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ネーミングの大切さ

赤い車体でおなじみの京急電鉄が、創立120周年記念事業として、
昨春、沿線の小中学生を対象に駅名変更案を募集しましたよね。
京浜急行といえば、青物横丁とか梅屋敷とか金沢文庫とか、
ちょっと古めかしいイメージの駅名が多くて、
地名・駅名マニアにとっては、多少なりとも憧れの路線なのですが、
京急は、“読みかた等が難しくお客さまにご不便”な駅を改名するそうで、
そうすると、そういう古くからの駅名は消えてしまうかもしれません。

京急 わがまち駅名募集
http://www.keikyu.co.jp/information/cp/ekimei/index.html

たとえば、私が生まれたのは大阪府枚方市で、「ひらかたし」と読みます。
大阪府の方で読めない方はまずいないでしょう。
普段から駅を利用する地元の人が読めないはずはないものです。
京浜急行の改名は、いったい誰のための改名なのでしょうか。

さて、その、枚方の地名なのですが、
『日本書紀』に「比攞哿駄」として登場するのが由来だということで、
奈良時代から続く由緒ある地名であるとされています。

枚方の由来
これは枚方市役所前の公園にある碑です。

ちなみに、「枚方」を「まいかた」と読みたくなる人もいるようですが、
原則、訓読みの1文字目に音読みの2文字目を接ぎ木することはないので、
組み合わせとして「ひらかた」以外には「まいほう」しかありえませんよね。
これは「代替」を「だい-かえ」とは読めないのと同じ理屈です。


それはともかく、『日本書紀』中で「比攞哿駄」は、
継体天皇24年10月の条というところに登場するのですが、
古代史マニアにとって、この第26代継体天皇は、
多くの歴史上の人物の中でも、かなり興味深い人物です。

継体天皇は、歴史的に実在が明らかな最初の天皇と言われています。
つまり、現在の皇室の源流とみなされている人物なのですが、
系譜的に、それまでの天皇とはかなり離れた血筋の人物です。
具体的には、継体天皇の前の天皇は第25代武烈天皇という人なのですが、
その武烈天皇には子供がいなかったため、
4代もさかのぼったところから枝分かれさせて即位したのが継体天皇です。
ちなみに、武烈天皇は、妊婦の腹を裂いたとか、異常な行動が記録されていますが、
これは、血縁関係が薄い次代の継体天皇の即位を正当化する意図で、
武烈天皇を異常な暴君に仕立て上げるしかなかったためだと言われています。

この継体天皇、58歳にして河内の樟葉宮(くすばのみや)において即位し、
武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后としたものの、
やはり先代から遠すぎる血縁が災いしたのか、旧勢力からの抵抗に遭い、
なかなか大倭(大和 = 奈良)に入ることができずにいて、
即位19年後の526年ようやく都を定めたと言われています。

まぁ、継体天皇のことはいつかまた書くことにしまして、
この、最初に即位した樟葉宮も、大阪府枚方市です。
枚方市駅から3駅ほど京都寄りに樟葉駅というのがあります。
ちなみに、この樟葉という地名の由来は、
第10代崇神天皇が叔父・タケハニヤス王と戦った際の話、
戦いの中で崇神天皇軍がタケハニヤス王に矢を射たところ、
見事命中して大将のタケハニヤス王は死んでしまったのですが、 
指揮官を失ったタケハニヤス王の軍はちりぢりに逃げ惑いました。
天皇軍はその軍勢を追い詰めますが、
追い詰められた兵たちはその剣幕に恐れおののいて脱糞、
褌(はかま = フンドシ)を排泄物で汚してしまうわけです。
というわけで、この地が糞褌(くそはかま)と呼ばれるようになり、
それがなまって久須婆(くずは)と呼ぶようになりました……ということだそうです。

ちっともきれいな話ではありませんが、
日本古来の地名とは往々にしてそういうものです。
それでも、私はそういう地名の由来を微笑ましく思うし、
情景も目に浮かぶようです。

