和のおもてなし

先日ある集まりがあり、私はそこへ来られるゲストをもてなす役目を頂きました。
一緒にもてなすメンバーに茶道具屋さんや着物屋さんがおられましたので、
どうせならゲストの方々を着物を着てお茶でおもてなししようということになり、
私は生まれて初めて着物を着る機会を得ました。

前から一度着てみたかったので、すごく着るのが楽しみで気分が上がりました。
当日になり、着付けをしてもらい鏡を見ると、我ながらなかなかの男前で、
まわりの皆さんにも良く似合っていると言われ、
すっかり舞い上がった私はその気になって自然と背筋が伸びました。

和のおもてなし

そしてゲストが来られる前に、お茶の作法の手ほどきを受けました。
お菓子を出す時の向きであったり、お茶碗の柄ごとの向きなど、
ひと通りの事を短時間で教わりました。
初めてのことでしたので、とても新鮮で面白かったです。
ただし、お茶碗が何と、
どれも一個十万円を下らないから気を付けるようにと茶道具屋さんから言われ、
さすがに肝を冷やしました。

それを聞いてからは、実際お茶の持ち運びをする時は作法よりも茶碗が気になり、
人の後ろを通る時には、後ろを通りますとしっかり声をかけて、
ぶつからないように慎重に運びました。

そうこうしながら無事に終わり、ゲストの方々皆さんにとても喜んで頂き、
素晴らしいおもてなしをありがとうとまで言って頂きましたし、私も十分に楽しみました。

実際にやってみた感想は、
お茶は作法や道具からして、
なんて優雅で贅沢な遊びなんだろうと思いました。
私はほんのさわり程度の体験でしたが、
戦国の武将たちがあの時代だからこそ、
深くお茶を楽しみ重んじたのではないかと何となく感じることができました。

着物を着ている時間は4時間程でしたが、
着慣れないものですからずいぶん疲れました。
着物屋さんからは、すごく似合うし、
大人の男のたしなみとして一着ぐらい着物を持つように言われましたが、
今のところ次に着る機会がないので、あやふやな返事をしておきました。
どうせ買うなら自分で着れるようにしたいし、
お茶を始めるなど着物を着る機会を作りたいですからね。
そうなると一着では物足りなくなるような気もしますし、
道具も一式揃えることになるんですかねえ。
うーん、やっぱり贅沢ですね。

[M M]
スポンサーサイト

“おもてなし”のジレンマ

少し前、ちょっとそそのかされて講習やら試験やらを受け、
“おもてなしエキスパート”という称号をいただく機会がありました。
その試験は運転免許の学科試験くらい簡単なのですが、
試験とは別に、改めて“おもてなし”について考えてみると、
意外と奥が深いというか、ジレンマを抱えているような気がします。

これまた少し前、さりげなく台湾に行ってきたのですが、
現地でランチを食べようと寄った屋台みたいな横丁でのこと。
そこのレストランでは、ランチのセットということで、
A~C の3つから好きなメイン料理を選べるようになっていて、
私は、A の菜脯蛋(切干し大根入り卵焼き)にするか、
B の蔭鼓蚵仔(牡蠣のモロミ炒め)にするか、
けっこう悩んだ末に、B の牡蠣を選びました。
ほどなく運ばれてきた牡蠣は確かにおいしいものでした。
しかし、私は、選ばなかった A の卵焼きが気になって仕方ありません。
長い滞在ならまた今度にしようと思ったかもしれませんが、
そのときの滞在期間はたったの2日だったので、
私は店員さんを呼び、思い切って言ってみました。
そっちも食べたい、と。

というのも、周囲で食事をしている台湾人を見ていると、
たとえば「このおかず、おいしいからもっとくれ」とか、
「これは口に合わないから減らしてちょうだい」とか、
食べている最中に店員さんを呼び、
意外と好き勝手に何か要望している感じがしたのです。
呼ばれた店員さんも、それを増やしたり減らしたり、
お客さんの要求に応えている感じだったので、
もしかしたら、頼めばどうにかしてくれるシステムなのかもしれないと思い、
勇気を出して A の卵焼きも食べたいのだと言ってみたわけです。

