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橋観音

仏像が信仰の対象なのか単なる美術品なのかということは、
意外と奥が深い問題です。
私自身の考えを申せば、
仏像は、物体としては木や石の塊にすぎないかもしれませんが、
人々に永く拝まれてきたという歴史が染み込んでおり、
それゆえに、美術品などではなく、信仰の対象であると考えます。
実際、ただの木や石としてはありえないほど、
仏像は、誰かによって大切に大切に守られ、
人々の生活の支えになってきたと思いますし、
現代でもそういう需要はあると思っています。

ただ、かといって、
もちろん、美術的な価値を否定するつもりはありません。
各時代における特徴的な造像技術には美術史的な意味があり、
そこに眼を奪われるのは確かですし、
文化財保護の観点からも、美術的な線引きがあったりします。

しかし、それにしたって、
仏像のデザインは作者のヒーロー観などが反映されるわけですし、
開眼後は、守る人々のセンスによって守られていくものです。

さて、そこで。
これ、なんだと思いますか。

入口の地蔵

いや、見てのとおり、お地蔵さんです。
それはそうなのですが、何か、違和感、ありませんでしょうか。
そうです、お地蔵さんにしては、なんだか異常にカラフルなのです。

この、お顔やお身体を描かれ、彩色を施されたお地蔵さんは、
京都周辺と青森に多く存在する、
化粧地蔵と呼ばれるものです。

さすがに、初めて化粧地蔵を知ったときは私もギョッとしたものですが、
その後、富山にも縁のある池田彌三郎という国文学者が、
わざわざ化粧地蔵を集めた写真集まで出していることを知り、
急速に親近感を深めていったものでした。

たとえば、
京阪電車の終着駅、比叡山へ行くときに乗り換える出町柳駅近くの地蔵は、
毎年8月に行われる地蔵盆という行事で、
地域の子供たちによって、顔が描き変えられていくのが習わしになっていました。
この風習なんて、他の地域の人から見れば、
「大事なお地蔵さんを塗るなんて!」と、不謹慎極まりないことのように見えますが、
そのお地蔵さんを守ってきた地元の人々にとっては大真面目で、
塗ることこそが信仰の証拠とも言えるわけです。

ただ、習わしになっていました……と過去形にしたのは、
全国によくある子供神輿や獅子舞なんかと同じで、
少子化による担い手不足が深刻のようです。
結果、ここ数年はいつ祠を覗いても同じ顔のままになっているお地蔵さんや、
あろうことか、もう描き変えなくていいようにと、
大人の手によって、べっとりとペンキで描かれてしまったお地蔵さんなど、
少子化による文化継承の難しさはここにも。

私は、毎年、お地蔵さんにお化粧してあげるっていうのは、
とても微笑ましくてよいと思うのです。
おそらく、我が子(たぶん娘)に化粧を施したり、
節句に合わせて着物を着せたりするのと近い感覚で、
石の塊であるお地蔵さんを擬人化し、身近なものとして見ているということでしょう。
文化庁から文化財として指定され、頑健な収蔵庫に入れられている仏像も、
信仰を表現する匠の技術を伝えるという価値はありますが、
辻に立って、折々に塗られたり着せ替えられたりするお地蔵さんと、
どちらが幸せかしらと考えたら、たぶん路傍のお地蔵さんでしょうね。

さて。
冒頭の化粧地蔵は、富山市郊外の集落にいらっしゃったものです。
このお地蔵さんは、2間ほどのコンクリート製の基礎の上に建っている、
よくあるお堂にしては、なかなか立派なお堂の外、
お堂の前、向かって左側に立っています。

橋観音堂全景

軒下とはいえ外ですから、たぶん、これでも色あせたほうでしょう。
塗りたての頃は、もっとビビッドな色だったに違いありません。

ところで、このお地蔵さん、
せっかくお堂があるのに、外に立たされています。
中にはどなたがいらっしゃるのでしょうか。
実は、このお堂の扉は施錠されておらず、
拝観者による開閉自由となっていますので、開けてみましょう。

扉オープン!

ジャジャーン!
そこにいらっしゃったのは、極彩色に彩られた千手観音でした。
いや、これは、相当珍しいものです。
ジャンルとしての「化粧地蔵」というのはそれなりにありますが、
「化粧観音」なんて、聞いたことがありません。
試しに「化粧観音」で検索しても、
「観音温泉の化粧水」とか、「観音像の化粧箱入り」とか、
そういうのばかりで、「化粧観音」という仏像のジャンルは、ありません。
なんと珍しいものが富山市の路傍に……と、興奮してしまいますねっ!
しかも、蓮の台座を支える、龍を被った天女みたいな人は誰なんでしょうか。
私は国内でこのような造形を見たことがなく、
もはや、そのオリジナリティーに感動すら覚えますが、
これが、この地区の方々の信仰の証なのでしょう。

お堂の扉を開いたまま、少し下がってみれば、こんな感じ。

橋観音

先ほど、国内では見たことがないと書きましたが、
この感じはまさに韓国のお寺のようです。
あちらは、手すりとか門扉も色あせれば塗り直すんだから、
仏像もそうするべきだという考えが一般的で、
日本とは全く異なる文化が醸成されているのですが、
富山のこんな田舎で、そういう文化が見られるなんて、
文化とは実に奥深いものです。

[SE;KICHI]
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担い手

私の家は兼業農家です。
前にも書きましたが、
お休みの日に手伝っている中学校の部活動も自粛中の今。
嫌々やっていた農作業も、必要とされ作業することは、
それなりにやりがいをもって行っていますが、
それでも疲れる事には変わりありません。

地区の農家が集まり組合を作って農作業をしています。
営農組合です。
組合になって10数年になります。
所有面積も地区では多いほうだったので、
立ち上げ当初から執行部の仕事も手伝ってきましたが、
ふと考えると全くメンツが変わっていません。
約40軒の集団ですが、
父親が実質引退して息子が出てきている家が2軒しかありません。

かなりヤバイ感じです。

ここからは本音と建前の話になりますが、
私もそうですが、好きでやっている訳ではありませんでしたから、
当然息子に継がせたいという思いはありません。
田圃をもっているから仕方なしです。
そんな思いは周りにも一緒の方は多く、
親子2代で出ているのも1軒だけです。

その親子で出ている父親は副組合長ですが、
飲み会の時にちょっとした口論になりました。
先にも書いたようにメンバーも変わっていないので、
可能な限り若い子を巻き込んでいって、
少しでも機械に乗ってもらえるようにした方が良いと…(建前ですね) 
副組合長からは今までやってこなかった人を乗せると機械を壊してしまう、
修理代ばかりかかってしまうと…

確かにそうであろうと思います。
今でもキャタピラを外したとかぶつけているとか言っているのに、
悪化するでしょう(汗)

でもね、特に作業時期・時間が限られているコンバイン(稲刈りの機械)
今現在扱える人の平均年齢は60歳を超えていますよ…
このままだと10年持ちませんよ。
お宅だけです、親子で作業できているのは。
親の気持ちを考え、息子を引き入れていく面倒な事は後回しにして、
後はお前たちで上手くやれと言われても結果は見えています。
担い手不足は儲からない仕事ではよくある話だとは思いますが、
少しでも早く対策をしていかないと立ち行かなくなります。

そんな話をした私に、
大麦の刈り取りに出てくれと出役依頼が(汗)
練習してくれと。
コンバインは正直乗りたくなかった。
機械の後ろもよく見えないし、舞っているホコリでチクチクするし、
稲刈りだと刈り取り日程も決まってきて融通がきかないので、
休まなくてはいけなかったりするので避けてきましたし、
声もかからなかったので…

でも、言った手前もあるし、困っていると言われてしまい、仕方なく出ることに。
思っていた以上に大変でした。
稲刈りとなると地面も柔らかくなるのでもっと大変なのは想像できます。
無責任な言い方をすれば、
俺でなくてもいい様に、もっと担い手が増えてくれる事を願うばかりです。

やっぱり本音は農作業は嫌なんだなと再認識です。

[WAKA]

オイシックス

飲食店支援を目的としたテイクアウトが大流行で、
このところ、食べるのはテイクアウトばかりになって食傷気味ですが、
このブームで過去最高収益を上げたりと、
ふつうに店を開けるよりも儲かっているという店もあるようです。
その一方で、子供が学校に行けずにずっと家にいる影響で、
「ママと一緒にお家で料理を作ろう」ということで、
食材等もよく売れているようで、結構なことです。
私の自宅では、翌朝に食べるパンを前日の夜に焼くのですが、
そのときに使う「春よ恋」という銘柄の強力粉が入手できなくなり、
パンが作れず、朝食にごはんを食べざるを得ない日がやってきました。
これは、私にとっては、そこそこ重大ながっかり案件です。

さて、ところで。
先日、ヨガ教室でたびたび一緒になるお婆ちゃんが持っていたタオルに、
“Oisix”のロゴが入っているのを発見しました。
わが家もお世話になることもある、“Oisix”は、
食材キットのデリバリーをしてくれる会社ですが、
そういうのに興味なさそうなお婆ちゃんが、
そういうタオルを持っていたということに驚いたものです。

たとえば、夕食の買い物に、スーパーに行ったとしましょう。
「今日はキンピラゴボウが食べたい」と思ったとして、
みなさんだったらどうするでしょうか。

たぶん、まず最初に考えるのは、
野菜売場でゴボウを買って、自分の家のキッチンで作るという方法でしょう。
当然、それは100点の回答です。
しかし、それがめんどくさい……というと語弊があるかもしれませんが、
ゴボウを切ることを面倒だと感じる日もあるでしょう。
そもそも、格家族化が進んだ昨今では、
ゴボウを1本買ってキンピラゴボウを作ったのでは、
大量のキンピラゴボウを延々と食べ続けるという事態に陥ってしまいます。
それでなくても、体調がすぐれないとか、時間がないなどの理由で、
ゴボウからキンピラゴボウを作っている場合ではないという場合、
お惣菜売場へ行って、完成品のキンピラゴボウを買うという手もあるでしょう。

しかし、夕食にキンピラゴボウを食べたいとなった時に考えられる選択肢は、
イチから作るか買うかの2つだけではないはずです。
もう一つ、野菜売り場の端、
豆腐売場との境目ぐらいの場所にあるカット野菜売り場。
そこに行けば、ゴボウどころか、ニンジンなども合わせて千切りになった、
“キンピラゴボウキット”が売られています。
それさえ買えば、自宅では加熱と味つけのみを行うというパターンだって、
私たちには用意されているわけです。

カット野菜の売り場に展開されているのは、
キンピラゴボウだけではありまでん。
煮ればいいだけの筑前煮キット、
ピーマンとタケノコの千切りが入った青椒肉絲キットなど、
実に様々なキットが売られています。
どれも、具材は既にカットされていて、
自宅では加熱と味つけのみを行うスタイルです。

この手の食材キットは、もともと、ニーズに合わせて開発されたのだと思うのです。
“Oisix”が市民権を得たのも、加熱と味つけさえすればよいという手軽さですよね。
だとすれば、みんな、加熱と味つけは苦じゃない一方で、
食材のカットは鬱陶しいと感じるものなのでしょう。
はっきり言って、自分がするのは加熱と味つけだけということであれば、
もはや、出来合いのキンピラを買うのでいいではないかと思うのですが、
カット野菜を購入して、わざわざ自分で完成させるという行為の陰には、
いったい何があるのでしょうか。

私の予想では、それは罪悪感

このところのテイクアウトブームが盛況であるように、
おそらく、本当は、出来合いのキンピラゴボウを買ってしまうのがラクでしょう。
しかし、妻として母として、私はそんなことでいいのかという罪悪感。
自分で味付けした手作りキンピラゴボウを家族に食べさせてこそ、
妻として母として、愛情深いと言えるのではないのか、と自分を責め、
出来合いの購入に、そこはかとない罪悪感が働くのではないでしょうか。
しかし、そうは言っても、実際問題、
ゴボウを買ってゼロから作るのは大変だし、余るし、
生のゴボウを1本買うのには勇気がいります。

たぶん、毎日のようにこういう逡巡があるのでしょうが、
“キンピラゴボウキット”には、この逡巡を終了させる効果があるのです。
「手作りの料理を食べさせてあげたい」という家族への愛と、
「面倒だし、余るし」という現実問題との板挟みに苦しむ人を救うのが、
これら、様々な素材キットということができるのでしょう。
“Oisix”は、それを家まで届けるというサービスですし、
お婆ちゃんまでそのロゴ入りタオルを持っていたのですから、
そりゃ人気が出るのも頷けます。

ありとあらゆるお惣菜が売られている今。
出来合いを買ってしまえば、何の手間もかからず、
もしかしたら、手作りよりも安価で、安定した味のものが食べられます。
そうなると、私が手作りする必要が果たしてあるのかしらと、
料理を作る人の悩みは尽きません。

しかし、最近では、冒頭に紹介した親子クッキングに好都合ということで、
このような簡易セットは人気商品なのだそうです。
今後はどうなっていくのでしょうか。

[SE;KICHI]

宗良親王の痕跡

恒性皇子について、つい先日、書いたような気がするなと思っていたら、
それからもう1年以上が経っていたようで、びっくりしました。

恒性皇子は後醍醐天皇の皇子でしたが、
その異母弟にあたるのが宗良親王です。
宗良親王の母は歌道の二条家の出身で、親王も幼い頃より和歌に親しみ、
早くに出家して20歳で天台座主(天台宗僧侶の最高位)になりました。
しかし、元弘の変(後醍醐天皇による討幕運動)で讃岐へ流され、
建武中興で許されて再び天台座主に就いたものの、
南北朝の争乱の激化に伴って還俗(げんぞく;僧侶をやめること)し、
宗良を名乗って南朝方の武将として活躍したという、
なかなか波乱万丈の人です。
私は、実は南北朝時代にはそれほど詳しくはないのですが、
和歌については少し関心があるので、
准勅撰の『新葉和歌集』や私家集である『李花集』の撰者として、
この人物には注目しています。

さて、富山県高岡市に「樸館塚(ぼっかんづか)」というのがあります。
コロナコロナで人と群れるのはご法度のようですが、
こんな塚には誰も集まりませんので、散歩にはもってこいです。

樸館塚

樸館塚は、いつも派手なブラジャーが干してある民家の脇の、
それゆえに通るのがはばかられるような小さな道を入ったその奥の、
知らないと着かないような空き地にあります。
この場所が、南北朝の騒乱で敗戦した宗良親王の、越中(富山)での屋敷跡だと言われ、
当時は樸(切り出したままの木)の丸柱を使った粗末な屋敷だったので、
「黒木のお館」と呼ばれていたそうです。

ただ、この樸館塚、
親王の居場所を厳しく詮索する動きから証拠を隠すために館を埋め、
塚としたと伝えられていますが、
私は、それはどうかなぁと、少し疑っています。
というのも、当時は木材が貴重だったために、
古い建物はたいがい古い建物部材を使用しているのが普通です。
「黒木のお館」というのは天皇などが島流しになった時の粗末な屋敷のことで、
皇子ごときにわざわざ粗末な小屋を建てて宿舎とするのは不自然というもの。
それよりも、当時の越中には後醍醐天皇の荘園があったので、
その域内の城か神社か寺院などを宿舎としたと考えるほうが自然ですよね。

まぁ、とはいえ、
室町幕府の数年間、富山県射水市に幕府が置かれ、
第10代将軍である足利義材がこの地で政務を執ったことは、
まぁ、富山では有名な話だと思うのですが、
この宗良親王の屋敷跡がある樸館塚は、
高岡市とはいいながら、越中幕府の置かれた射水市に相当近く、
時期は少しずれるのですが、
何か縁があってのことかと、ロマンを掻き立てられます。

この樸館塚から3分ほど行ったところに、長福寺という寺があります。
親王がこの地を訪れて最初に宿を取った寺だそうですが、
そこに宗良親王の歌碑が遺されています。

宗良親王歌碑

しかし、この歌碑に書かれている、
「思ひきやいかに越路の牧野なる 草のいほりに宿からんとは」
という御歌は、射水通覧などの後世の書籍には記録されていますが、
『新葉和歌集』にも『李花集』にも集載されていません。
どういうことなのでしょうか。
この御歌は宗良親王の作ではないのかもしれません。

さらに、そこから1kmほど北側に移動すれば、
右側に神璽社跡を示す石碑が出てきます。
宗良親王が雪見岡という高台から見る立山の雪をこのうえなく愛でられ、
親王が詠んだ、
「故さとの人に見せはやたち山の 千とせふるてふ雪のあけほの」を追慕し、
雪見岡に潜匿の地を示す石碑を建てたものです。
石碑は樸館塚と同じくらいの寸法で、
正面に「後醍醐天皇第五皇子中務卿征東大将軍宗良親王潜匿之地」と刻まれ、
左右の面にはこの地で詠まれた4首の歌が刻まれています。

神殿跡地

この地は、先ほど、越中幕府の置かれた地にかなり近いと書きましたが、
実際に来てみると、何の変哲もない農村集落です。
しかし、こうやって歩いてみれば、親王の歌が遺されていて、
単なる農村ではないことが分かります。
ギャップ萌えというか、
この地にも、歴史のなかの、ほんの一瞬の輝きがあったのだと思って、
そこにロマンを感じるのです。

ところで、冒頭に触れた親王の私家集『李花集』には、
越中での歌として
「都にや同じ空ともながむらん 我はゆくへも浪の上の月」
自分は行方も知れぬ波の上に漂う月のようだとか、
「よしさらばかくて有磯の浪に寄る 浦の藻屑と身をやなさまし」
波に打ち寄せられる浦の藻屑となって果ててしまうのかとか、
将来を悲観する暗い歌が多く収められていて、実際、気が滅入ります。
正直、おそらくそういう気分だったのでしょう。
宗良親王の人生は、生涯の大半を戦いに費やした人生でした。
それはもちろん、父である後醍醐天皇の命令によるのですが、
一度は仏門に入りながら、還俗までして戦いに明け暮れる人生、
どのような気持ちだったのでしょうか。

[SE;KICHI]

神聖な体験Ⅱ

他の人が書いた記事の続編を勝手に書くのもどうかと思うのですが、
素晴らしいタイトルだったもので、ついつい便乗します。

先日、上司が突然、「宿坊に泊まりたいんだよね」と言いました。

宿坊というのは、まぁ、泊まれるようになっているお寺のことです。
だいたい民宿みたいなところを想像すればよいと思うのですが、
民宿と少し違うのは、食事が精進料理であることと、
朝の6時くらいから“勤行”という、お経を唱えてお祈りする時間があることです。

金剛三昧院金剛三昧院 境内
宿坊の部屋朝食

私が泊まったのは高野山の宿坊。
もちろん、そもそもラグジュアリーな施設ではないので、
そういうのをお望みの方には少しも向いていませんが、
ロケーションの清々しさは相当なものです。
特に、朝早くに起き、身なりを整えたうえで、
決められた時刻に本堂に着座していなくてはいけないことも、
義務ではなく、自然と「そうするものだ」と思えるような、
精妙な磁場というか、凛とした空気感が漂う朝でした。

それにしても、早朝の勤行に、若い女性が単独で参加しているのを見ました。
大原・三千院ではありませんが、お一人でどうしたのだろうと思いましたが、
その女性は声を出して読経に参加し、うんうんと頷きながら住職の法話を聞き、
最後には持参した写経を奉納して退席するなど、
尋常ではない熱心さで勤行に参加されていて、
かねがね祈る姿を美しいと思う私をうっとりさせたのでした。

さて、高野山を散歩していると、金剛峯寺の少し下に大きな研修施設を見つけました。
そこに出ていた看板には「授戒できる」と書かれています。
意味はよく分かりませんでしたが、時計を見ると、ただいま9時50分頃。
次の回の「授戒」は10時と書かれていますので、滑り込むことにしました。

受付を済ませると、ホールのようなところで待たされます。
ホールには他の参加者の方が集まっており、
その日のその回は5グループほど、20人くらいが集まっていました。

お坊さんが現れ、濡れ縁を通って授戒堂へ案内していただきます。
授戒堂の入り口には塗香があり、それを手に擦りこんで浄めます。
お堂の中はロウソクが10本ほど燃えているのみで薄暗い状態ですが、
開け放たれた戸口から外光が入るので、そんなに暗くはありません。
全員が畳に敷かれた緋毛氈に座ったところで、お坊さんから、
「儀式が終わるまでいかなることがあっても退室できません」と、
改めて言われると緊張感漂う、厳しい一言が発せられました。
実際、急に怖くなって、そのまま退出されたご婦人も。

お坊さんが戸を閉めます。
外光の供給がなくなり、ロウソクのみになって、ほぼ完全に真っ暗。
怖い……ような気もしますが、
静寂のなかで妖艶にゆらめくロウロクの炎を眺めていると、
なんだか異世界に迷い込んだような不思議な気分になってきます。
そのうち、暗闇の中、左手奥の襖が開いて、
お坊さんの御鈴に導かれて阿闍梨さまが入堂され、中央の壇座に座られました。
……いや、まぁ、真っ暗闇なので、シルエットすらはっきりとは見えず、
なので、座られたのだろうなって察するだけなのですが。

授戒の儀式が始まります。
一同で「南無大師遍照金剛」の御宝号を繰り返し唱えます。
なにしろ真っ暗闇で、目からの情報が遮断されていますので、
声を合わせて唱える倍音の響きが、唱える自分の聴覚を支配し、
幻想的で、なんというか、トランス状態。

その後、名前を呼ばれ、暗闇のなか、ビビりながら数段の階段をのぼって、
阿闍梨さまの正面に座ることになります。
シルエットだけの阿闍梨さまは、
私の目の前でお札のようなものを手に取り、
なにやら手刀を切ったり儀式的なことをして私に渡してくださいます。
恭しく受け取り、再び、暗闇のなか、
ビビりながら階段を降り、元の位置に戻った私。
書くとたいしたことはありませんが、暗闇というのはそれだけで神秘的で、
なにか、たいそうなものを授かったような気になります。

それから、暗闇のまま、シルエットだけの阿闍梨さまの法話を聞いたり、
阿闍梨さまに続いてお経を復唱したりして、儀式は終わり。
暗闇のなか、阿闍梨さまはお坊さんの御鈴に導かれて退出されました。
シルエットだけで、ついに阿闍梨さまの尊顔は分からず、
街ですれ違っても挨拶ひとつできない関係性です。

全部が終わって、お坊さんがお堂の戸を開け、光が入ってきたとき、
妙なことに「生き返った」感覚になりました。
そして、手元に残ったお札のようなもの。
渡されたときは暗くて何が渡されたのか分かりませんでしたが、
それが、コレ、『菩薩戒牒』

菩薩戒牒

恐れ多い気がして私は開きませんでしたが、
うまいこと折り畳まれた紙に、
「菩薩十善戒」と呼ばれる十箇条が書かれているのだそうです。

   不殺生 - 生きとし生けるものを殺さない
   不偸盗 - 盗んではいけない
   不邪淫 - 倫理を失った関係を持ってはいけない
   不妄語 - 嘘をついてはいけない
   不綺語 - お世辞など、無益なことを言わない
   不悪口 - 相手を不快にさせる言葉を使わない
   不両舌 - 二枚舌を使わない
   不慳貪 - むさぼらない
   不瞋恚 - 怒らない
   不邪見 - 悪意のあるものの見方をしない

まぁ、あたりまえのことです。
あたりまえのことだからといって、できているとは限りませんけど…

これを授かるために経験した暗闇でのトランス状態。
一種の演出とはいえ、ただ偉そうな人から諭されたのとは違う、
妙なありがたみを感じた授戒体験、
これは“神聖な体験”と言ってよいでしょう。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
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■富山本社/〒930-0821
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■新潟営業所/
〒950-1142
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FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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