まぁ、脱糞の情景を目に浮かべるのもどうかとは思いますが。
だから、むしろ、なくさないでほしいと思うのです。

したがって、冒頭の京浜急行の新駅名公募についても、
青物横丁とか梅屋敷とか金沢文庫とか、
せっかく古式ゆかしい駅名が多いのに、変えてしまうなんて残念だと思うのです。
そういえば、山手線の田町~品川間、高輪あたりに新設されるの新駅の名称も、
先日の発表によれば「高輪ゲートウェイ」駅だそうです。
由緒正しい「高輪」駅でいいじゃないかと思うのですが。

京浜急行について、私が特に卑怯だと思うのは、
駅名変更案の募集対象を小中学生限定にした点。
その年齢層に尋ねることにしてしまうと、
青物横丁とか梅屋敷とか金沢文庫とか、残るわけがないですよね。
「ナントカみらい駅」やら「ゆめナントカ駅」になるに違いありません。
それでも、ポケモンとかエヴァンゲリオンとか言い出さないだけましでしょうか。
いずれにせよ、子供に名前を考えさせるって、そういうことです。

だいたい、平成の大合併時のことを思い出してみてください。
ちっとも中央ではない愛媛県の「四国中央市」とか、
別にその市のものじゃないのに「南アルプス市」とか、
大人が決めたつまらない市名がバンバン出ましたよね。
実際に採用されて市名になったものもありますが、
当時は「なんだそのネーミング」と批評されていました。
そう、大人が言い出したものなら、「高輪ゲートウェイ」含め、
みんなで文句を言えるのです。
しかし、無垢な子供に考えてもらった場合、
よほどでない限り、「ナンジャソラ」とは言いにくいもの。
そこに、ちょっとズルさを感じる、素直じゃない私です。

私は別に、青物横丁とか梅屋敷とか金沢文庫とか、
そういう駅名自体に関心があるわけではないのです。
何か理由があって、せっかく命名されている地名・駅名を変えるなんて、
そんな必要あるのかしらと、素朴に思っているだけなのですが。

[SE;KICHI]
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おきくさんを偲んで

9月に、長崎の浦上村のキリシタン一家が、一家離散で迫害を受けたうえ、
身重の妻・おきくが難産の末に命を落としたというエピソード
を書いたところ、
この話は富山の人でも知らない方が多かったらしく、
もっと詳しく書けと、いろいろとお問い合せをいただきました。

このきくという女性は、富山藩に預けられた浦上キリシタンたちのなかで、
一種のアイコンになっている存在です。

明治2年12月5日、肥前浦上村(現長崎市浦上地区)、
「浦上四番崩れ」と呼ばれる、
日本宗教史上でも特筆されるべき“隠れキリシタン弾圧”が始まりました。
詮議は村民すべてに行われ、詮議中に棄教を表明した者を除く3416名が、
続々と捕縛されて流罪に処されたといいます。

重次郎一家(重次郎 35歳、妻・きく 33歳、長女・さき 15歳、次女・とめ 4歳)は、
同年12月8日、長崎大波止桟橋を出港し、
大阪からは徒歩で、厳冬の北陸路に難渋しながら、
明治3年2月21日、富山藩に到着し、
大熊村の「経力の湯」と大久保村の「合田の湯」に入りました。

温泉と言っても、湯治ではないので、楽しくはありません。
信徒たちは、長崎を出る際に既に殉教を覚悟していたので、
曳き立てられた時点で、どこかに連行されて殺されるものだと思っていたようです。
従って、温泉に家族と一緒に収容されていても、
死刑執行を待つような身で、祈るしかない状態だっただろうと思います。
よくパニックにならなかったなと思いますが、それが信仰の力なのでしょう。

