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ファミリーヒストリー

NHKの『ファミリーヒストリー』という番組の再放送を何も考えずに眺めていました。
この番組は著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、
アイデンティティや家族の絆を見つめるのが目的の番組です。
毎回幅広い著名人が出て、驚きや感動ありのドキュメンタリーになっています。
調査の過程では、ともすれば、
古文書の系譜図を頼りに江戸や戦国の世まで遡ったりするもんですから、
私は割と好きですね。

そこで、ふとこの番組を観て、自分はどうなのだろう?と思いました。

私の両親は、共に地元である富山県出身です。
母方の祖父母は施設に入っているものの、まだ存命です。
その祖父母はそれぞれ10人兄弟で、
特に祖父方は遊郭好きの曽祖父とヤンチャな曽祖母のもと産まれ、
富山市中心部から出身、県内や県外へ散り散りになり、
それぞれ家庭を成したとか。
ある人は教師に、ある人は某ガラス会社を創業したり、
ある人は芸能人のマネージャーになったり等、意外と大勢いて活躍してたりと、
何やら誇らしいのやら、遠くてそんなに実感が湧かないのやら…。
まあ母なんかは双方合わせて従兄弟が50人近くいたそうなので、
正月の顔合わせなんかは大盛り上がり!
曽祖母にも会ったことありますが、
まあ凄かったでしょうね~顔とか覚えれるのでしょうか。
お年玉とか大変でしょうに。笑

そうすると、私には、薄くても血縁のある再従兄弟姉妹なんかは、
もっと大勢いるということになります。
まさに一族って感じです。
一部は知っていますが、そのほとんどは知りません。
ですから、もはや知らないうちにその再従兄弟姉妹に会っているのでは?
とか考えてみたりします。
実際高校の頃、後輩でいました!後で知り驚きました。まさか、あの娘が?と。
これ、考えたら結構面白いことだと思います。

では、父方はどうかというと、
祖父母のうち祖父は、
私が産まれる前に亡くなっていますので会ったことありませんが、
祖母は兄弟がいて、それでも8人ほどです。
半数は戦争で戦死したり、復員したものの、
その後の回復が悪く病気で亡くなったりしたと聞きました。
残り半数は会ったことはありますが、歳もありほとんど他界しています。
だから父の従兄弟もそんなにいないのです。

ここまでのことから、
母方は大勢いて明るいイメージ、父方はほとんどいなくて暗いイメージ。
ここまでが私が何となく教えられ、知っていた自らのルーツのこと。
ここで、冒頭にも思った疑問がまた出てきました。
ん、あれ?そういえば父方のルーツは何?

知っていたのは長野県佐久市方面出身という、
富山の生まれではないということだけ。
知りたくなって聞いてみましたが、祖母は全く話しません。
父も話しづらそうでした。
母に聞くと、どうやら祖母は、”当時の嫁”としては異例の、
祖父方の実家や親戚付き合いを完全放棄して、
自分の兄弟のみの付き合いしかしてこなかったとか。
(狭く易しいコミュニティだけの付き合いだけ。嫌なことから逃げてきたのでしょうか。)
ので、祖父が亡くなった後、父が結婚したことも、私が産まれたことも、
何も伝わっていない。
逆にあちらがどうなっているかも知らない、まさに無でした。

こんなありさまですので、尚更その祖父の実家行って確かめたいと思った私は、
渋る父を連れて長野県佐久市の実家方面へ向かいました。
場所は父が教えてくれたのですが、
なにぶん行ったことないので少し緊張しました。

先祖が眠る墓
(先祖が眠る墓だそうです。眺望の良いところでした。)

まずは年賀状だけは届いていた、祖父の妹である大叔母の家に伺いました。
初めて会う大叔母は80後半ですが大変元気で、歓迎してくれました。
祖父の葬式以来です、祖母の非礼を詫び、
この24,5年間のことをざっくり話すとこから始め、
孫がもう大きくなり私と同世代、大阪と松本市にいると教えてくれました。
ひとつ、知ることができました。
これからは定期的に会うことになりました。