結果、どうだったか。
店員さんは私に「OK!」と言い、私の前に空の皿を置いてから、
いったん厨房に去ったあと、鍋を抱えて再び現れ、私に言いました。
「どれくらい入れましょうか」と。
店員さんは私の指示通りの量の卵焼きを皿に盛りつけ、
そしてさらに、こう言うのです。
「C の客家小炒(豚肉と堅豆腐の炒め)もおいしいよ。要るかい?」と。

つまり、ちょっと欲しがった A の卵焼きを気前よくもらえたばかりか、
C の豚肉の炒め物もくれるというのです。
しかも、その分の追加料金などはいらないと言うではないですか。
日本ではどうでしょうか。
まず、B のセットを注文しておきながら、A のおかずも欲しいと申し出たところで、
おそらく「そういうのはちょっと・・・」と断られるのがオチでしょう。
それでも、どうしても食べたければ、
その分の追加料金を支払うからと食い下がるかもしれませんが、
「すいません、そういうのはやってないんで・・・」と言われるに違いありません。
おそらく、そういうイレギュラーはマニュアルに載ってないのでしょう、
マニュアルに載っていないことは不可ということですね。

これは、店側の都合ですよね。
そのおかずが、そこにないわけではないでしょう。
提供している以上、そこには必ずあるはずです。
しかし、それを提供できないというのは、
提供できないのではなく、店側の都合で、提供しないということです。

もちろん、私も組織で働く人間ですので、
ガバナンスというか、マネジメントの観点から、
顧客からの妙な要求に全部応じていたら収拾がつかぬというのは分かります。
そして、そのことが、日本の社会のなかで、
ある程度の正当性を持っているということも知っています。
そのうえで、私が言いたいのは、
日本ってそんなもんだということです。

近年、日本の“おもてなし”は丁寧で立派だと喧伝されていますが、
それは果たして本当でしょうか。
たとえば、テレビの「老舗旅館の美人女将特集」などを見ていると、
朝は早くからお客を送り出し、車が見えなくなるまで頭を下げ、
昼間は小走りで、料理を試食したり、花をいけ替えたりと休みなく、
夕方は新たなお客が到着するのを、玄関でお出迎え、
夕食時は各部屋を回って「女将でございます」と挨拶してみたり。
それを見ると、女将というのは忙しい仕事なのだなと思うのですが、
私には、その、女将が繰り出すサービスが、
顧客のニーズに合っていないこともあるのではないかと思えるのです。

多様性の時代ですから、顧客のニーズなんて、様々。
たとえば、夕食なんて半裸でテキトーに食べたいときもあるでしょう。
そういうとき、女将によるお部屋訪問は迷惑千万です。
もちろん、そんなの一律にやめちまえという乱暴な話ではありませんが、
いろいろなタイプのお客が来るでしょうから、
紋切り型の接客はベストではないはずです。
私も、宿泊先の温泉旅館のおもてなしの一環ということで、
女将手作りだというサシェをいただいたことがありますが、
それは果たして、顧客(私)のニーズを汲み取ったサービスなのでしょうか。
私がそれを喜びそうに見えたとでもいうのでしょうか。

そういう意味で、日本の“おもてなし”は繊細で丁寧で立派だと、
日本人としての誇りとともに紹介されたりしていますが、
それは、ちょっと贔屓目ではないかと思うのです。
少なくとも、欲しがってもいないサシェをお客に渡すことが、
繊細なおもてなしであるとは、私にはちょっと思えません。
それよりも、欲しがっているお客に欲しがっているものを与え、
「なんならもっといるかい?」と気さくに尋ねる、小汚い台湾の屋台のほうが、
よっぽど顧客本位というか、お客のニーズに寄り添っている感じがします。

上品で高級感あふれた演出が“おもてなし”でもないだろうと、思うのです。
そういう意味で、サービスが独りよがりになっていないか
それが本当に顧客のニーズを捉えているのか、
けっこう重要なポイントかもしれません。

[SE;KICHI]

もん

家紋ってカッコいいよねとこのブログに書いたのも、もう4年前。

家紋というのは、元の図案は何かというと、花鳥風月です。
私は、たとえば、この時季、桜が咲こうが雀が鳴こうが関心はないのですが、
一方で、この、花鳥風月をアイコンにしようとした昔の人のセンスには、
ものすごく感銘を受けるのです。