温泉に収容していたキリシタンたちが、一向に説得に応じないので、
焦った富山藩は明治3年4月28日、意図的に家族を離れ離れにし、
15歳以上のキリシタンに鉄の喉輪を嵌めて浄土真宗29寺院に配属しました。
5月1日、きくと、4歳の次女トメが、
西光寺という寺(富山市婦中町長沢)に預けられました。

西光寺

これより前の4月10日に、15歳だった長女のサキは一人で他の寺に送られ、
5月28日には夫の重次郎が楽入寺という別の寺へ移送されました。
もはやこの時点で臨月のきくでしたが、家族バラバラになったわけです。

きくは5月末が出産予定でしたが、
それを過ぎてもまだ出産しないのを耳にした重次郎は、
妻を案じ、介抱のために西光寺を訪れたい旨を申し出ましたが、
そんなことが許されるはずがありません。
私は、こんな卑劣なことを考えた役人に対して、
腹が立つという言葉では足りない思いがするのですが、
役人は重次郎に、改心して真宗門徒になれば、首輪を外してやろう、
家族の面会を許し、仕事も与え、帰郷にも配慮すると囁きました。
重次郎は、浦上では指導的というか、中心的な信者だったようですが、
この……家族の面会を許し……にグラっときたのでしょう、
6月の初めに改宗の届けを提出し、きくが伏せる西光寺に赴きました。

信仰を捨てることと引き換えに妻を見舞うことができた重次郎でしたが、
きくは間もなく産気づき、難産の末、母子共に死亡しました。
西光寺で死亡したきくは、村の火葬場で焼かれ、その片隅に埋葬されました。

その後、きくを哀れに思った地元民によって、山中に供養のための地蔵尊が建てられました。
行ってみましょう。

きくの塚 入口 きくの塚 アプローチ

蚊の猛攻に遭いながら数百メートルも登ると、
天頂部に十字架のついた祠が見えてきます。
火葬場に埋葬されているので、ここは「墓」ではありませんが、
小高くなっているところを見ると、遺灰か何か埋めたんでしょうか。

きくの塚 きくの塚 近影

祠が開いているというのもシュールなもんです。私が開けたわけではありません。
覗いてみると、2体の像。
右に地元の人が建てたという地蔵尊、左にカトリック教会によるマリア像。

きくの塚 内部

怖いですねぇ。
ちょっと画像が暗いですが、これに照明を当てる勇気のない私、勘弁してください。

この2体の像、賛否あると思いますが、私は強い違和感を感じます。
だって、きくはキリシタンで、地蔵なんて信仰していなかったわけですから、
供養するならマリア像だけで充分なんです。
浄土真宗に帰依する地元民の気持ちも分からなくはないけれど、
「関係ないのを勝手に混ぜんなよ」という気持ちになります。

さて、キリスト教を捨て、晴れてキクに会えたものの、
一週間ほどで妻子を亡くすこととなった重次郎。
気の毒でなりません。
妻を亡くしてしまってはキリスト教を捨てた意味もないので、
まもなく彼は、改心戻しをしたいとの願書を出し、キリスト教徒に復帰しました。
それから3年後の明治6年、政府はキリスト教禁制をやめたので、
重次郎らキリスト教徒は釈放され、長崎に戻って行きました……。
……新しい奥さんとその間に生まれた子供と一緒に!
どうも、重次郎は、きくが亡くなった後、
合寺令で1箇所に押し込められているときにヌイという女性と恋に落ちたようで、
あっという間に再婚し、ツネという娘が生まれたようです。

え~・・・
いや、私も、そう模範的な生き方をしているわけではありませんが……。
長崎から遠く離れた富山の山中に置き去られたおきく。
かわいそうでなりません、よね。

[SE;KICHI]

予祝

“あえのこと”というのをご存知でしょうか。
毎年12月5日、一年の豊穣に感謝し、
収穫を終えた田んぼから「田んぼの神様」を自宅に迎え、
翌春の2月9日まで、
見えない神様を、あたかも人間のように入浴と食事でもてなし、
長く厳しい冬を家族と一緒に過ごすという、奥能登の民俗行事です。