その次は隣、御牧ヶ原高原のある東御市へ、
弟である大叔父の家に向かいました。
父は記憶を頼りに、ここやここやと懐かしそうに案内、
高原の山の中の小高いところにありました。
インターホンを押すと、父より若い感じの息子らしい人が出てきました。
父は懐かしそうな表情で、葬式以来やな!と話しかけていました、
どうやら従兄弟みたいです。
そうしているうちに奥から大叔父が出てきました。
こちらも初めて会いましたが、とても元気な方です、
突然の久方ぶりの来訪にびっくりしていました。
そして、とても祖父にそっくり瓜二つなのです。笑
(私は写真の祖父しか知りませんが、父曰く、まるで親父と会っているみたいだそう。)
産まれる前に亡くなっているので、祖父に会ったことはありませんが、
まるで祖父と会っているような気分になりましたね。
随分と無沙汰であったにも関わらず、よく来たと歓迎してくれました。

しばらく会わない間のことなどざっくり話しながら、
自分より年上の孫が東京と宮城県仙台市にいること、
また祖父のことや、この一族のことなど聞きました。

話によると、どうやら大叔父の住むこの家が、皆の本当の実家だとか。
一族に関しては、古くは刀鍛冶の職人をしながら、
宮内庁に献上する馬を高原で育てる兼業する、
吉澤という姓の家だったらしいですが、
今の姓の家が男児が産まれなかったことから、
長男ながら婿入りしてきて、変わったそうです。
祖父に関しては、旧制中学を卒業後、
長男であるにも関わらず単身石川県小松市に渡り、
海軍の爆撃機通信兵として訓練を受け、出撃間近で終戦。
その後鉄工所などで技術を学んで転々とした後、
不二越に就職し、富山へ住み着いたこと等、様々教えてくれました。

何から何まで驚きの連続でした、
自分の先祖はこうだったのか!などと。

そして、そんないろんな人がいて、今の自分がいるんだと思うと、
ありがたいなと感じました。
自分に関する、家族の知らなかったことや、
そのルーツを知ることができ、本当に良かったです。
本当の孫を見るような優しい目で歓迎してくれたその大叔父とも、
定期的に会うことになりました。
そのことを聞いた兄弟達も意外と気になっていた?そうです。
後日会いに行きました。


実家から見える浅間山
(実家の方から見える浅間山、雪が被って本当に綺麗でした。)

まさに驚きの感動の連続でした。
全て知り得たわけではないですが、これが私のファミリーヒストリーです。

自分は一人ではなく、誰かの繋がりから始まり、
その人達の様々な思いや、物事の上に生かさせてもらっている。

両親共にそうですが、改めて関わりある全てに感謝したいと思います。
また、これからは自分の時代のファミリーヒストリーを、
子やその先の孫に一生懸命紡いでいこうと思いました。

[K.K]
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一日一生。

お通夜に参列したときの話です。

以前、『ロマンチックな世界観』ということで特殊な世界観について書きましたが、
私も、その記事でご紹介した方と同じで、
人間は修行のために地上に生まれ、修行が終わると天国に帰る
という、修学旅行のような人生観を持っていますので、
基本的に、人の死を悲しいことだとは感じなくなっています。

それが、先日、悲しいというか、凄いなと思うお通夜に参列しました。

故人は51歳の主婦の方でした。
乳がんからの転移を繰り返し、5年も闘病した末に、
高校1年生と中学1年生の2人の娘さんを遺して亡くなりました。
ママ同士の交流があったのでしょうか、
制服をまとった娘を伴う母子連れが多く参列していたのが印象的でした。

読経が終わり、喪主の挨拶に移ります。
憔悴した喪主は開口一番「みなさん、申し訳ありませんでした」と謝りました。
彼は、妻が闘病中であることを誰にも言っておらず、
今日、突然、訃報という形での案内になったことを詫びたのでした。
私は喪主と交際があっただけで、
故人である奥さんのことは存じ上げない立場だったので、
私が病状を知らないのは別に不思議ではなかったのですが、
驚くことに、その挨拶によれば、娘たちにすら病状は伏せられていたとのこと。
故人はこのお通夜の前日に亡くなっているのですが、
娘たちに母の死期が知らされたのは、さらにその前日だったそうです。
この徹底して隠すという故人の遺志に、私は矜持を感じ、感嘆します。

また、故人は亡くなる少し前から、
ゴミの捨て方を間違わないように伝授したり、
娘が自分で弁当を作れるように指導したり、
いろいろのことを精力的に教え込んでいたといいます。
これは、明らかに“引き継ぎ”です。
その時の心境というのは、どのようなものだったのでしょうか。
本当は闘病を実らせて復活したかったはずですが、
どうやらそれは叶わず、
娘に弁当を作り続けることはできないらしいと悟ったとき、
母親として、娘が自分で生きていけるようにと方法を与えたわけです。
その時の心境というのは、どのようなものだったのでしょうか。

元来、子育てとはそういうものだと思うのです。
最近では過保護な親が増えたと聞いていますが、
蝶よ花よと祭り上げられた子供が何もできないのは当然で、不幸なことです。
親がいつまでもエサを口に入れてやるわけにはいかないのです。
いつかは自力でエサを探せるようになってもらわないといけないし、
いつかは天敵から自分で身を守れるようにならなくてはいけない、
いずれは森に放つつもりで育てないといけないのです。
亡くなった彼女の場合は、そのいつかが今だったということでしょう。
巣立ちが高1と中1というのはいささか早かったのかもしれませんが。

いや、実際のところ、私も死にゆく肉親を見送った経験がありますが、
日に日に衰えていく母親の姿に、
娘たちが何も感じていなかったということは考えにくいでしょう。
母親が、どうして自力で弁当を作ることを強要してくるのか、
本当はみんな分かっていたはずなんです。
しかし、母親はそのことを明文化せず、娘たちも尋ねない、
あえてそのことに誰も触れないという空間がそこにあったのでしょう。
そこには関係者全員の覚悟を感じます。

最終的に、娘たちが満足に弁当を作れるようになったころ、
つまり、自分でエサが獲れそうに育った娘たちの姿を見届けたころ、
故人はついに亡くなってしまったわけです。
亡くなってすぐ、葬儀の準備をするなかで、
あらかじめ「もしもの時に使ってよね」なんて、
冗談めかして撮っていた記念写真を遺影に使おうと取り出したところ、
その額の裏に、笑顔のイラストとともに、
「楽しい人生でした。ありがとう。」と書かれていたとのこと。
喪主が膝から崩れたのは想像に難くないことです。

このような喪主の挨拶は、私が過去に聞いた挨拶のなかでは長いものでした。
かつて私が喪主を務めたときのことを思い起こしても、尋常でない長さでした。
しかし、ぜんぜん迷惑などではなく、
私はこの喪主の挨拶を聞いて、いたく感銘を受けたのでした。
うまく言えないのですが、
心配をかけぬようにと娘にすら病状を隠した彼女の生き方は、
遺された家族がしっかり生きていけるように必死で段取りした彼女の生き方は、
最期の最期に相手に感謝を伝えようとメッセージを残した彼女の生き方は、
相当に立派な生き方であり、相当に立派な死に方だと感じます。
そして、生きるということはどういうことなのかを、
改めて感じさせてもらった気がします。

どの人も不死身ではないし、死が迫ることは自分にも起こりうることなのに、
みんな、もちろん、私も含めてですが、そんな日は来ないと思ってるのか、
私たちは本氣で生きてない感じがします。
それはいつもぬるくて、必死に生きて死んでいった人に失礼だなって思いました。
実は、私、昨年から終活を勉強し始めているのですが、
本気で生きていない人ほど、あるものに執着しているというか、
身の回りの整理が大変になるように感じています。

一日一生。
大昔にも書きましたが、人生は1日1日の繰り返しです。
しかし、それは、ある日、必ず終わるんです。
それがいつかは、分かりませんし、終わり方も人それぞれです。
いつ終わるかなんて分からないのだから、
今日、終わっても悔いなしと思えるよう、必死で生きたいと誓ったお通夜でした。

[SE;KICHI]

安田さんに学ぶ蓄財のポイント

富山が生んだ偉人って、誰を思い浮かべますでしょうか。
浅野財閥を作った浅野総一郎でしょうか。
それとも、ホテルニューオータニ創業者の大谷米太郎か、
「国の誉れ」という願いを社名に託したコクヨ創業の黒田善太郎か。
丸井を創業した青井忠治とか、清水建設を創業した清水喜助も捨てがたいし、
私個人としては、インパール作戦の牟田口廉也陸軍中将の上官で、
後世に愚将だなんだと悪評芬々な河辺正三陸軍大将も挙げたいところ。

まぁ、いろいろ挙げてはみましたが、富山が生んだ偉人の筆頭は、
やはり安田財閥創業者で金融王と言われた安田善次郎でしょう。
富山駅前には安田善次郎翁の資料館のようなものがあって、
時折、といっても半年に一度ほどですが、私も見学に出かけます。

安田善次郎記念室

安田善次郎翁といえば、なんといっても『今日一日の事』ですよね。
この記念室には、その、『今日一日の事』が展示されています。

「今日一日之事」

『今日一日の事』

一 今日一日三ツ(君父師)の御恩をわすれず不足いふまじき事
一 今日一日決して腹を立つましき事
一 今日一日虚言をいはず無理なる事をすまじき事
一 今日一日人のあしきをいはず我がよきをいふまじき事
一 今日一日の存命をよろこび家業を大切につとむべき事

右は今日一日の慎みにて候

翌日ありと油断をなさず 
忠孝も今日一日とはげみつとめよ

********

これは、安田善次郎翁の考える“重要なこと”ということですから、
おそらく、生前、自らにも課されていた人生訓みたいなものでしょう。
繰り返しますが、安田善次郎といえば、
安田財閥創業者で金融王で、東大安田講堂を寄付した人物です。
その安田善次郎翁が自分に課していた戒が、
たったの5点だったということに、まず衝撃を受けます。
しかも、内容も、そんなに難しいものではなく、
愚痴を言うな、怒るな、ウソつくな、悪口言うな、仕事がんばれ……くらいの、
小学生でも理解できそうなレベルであることに、再び衝撃を受けます。

結局、これほど平易なことが、
いかに難しいかということでしょう。


「一日一生」などと、古今東西、人口に膾炙して久しいですが、
本当に、今日一日に全力で立ち向かえているか、
その大事な一日を毎日積み重ねていけているか、
未来は今の積み重ねだと分かっていても、
その自問自答には実に厳しいものがあります。

さて、安田家があったのは、この資料館から徒歩で10分もかからない場所で、
農家や下級武士が多く住んだ貧しいエリアだったそうです。
家の跡地は富山市に寄贈され、安田記念公園になっているのですが、
そこにある「松翁安田善次郎翁誕生地」の石碑が、
なんと高橋是清の揮毫によるものだそうで、
え、こんな田舎に高橋是清?と興奮します。

高橋是清 揮毫

ところで、安田善次郎翁の蓄財の秘訣は何でしょうか。
安田善次郎翁は、偕楽会という富豪同好会のようなものを作っていて、
そこには高橋是清のみならず、渋沢栄一とか浅野総一郎とか、
それはそれは、そうそうたるメンバーが集っていたようですが、
明治37年に、そのメンバー内で「偕楽帖」という、会内誌を作っています。
安田善次郎翁はその序文を書いているのですが、そこには、
「其楽むや、豪奢を衒はず、貧素を旨とし、清遊を期す」
と書かれています。
……たぶん、これが、具体的な蓄財の秘訣でしょう。

さて、2019年は、
5月には譲位関連の10連休があり、お盆も曜日の配置から9連休もあるなど、
やたら休みが多いので、空前の好景気が予想されていて、
旅行業界など、笑いが止まらない状態だと聞きます。
世間の景気予測や消費動向はそうだとして、
さあ、私たちは、安田善次郎翁の蓄財の秘訣、果たして実践できるでしょうか。

[SE;KICHI]

まんぷく

憲兵に何度も逮捕され、一時はどうなることかと思いましたが、
いやぁ、やっと形になってきましたね、即席ラーメン。
ちょっと、感動しながら見守っている、そんな感じです。
NHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』の話です。
今さらドラマの説明は不要かもしれませんが、
チキンラーメンを発明し日清食品を創業した安藤百福さんをモデルとした、
インスタントラーメンの発明を成し遂げる夫婦の物語です。

私はこのドラマ、なかなか示唆に富んだ話だなと思うのです。

だいたい、これまで、朝の連続テレビ小説といえば、
現実感がないほどに元気いっぱいな女の子が主人公で、
紆余曲折ありながら、長じてはキャリアウーマンとなり、
持ち前の明るさとバイタリティで人生を切り拓いていくという話が多いものでした。
今回の『まんぷく』の主人公である福子も元気いっぱいですが、
従来と違うのは、夫を補佐する妻という役割で、これまであまりなかったタイプです。
では、この福子という人物は、昔ながらの内助の功型の主婦なのかといえば、
私には、そのように描かれているようには見えず、
それよりも、補佐役としての能力が非常に高い人のように思うのです。

発明家である夫・萬平の仕事は、当然、一朝一夕では成果を生まず、
萬平は、たびたびネガティブな思考に取り憑かれたりするのですが、
夫の才能を信じる福子は、彼が見たことがない発明をするのを、
「ワクワクする」と応援し、彼が余計なことに気を取られないよう、
家事から金策までを一手に引き受け、夫を支えるだけでなく、
「萬平さんなら絶対にできます」とか「私は信じてますよ」とか、
そんな夫に頻繁に声を掛け、夫を鼓舞し続けます。
挙句の果てには、遠い目をして、
「萬平さんの作ったラーメンでみんなが笑顔になっているのが見えます」などと、
ポジティブな予言者のようなことを言って夫を励まし続けます。

補佐役というのは、
まずはリーダーの信奉者でなくてはいけません。

その点、この福子は、妻としてではなく、補佐役として優れていると思います。

特に感心するのは、その励ましも単調なものではなく、
必要に応じて叱咤するところです。
研究過程で、ボソボソだった生地をなんとか麺の形にしたものの、
勢い込んで試食してみたところ、コシがなくて食べれたものではなかったため、
落ち込んだ萬平が酒に溺れるシーンがあったのですが、
そんな彼に福子は「麺になっただけでも一歩前に進みましたね」、
「ダメやて分かったんやから。それはええことやありませんか。ネッ」と、
ちょっとドスの利いた声で、夫の再起を促します。

私は、このシーンに、ちょっと感動すらしました。

昨今、“褒めて育てる”というバカな教育論が跋扈していますが、
その結果、人間としてデフォルトが劣化したことは明らかです。
ちょっと妙な運転のクルマを見かけたら幅寄せしてみたり、
魚をゴミ箱に放り込んだ動画をSNSにアップしたりと、
バカな教育論は、自分が満足なら何をしても良い、
何よりも自分の感情の動きが大事だ!という、
自己本位なバカを量産することになったわけです。

私は常々、“褒めて育てる”を「バカな教育論」と思っていますが、
そうすると、「では、あなたは、“叱って育てればいい”と思っているんですか」と、
薄っすら批判を含んだ質問をされることがあります。

カウンセリングの専門用語で『承認』と言いますが、
人は「気に掛けてもらっている」という安心感によって、
モチベーションが湧き、発言や行動ができると言われています。
しかし、この『承認』という和訳された単語が、
「褒めること」と混同されやすくなっているのではないかと思うのです。

もちろん、相手が幼児のうちなど、「すごいね」と褒めることも『承認』ですが、
褒美を多用すると、くれる人がいないとアクションを起こさなくなったり、
その褒美が駆け引きの材料となってエスカレートしたり、
褒美ばかりに目が向いて、事物に対する関心が失われたりする弊害があります。
また、褒めることでもっと成果をあげてもらおうとする意図もある場合には、
相手の反発心を生む可能性だってあります。

人は、「誰かが見てくれている」という感覚だけで、
くじけずに行動することができるそうです。

これは、もはやセオリーであると言われています。

だとすれば、正しい『承認』は、ただ「そうだね」と、
善悪を判断せずに、起きたことを確認することでしょう。
ここに、個人が抱いた恣意的な善悪を持ち込むから、
腹が立ったり、許せない気持ちが起きたりするのでしょう。
これが、社会を殺伐とさせる秘訣のようにも思います。

福子のように、ほんの少しでも進歩していることに気付き、
それを「よかったね」「ダメだったね」などではなく、
「進歩がしたね」と事実を指摘するだけというやり方は、
本当に、私はちょっと感動しました。
実は、これはいつもその人のことを見ていないとできないことです。

信奉者であるだけでなく、補佐役というのは、
リーダーに対する参謀役でなくてはいけません。

福子は、ここでも妻としてではなく、参謀として優れていると思います。

フィクションというか、架空の人物の話ですが、とても勉強になります。
あと、半年見続けているうちに錯乱したのか、
なんだか安藤サクラさんがいい女なんじゃないかと思い始めていて、
そういう自分に驚いたりもしています。

『まんぷく』
https://www.nhk.or.jp/mampuku/

[AKA]

衣裏繋珠のたとえ

ある貧乏な人が、親友の家を訪ねてお酒を飲んだところ、大いに盛り上がり、
2人して酒に酔って眠ってしまったそうです。
ところが、翌朝、
その親友は早朝から仕事で遠方に行かなくなければならなかったので、
寝ている友人を起こすのも忍びないと、彼を置いてそのままそっと出かけるのですが、
この親友はちょっと裕福な人だったので、貧乏な彼を憐れみ、
寝ている彼の足しになればと、
彼の着物の裏に、それはそれは莫大な価値のある宝石を縫い付けて、
そのうえでそっと出かけて行ったわけです。
目が覚めた彼は、親友がいなくなっているのでその家を去りましたが、
友人が縫い付けてくれた宝石には気がつかず、
あいかわらずの貧乏暮らしで、衣食にも事欠くありさまで、
そのうちに浮浪者にまで落ちぶれてしまいました。
浮浪者となった彼は、ずいぶんたってから、
最初の親友と道でばったり会ったのですが、
その親友は、浮浪者となった彼の姿を見て憐れみます。
「キミが楽に暮らせるように、宝石を縫い付けておいてあげたのに・・・」と。


これは、『衣裏繋珠のたとえ』といい、
いわゆる“法華七諭”という7つのたとえ話のひとつ、
法華経五百弟子受記品に説かれているお話です。

この話は何を示唆しているのでしょうか。
登場人物は2人、
莫大な価値のある宝石を与えてくれる親友の男と、
莫大な価値のある宝石を与えられながらそれに気づかぬ貧しい男です。
実際は、莫大な価値のある宝石を気前よく与えてくれる人物など、そうはいません。
そうです、こういう話の時にありがちな設定ですが、この人物は仏さまです。
だとすれば、仏さまから莫大な価値のある宝石を与えられるのは誰でしょうか。
そうですね、これは私たち、一般の衆生ということになります。

つまり、私たちの人生はこの貧乏な男のようなものだということです。
仏さまから莫大な価値のある宝石を与えられているのに、
それには気づかないで、毎日の生活にきゅうきゅうとしていると。

では、莫大な価値のある宝石って、どんなのでしょうか。
“高価な”とかではないところがポイントです。
人間に与えられた莫大な価値、これを仏性といいます。
仏性というのは仏さまの性質ということです。
分かりやすく言うと、“仏さまのような清らかな心”という感じでしょうか。
いずれにせよ、人間には仏さまの性質が与えられているということです。
なるほど、これは、プライスレスで、莫大な価値ですね。

ということはですね、ざっくり言えば、
いまこの文章を書いている私にも、仏の性質が備わっているということになります。
人生、自分の思い通りになることばかりではなく、理不尽なことも起こります。
そういう、挫折のさなかにある時、
自分にも仏の性質が備わっているのだと知ることは、
悩める人々にものすごく自信を与えるものでしょう。
特に今の時代、「生きている価値がない」とか「生きていてもしょうがない」とか、
投げやりになってしまった人が、
さまざまな事件を引き起こしているケースが多いように思います。
「生きている価値がない」などということはなく、
自分の中に尊い価値があることに、
まずは気づかなくてはいけません。

しかし、一方で、
ここ数年は「世界に一つだけの花」という誤った曲が流行ったせいか、
たとえば運転マナーを注意されたらキレて反撃されるとか、
唯我独尊的に仕上がった人が傍若無人にふるまうケースが増えています。
自分を“もともと特別な Only One”と思い、他者を排撃するようになったのです。
自分が、“もともと特別な Only One”であるなら、
他人は他人で、それぞれ“もともと特別な Only One”であると、なぜ思えぬのか。
自分がそうであるように、相手にも尊い価値があることに、
これはこれで、一人ひとりが気づくことが大切なのではないでしょうか。

これはとても重要な思想だと思います。
仏教では、
どんな人間にも、この仏性という、尊い宝石があると教えています。
つまり、私たちには、生まれつき、
物事を正しく見る賢さや、正しい道を歩む素直さが与えられていて、
他者に対する慈しみの心が与えられているというわけです。
そういう意味で、平等。
このことを強く認識することで、
このところ跋扈している、とにかく自信がないという若者の救済にもなるし、
一方で、自分さえよければよいという自分至上主義からの脱却にもなるしと、
いわゆる中道を行く考え方になります。

それにしても、
私たちは、仏性という“仏さまのような清らかな心”が与えられているのに、
毎日の生活に追われ、なかなかそのことに気づかないでいます。
なぜ気づかないかと言えば、
この話に出てくる貧乏な彼が酒を飲んで眠り込んでしまったように、
私たちは、心が眠り込んでいる状態なのだということです。
それで、私たちは、自分の仏性に気づかないままに、
人間関係で思い通りにならない自分に腹を立てたり、相手を憎んだりします。
衣服やクルマ、地位に名声やお金など、欲望にも際限がありませんが、
それも、何でも手に入るわけではないので、悩み苦しんだりします。

こういうのは、この話に出てくる貧乏な彼が、
毎日の暮らしに苦しんでいるのと、本質的には同じ状態です。
貧乏な彼の着物には、
一生安泰で暮らせるだけの宝が縫い込まれていたのに、
本人は全くそのことの気づかず、苦しみの毎日を送っていました。
私たちも、着物というか、心の奥のほうに仏性が縫い込まれていて、
それを意識していれば、怒りなどの粗野な心は消えるはずなのに、
そのことに気づいていないのではないかという感じがします。

私たちは、どうしましょうか。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
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