たとえば、春。
子供の頃は母に連れられ、桜を見に造幣局の通り抜けなどに行ったものですが、
暖かくなって、咲き誇るのはだけではなく、
土手などに行くと水仙カタバミが一面を覆い、
空中にはゆらゆらとが舞い、地面にはオシドリが歩いています。
縁の下にはムカデなど、生命がうごめく季節。
流れる川の白波を横目にまったり、知恵の輪なんかで遊んでいたら、
ややっ、イノシシが飛び出てきた、カマを振って応戦しなければ・・・と、
こういう場面を、昔の人はすべて紋で表現したわけです。
そのデザイン能力、凄いですよね。

桜 水仙 片喰 揚羽蝶 対い鴛鴦の丸
百足 丸に浪 金輪崩し 丸に猪 一つ鎌
https://www.benricho.org/kamon/database/csv_search.cgi
左上から「桜」、「水仙」、「片喰」、「揚羽蝶」、「対い鴛鴦の丸」、
左下から「百足」、「丸に浪」、「金輪崩し」、「丸に猪」、「一つ鎌」


そして、ここからが本当に驚くところなのですが、
これら家紋は、コンパスと定規のみ、
つまり、円と線だけで描かれているのです。
もう、ただただ、凄いですよね。

ところで、現在、富山県美術館では、『デザインあ』展を絶賛開催中です。

『デザインあ』展

デザインあ』というのは、
教育テレビの番組で、私たちの身の回りに当たり前に存在しているモノを、
デザインの視点から見つめ直し、斬新な映像手法と音楽で表現する番組です。
土曜の朝に15分、平日の朝に5分放送されるだけの、知る人ぞ知る番組なのですが、
実は私、桜が咲こうが雀が鳴こうが、自然のものに関心はない代わりに、
人が介在するデザインなどのような分野にはかなり関心があり、
この『デザインあ』展、開幕以来、何度も通っています。

『デザインあ』展示

さて、そこで、再び家紋の話なのですが、
この『デザインあ』では、紋もデザインということで、かなり特集されているのです。
 公式 ⇒ http://www.nhk.or.jp/design-ah/mon/
もともとがテレビ番組ですので、
今回の展示でも円と線から家紋が書かれていくところが動画で見ることができ、
すっごい感動します。
というか、最初に行った日、私は泣いてしまいましたよ。


この『デザインあ』展では、コンパスを使って紋を作る体験ができます。

紋の製作

これは、ヨダレが出てしまいそうな、稀有な体験です。
台紙が用意されているので、指示通りの半径にコンパスを広げ、
指示通りの場所にコンパスの針を刺して円を描きます。
今回は「雁金」、「梅」、「三つ巴」、「瓢」の4種類を体験できますが、
だいたい、多くても6つの円を描けば形になる感じです。

雁金 梅の花 左三つ巴 丸に一つ瓢
https://www.benricho.org/kamon/database/csv_search.cgi

実際にやってみると、その計算された造形に驚きます。
今回は小さい円の交わりで作ることのできるデザインでしたが、
場合によっては、大きな円の弧の一部だけ使う場合もあって、
その場合はコンパスの中心がエリアの外に出るようなこともあって、
いや、本当に、その計算されたデザイン性に驚きます。
たとえば、三つ巴であれば、こんな感じです。(オフィシャルブックより) ←買っちゃったのか。

三つ巴 書き方

凄さ、伝わってますかね?

たとえば千鳥という、鳥の形の紋を書こうとするときでも、
円を組み合わせて輪郭を描いてるんですよ。

千鳥 書き方

さあ。
富山県美術館での『デザインあ』展は5月20日までです。
少しでも関心がおありの方は足をお運びください。
しょっちゅう来館している私に会ってしまうかもしれませんけど。
ちなみに、ミュージアムショップに家紋のTシャツなどを売っていなかったのは、
際限なく買いそうな私にとって、せめてもの救いでした。

[SE;KICHI]

崇徳院

以前、「ちはやぶる」について書いたことがあります。
あの記事では和歌をはじめ、落語やら能やらにちょっとずつ触れたのですが、
それを読んだ、リアルの私を知るみなさんの反応は面白いもので、
「そんなこと知ってるなんて、アンタ変わってるね」というものと、
「あぁ、百人一首かぁ、あれって意外と面白いよね」というものと、
総じて反応は半々。
つまり、私が書いた内容に対して、
当然のように興味ない人と、当然のように興味ある人が、半々。
“当然のように”というのがポイント。