あえのこと
https://food-japon.com/p/news/aenokoto-gourokuan

さて、昨年11月、
男鹿のナマハゲなど10件が、『来訪神;仮面・仮装の神々』ということで、
ユネスコの無形文化遺産に認定されました。

ナマハゲ
https://forbesjapan.com/articles/detail/24195#

ナマハゲから連想すると、鬼のような異形の者が襲ってくるイメージが浮かびますが、
儀式として注目すべきなのはそこではなく、
大事なのは、年に一度、決まった時期に人間界に来訪するとされているところです。
そういう意味では、“あえのこと”も、異形ではないものの、れっきとした来訪神で、
2009年にはとっくに世界無形遺産に登録されていました。

そもそも、日本人というのは、
「普段はいない神様が特定の時季にだけやってくる」という考え方が好きです。
ユネスコの無形文化遺産という“肩書き”がついたので、
来訪神に、やや堅苦しいイメージがついてしまった感がありますが、
本来、日本人にとって、来訪神というのは馴染み深い存在でしょう。

だって、たとえばお正月。
「数え年」というのがありますが、あれは、
元日にお出ましいただく神様から1年を授かるという考え方から来ているもので、
いわば、日本人全員の誕生日を元旦に設定するという感じのもの。
年に一度の儀式ということですから、これも来訪神と言えるでしょう。

そうそう、お正月といえば、みなさん、
玄関に門松を飾って注連縄を張りましたでしょうか。
あれは、神様をお迎えする準備だと言われています。
門松は、来訪する神様に「この家ですよ」とお知らせする看板みたいなもの、
注連縄はそのエリアが不浄でないように結界を張るセコムみたいなものです。
つまり、来訪する年神様に備えて飾っているわけです。

何が言いたいかというと、
何のためにそれをやるのかを考えることが大事ということです。
最近では、門松や注連縄を完備している家は少なくなりましたが、
門松や注連縄を飾らない家でも、鏡餅は置くかもしれません。
最近では中に砂糖が詰めてあるプラスチックの鏡餅なんてのも売ってますが、
鏡餅は神様の大好物で、それ自体が依り代にもなる……というわけで、
それを知ったら、砂糖で代用なんてダメですよね。

そもそも、新年を祝う理由を考えたことがあるでしょうか。
お正月がめでたいのは、新しい年が明けたから……ではありません。
お正月がめでたいのは、日本古来の予祝という考え方によるからです。
予祝……あらかじめ祝う……前祝いです。
何の前祝いかって、古代日本人の一番の願いは秋の豊作です。
稲がたわわに実って、お米がどっさりとれることが大事ですから、
その願いの実現を引き寄せるために、
お正月に、その一年の五穀豊穣の前祝いをしているわけです。

春先の“お花見”も、
時節柄、たまたま桜がきれいに咲いていたから眺める……のではありません。
そんな、風流というか感性的な話ではなくて、
秋の豊作に感謝する“祭り”の一種だと言われています。
これも、日本古来の予祝という考え方によるからです。
春に満開に咲く桜を、秋のお米の実りに見立て、
仲間とワイワイお酒を飲みながら喜び、お祝いすることで、
本願である秋の豊作を引き寄せるというわけです。

夏の盆踊りも、夜が暑くて眠れないから踊る……のではありません。
あれも、予祝、秋の豊作を喜ぶ踊りです。

このように、もともと日本人は、
すでに叶ったという気分でお祝いするのが習慣づいている民族です。
先に喜び、先に祝うことで、その現実を引き寄せるというのが、
古代日本人がやっていた、夢の引き寄せの法則なのです。
あらかじめ叶ったという気分になっておけば、
「あぁ、めでたい。神様、ありがたいなぁ。ご恩返ししなくちゃなぁ」と、
感謝の気持ちも高まろうというもの。
結果、一種の自己催眠もあって、現実が追い付いてくることでしょう。
日本という国は、それを個人ではなく、国家全体でやっている国で、
そりゃあ、感謝・報恩の文化が育まれるはずです。

