一流

最近とても心が温まった話があります。

先日、以前勤務していた土木工事会社に勤める高校の先輩から、
一本の電話がありました。
なんでも、社長が勤務中に脳出血で倒れてしまったとのこと。
驚く私に先輩は状況を説明してくれました。
現場で手足が痺れて立てなくなり、すぐ病院で手術になり、
一命は取り留めたものの、半身と呂律の痺れが残り、リハビリに励むしかないとか。
まだ51歳の方ですが、年齢なんて関係ないというか、恐ろしいものです。

高校時代、ラグビー部のマネージャーをしていた同級生の父でもある社長は、
自身も同校ラグビー部出身ということもあり、
以前より息子のように可愛がって頂き、
その縁で卒業後しばらく面倒を見て頂いた経緯があるので、
今回の件は私にとっても只事ではありませんでした。

集中治療室から出れても、
本人が人と会うと気を使ってかなり疲れてしまうらしく、
面会は避けてほしいと奥さん。
仕事も多くの現場を抱えていて、
ただでさえ少人数の会社なのに、
より大変なことになっていると従業員の皆さん。

何か力になれないかと考えましたが、
平日は本職があるのでやれることは少なく、
せいぜい皆様のお話を聞くことしかできないままの自分。
ほとんど何もできないと考えると、力不足を痛感しました。

前置きが長くなりましたが、そんな中、
私、SNSのツイッターをやっているのですが、
知り合いかも?というフォロワー予測欄に、
口髭が特徴の、元ラグビー日本代表・林敏之氏をたまたま見つけました。

林氏は、ラグビーの世界では有名で、
現役の頃も世界選抜に選ばれるほど、世界でも名の通った方でした。
数々のタイトルを所属した各チームで獲得、
第1回大会のラグビーワールドカップの日本代表主将も務めた経歴の持ち主ですので、
私はもとより、社長の世代も含めた大スターです。

林敏之さん
https://www.jiji.com/sp/d4?p=jws825-hayashiimg020&d=d4_uu

いわゆるフォローと呼ぶ友達申請をしましたが、
なんとその林氏からもフォローしてもらい驚き!
有名な方はなかなか一般の人にフォローしないことが多いので、
それだけでも興奮するのに、ましてやあの林氏ですから…!

ここまでは完全ミーハーの私。
嬉しさのあまり直接メッセージを送り、感謝の思いを伝えました。
それだけでも良いと思いましたが、
さらにそれに対して、よろしく!と返事までもらいました。

その時、興奮していた私は妙に冷静に閃きました。
あ、いま病気と闘っている社長に何かできるのでは?と。
少し欲張り過ぎかなと、少しだけ逡巡しましたが、
せっかく繋がれたのだからと、そのままメッセージ内で林氏へ、
自分もかつてラグビー経験者でした。
いま、その先輩であり、前の職場でお世話になった社長が大病をし、
苦しみながら病気と闘っています。
元気を出していただきたいので、どうかエールを送って頂けませんか?

と送りました。

するとすかさず林氏のからこのようなお言葉が。
特に送れるエールも無いのですが、楽しく苦しく美しく、で楽苦美です。
苦しさ楽しさを乗り越えて美しいトライや美しい友情が生まれたように、
人生も楽しさ苦しさを味わい尽くしてこそ、美しくなるのだと思います。
美しい人生をとお伝え下さい。


私は改めて驚き、そしてとても心が温まるように感じました。

まず、どこの馬の骨か分からないこんな自分や、
その先にいる会ったこともない社長に対して、
このような素敵な内容文を送ってくれたことに。

そしてまるで、目の前にいる1人を全力で励ますかのような振る舞いといいますか、
距離や立場を超えて、直接関わりない人をも、
瞬時にここまで励ませるんだと思うと、その心に感動しました。

ああ、やはり一流の人は違うな、
これがそうなんだな
と思いました。

すぐに社長の奥さんにやり取りのことを伝えました。
社長は大変喜んでくれたそうで、前を向いてリハビリに奮起していると聞きました。
エール文を送って頂いた林氏には本当に感謝です。
ありがとうございました。

できることは少ないことかもしれませんが、
人生の苦境に立っている人がいたら、それをどんな人だろうと全力で励ます、
その一流の心を、私も学び、実践していきたいものです。