さて、よく知は力なりと言いますが、
知っていると楽しめたりすることが多いものです。
5年ほど前の別の記事で、「澤瀉屋」をちゃんと読める女児を紹介しましたが、
“澤瀉”なんて、歌舞伎を知っている人なら誰でも読めるのですが、
歌舞伎に関心のない人はほぼ読めない字なので、
きっとその子は歌舞伎に興味のある子だったのでしょう。
つまり、当然のように“澤瀉”を読める人と、当然のように読めない人の、差。
それは、それを読めるくらいの知識のある人が歌舞伎に出かけるのと、
そういうのに興味がない人が急に思いついて歌舞伎に出かけるのとでは、
おそらく楽しめる度合いが違うのではないか、という意味での、差。

さて、あと半月で終わってしまう連続テレビ小説「わろてんか」では、
北村有起哉さん演じる落語家・月の井団真が、
再起をかける演目として『崇徳院』を選び、寄席で口演してしていました。

『崇徳院』、ご存知でしょうか。

前半を軽く紹介しますね。
主人公は商家の若旦那。
若旦那がお寺へ参詣し、茶店で休んでいると、美しい娘が店に入ってきます。
娘を見た若旦那は、娘に一目惚れをしてしまいます。
娘は茶店を出るとき、膝にかけていた茶帛紗を落としましたが、
気づかず歩き出してしまいます。
若旦那が急いで拾い、追いかけて届けてあげると、
娘は短冊に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と、
歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し、去って行きましたとさ。
若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、
きっと娘が言いたいのは、
「今日のところはお別れいたしますが、また今度」ということだと読んだが、
しかし、娘がどこの誰なのかわからないので、会うことがかなわずに困り、
悩んでいるうちに若旦那は恋煩いで寝込んでしまう
・・・と。

まぁ、このような描写では伝わらないことは百も承知ですが、
この落語では、途中で出てくる和歌が非常に重要な意味を持っています。
この和歌、「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」は、
百人一首に出てきますので、知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
崇徳院という人物が読んだ和歌で、
急流で分かれている川の流れが、やがてひとつに合流するように、
いま離れ離れになっているあなたとも、またいつか逢いたい・・・という歌です。
なるほど、そこまで知ると、
その落語の背景というか、組み立てについて、
なるほどそういうことねと理解できるでしょう。

こういうのって、別に必須ではないと思いますが、
知っていると感情移入しやすくなって、得した気分です。
特に、この『崇徳院』は、オチがしょうもないことでも有名なのですが、
その肝心なオチの部分にも前述の和歌が関わっているので、
知っていると、より楽しめるというものです。

最近は、若い人を中心に、いろいろなことに興味のない人が増えたような気がします。
もしかしたら youtube や wikipedia などで手軽に見聞きすることができる分、
ちょっと調べただけで知ったような気になれるのかもしれません。
私は昔、道祖神の写真集を作ろうと思い、
藪をかき分け、廃村を巡って道祖神を写真に収め、
集落の古老に話を聞いたり図書館で調べたりして、
どうにかこうにか、1年がかりで作り上げたものですが、
いまなら自分で写真を撮らなくてもネット上に写真は転がっていますし、
図書館で調べなくても必要な情報くらいは知ることができるでしょう。
つまり、自分が1ミリも動くことなく、目的を達することができるのです。

私は、そういうのをもったいないと思います。
行って体験すれば自分の深みになるのに。
歌舞伎でも落語でも相撲でも、
それ自体は自分の人生において、特に何の役にも立ちませんが、
それに触れておくことで、いつか何かの役に立つかもしれない。
いや、別に役になんて立たないかもしれませんが、
自分以外の誰かの役に立つかもしれない。
人生の目的が他人をハッピーにすることだとすれば、
多チャンネルのほうがその可能性は高まろうというものです。
“自分が一番”という人が増え、「個の時代の到来」と言われて久しいですが、
自分ではない他者のために知識を集積しておくということは、
他者への愛という観点からしても、もっとあっていいはずです。

さて。
ところで、この和歌を詠んだ崇徳院という人物、
第75代の崇徳天皇のことです。
崇徳天皇といえば、保元の乱の首謀者として中学校くらいで習う人物ですね。
彼は、鳥羽天皇と中宮・璋子の第一皇子ですが、
一説には鳥羽天皇の祖父である白河法皇と璋子が密通して生まれた子であると言われ、
父の鳥羽天皇からは激しく嫌われていたようです。
そのことが保元の乱の遠因であるとも言われていますね。
ちなみに、鳥羽天皇の御陵は近鉄竹田駅から徒歩10分と、
とても近くて行きやすい場所にあるのですが、
安楽寿院陵と言って、安楽寿院というお寺の隣にあります。
 
