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心の王国を完全に統治するということ。

私は、基本的に環境を変えるということを好みません。
環境を変えたら劇的に状況が良くなるということは、
見かけ上、ありえるとは思うのですが、
永続性に欠けると思っているからです。

比喩ですが、私の心の中には王国があります。
その国の国王は私です。
つまり、どのように国を治めるかは、完全に私の裁量にかかっています。
金品を貪りあう欲の深い国にするもよし、
互いに裁きあう怒りに満ちた国にするもよし、
自分に甘く怠けてばかりいる国にするもよし。
一方で、増長する欲を抑えて役に徹する国にするもよし、
互いに認め合って責め心を抱かない国にするもよし、
自分の貢献を誇らず他人の計らいに感謝する国にするもよし。
いや、私の心の王国運営の話ですよ。

先ごろ亡くなったエリザベス女王もそうでしょうが、
誰だって自国が戦乱に明け暮れるのはイヤでしょうから、
おおよそ国王というものは、領内が平穏であるよう、心血を注ぐものでしょう。
つまり、自分の心の王国は、自分で穏やかに治めねばなりません。

実際には、生きていれば、日々、いろいろなことが起きます。
喜びの日、怒りの日、悲しみの日、楽しい日、
日照りの日、曇りの日、大雨の日、嵐の日、豪雪の日、
地震の日、台風の日、津波の日、それに戦乱の日。
日々、いろいろなことが起きます。

しかし、それらの出来事をどう捉えるかは、
心の王国を統治する自分自身に委ねられています。
嬉しくて舞い上がるような気分になることもあれば、
誰かの言動にモチベーションが下がって仕方がないこともあるでしょう。
また、悲しくて泣きたくなるような日もあるかもしれません。
しかし、どんなことが起ころうと、
自分の心の王国は、自分で穏やかに治めねば、
誰かが代わりに治めてくれるということはありません。


たとえば、あの子と話していると、嬉しくて舞い上がるような気分になるわとか、
アイツを見ているとモチベーションが下がって仕方がないとか、
自分の将来を考えると、不安で泣きたくなるよとか、
そういうことを言う人がいます。
しかし、そう思っているのは、心の王国の統治者である自分自身です。
嬉しくて舞い上がっているのは自分だし、
モチベーションを下げているのも自分です。
起こっていることに問題があるのではなく、
それを統治する自分の裁量の問題です。
繰り返しますが、自分の心の王国が乱れているなら、
それは、誰かのせいではなく、国王である自身の問題です。

国王は、自分の心の王国を平定しなければならないのですから、
やる気のない同僚とか、認めてくれない上司とか、
優しくしてくれない配偶者とか、言うことを聞かない子供とか、
そんなことに心を揺らしている場合ではないのです。
上がらない賃金とか、下がらない物価とか、
止まらない円安とか、指導力のない国家指導者とか、
そういうのも全部です。
いちばん大切なことは、自分の心の王国を平定することなので、
外的要因によって、根無し草のように心を揺らしている場合ではないのです。

揺らしたら、負け。
国王として。

いやいや、この情報に満ち満ちた社会、
そのなかで生活しながら心を揺らさないなんて無理だ、という方もいます。
そういう情報に対峙してこそ、潤った人としての生活であるという方もいます。
確かにそうかもしれません。
しかし、私は、右往左往する領民の話をしているのではありません。
国王として、心の王国を完全に統治することについて話しているのです。
外部要因に心動かされて走り出すなんて、
シマウマを見たら食いつかずにはいられないライオンと一緒、
つまり、反射的に動いてしまう動物と一緒です。
いいですか、メディアを見ていろいろ感じるのは動物と一緒
少なくとも名君といわれる国王の心境ではないと思うのです。

全部自分です。
外的要因に右往左往すると決めるのも自分だし、
何が起こっても心を動揺させないと決めるのも自分です。
さて、どうしましょうか。

[SE;KICHI]]
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教育勅語ってどう思います?

教育勅語ってどう思います?

教育勅語
https://www.kakunodate-shinmeisha.jp/tyokugo.html

もう5年ほど前の話になりますが、
国会において、教育勅語の教材使用の可否について議論されました。
当時、私は、審議や答弁書における政府の見解を総じて曖昧だと感じていて、
こんなことでは誰かから厳しく突っ込まれかねないと心配していたのですが、
案の定、日本教育学会など、教育関係の17の学会が、
「政府の教育勅語答弁に関する声明」を出したのは記憶に新しいところ。

この日本教育学会などによる声明は、政府の、
「教育勅語には普遍的な価値が含まれており、
日本国憲法および教育基本法等に反しない限り、
教材として使用できる」
とした国会答弁に対するものですが、
声明文は、この政府答弁に対し、
「教育勅語とは、戦前・戦中に君主であった天皇が、
臣民に対して国体を重視する価値観を押し付け、
天皇と国家のために命を投げ出すことを強要した文書である」
と断じ、
「歴史資料としては批判的にしか使用できない」、
「普遍的価値を含むものとして肯定的に扱う余地はない」と主張しています。
まぁ、つまり、教育勅語は使えないと言っているわけです。

しかし、本当に教育勅語は、現代日本の教育に、
悪影響しかないのでしょうか。

ピーター・ドラッカーは、著書『マネジメント』で、
「日本はかつて極めて貧しく、厳格な身分制度に縛られてきたが、
明治維新から30年後、近代国家となり、
字の読めない人が、事実上1人もいない最初の国になった」と、
明治の日本を評価しています。
教育勅語は明治23年ですから、“明治維新から30年後”に貢献しているはず。

明治天皇という人物は、地方巡幸などで、わりと頻繁に学校を訪問したと聞いています。
そのなかで、天皇は、伝統的学問だけでは、近代社会では不充分であると悟られ、
本邦固有の道徳を涵養せよとの指示を発せられ、
そうして作られたのが教育勅語です。

有名な話ですが、起草した井上毅は、
その徳目が日本だけの特殊すぎるものではなく、
諸外国にも広く通用するものかどうか、かなり調査させています。
つまり、教育勅語は、日本固有の倫理の教えに基づきつつ、
世界に通用する普遍的なものとして作られた
わけです。

そのご苦労を思うと、
いまの教育勅語の扱われようが不憫でなりません。

だいたい、これ、天皇と国家のために命を投げ出すことを強要した文書ですかねぇ。
私は、普遍的価値を含むものとして肯定的に扱っても問題ないと思いますがねぇ。

教育勅語(口語訳)
教育勅語の徳目
https://www.kakunodate-shinmeisha.jp/tyokugo.html

これのどこが、天皇と国家のために命を投げ出すことを強要した文書なのでしょうか。
夫婦仲よくとか、社会の役に立つ仕事をしろとか、
普遍的価値を含むものとして扱ってもよいのではないかと思いますし、
現代の、度を越えた個人主義に対するアンチテーゼとして、
かなりの力を持つのではないかという気がします。

もちろん、ある時期の軍国主義とか、教育勅語が悪用された時期があったことは認めます。
しかし、それは使い方の問題であり、教育勅語自体の価値ではありません。
クルマを使った犯罪があったからといって、
クルマ自体を問題視して、クルマ撲滅論にはならないのと同じです。
教育勅語がまとう雰囲気にアレルギーのある方もいらっしゃるでしょうが、
だからと言って、それ自体を問題視して教育勅語撲滅論に走るのは、
いささか過剰反応ではないかと思うのです。

私は、明治の先達たちが苦労して、
その徳目が世界に通じるものになるよう尽力した、
その心意気に評価を与えないというのは、
ちょっと冒涜ではないか
とすら思うのです。

[SE;KICHI]

気持ちの変化に驚いています。

今年、お墓を買いました。

相次ぎ互いの親が亡くなったこともきっかけとなり、
数年前から話をするようになりました。
私自身は散骨でもいいかなって、ぼんやりと思う程度でしたが、
家人は違うようなのでそちらに合わせることに。

それなら見て回ろうとなり、手始めに訪れた先はチラシで目に留まった樹木葬でした。
よかったらそのまま決めてもいいかな、なんて気持ちも持ちつつでした。

霊園の方には検討し始めたばかりだと伝え、
担当に付いてくださる方が案内してくれるなか、
ところで出身地はどちらですか?と尋ねられました。
質問の意図が理解できないまま、兵庫と地元ですが、と答えると、
とたんに、あー、でしたらここの樹木葬は向いていないかなと言われました。
きょとんとしていると、
西のほうは骨壺毎に納骨しますよね、ここは骨壺から出して直接納骨するので、
と、説明してくださいました。
それを聞いたとたん、今度は家人が驚きの声をあげました。
個別のお墓であれば家人も気にならないようですが、
知らない方が隣はちょっと、と抵抗があるようで、
こちらの合葬墓は見送りとなりました。

担当の方も、探し始めたばかりだったら、
他も色々見て回った方がいいですよと、小声で助言をくださいました。

風習の違いが判明し振り出しに戻ることになりましたが、
譲れない条件が分かって良かったです。
もし、考えを聞く前に家人が先に逝ったら、
躊躇せず樹木葬にしたと思いますから。


散骨にしろ、お墓を持たないにしろ、また、持ったにしろ、
最終的には誰かの手を借りることになります。
その誰かになるべく負担を掛けないようにしなければならないことも、
譲れない条件に入っていました。

それから数年を経て、希望に近いお墓を見つけました。

そして、なんと、
買ってしまった途端に別荘を持ったような気分です!
まさかこんな気持ちを抱くなんて、想像もしていなかったのでとても驚いています。

現在は寝泊りできませんが、散策がてら時々眺めに足を運んでいます。

[fu~ma]

“ねばならぬ”は野暮やで

『ちむどんどん』が悪名高いというか、
わりとハチャメチャな展開で話題になっていますね。
まぁ、私は、朝の連ドラなんてそんなもんだろうと思っていますが、
それにしても、兄・賢秀はいただけません。
一般常識がないわりにプライドだけは高い人物であり、
方言も強いために沖縄が強調され、「え、沖縄の人ってこんな感じなの?」と、
沖縄全体を誤解されてしまいかねない描写です。
彼の登場により、物語は常軌を逸した演出が繰り返され、
ドラマ全体の評価を下げているのは、ちょっと気の毒な感じがします。

そこにきて、同時期に放映されている『芋たこなんきん』です。
作家・田辺聖子さんの半生を描いた物語で、舞台は戦後の大阪市内。
藤山直美演じる花岡町子(37歳・独身)は、
國村隼演じる開業医の「カモカのおっちゃん」と出会い、結婚。
この「カモカのおっちゃん」はバツイチで5人の子持ちで、
なおかつ両親や兄弟とも同居する10人の大家族。
毎日“てんやわんや”の町子でしたが、
持ち前のバイタリティを発揮して家事や育児と文筆活動の両立に励む……と、
まぁ、そういうドラマなのですが、
基本的に、当時47歳の藤山直美と、相手役で当時51歳の國村隼が、
徳永家の茶の間や、行きつけのおでん屋「たこ芳」で晩酌しながら、
仕事や家族や人生について、とにかく語り合うのです。
言ってみれば、おじさんとおばさんが語り合っているドラマです。

だいたい、朝ドラというものは、
幼少期から始まる主人公の物語を時系列で追うというものですが、
このドラマはおじさんとおばさんの会話が基本。
1日の仕事を終えた町子が「カモカのおっちゃん」と晩酌をし、
昔の記憶を辿って語り合いながら、
ときに、回想シーンに突入するわけで、構成としてエポックです。

『芋たこなんきん』
https://girlschannel.net/topic_image/3117075/#

たいした事件なんて起きません。
「少女編」での戦争を除けば、日常の描写が続くのです。
「カモカのおっちゃん」と結婚して徳永家に入った後は、
せいぜい、近所の寺の住職から借りた仏像の腕を折ってしまい、
それを隠そうと、接着剤でつけようとする、とか、
ちっとも小説家に向いていない弟子入り志願の男が日参し、
どうやって傷つけずに追い返すか一同で悩むとか、その程度。
それだけに、戦争のイレギュラーさが強調され、戦後の平穏さが際立つのです。

人生なんて、そんなもん。のような気もします。
そうそう毎日、心動かされるような出来事は起きません。
それでも毎日は続いていて、
身近な人との悲喜こもごもが、毎日淡々と繰り返されるのです。
バカみたいな表現をすれば、日常の尊さ、
「何でもないような日々が幸せだったと思う」ってやつです。

ところで、基本がおじさんとおばさんの会話劇なので、
やけに含蓄あるセリフが出てくるわけです。
私が特に気に入っているのはコレ。
健次郎(カモカのおっちゃん)が長女に言う言葉。
「親があ~せ~、こ~せ~て進路に口出したらあかん。
一生面倒見れるわけやない。社会出たら自分で責任取らなあかん。一歩踏み出す時。
自分で決めたことやないと自分で責任取られへん」

……主体的に生きることの大切さが伝わってきます。
それと、その健次郎の父親・喜八郎がホームレスの面倒を見ていた理由について、
健次郎曰く、
「ウチにも1人風来坊がおってな、
どっかでだれぞに親切してもらってるからおあいこやって」

……この言葉は、私の、まず与えるというポリシーの支えとなっています。

そして、その極めつけが、タイトルにもした、
「“ねばならぬ”は野暮やで」という言葉。
……これは、本当にそう思います。
マスクにワクチン、隔離に自粛と、常識にとらわれている人が多い昨今、
勢い余って他人を裁くことも是とされる現代。
果たしてその常識は本当なのか。
“ねばならぬ”ことなんて、本当はないのではないか。


それよりも、何でも話し合って進める人間関係こそ、
いまの時代に必要とされているのではないのでしょうか。

さて、まだ何週か残しているにもかかわらず、
「終わってしまうのが寂しい」と、早くもロスの声が高まっている『芋たこなんきん』。
もうすぐ最終回(9/17)ですが、
2006年の本放送当時、すでに大人だった私は、
秀逸な最終回で号泣した記憶があります。
確かに、『ちむどんどん』よりも楽しみにしている私です。

あ、もう一点。
主人公・町子の少女時代に登場する、写真技師である祖父・常太郎(岸辺一徳)の、
写真を撮るときの掛け声が、「ハイ、チーズ」とかではなく、面白いのです。
「サカナの目ぇは何個?」 ……一同、「ニコ!(2個!)」
何それ! もう、忘れられません。

[SE;KICHI]

明日、世界が終わるなら。

明日世界が終わるなら、
みなさんは何を食べますか?


先日とあるシーンで、この話題になりまして、
改めて考えた時に答えることができませんでした。
焼肉、、、
寿司、、、
ラーメン、、、
母の手料理、、、、
今、ブログを書いていても決まりません。
私は飲食店に入ってもメニューと睨めっこが続くような優柔不断な性格なので、
決められるわけはないのですが、、、

今回、私が何を伝えたいのかというと、
「私たちは恵まれている」ということです。
楽しいことがない。
お金がない。
稼いでも家族との生活費で全部消える。
毎日家と職場の行き来だけで面白くない。
などと口には出すものの、
このような下らないことを考える時間があり、
焼肉やらラーメンやら、色々な選択肢がある。
選択肢がある時点で恵まれていますよね。

選択肢がなく必死に生活を送っている人は世界中にたくさんいると思います。
「日常に感謝しながら生きる」なんて素晴らしい思想は自分にはありません。
目の前のことで精一杯です。

それでも、このブログを書いている時間くらいは、
綺麗な心でいれればいいな。と思い、文字に起こしてみました。

[T]
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kkseishin

Author:kkseishin
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