[K.K]
スポンサーサイト

ザラキに匹敵する呪文

“もがる”というと、『殯』を思い浮かべますよね、普通の方は。
現代では皇室や、北の偉い方ぐらいでしか見かけなくなりましたが、
ご存じのとおり、葬儀の前に遺体を長期安置する儀礼のことです。
現代の通夜は、この『殯』の儀式の名残だと言われていますね。

と、『殯』の説明をしてみましたが、
私が言っている“もがる”は、その話ではありません。
古語というか、最近では、あまり使われなくなりましたが、
強情を張る、逆らうというような意味の、“もがる”。

私は、自他を問わず、ある場面に出くわしたとき、
この“もがる”という単語を連想します。
そのある場面とは、「そうは言ってもさぁ」と、理想を否定する場面。

理想というと大仰に聞こえるかもしれませんが、
「サッカー選手になりたい」とか「お花屋さんになりたい」のような、
子供のころ、自分の将来に関して夢見ていたことから、
「もっとモテたい」や「もっと痩せたい」のような下世話なものまで、
自分が思い描いていることはすべて、ある種の理想であると言えます。

私の手元にある、昭和46年刊行の『マーフィー100の成功法則』という本には、
§1から、よいことを思えばよいことが起こる。
悪いことを考えれば悪いことが起こる。
と書かれています。
つまり、思ったことはその通りになるということです。

だとすれば、「サッカー選手になりたい」も「お花屋さんになりたい」も、
「もっとモテたい」も「もっと痩せたい」も、
思っていれば、それは叶えられるということです。
もちろん、ただボンヤリと思っているだけではダメで、
「どうしても叶えたい!」と強く念じ、そのためにどうすればいいかを考え、
たとえばリフティングの練習をするとか、花卉の専門学校に通うとか、
理想を叶えるための行動を起こすことが要求されるでしょう。
それは、多少の努力感を伴うことだと思いますが、
少なくとも、何も考えずに漫然としているよりは、実現に近づくはず。

よいことを思えばよいことが起こるということなら、
よいことを思っていたほうが自分のためでしょう。
要は、思っていれば、それは叶えられる、
じゃぁ、よいことを思っておけ
ということです。

これに対して、「そうは言ってもさぁ」という、
理想を否定する言葉はどうでしょうか。
「そうは言ってもさぁ」という言葉は、通常、
「現実は厳しいよね」という、否定的意味合いの文章の接頭辞として、
わりと軽く使われている感じがするのですが、
結局のところ、理想を妄想にすぎぬと切って捨てているわけです。
思っていれば、それは叶えられるという原則に従うならば、
理想を切って捨てるという願いが、
力強く叶えられることでしょう。


「そうは言ってもさぁ」という言葉で理想を打ち砕いているということは、
言い換えれば、自分の将来を粉砕しているわけで、
結果的に人生が台無しになるという意味で、
「そうは言ってもさぁ」という言葉は、
ザラキなどに匹敵する、それはそれは恐ろしい呪文です。
本人はお茶を濁しているだけの軽い感じの言葉だったとしても、
実は、強い破壊力で理想を打ち砕く働きをする、恐ろしい呪文なのです。

私は、言葉とはとても大切なものだと思っています。
ジョセフ・マーフィーの著作の和訳では、観念的に感じるかもしれませんが、
実際、「思っていれば叶えられる」というのは真実であろうと思います。
それは、“言葉には言魂が宿る”のような情緒っぽい話ではなく、
かつて「正語」という記事で語ったことがあるように、
言葉として自分や周囲の耳に聞かせることによって、
刷り込みというか、暗示のようなことにかかりやすくなると思うからです。
簡単に言えば、ロクでもないことばかり言っているヤツの周りには、
ロクでもないヤツらばかりが集まってくるという話です。

子供のころの叱られたトラウマとか、若いころの苦い失敗経験とか、
理想を否定したくなるような、「そうは言ってもさぁ」なんて、
誰にでも、それこそ掃いて捨てるほどあるでしょう。
しかし、そんな意味のない経験を思い出したところで、
理想が傷つくだけで、人生に少しのメリットもありません。
したがって、賢い人は過去には囚われないものです。
要は、理想を否定したくなるようなトラウマや経験は、
人生を暗くする分、思い出すだけ損というもの。