ちなみに、予祝の本質は、いま、喜ぶこと。
いまの喜びは、未来の喜びになるわけです。

さぁ、みなさん。
1年分の大繁栄を祝おうではありませんか。

[SE;KICHI]

クリスマスに靴下をさげるわけ

そろそろクリスマスです。
クリスマスといえばシュトレン。
この時期にだけ食べられるシュトレンは、
芳醇なドライフルーツの風味が私好みではあるのですが、
それにしたって、
この時期は11月末頃から毎日シュトレンを食べなくてはならないので、
さすがに、12月も中旬を過ぎると食指も鈍ってくるというものですが、
みなさん、そのへんはいかがでしょうか。

さて、シュトレン以外でクリスマスといえば、サンタクロースですか。

サンタクロースは、実在しました。
いや、グリーンランドに国際サンタクロース協会があって……という話ではなく、
サンタクロースはもともと、聖ニコラオス(セント・ニコラオス)という、
4世紀のキリスト教の司教で、実在した人物なのです。
ちゃんと、イタリアにある聖ニコラ大聖堂の祭壇の下の地下聖堂に、
彼のものとされる聖遺物(遺体・遺骨)も安置されています。
聖ニコラオスは、正式には「ミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ」と呼ばれ、
キリスト教の全ての教派で、子供や海運の守護聖人として崇敬されています。
守護聖人、なんです。

手元に絵本がありましたので、ご紹介しましょう。

むかし、むかし、ミュラという町に、ひとりの男の子がいました。
名前はニコラス。
お父さんが町中で一番のお金持ちだったので、
ニコラスはおもちゃもお菓子も、なんでも余るほど持っていました。
けれども、ニコラスは、少しもわがままを言わない、心の優しい子に育ちました。
小さい時から、神様の教えを信じていたからです。
大人になってからも、ニコラスさんは、
子供の時に信じていた神様の教えを忘れませんでした。
「神様は、お互いに助け合え、分け合えとおっしゃっている。
私は、自分の財産を残らず貧しい人たちのために使うことにしよう。」

ある日、ニコラスさんは、町の人たちの噂話を聞きました。
「ねぇ、知ってる? あの3人のお嬢さんのいるご主人の話を」
「ええ、なんでも、お仕事がうまくいかなくて、
財産をすっかりなくしてしまったとか‥‥・・」
「もとは身分の高い貴族でも、いまはただの一文無し」
「お嬢さんたちの結婚の支度も、してやれないんですって」
「ほんとうにお気の毒・・・・・・」

気の毒な親子の話を聞いたニコラスさんは、
ある晩、こっそりと親子の家に行きました。
「神様、お願いいたします。
どうぞ、その人たちが幸せになれますように
ニコラスさんは、金貨の入った袋を、開いていた窓から部屋の中に投げ込みました。
すると金貨の袋は、洗濯して暖炉のそばに吊るしてあった靴下のなかにチャリーン。
それはとても小さな音だったので、眠っていた親子は少しも気が付きませんでした。
次の日の朝、目を覚ました親子はびっくりしました。
「お父様、見てくださいな。靴下の中にこんなたくさんの金貨が!」
「不思議だわ。いったいどうしたことでしょう」
「ねぇ、お父様、どなたがこんな贈り物をくださったのでしょう」
「ああ…… これはきっと神様のお使いからの贈り物に違いない」
それから間もなく、、一番年上の娘の結婚式が挙げられました。
「神様、ありがとうございます。
おかげでこうして人並みに式を挙げることができました。」
お父さんも娘たちも、喜びと感謝で胸がいっぱいです。
でも、このことを知って、誰よりも一番うれしく思ったのはニコラスさんでした。

何日かすぎて、
ニコラスさんは、また、夜中に親子の家に行って、金貨をそうっとおいてきました。
おかげで、2番目の娘も立派に結婚式を挙げて、
幸せな暮らしができるようになったのです。
不思議なことが二度も続いたので、娘たちのお父さんは思いました。
私たちにこんなお恵みをくださったのは、どんな方だろう。
神様のお使いにお会いして、一言お礼を言いたいものだ。
そこで、お父さんは夜も寝ないで、
窓のそばで、神様のお使いを待っていました。

それからまた何日かすぎた、ある晩のこと・・・・・・。
ニコラスさんがこっそりやってきて、金貨の袋を窓から投げ込もうとしました。
その晩も寝ないで待っていたお父さんは、とうとうニコラスさんに会えたのです。
「おお! 神様のお使いは、あなた様でしたか!」
お父さんは夢中で外に走り出て、ニコラスさんの前にひざまずきました。
「あなた様はいったいどなたですか。どうぞお名前を聞かせてください」
「いいえ、私はただ、みんな助け合いなさいという、
神様の教えに従っただけなのです。
どうかこのことは、誰にも内緒にしておいてください」

けれども、ニコラスさんのしたことは、すぐに町の人に知れ渡ってしまいました。
「ふうん……神様のお使いはニコラスさんだったのか。実に立派な方だ」
「本当に神様のお使いにふさわしいお方ですわ」
時がたつにつれて、ニコラスさんはますます、
みんなからほめたたえられるようになりました。
ニコラスさんは、それからもずっと、暮らしに困っている人を助けて、
たくさんの良いことをしました。
そして、誰からも愛され、慕われ続けて、幸せな一生を送りました。


いかがでしょうか。
個人的な感覚ですが、私自身、このような、
見も知らぬ誰かの幸福のために行動するという生き方を、
理想的な生き方であると考えてはいるものの、
「どうぞ、その人たちが幸せになれますように」とは、
なかなか思えるものではありません。
このエピソードを読むにつけ、
さすが列聖(聖人として教会に認められること)される人物だと頭が下がりますし、
自分自身の利他の思いの軟弱さが恥ずかしい限りです。
まぁ、それはともかく、
サンタクロースは、実在した、超立派な人だってことです。

聖ニコラス像
https://pixabay.com/ja/photos/%E8%81%96%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9/?

しかし、現代の日本では、それを知らない人が多いのか、
本当にサンタクロースというのがいる、とは信じられていないようで、
小さな子を持つ親がサンタクロース役を演じてプレゼントを枕元に置いたり、
恋人同士がちょっと奮発した贈り物やディナーを楽しんだり、
店によってはキャンペーンの特別コスプレだったりと、
もっぱらプレゼントを贈る演出に使われている感じのサンタクロース。
私からしたら、サンタクロース(=聖ニコラオス)を汚すなって感じです。
わが子や彼女にプレゼントしたいなら、
別にサンタクロースを使わなくても、感謝を伝えてプレゼントすればいいのだし、
お店のキャンペーンならもっと普段からサービスしとけって話です。
なんで、サンタクロースの名をかたってプレゼントするんでしょうか。
照れ隠しでしょうか。

ハロウィンが、バカ騒ぎしてトラックをひっくり返す祭りに化しているのと同じで、
サンタクロースも、聖人として事績をしのぶでもなく、
単にクリスマスというバカ騒ぎのマスコットになっているようで、
ちょっと寂しい感じもします。

ちなみに、私は、
母親から、知らない人から物をもらってはいけませんと育てられてきましたので、
子供のころから現在に至るまで、仮に相手がサンタクロースであっても、
面識のない老人から何かをもらうことには抵抗があるほうです。
かわいくないですね。

クリスマスにくつしたをさげるわけ

[SE;KICHI]

ファーストクラス体験記

ファーストクラスを利用してハワイまで行ってきました!
搭乗するのに向かった先は成田や羽田ではなく池袋!!
池袋国際空港のその名はFIRST AIRLINESです。
すでにお気づきかと思いますが、バーチャル空港施設です。

ファーストクラスに乗ってみたい!
フライト前に航空会社のラウンジを利用してみたい!!
私のちょっとした夢です(笑)
普段飛行機を利用することも少ないし、正直に言えば飛行機は苦手な私です。
でもってビジネスクラスさえ利用したこともないのに、ファーストクラスなんて
夢のまた夢です(苦笑)
そこで疑似体験ってわけです(笑)

その空港は雑居ビルに存在しました。
このビルの中にそんな体験ができるのか?と、
田舎者の私は怪しみながらエレベーターに乗り込み8Fで降りました。

ドアを開けて中に入るとこんな感じ。

FIRST AIRLINES① FIRST AIRLINES②

少し早めに着いたので受け付けは無人でした。

しばらくすると奥から乗員らしき制服の方が登場し、
後ろからは前の便に搭乗していた方達がゾロゾロと出ていらっしゃいました。
おお、結構な人数!
この狭い空間の奥にどんな設備があるのか楽しみになってきました。
そうこうしていると同じ便を体験する人たちが集まり始め、座席は満席のようです。

まず受付で搭乗手続きし、パスポートを貰いました。

パスポート

そしていよいよ座席へ。
二人掛けの座席が縦にずらっと並んでいました。
前から2列目が私たちのシートでした。

客席

狭い空間に上手く作られていました。

座ってみると広いし、リクライニングで足元も上がるし、座り心地もバッチリ!
長時間座っていても疲れなさそうです。
足回りも広くて快適です。
シート自体はかなり年代物のようですが、
エコノミークラスしか利用したことがない私には高級感は半端ないです。

さあ、いよいよフライトです。
ドアが閉められ離陸準備開始とともに、
CAさん(に扮した)が本番さながらにシートベルトの着用や、
ライフジャケットなどもろもろの説明がはじまりました。
えっ、実際は飛ばないからシートベルトはしなくてもいいのでは?と思いましたが、
皆さんカチャカチャと締めはじめ、こちらも本番さながらです。
すでに滑走を始めているので座席からはゴッゴッゴッゴッと振動が伝わり、
いざ離陸。
ここまではリアル感たっぷりの演出です。

飛行が落ち着きシートベルトを外し、くつろいでいると、
一人一人にVRが配られ始めました。
ヴァーチャルリアリティを体験するためのVRを装着してハワイ観光です。

私自身がドローンになったかのように、
きれいな海の上を飛びワイキキビーチやハワイ島のてっぺんへと瞬時に移動。
またショッピングストリートなどあちこち観光しました。
訪れたことがある人はあーこんな感じだよねー、となるでしょうし、
未体験の人はヘーこんな感じなのねー、と楽しめると思います。
色んな角度からの映像を見てみようと頭をぐるぐるまわしてVRを試していたら、
途中気持ち悪くなりました。
けっこう重かったせいもあると思います。

観光が終わり、いよいよお待ちかねの機内食タイムです。
ドリンク1杯付でコース料理となっていました。
ハワイ便なので料理もハワイ風です。

機内食① 機内食②
機内食③ 機内食④

カトラリーは料理毎に用意され、
冷たいものは冷たく、温かいものは温かく、スープは熱々で提供されました。
最後にコーヒーをもらい、食事を終えました。
足りなければ、ドリンクも料理も追加でサイドメニューから頼めます。
別料金となりますが。
写真を撮り忘れアップできませんでしたが、ココナッツカレースープが絶品でした♪
後日、我が家でも作ってみました。
同じ味とはいきませませんが、それなりに美味しくできました♪
どれも美味しくてとても満足しました。

帰国便はないのでハワイへ行きっぱなしですが、
2時間後には無事に池袋に降り立っていました(笑)

想像していたよりものすごく楽しめました。
5,980円はお値打ちです。
次回はどの国へファーストクラスで旅行しようかと思案中です。

本物と比較出来なのが残念ですけど。

FIRST AIRLINES 公式 HP → http://firstairlines.jp/index.html

[fu~ma]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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