つまり、天皇好きで、御陵好きで、お寺好きな私の、
いろいろな部分を刺激する崇徳天皇です。
先ほど、多チャンネルのほうが・・・と書きましたが、
話題の引き出しはたくさんあったほうが良いと思いつつ、
落語や歌舞伎や和歌なども含めて、
引き出しは、意外と奥のほうでつながっているものなのかもしれません。

[SE;KICHI]

本質

いまだ半人前の私は参加したことがないのですが、
成人式というのは、どういう行事なのでしょうか。

いや、今年の成人の日に、着付け屋が夜逃げしたという事件がありました。
経営が悪化していたとはいえ、
当日いきなり姿をくらますというのは実に無責任であり、
もし私が、当事者か、当事者の親の立場であったなら、
まぁ、腹は立てないかもしれませんが、
ちょっと釈然としない気分になってしまうような気もします。

この事件の詳細は、その発生からワイドショーなどで拡散されました。
ニュースを知った世間は、被害に遭った新成人に非常に同情的で、
同業他社がボランティアで衣装を貸したり、着付けを代行したりしました。
これを聞いた私は、日本人の優しさや助け合いの精神に感じ入ったものです。
みんな優しいですね。

しかし、私は違和感を覚えました。

そもそも、成人式というのは、成人になったことを感謝したり、
決意を新たにするような会ではなかったのでしょうか。
ちょっと冷徹な言い方になりますが、このニュースを見ていると、
成人式の主な目的が“晴れ着を着ること”にあったお嬢さんが、
日本にはたくさんいたのだなぁと、少し切なく感じるのです。

式に参列できなかった新成人がかわいそう・・・・・・って、
七五三じゃないんですから、
晴れ着じゃないと出席できないわけでもないでしょう。
もちろん、晴れ着のほうが見栄えがするのは確かですが、
衣装が本質ではないので、今回のような緊急事態では、
別に晴れ着でなくても、成人としての決意を新たにする目的で参加可能でしょう。

だいたい、沖縄あたりの成人式を見るとよく分かりますが、
新成人は歩きながらタバコをふかし、泡盛などをラッパ飲みしながら、
狼藉の限りを尽くして、毎年、幾人かが検挙されていますよね。
それを見ると、成人式というのは、
成人としての決意を新たにするような会ではなく、
晴れ着を着てどんちゃん騒ぎをする日になっていると思わざるを得ません。

本質を見よと言いたいのです。
ジーンズとトレーナーで充分ではないかとは言いませんが、
もう一段、何のために集まっているのかを考えてみましょうよ。
そしたら、衣装にそこまでこだわる必要もなく、
衣装屋に狙われることもなかったと思うのです。
そう、今回の事件は、もちろん騙した貸衣装屋が一番悪いのですが、
一方で、新成人が、揃いもそろって晴れ着に執念を燃やしていたことが、
かえって、世の中に交じっている“悪い大人”に、
「これはイケるぜ」と気づかせてしまったのではないかと思うのです。
晴れの日に着飾りたい気持ちも、分からなくはありませんが、
本質ではない部分を追えば追うほどリスクも負う
ということを知るべきです。

成人するということは大人になるということで、
大人になるということは自分の人生を自分で創っていくということ、
すなわち自立するということですよね。
どうしても晴れ着が欲しかったら、コツコツとアルバイトでもして買えばいいのです。
そんなことよりも成人の日にすべきなのは、
この先どう生きていくのかを明確にして、一歩を踏み出すことでしょう。

実際に社会を回しているのは大人です。
しかし、ここ20年くらい、大人らしからぬ社会人が増えているとも言われます。
本質を見ることをせず、主体的であることを苦手とし、
自分の好き嫌いや、誰かからの指示が行動の指針になっている人です。
まぁ、個人レベルであればそれでも構わないのかもしれませんが、
社会全体にそういう人が増えてきているのは確かな実情だそうで、
日本は緩やかに自殺していると評されています。

何を着るかではなく、どう生きるかが大事で、
それは個人レベルではなく、国家に影響を与えることなのだと、
知ってほしいものです。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR