風の 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん
・・・・・・どうです、微妙でしょう。
御詠歌は、短歌と同じ基本字数でありながら、
季語を入れたり韻を踏んだりといった芸術性は、ほとんどありません。
というのも、御詠歌は貴族の遊びなどではなく、
巡礼する庶民に仏の功徳を知らしめるために作られたからです。

いくつかご紹介しましょう。

第八番札所・長谷寺。
奈良の奥のほうにある、西国巡礼のほぼ発祥のお寺で、
像高10mもある十一面観音がご本尊です。
御詠歌は、
いくたびも 参る心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」。
何度お参りしても初めて訪れたような気がする長谷寺。
その観音様の慈悲は、谷川のようにとても深いものです・・・という歌で、
要するにご本尊賛歌的な意味合いを持つ御詠歌です。
“はつせ寺”というのは“初瀬寺”と書いて“長谷寺”の古称で、
“初めて”というのと“初瀬寺”というのが掛けてあったり、
“山も誓いも深い”と、大喜利のような表現があったりと、
けっこう遊びも盛り込まれていて、楽しい御詠歌です。

第十番札所・三室戸寺。
宇治にあるこの寺は、『源氏物語』の宇治十帖ゆかりの寺です。
御詠歌は、
夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」。
夜どおし、月を見ようと三室戸に向かって分け入り、
宇治川にさしかかると、その川瀬に白波が立っていました・・・という歌です。
さきほどの長谷寺の御詠歌は仏の慈悲深さを伝える感じでしたが、
ここ三室戸寺の御詠歌は、なんか、静謐な水墨画のような情景が目に浮かびますよね。
また、月を“見ようと”に“三室戸”を掛けてあるところに、文学的なオシャレを感じます。
ちなみに、節回しは風雅で高貴な感じで、他寺にはない雰囲気です。

第十八番札所・六角堂。
本当は、華道家元・池坊が住職を務める頂法寺というお寺なのですが、
本堂が六角形なので、通称・六角堂と呼ばれて親しまれています。
御詠歌は、
わが思ふ 心のうちは 六つの角 ただ円かれと 祈るなりけり
私の心のなかには6つの鋭い欲があるのを感じます。
その角ができるだけ丸いものであってほしいと祈るばかりです・・・というこの歌、
6つの鋭い欲というのは、
仏教で説かれている、六根(眼・鼻・耳・舌・身・意)から生じる欲のことです。
いわゆる「お説教」という感じもあって、
長谷寺の観音賛歌とも、三室戸寺の情景の美しさとも、
だいぶ雰囲気が異なる御詠歌になっていますね。

まぁ、再生する人はいないかもしれませんが、いちおう。


長谷寺 https://www.youtube.com/watch?v=YNXhLNu1HnE
三室戸寺 https://www.youtube.com/watch?v=924jFRk2V6U
六角堂 https://www.youtube.com/watch?v=NWgVTEhAwIQ


御詠歌、個性的で面白くないですか。
かくいう私も、存在を知ってから興味を持つまでに30年もかかりましたので、
ご紹介したところでなかなか関心を持ってもらえるものではないと承知はしていますが、
だまされたと思って聞き比べてみるのも面白いかもしれません。
ただ、最近は札所でも、あんまり御詠歌を歌っている方は見かけません。
せいぜい般若心経とご真言(ご本尊ごとの呪文のようなもの)を唱える程度で、
少し寂しい感じもします。

ちなみに、私の感覚では、
第四番札所・施福寺とか第十一番札所・上醍醐寺とか、
山門から1時間ほど山道を登らねば札所に到着しない寺もあって、
そういうお寺では、着いただけで息が上がっていて、
歌なんか歌えるかっ!という気分にもなりますが、
昔の人は平気だったんでしょうか。

[SE;KICHI]

苦悩を突き抜けて歓喜へ!

「ルートヴィヒ・ヴァン・べートーヴェン」

おそらくこの人の名を知らない人はいないでしょう。
音楽界にして楽聖と呼ばれ、バッハとともに史上極めて重要な音楽家です。
古典派音楽からロマン派音楽の時代に活躍し、
その分野の世界に留まらず、
芸術の分野全体においても多大な影響を残しました。
彼は特に交響曲第9番の二短調(合唱付き)という作品で世に知られていますね。

ベートーヴェン肖像
http://ja.cantorion.org/composers/117/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3

今年も年末が近づいてきました。

富山では北日本新聞社の主催で、
年末に約500名超えでその第九を合唱するイベントを毎年開催していますが、
実は私、かつて第九の合唱に出たことがあります。
そこらの少人数のものではなく、500名超です。
毎年大阪城ホールで行われる1万人の第九ほどではないですが、
この人数です。
やはり普通の合唱とは次元が違います。

第九交響曲 歓喜の夕べ2014

週2回、富山市市民芸術創造センターで、男女に分かれて2時間みっちり練習しました。
アレグロアッサイ、メゾフォルテ、フォルテシモ・・・
合唱だけの4楽章だけでも20分を超えますが、有名な冒頭部、
マーチ調の男声混成部、ソリストたちとの掛け合い、
そしてラストフィナーレの感動的なクライマックスに、
合唱の素晴らしさを感じたのです。
当日はプロのソリストの方々もこられて、感動の本番となりました。

15年連続で出演しておられる一般の方など、
それぞれ仕事をしながらも、練習に真剣に取り組んでいました。
自分も全ての練習に出ようと時間を作り、
例え別用があっても5分でも出た気がします。。
そのおかげかなんと皆勤賞で、
かの楽聖の現存する生家で作っているワインをもらいました。
全てを含めて、なかなかできない、本当に素晴らしい経験をさせて頂きました。

ワイン

ところでこの交響曲には、ドイツのシラーという大詩人が書いた詩がつけられています。

略して説明すると、もともとフランス革命時、
詩が最初に作られ、ある時それを目にしたヴェートーベンが、
この詩に感動し、これを基に作曲したものであります。

大変メッセージ性の強いものです。

この詩は、キリスト教などの特定の神への崇拝概念とは違い、
もっと普遍的な、
創造主、自然への感謝などがの意味が込められているものです。
創造主や神とよく出てくるので、
宗教的と言われたりもしますが、決してそうでもないのです。
(当方精通しているわけではないので、詳細はお調べいただければと思います。)

話は変わりますが、自分は映画や歌などを見る時、
どうしてもそれが何かの抽象作品であり、
何か意味があるのではないかと、哲学的見方を必ずしてしまいます。
これには何かの意味が込められているんだ、
何のメッセージがあるのか?など。(あくまで個人的ですが。)

そしてそれは歌にも強いメッセージがあるはずと考えます。

以前も書きましたが、昔の歌に名曲が多いと感じるのは、
意味の深い、強いメッセージがあるからだと思います。
愛だの恋だの、最近のリズムやノリだけの、
イタズラに刺激と快楽を求めた、軽薄な音楽は、
その瞬間のノリは満たせても、後になって心には響かないし、
残らないと感じてしまうのです。

名曲とは単に歌いやすい、歌い継がれてきたという物理的な一面だけではなく、
作り手側の思い、その心、思想哲学なりがあり、
それに音楽がついて来たと言っても過言ではないかと思っています。

「歌の心を知れ!
どんなに素晴らしい歌もその心が分からなければ、
その歌を知ったことにはならない、歌ったことにはならない。」
と、ある先哲の言葉です。

またある大詩人は、
「音楽には国境が存在しない。
音楽は誰人も欲して止まぬ文化の華であり、芸術であり、
しかも世界共通の語(ことば)であるからである。
何処の国も何処の民族も、民衆が活き活きと立ち上がって行くときには、
その根底に必ず偉大な思想哲学があった。
そしてその偉大な哲学の実践は、とうとうと流れる大河の如く、
民衆の息吹となり、躍動となって、必ず偉大なる音楽と現れ、
その民族の大いなる前進のエネルギーとなってきたのである。」
と。

振り返ってみれば、歴史の中の数多の革命や変動期などにおいても、
この点は確かに歴然としていることがあります。

時代を変え、大きく転換させてきた音楽。
このことを考えるに、音楽界、芸術界等、
多くの人々に衝撃と感動を今なお与え続けるこの第九。

「あらゆる芸術は人に喜悦を与えるためのものである。
しかも、人間を幸福ならしめることこそ、
最高のそして最も厳粛な仕事なのである。」
まさにこのシラーの思想哲学と、音楽芸術とが融合して昇華した、
これこそが第九だと思います。

そしてこうやって現在も、後世に生きる我々に、
力強い希望と勇気を与えてくれている。

それは彼自身、全聾の苦悩に打ち勝ち、乗り越え、
それを更なるエネルギーとして突き抜けた勝利者であったから、
言えることだと思います。

楽聖、ヴェートーベンはこのようなメッセージを残してくれました。
「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」
この交響詩最大のテーマです。

私は会社に入る前、大学進学で滑って様々アルバイトを経験しました。
決して楽しいだけではなく、目標や人生に悩み苦しんだことも多いですが、
知り合いの方から誘われて参加したこの第九に、
「諦めれば労苦は後悔になるが、諦めず貫いて戦い、
最後に勝てば、一切の労苦は皆宝になる。」と教えてもらったと思います。
どのような苦しみも悩みも突き抜けて、最後は歓喜!!
今の悩みも全て小さく見えたし、
自らにとって、また悩める友にとって財産になるのだと思うと、
素敵なことだなと思いませんか!!

怒涛の荒波の如き、現代社会を生き抜く我々にとって、
人生をより価値的に、そして幸せに生きる為の、
とても大切な要諦のひとつであると思います。

第九を歌いつつ、心に勇気を奮い起こし、またひとつ決意を新たに出発する毎日を。

[K.K]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
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私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

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