明るい未来をひっくり返さないために、
自分が思い出す記憶はコントロールして、
使う言葉にも気をつけたいものです。


[SE;KICHI]]

怖いって貴重な感情だとは思いませんか。

怖いって貴重な感情だとは思いませんか?
緊張や不安はしょっちゅう感じることができますが、恐怖は滅多に感じません。
それは私が勇敢だから、というわけではなく、
恐怖場面に日常なかなか遭遇できないからです。

幸せなことに命の危険を感じたこともないですし
(雪の高速を走るときは「死ぬ―!」と思いますが)
ホラー映画を観ても、やはり娯楽なので、ちょっとワクワクというか、
怖いもの見たさみたいなところがあります。
楳図かずおの漫画が好きで集めているのですが、
あの漫画の登場人物たちの怖がり方は凄いですね。
「ギャーッ!!」と言って目と口をこれでもかとばかりに開いて飛びすさる。
あんな怖がり方・驚き方1回はしてみたいなと思います。

先日お客さんのゴルフコンペに参加したのですが、
朝宿泊していたホテルから芦原ゴルフクラブまで、ナビの言うとおりに走っていたら、
どう考えてもこの先にゴルフ場があるとは思えない、という道を走らされました。

ゴルフ場に行くのは初めてだったのでわからないのですが、
イメージ的には「ようこそ、芦原ゴルフクラブへ!」みたいな、
アーチ状の看板をくぐると思っていたのですが、
道は狭く、両側には荒れ果てた丘(?)
道を間違えているんじゃないかととても不安に思いながら走っていました。

その時です!私の目の前に風力発電所が現れたのは!!

…何のビックリマークだよ、と思われるかもしれないですが、
私、巨大なものが怖いんです。
周囲に何もない土地に建つ、白く無機質で巨大な発電風車。
「ヒェー!!」と声が出ました。
心臓がギューッとなって、冷や汗。
「怖い!!!」

子供のころは夜に見る大きな木が怖く、
現在では例えば日本各地にある巨大な宗教施設も、威圧的でぎょっとします。
富山に戻ってから調べたのですが、
私が見た風力発電所は「あわら北潟風力発電所」、愛称:あわら夢ぐるま。
(どこまで浸透しているかわかったもんじゃないですが)
あんなに恐ろしいものに愛称がついている⁉

あわら夢ぐるま
http://www.jpower.co.jp/wind/win01900.html

周囲にはちらほらと民家もあったのですが、住民の方たちは怖くないのでしょうか?

ここで一つ面白いと思うのは、生死に関わりはないのになぜ怖いのか。
どうして巨大なものが怖いのかということです。
世の中には高所恐怖症や先端恐怖症などいろいろな恐怖症がありますが、
巨大物恐怖症というのもちゃんとあるそうです。

自分が好きなものだったら巨大でも平気なんでしょうか?
・巨大なムーミン像
→彼は意外と空虚な眼差しなので、巨大になったら怖いかもしれない。
・巨大な柴犬の像もしくは巨大なペンギンの像
→意味がわからない。想像がつかない。多分怖い。
・巨大な鶴竜の像
→絶対に怖い。
うーん・・・好きかどうかはあまり関係がないようです。

どうやら怖いと感じる条件は、
・対象物がある環境(空き地にいきなり巨大なものがあると怖い)
・車に乗っている(全体像を把握しづらい、対象物がどんどん迫ってくるから怖い)
・自分以外、周囲に人が見当たらない(1人だと大抵のことが怖い)
以上3点かなと思いました。

ゴルフコンペの結果は、だいぶオマケしてもらってもスコア198、
言うまでもなくブービーメーカーでした。
でも、ブービーメーカーってどういう意味よ?
こんなレベルでゴルフコンペに参加するのもある意味恐怖体験ですよね。

でもブログに書くほど記憶に残ったのは、ゴルフコンペよりも風力発電所の怖さ。

皆さんの怖いものって何ですか?

[a.]

みんな・・・死んじゃったのかな・・・?

すごく退廃的なタイトルをつけてしまいました。

少し前、私が運営に関わっている社団法人の理事会がありまして、
その席で誰かが言ったセリフです。

各家庭での子育ても然り、企業における人材育成も然りですが、
何のために人を育てるのかと言えば、
いつか、自分でエサを獲れるようにするためでしょう。
自分が去ったあとも、仲間に囲まれた豊かな社会を築いてほしいと願うから、
大人は、次世代を担う子供たちに対し、道を示そうとするのだと思います。
それは、大人としてというか、先達としての義務であると、
少なくとも私は、そう思います。

だとすれば、私たち先達は信念を持っている必要があります。
子供たちに輝かしい未来を残したいと思えばこそ、
生き方のベースになる“考え方”を、子供に示さねばならないわけで、
どいういう信念を持って日々を過ごしているか、避けて通れません。

最近、『漫画 君たちはどう生きるか』というのが出版され、人気のようです。
原作の『君たちはどう生きるか』は、1937年の刊行なので、
80年前の書籍の漫画化ということになります。
また、宮崎駿監督が制作中のアニメ映画の次回作タイトルを、
『君たちはどう生きるか』にするのだそうで、
目下、『君たちはどう生きるか』ブーム到来の様相です。

君たちはどう生きるか

別に、それはいいのです。
私自身は、著者である吉野源三郎に恨みはないものの、
この作品を称賛している丸山眞男の思想が好きになれないため、
そういう理由で申し訳ないけれど、この作品は好きではありません。
ただ、内容はマチェアだと思うし、
心を豊かに保てる術を伝えるという意味で、よい作品なのだろうと思います。
だから、別に、それはいいのです。

物語の主人公は、中学2年生の「コペル君」。
いじめなど、学校で起きる出来事に、どう向き合うか苦悩しています。
そんなコペル君にアドバイスするのが、近所に住む叔父さんです。
叔父さんは、コペル君とやりとりする交換日記みたいなノートに、
「ものの見方、考え方、社会の仕組み、その中での、自分とは何か」を、
悩みと向き合うためのヒントとして書いてくれます。
私たちは、まぁ、その交換日記の内容を読む形になるわけですが、
実際のところ、コペル君はなにしろ中学2年生という若さゆえか、
「どうすればいいのか分からないんだ・・・・」と頭を抱えたりします。
しかし、別に、それもいいのです。

私が妙だなと思っているのは、この作品が人気を博している点です。
『君たちはどう生きるか』という本が売れているということは、
『君たちはどう生きるか』を知りたい人が、それなりに多く存在するということ。
裏を返せば、『君たちはどう生きるか』というテーマについて、
本を買って読まなきゃ分からない人が、多くいるということです。
つまり、私の違和感の源は、
そんなの人に聞かないで、自分で考えろよ
ということです。

私は、あまり悩みながら育ってきたタイプではありませんし、
中学生時代にこの本を手に取ることはありませんでしたが、
現在、自分がどう生きるかについては、いつも考えています。
たかだか100年に満たない人生のなかで、この世の中に何を遺せるのか、
この本を読まなくても、私はそのように考えるようになっています。
人生の中で、いろいろな人からいろいろな刺激を受け、
自分で自然にそうなったということです。

作中、コペル君は日常生活の些細なことから、
人間の本質とでも言うべきことをいくつも学んでいきます。
それはそれでいいんです。
でも、自分で感じたり考えたりすることを放棄して、
この本の内容を人生のバイブルのように感じてしまう読者って、
それはそれで大丈夫なのか、
自分で思考することはないのかと、私は恐ろしくなります。

作中、叔父さんはコペル君に言います。
「死んでしまいたい」と思うほど自分を責めるのは、
君が正しい生き方を強く求めているからだ
、と。
・・・・・・いやいや、そういう面はあるかもしれないけれど、
ダメでしょ、そんなことを書籍で肯定しては。
だって、それを無審査でを人生のバイブルのように感じてしまう読者がいるんですから。
そして、ダメでしょ、そういうことが書いてある本がブームになっては。

社会は少しずつバカになっているのではないか。
ちゃんと考えることのできる人、みんな・・・死んじゃったのかな・・・
もう、いないのかな・・・

もともと、各自がしっかりしてさえいれば、
各自が信念に基づいて、それぞれしっかり対応するはずだということです。
こんな本、読まなくていいと思うんです。
各自がしっかりしている前提ですが。

