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『鎮安堂・飛虎將軍廟』

以前、家族で海外に旅行に行った方の話を書きましたが、
その旅行先が台湾だったということで、
その記事を書いた時に思い出したのが、
台南市の『鎮安堂・飛虎將軍廟』です。

鎮安堂・飛虎將軍廟

ここは大東亜戦争中に台南市上空の空中戦で戦死した、
日本海軍の杉浦茂峰少尉が、神様として祀られているところです。

すごくないですか?
この時期、戦死者を祀った日本の靖国神社が中韓から批判されがちですが、
台湾に、戦死した日本兵を祀った廟があるのですよ。

1944年、ゼロ戦の搭乗員だった杉浦少尉は、
海尾寮という大きめの集落の上空で、
来襲した米軍機を迎撃する際に被弾してしまいます。
戦闘機は発火しながら急降下、そうなると墜落するしかないわけで、
その時、もしパラシュートで飛び降りて逃げれば、
杉浦少尉自身は助かるかもしれませんでしたが、
戦闘機は間違いなく集落に墜落し、大惨事となってしまいます。
そこで、杉浦少尉は、集落への墜落を避けようと、
郊外にある畑に向かう努力をします。
そんな無謀な操縦をしているうちに脱出が遅れた杉浦少尉は、、
米軍機の機銃掃射を受けて戦死したのです。
享年21歳。

カッコよくないですか?
いや、戦死したことがカッコいいといっているのではありませんが、
杉浦少尉のその行動により、集落は無傷で、負傷者は出ませんでした。
つまり、21歳の青年のとっさの判断により、集落が守られたのです。

みなさん、どうでしょうか。
自分の飛行機が墜落するとき、その墜落場所の配慮までできるでしょうか。
少なくとも私は、自分が21歳の時のことを思い返してみても、
そのような冷静なオペレーションなど、できそうにありません。
自分を犠牲にしてまで多くの方々を護ろうとする自己犠牲の精神、は、
その75年後にあたる現代の日本人とは対極の価値観です。
自分や自分の家族さえよければよいと考える日本人は、
杉浦少尉の爪の垢を煎じて飲まねばなりません。

さて、杉浦少尉が戦死してから数年後、
集落では、白い帽子に白い軍服を着た人物が徘徊しているという目撃談が出たり、
若い日本海軍士官が枕元に立つという夢を見る人が現れたりと、
不思議なことが起こりますが、村民たちは少しも怖がらず、
「あの霊は集落に墜落することを回避した杉浦少尉に違いない」
という噂になります。
なぜなら、その枕元に立った士官は、村民を案ずるような眼差しをしていたから。

そして、「命に引き換えて私たちを護ってくれた杉浦少尉の霊を慰めよう」と、
村民たちは祠を立てて杉浦少尉を検証することにしたのです。
それ以来、地域の守り神として、村の安寧や発展にご利益があると信じられていて、
朝には「君が代」、夕方には「海ゆかば」が祝詞として奉納されています。

やっぱり、すごくないですか?
当然、国民党政府からは取り壊すように命じられましたが、
氏子というか、地元住民は決死の覚悟で取り壊しを拒否し、
現在に至っても多くの崇敬を集めているというのですから、
祀られる杉浦少尉もすごいですが、
その節の感謝をいつまでも忘れない、
地元の方々の報恩の心もすごいなと思います。

私は、実は、“一方的な知人”のような関係性に興味がないタイプで、
たとえば、TVで見かける芸能人やスポーツ選手など、
自分は相手を認識しているが、相手はこちらを認識していないという人物に、
まるで親近感を持たないタイプです。
なので、地元出身のスポーツ選手が活躍しようとも、
直接の知人でない限りは感情移入できず、応援する気にもならないのですが、
この鎮安堂・飛虎將軍廟は特別でした。
台湾の廟に日本人を祀ってもらえて、
地元の人々に今もこんなに愛されている日本人がいることに、
日本人としての嬉しさや地元のみなさんへの感謝を感じました。

それに引き換えて、日本人はどうでしょうか。
今日は長崎の原爆忌でした。
私は原爆投下時刻である11時02分に間に合うようにコンビニに立ち寄り、
例年と同じように、車中にて黙祷を捧げたわけですが、
目を開けて周囲を見渡してみても、そのようなことをしている方はいません。
つまり、8月9日の11時02分に何もしない方がすごく多いということで、
私はびっくりしています。
系譜的に、自分には関係ないと思うから無関心なのでしょうか。

来週には終戦記念日があります。
今年は曜日配置の関係でお盆休みが9連休の方も多いと思いますが、
みなさん、終戦記念日を、キャンプに行ったりプールに行ったりと、
単なる盆休みだと思っていませんでしょうか。
墓参りはともかく、先人たちの尊い犠牲のうえで現代があり、
彼らのおかげで私たちの社会が営々と続いているのだと、
肝に銘じるというか、思いを馳せる日にしてほしいものです。

[SE;KICHI]
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渋温泉のホスピタリティ

古くからの温泉地というのは、そこはかとない虚しさを内包しているもの。
それはなぜかというと、旅行というものが持つ一般的な性質として、
『るるぶ』とか眺めながら妄想している、出発前の段階が最高潮に楽しいため。
実際に現地に到着してみると、思ったほどの楽しさがなかったりなんかして、
現実が期待を超えられないケースが多いものです。
だからこそ、以前、温泉旅館に泊まって感動したという話をしましたが、
実際に行ってみて評価が下がらないということは、
なかなか稀有なことだといえます。

具体的にどこの温泉地が……という話ではありませんが、
古くからの温泉地というのは、温泉という資源に恵まれていたため、
往々にして、提供側都合でコンテンツ設計されている、ような気がします。
ウチには素敵な温泉があるんだ、あとのことは大目に見ろ、的な。

外から眺めると不安なほどに増築に増築を重ねた違法建築の館のような旅館で、
大浴場が異様に遠いとか、その大浴場にリンスインシャンプーしか置いてないとか。
特に差がはっきり出るのが食事で、
一瞥して手を掛けていないことが丸わかりだったり、
安い旅館だと、刺身や天婦羅が最初からセットされている場合もありますし、
ひどいところになると、旅館の前に業務用食材の業者トラックが停まっていたり、
冷凍食品を搬入しているところに出くわしたりします。
これらの、コスパを追求する姿勢というのは、企業体として大事だとは思いますが、
お客様にしてみれば「そっち(旅館側)の都合」なので、感づかせないでほしいもの。

そもそも、個々の旅館のみならず、
温泉街全体で雰囲気を盛り上げる気持ちがないケースすらあります。
せっかくの温泉街なのに、勝手に休んでシャッター降ろしている土産屋とか、
宿泊客以外が店先で立ち止まると露骨に嫌がる旅館とか。
温泉街一丸となって、訪れた人に好印象を残してもらおうという団結力がなく、
閉店した店も多い、寂れたとはまた別の、冗長で閑散とした温泉街。

もっと、宿泊客が喜ぶような施策を考えられないもんかねぇと思うのですが、
ここは昔から、これでやってからよぉと言わんばかりの、
前時代的な、提供側の固定観念を強く押し出した温泉街は、
なんだか灰色っぽい淫靡なイメージで、
不倫旅行などにはむしろ向いているかもしれませんが、
明るく朗らかな家族旅行などに適してはいません。

そこへ行くと、以前紹介した渋温泉は、温泉街ごと、感心だなぁと思うのです。

まず、渋温泉は外湯めぐりが有名です。

そぞろ歩きの小路 渋大湯 綿の湯

まぁ、正直、バカじゃないかと思うような温度の浴槽なので、
なかなか9湯ある外湯をすべて巡ろうという気にはならないのですが、
野沢温泉などと違って、9湯はそれぞれ源泉が異なるのだと聞けば、
少し、巡ってみようかという気にもさせてくれるもの。
それ以上に巧妙だと思ったのは、土産屋で特別な手ぬぐい(350円)を購入し、
それに、各外湯を巡るとスタンプが押せるというスタンプラリーのような遊びで、
スタンプを揃えて寺に手拭いを持って行くと、寺のハンコがもらえてコンプリート。

外湯めぐり

というわけで、気がついたら乗せられて9湯を巡っているという仕掛けですが、
これだって、特別な手ぬぐいを売る土産屋や、
各外湯の浴槽やスタンプを管理する管理者の存在、
それから、最後に、ハンコを求めて石段を上がってくる汗だくの入浴者を、
快く受け入れる地元の寺の協力など、地域ぐるみでないと成立しません。
さらに、私が、渋温泉は徹底しているなと思っているのは、
各外湯の入り口の施錠管理です。
外湯のカギは、温泉街に投宿している宿泊客に各宿泊先から渡されるシステムで、
つまり、日帰りの客は、各外湯の入り口のカギをもらえないことになっており、
外からの客に必要以上に荒らされないという寸法です。
これは考えたなぁ、と思います。

ところで、私たちが止宿した時季には、温泉街で「夜祭り」というのをやっていました。
といっても、
仮面ライダーショーをやったり、ゆるキャラが練り歩いているような祭りではなく、
単に、各旅館やら店舗やらが、自分の店の軒先に床几やら縁台などを並べるだけ。
店主は、自分の店の軒先に腰を下ろした客を饗応するという仕組みで、
まぁ、はっきり言ってたいした企画ではないんですが、
これが実に心地よいのです。

何がって、温泉街に、ウチは関係ないからっていう、
非協力的な店舗が1軒もないから。
旅館の前の縁台に腰を下ろせば、抹茶と和菓子が振る舞われ、
お土産屋の前の床几に座れば温泉まんじゅうを供してくださり、
そば屋さんの前を通りかかればかき氷をいただけるのです。
何もない民家の前には、、、大きな将棋盤があったり、
コマ回しをするスペースがあったり、メンコ遊びのスペースがあったり。
なかには、手作りのピンボール台を置いている家もありました。
とにかく、ウチは関係ないからっていう店舗はなく、
全員参加で、訪問客を喜ばせたいという気持ちが伝わってきます。

夜の小路 コマ回し 射的場

冒頭にも書きましたが、
旅行というものは、妄想によって期待のピークを手前に設定しすぎているので、
宿命的に、現実が期待を超えられず、
現地の押しつけがましいサービスに辟易として帰ってくることもしばしばです。
それが、この渋温泉の“街おこし”と言ってもよい取り組みを見ると、
実に簡単なことでも訪問客は満足するのだということが分かります。
渋温泉は、そう高名な温泉街でもなく、カジノもストリップもありません。
つまり、ハード面では必ずしも恵まれてはいないのですが、
訪問客に対する少しのホスピタリティさえあれば
ただべニアの台にコマを並べて置いておくだけで、
大の大人がついついそれに興じてしまい、満足して帰るわけです。

ディズニーに倣うまでもなく、満足によるリピーター化が、
顧客創出の王道です。
これはうまくやったなぁ、と思います。

[SE;KICHI]

「水増す雨の」

梅雨ですね。
花粉で辛かった春も終わり、暮らしやすい時季になりました。

先日、最近知り合った20歳の女の子とメールのやり取りをしていて、
何度かメールを往復させたあと、
そのことを「なんか、文通みたいだね」と表現したところ、
「文通だなんて、年齢を感じますね」と返信されてしまいました。
あ、もう、文通なんて言うのは古いのかと、ショックを受けた27歳の私です 笑

さて、文通といえば。

その昔、平安時代の結婚というのが、
夜になると男性が好きな女性のところに通っていく、
いわゆる「通い婚」というスタイルだったというのは、それなりに有名な話ですよね。

その「通い婚」、
女性の家で一夜を過ごした男性は、
裸のまま朝までダラダラ寝ていてはいけません。
夜が明けきらぬうちに女性の家を出て帰宅するのがマナーで、
女性の家から帰った男性は、
夜が明け切ってからできるだけ早い時刻に、
「後朝の文(きぬぎぬのふみ)といって、
その女性に手紙を贈る必要がありました。

もちろん、郵便屋さんはいませんから、お手伝いさんに届けてもらうのですが、
当時、女性にとって、この手紙が届かないことは、別れを意味したので、
女性側は、ドキドキしながら手紙が届くのを待ったわけです。
『大和物語』には、「後朝の文」も届かず、数日連絡がなかったため、
捨てられたと悲観した女が出家してしまったという話が出ています。
実際には、男性は急な出張で連絡できなかっただけだったのですが、
出家されてしまっては、残念ながら、もはや後の祭り。
「後朝の文」を贈らないと大変なことになるというエピソードです。

ところで、枕草子の二七五段には、
いつも愛し合った翌朝には「後朝の文」をくれる男性が、
ある晩、何かの弾みに怒って帰ってしまったという話が書かれています。
翌朝の「後朝の文」もなかったので、
なんだか寂しいなと思いつつ、それなりに過ごしたものの、
さらに翌日の大雨の日、朝になっても昼になっても何も届かなかったので、
「あぁ、これは捨てられた」と縁側で脱力していると、
夕方になって手紙が届いて、はしゃいじゃったわというような話です。

なんか、女性の気持ちの変化が手に取るように描かれていて、
読んでいてウキウキしませんか。
いまでも、男女問わず、恋愛のハウツー本なんかでは、
「意図的に距離を置くことで惚れ直させましょう」なんていう、
ちょっとしたテクニックが指南されているそうですから、
これは現代にも通用する駆け引きと言えるでしょう。

ところで、夕方になって届いたその手紙には、
「水増す雨の」とだけ書かれていたようです。
清少納言はこの一言だけの手紙にキュンとして、
「長々と詠まれているよりステキ!」と言っていますが、
当時は、これだけで相手にどんな歌か伝わったのです。
たぶん、これは、当時の有名な歌の一節なのでしょう。
当時の教養として、有名な歌は暗記しているのが普通でしたから、
いまで言う“イントロ・ドン”みたいなもので、
「水増す雨の」と言われただけで、どの歌か相手に分かったのです。
それも、なんだか風雅で素敵だなと思いませんか。

現在、すべての歌が残っているわけではないので、
実は、この「水増す雨の」がどの歌を指すのか、分かってはいないのですが、
この分野の専門家の間では、
古今和歌集収載の紀貫之の歌を指しているのではないかと言われています。
雨が降ると水が増すように、あなたへの思いも増すよという歌で、
清少納言は、相手の気持ちを察してキュンとしているというのです。

つまり、この文通には、有名な歌は暗記していることを前提としたうえで、
その知識を駆使して、相手が何を語りかけているかまで察知しないと、
最終的にキュンとはできないわけです。
現代はLINEなどで瞬時に連絡が取れるので、
察するとか推し量るということが必要なくなりましたが、
当時は連絡手段も限られていたので、教養と感受性が大事だったのでしょう。

ところで、本当に蛇足ですが、私は、
このケースでは、雨の日に男性本人が来たのではなく、
手紙だけが届いたというのが良かったのだろうと考えています。
というのも、清少納言の雨嫌いは有名ですよね。

一般的に、当時、雨の夜に男性が女性宅を訪れるということは、
足元も悪いのにわざわざ愛情深いことだと好感を持たれていたので、
だからこそ、その好印象を狙って雨の日に女性宅を訪ねる男性も多かったのですが、
清少納言は二七四段で、雨の夜に訪れる男性はイヤと明言しています。
なぜなら、愛情が深いんじゃなくて単なる雨宿りなんじゃないの?と、
彼女は、どうも相手の好意を疑ってしまうらしいのです。
雨でずぶ濡れになってやってきて「は〜、参った参った」とかいう男、
恩着せがましくて超イヤだと言っています。
なかなかメンドクセーオンナですね、清少納言。

なので、このエピソードの男性、
雨の中を訪問することなく、手紙だけを届けたところが、
おそらく彼女の琴線に触れたのだと、私は推察しています。

しつこいですが、読んでいてウキウキしませんか。
荒天時にわざわざ通ってポイントを稼ごうとするオトコと、
まんまとそれにキュンキュンするオンナ、
一方で、そんな小技には引っかからないメンドクセーオンナと、
そんなメンドクセーオンナに絶妙な手紙を出すオトコ。
私は、毎年、大雨が降りがちなこの梅雨の時期、
当時に想いを馳せて、ほっこりするのです。

清少納言 百人一首
https://zh.m.wikipedia.org/wiki/清少納言

[SE;KICHI]

メリッサのこと。

今でこそ、サッカー好きの魔女みたいな雰囲気を醸し出している小柳ルミ子ですが、
往時は、それはそれはチャーミングだったわけですよ。
特に、慕情を駆り立てる『瀬戸の花嫁』なんて、
ヒットの要因は当時の小柳ルミ子の楚々としたルックスもあったに違いないと、
私は信じて疑っておりません。

『瀬戸の花嫁』については、
以前、JR四国の駅の列車接近メロディに採用されていると紹介しましたが、
瀬戸内海地域ではかなり思い入れを持たれている曲のようです。
この曲を知らぬ人は少ないかもしれませんが、
瀬戸内海に浮かぶ島に住む女の子が、別の島に嫁入りするという内容で、
家族との別れや、これからの新たな生活にスポットを当てた歌詞になっていて、
私なんかは、日暮れ時のオレンジ色に染まった漁村などをイメージし、
“幼い弟”の気分になって聞いていたものです。

さて。
以前、とあるご縁でブラジル大使館にうかがう機会がありました。
そこでお聞きしたのは、
この曲が、かつてブラジル移民の間で人気になっていたということ。

これは、一見、妙なことです。
瀬戸の花嫁の発売は1972年なのに対して、
ブラジル移民政策が始まったのは1908年なので、
流行るもなにも、ぜんぜん時期が一致しません。
ところが、瀬戸の花嫁の発売以降、ブラジル移民たちは、
コーヒー豆やバナナを栽培する作業中に、この曲を口ずさんでいたそうです。

というのも、瀬戸の花嫁発売の翌年・1973年に、
日本のブラジル移民政策が終了しますので、
それ以降、日本からは新しい移民はやってこないわけです。
したがって、瀬戸の花嫁は日本から届く最末期の楽曲になりますが、
政策の終了による移民たちの取り残されたような気分が、
島から島へ嫁ぐという曲の世界観に、なんとなく合ったということのようです。

ところで、1970年代というと、ブラジル移民も日系二世くらいになっていて、
必ずしも日本語を理解できる方ばかりではなかったようです。
つまり、瀬戸の花嫁が流行ったとしても、歌詞の意味は分からず、
ただ、メロディーや雰囲気から郷愁を感じ、
日本に残る有縁の方々や、祖先の墓などに想いを馳せたわけです。
歌詞云々ではなく、曲が持つ力には敬服するばかりです。

そして2019年。
みなさん、メリッサ・クニヨシという歌手を知っていますか。
日系ブラジル人の歌手で、現在16歳。
私が初めて彼女を知ったのは、
彼女が8歳の頃に出演したという、ブラジルのカラオケ番組の映像でした。


https://www.youtube.com/watch?v=1cCSLGIPiPg

彼女が歌ったのは、瀬戸の花嫁。
彼女は祖父母の鼻歌のようなものを聞いてこの曲を知ったようですが、
当時の彼女は日本語を理解しておらず、歌詞は音写だったそうです。
動画は1分22秒から貼っていますが、その前の会話も日本語ではありませんね。

しかし、どうでしょうか。
私には、情感たっぷりの歌唱のように思えます。
この時の彼女はまだ8歳ですから、
当然、移民政策初期の開墾の苦しみや、文化の違いなどへの戸惑いなど、
そういうことは経験していませんが、
彼女の歌唱を聞くと、
あぁ、おじいちゃんおばあちゃんはこの曲を大事に歌ったのだな、
移民の方々は遠い異国の地でご苦労なさったのだなと、
しみじみ思います。

瀬戸の花嫁。
私もカラオケで歌うことがありますが、
そんな郷愁は表現できない私です。

[SE;KICHI]

流行りに乗ったとかじゃなくて、昔から好きだったんだってば。

PayPay とか AmazonPay とかの利用が急拡大していて、
最近では、現金決済できない場所も出てきましたね。
経済産業省はキャッシュレス決済を推進していて、
2025年までに40~50%の決裁をキャッシュレスにする目標を打ち出しています。
もはや、キャッシュレス決済は世界の潮流といえるわけですが、
そんなときに飛び込んできたのが、5年後に新紙幣を発行する話。
このキャッシュレスの時代に新紙幣発行って、なんだか不思議な政策です。

それはそうと、新10000円札の肖像画は渋沢栄一に決まったそうです。
このブログでも、以前、ちょっとだけ名前が出たことがありますが、
近代日本経済の父・渋沢栄一は、紙幣の肖像にぴったりのような気がします。
しかし、世の中の渋沢栄一の知名度の低さときたらどうでしょうか。
失礼ながら、農業や漁業などの一次産業に携わる方に聞いたのならともかく、
経済の中枢といってもいい新橋駅前でビジネスマンに聞いたにもかかわらず、
渋沢栄一の知名度はほとんど皆無で、私は本当に驚きました。
ちなみに、弊社の Okei さんに「渋沢栄一って知ってる」と尋ねたところ、
「え? 私物は禁止? 何ですか、それ?」と言っていました。
うふふ、Okei さんの期待を裏切らない回答には恐れ入ります。

さて、決まったといえば、4月に発表された新元号「令和」です。
「令和」は、その出典が万葉集だったということで、
にわかに万葉集ブームが巻き起こりました。
20年ほど前から万葉集に興味を持って学んでいる私としても、
万葉集ブームが起こる日が来るとは思ってもいなかったので、嬉しいことです。

しかし、地味ながらも確実に起きているこのブーム、弊害もあるようで、
4月以降、富山が万葉集の故地であると聞きつけた“にわか万葉集ファン”が、
大勢で押し寄せ、歌碑などが荒らされるということが頻発するようになり、
万葉集仲間でも、手放しでは喜べないねという雰囲気になっています。
私の師匠のT先生も激怒して、自費で看板を作って設置していました。

歌碑。
繰り返しますが、富山は万葉集の故地ということもあって、
歌碑はたくさんあって、県民に親しまれています(と私は思っています)。

歌番号4017 歌番号4022

たとえば、左側の歌碑。
これは富山県射水市の放生津八幡宮というところにある歌碑です。
八幡宮ですから祭神は誉田別尊で、天皇家には関係の深い神社ですが、
746年に、越中守大伴家持が宇佐神宮から勧請したと伝えられています。
歌碑には、万葉仮名で、
安由乃風以多久吹久良志奈呉能海人農釣春流小舟己機隠留見遊」と書かれています。
万葉仮名はひらがなが発明される前の公式表記で、字自体に意味はありません。
1文字1音として、これを読み下すと、
「東風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ」、
つまり、「東風が強く吹いているらしい
奈呉の海人の、釣りをする小舟が漕ぎ進んでいるのが波間に見える」という、
なんというか、荒涼とした水墨画的な風景が浮かび上がってきます。
美しいですよね。

たとえば、右側の歌碑。
これは富山県富山市の鵜坂神社の裏手にある歌碑です。
宇佐可河泊和多流瀬於保美許乃安我馬乃安我枳乃美豆爾伎奴奴礼爾家里
と読めますね。
「鵜坂河 渡る瀬多み この我が馬の 足掻きの水に 衣濡れにけり」ということで、
「鵜坂川には渡る瀬がいくつもあって、
この私の馬の掻き上げる水しぶきに、着物がすっかり濡れてしまった」という、
こちらは躍動感あふれる情景が思い浮かびます。

詠んだ大伴家持は奈良時代の貴族で、国司として富山に赴任していました。
つまり、単身赴任というわけで、
基本的に、任地である富山の風景の美しさを詠んだ歌が多いわけですが、
単身赴任ゆえに…という感情を詠んだ歌もあります。

歌番号4020 歌番号4002

故之能宇美能信濃乃波麻乎由伎久良之奈我伎波流比毛和須礼弖於毛倍也」。→写真左
この歌は「越の海の 信濃の浜を 行き暮らし 長き春日も 忘れて思へや」ということで、
つまり、「越の海に沿った信濃の浜を一日歩き暮らしたが、
この長い春の日、片時も都の家族を思わずにはいない」という意味です。
風景の描写は抑えられ、都に残してきた家族への思いが詠まれています。
それにしても、この歌碑は魚津市の海岸にあるのですが、
これを揮毫した高瀬重雄という方は実に親切で、
同じ歌碑に書き下し文も彫ってくださっています。
高瀬さんは、歌番号4002の、大徳寺にある歌碑も揮毫されていて、
そちらも、やはり書き下し文も彫ってくださっています。→写真右

どう思われますでしょうか。
私は、実は、強風で揺さぶられる釣り船を見ても、
水しぶきで着物を濡らしている様子を目にしても、
あまり心が動かされるタイプではありません。
しかし、もともとメディテーションのようなことは得意な私、
必ずしも感性が腐っているということではなく、
単なる、関心領域の傾向性ということだろうと自負しています。
つまり、光景そのものではなく、それを見た人がどう感じるのか、
人の心情に興味があるのですが、
そんな私からしてみれば、家持の情景を詠むセンスは秀逸と感じます。
もちろん、父(大伴旅人)や叔母(大伴坂上郎女)の影響もあるでしょうが、
都から遠く離れた赴任地で伸びやかな感性が花開いたのだなと、
鵜坂の川とか越の海とか、
同じ景色を見ながら感慨深く感じます。

ところで、富山は万葉集の故地ということで、
もともと、図書館などに万葉集コーナーなどが常設されていることも多く、
私たち万葉集マニアは普段からそういうのを重宝しているのですが、
最近は、そういうコーナーを利用すると、
「あぁ、元号のアレで、万葉集、流行ってますからね ニヤリ」と、
司書の方から声を掛けられることが多くなりました。
本当は20年モノのマニアなのですが、
ブームに乗ったと思われているようで、少し恥ずかしいです。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
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私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
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■新潟営業所/
〒950-1142
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