漫画でもいいからこういう本に触れるべきという意見もあるかもしれませんが、
むしろ、私は、子供たちが自然にそうならない社会なのであれば、
そこに至る契機を大人が作ってやるほうが大事なのではないかと思うし、
そのために自分ができることをしていきたいと思います。

ちょっとキャッチー過ぎるタイトルでしたが、私の寂しさが伝われば幸いです。

[AKA]

おかずのクッキング

1年ほど前に土井善晴さんの記事がありましたが、
土井善晴さんといえば、『おかずのクッキング』ですよね。
お父上の土井勝さんの番組を引き継いで、40年以上続いている料理番組ですが、
この番組の土井さんとアシスタントの久冨慶子さんとの掛け合いが斬新というか、
土井さんの一貫して自由な感じが面白いんです。

たとえば、先日は納豆を挟み込んだオムレツのようなものを作っており、
まぁ、私は納豆などに少しも興味はないのですが、いちおう見ておりました。
まず、納豆をかき混ぜて粘りを出し、これを火にかけて少し温め、
それを火から降ろして粗熱を取り、その間に生地となる部分を用意する、と。
(いや、うろ覚えですよ。なにしろ私は納豆などに少しも興味はないので。)
料理番組とは、無言で淡々と進行するものでもないので、
久冨アナウンサーが、何気なく、
「どうして、ここで一度火から降ろしたほうがいいんですか」と質問します。
普通は、「あんまり火を通しすぎると風味が落ちるから」とか、
そんな答えを予想しますわね。
しかし、その質問に対する土井さんの答えは、
「え? そのほうがいいと思ったから。」

・・・・・・コレ、よく考えたら、かなり斬新な切り返しじゃないでしょうかね。
だって、「どうして?」って聞かれて、「そう思ったから」って、
質問に対する答えになってないですもん。
小学生みたいな切り返しです。

その後も、慌てて何かそれっぽいことを言い繕うでもなく、
「いや、そんなんでいいですよ。ダメ?」と、
料理初心者(という役)の久冨アナウンサーに、逆に聞く始末。
自由ですよね。

私はこの放送を見て、とてもいいな、見習いたいなと思いました。

人間を含む動物は、いろいろな行動の積み重ねで毎日が成り立っています。
その行動というのは、もともとは何かの思考に立脚して起こるものですが、
とはいえ、多くの場合は、その行動は習慣化され、無意識に行われるはずです。
たとえば、“歩く”という行為をとってみても、
「右足を出す」「左足を出す」「右足を出す」「左足を出す」・・・
のように意識することは、ない、でしょう、軍隊の行進ならいざ知らず。
つまり、人間の行動はほとんど自動運転ってことですよね。

自動運転といえば、飛行機の自動操縦とか、クルマの自動運転とか、
安全を担保するための高度なプログラムというイメージがありますが、
こと生物の自動運転というのは、無意識の行動パターンということで、
きわめて動物的な機能であるような気がするのです。
意識して右、左、右、左と歩むヒトはまれでしょうが、
たぶん、キリンもチーターも、カエルもカマキリも、同じでしょう。
普通は無意識に歩いたり走ったりしているわけです。

カッコよく言うと「心の赴くままに」という、
放浪の画家みたいな言い方になるのかもしれませんが、
それは結局、野放図というか、野生の勘に従うということでしょう。

土井善晴さんの「え? そのほうがいいと思ったから。」は、
理由なんてないよ、感性に従ったまでさ という意味でしょうが、
しかし、なかなか自分の感性に自信が持てるものではありません。
私も、たまに地元でラジオに出させてもらうことがあるのですが、
自分が話す内容に盤石の自信を持つというのは、意外と難しいものです。
そんななかで、「いや、そんなんでいいですよ。」という自信。
私はここに、信念の強さを感じます。

「そのほうがいいと思ったから。」

信念さえしっかり確立できていれば、自動運転の精度は上がるわけで、
そうなってしまえば理由なんていらないということなんでしょうね。
自分に自信がないとかいう人が多いご時世、
自己肯定感とか、いろいろな意味で勉強になる一言でした。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR