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かっこいい生き方

昨年の9月に女優の樹木希林さんがお亡くなりになりました。
私はそれほどファンではなかったし、
出ておられる映画などは特に見ていませんでしたが、
郷ひろみさんとのデュエットや、某メーカーのプリンターのCMでの姿に、
変わった人だなあとの思いは抱いていました。

彼女に少し興味を持ち始めたのは、
ガンだと公表されたあたりだったかなと記憶しています。
芸能界の方にせよ、一般の方にせよ、多くの方がそうであろうと思いますが、
通常は重い話題であるにも関わらず、
樹木さんはとてもさっぱりとされていました。

なぜこの人はこんなにもあっけらかんと、
自分の置かれた状況を受け入れているのだろう、楽しそうにも見える、
きっとこの人は死ぬのが本当に怖くないのだろうと思ったとき、
この力の抜けた姿勢がうらやましく感じました。

誰に媚びることもなく、自分の思うように発言し、そして誰も傷つけない。
それでもまだファンになったわけではなく、
まだお元気で活躍されているなあと、テレビなどを通して知り、
そのうちに段々と、気になる存在になってきました。

ここ数年あたりでしょうか。
老いを受け入れることや、
物に執着しないほうがいいなどという彼女の意見が、メディアから聞こえてきました。
言うのは容易いけれど、なかなか実践できないことをさらりとやっておられます。
人前に出る仕事の人は一般の人よりも、より難しいでしょう。
それを他人に見せつけるでもなく、押し付けるでもなく、
自分がそれを良いとして自然とやっている。
失礼かもしれませんが、”芸能人らしい”振る舞いをされていない樹木さんが、
すごく身近に感じられ、あくまでも自然体でいる姿がかっこいいと思っていました。

樹木さんの告別式での内田也哉子さんのあいさつが話題になったのは、
記憶に新しいところです。
あまりに素敵な文面すぎて、(頭が良くないので)
自分の中に入るまで何度か読み返しが必要でしたが、
その中に、也哉子さんが紹介してくれた、
心にとどめておきたい樹木さんの言葉がありました。

『おごらず、人と比べず、
面白がって、平気に生きればいい』


この言葉の中で特に大事なのは「面白がること」だと思います。
いろいろ起こることを「楽しむ」のではなく「面白がる」。
これは自分なりに納得のいく解釈をしていくことかなと思います(もちろん前向きに)

起こり得ることにはすべて意味があると私は思っているので、
仮につらいことがあった場合も、
時間がかかっても受け入れることはできるはずです。
ただそれを、面白がり、平気に生きるとなると、なかなか難しいことのように感じます。
そこをあえて「俯瞰的に見る」ことで、見えていない色々なことが見え、
平気に生きていけるのでしょう。

多くの人が、樹木さんの言葉に勇気をもらったり、
生き方のヒントをもらったりしているようです。
樹木さんのように、それを難なくこなせるようになれば、
きっと、自分だけにとらわれず、
もっと人の為にさらりと楽しく自由に生きて行けるような気がします。

なんて格好つけて言ってはみたものの、やっぱり白髪もほうれい線も気になるわ~。

まだまだだなと、思い知らされます。

[Okei]
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羅怙羅さん

宇治の手前に黄檗というところがあります。
そこにあるのが黄檗山萬福寺、黄檗宗の本山です。
黄檗宗は、隠元という中国僧によって伝えられた宗派で、
読経は、たとえばオーソドックスな般若心経ひとつとっても、
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空 …」を、
クァンツサイプサ ヘンシンポゼポロミトス チャウケンウインキャイクン …と、
古い中国語の発音で詠まれるなど、
なんというか、異国感が満載なお寺です。
安置されている仏像も、明朝の彫刻家 范道生による造像で、
日本にはないエキゾチックな魅力を放っています。

まぁ、そのように、そもそも、このお寺の仏像は特徴的なのですが、
なかでも、仏像マニアにとって、このお寺を有名にしているのが、
十六羅漢像です。

羅漢というのは、仏教における最高の悟りを得た聖者のことです。
この萬福寺の場合、御本尊は釈迦如来ですが、
その周囲を囲むように、16体の羅漢像が配置されています。
このお寺は、仏像などの写真撮影が許可されている珍しいお寺なので、写真でご紹介しましょう。

大雄寶殿 本尊 十六羅漢像

羅漢というのは悟っちゃった存在ですから、
細かいことを思い悩んだりはしません。
そういうわけで、羅漢像は無邪気で、ヘラヘラ笑った像が多いです。

羅漢①羅漢②羅漢③

そんな、無邪気なオヤジのような像の中にあって、
ひときわ異彩を放っているのが、畢利颺瞿洲第十一羅怙羅尊者です。
コレです。

畢利颺瞿洲第十一羅怙羅尊者

手ブラ……でしょうか……
もう少し近寄ってみましょう。

羅怙羅 アップ 羅怙羅 接写

!!!
胸の裂け目から仏様が覗いてます!
なかなかシュールなビジュアルですね。

実はコレ、以前にご紹介した『衣裏繋珠のたとえ』を表しています。
それは、どんな人間も、尊い仏性を持っているというたとえで、
ここでいう仏性というのは、仏様のような穏やかな心という意味です。
結局、自他ともに、どんな人間でも、
仏様のような穏やかな心を持っていると言いたいわけです。
実に深遠な仏性の教えなのですが、
その、仏様のような穏やかな心を表現しようとして、
つまり、“心の中の仏”を表現しようとして、
勢いあまって、胸の裂け目から覗く仏の顔を彫っちゃったというわけです。
なんというか、斬新なセンスですが、
体内に仏が住んでいるということを表現したかったということはよく伝わります。

実は、この羅怙羅尊者という人物はお釈迦さまが出家前にもうけた実の子です。
この名は、
サンスクリット語の、「障害 / 悪魔」を意味する「ラーフ」を語源としていて、
つまり、妻の懐妊を知った当時16歳のお釈迦さまは、
誕生を喜ぶどころか「障害である」と捉え、この名を与えたということです。
人生について深く考えていたお釈迦さまにとり、子は出家の障害だったのでしょう。
しかし、羅怙羅尊者は、父からそのように思われていることや、
周囲から仏陀の子として特別視されていることを深く意識し、
決して驕ることなく、人一倍の精進を重ねたと伝えられています。
その結果、自己の仏性を体現する存在となったというわけです。

それにしても、体内に仏が住んでいるというイメージは、
よく考えてみれば、とても合理的だと思うのです。
だって、自分に自信が持てずに苦しんでいる方に対しては、
あなたの中にも尊い価値があるのだからねというエールになるし、
一方で、他人に対する責めの気持ちが止められない人には、
相手の中にだって尊い価値があるのだよという戒めになるわけです。

さて、冒頭にも述べましたが、仏像マニアにとって、
この萬福寺を有名にしているのが十六羅漢像です。
なかでもこの羅怙羅尊者は不動のセンターです。
それはいいのですが、
顔出しパネルまで作っちゃうのは、ちょっとどうなんでしょうか 笑

顔出しパネル

[SE;KICHI]

にくきもの

枕草子の第28段は有名な「にくきもの」という段で、
そこには、「にくきもの(=憎たらしいもの)」がいろいろ挙げてありますが、
物うらやみし、身の上嘆き、人の上言い、
つゆ塵のこともゆかしがり聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じそしり、
また、わづかに聞き得たる事をば、われもとより知りたる事のやうに、
こと人にも語りしらぶるもいとにくし。

と書かれています。
これはつまり、他人を羨んで自分の身の上を嘆き、
人の噂話をし、根掘り葉掘り聞きたがって、教えてもらえなければ逆恨みまでする。
また、ちょっと耳にしたことを、知ったふうに他人に話して聞かせる。
こういうのは、たいそう憎たらしいものだ
……ということですね。
枕草子といえば平安時代中期の成立ですが、
作者の清少納言の視点には感心させられます。
だって、この「にくきもの」に挙げられているようなバカ者、現代にもいますもんね。

さて、先日、知人が家族旅行で台湾に行ったそうです。
それも秘密裏に。
なぜ秘密裏なのかというと、嫉妬を受けるかもしれぬからとのこと。

う~ん。
秘密で行くなんて水臭いなぁと思う反面、
嫉妬を気にして発言に気をつけねばならない社会って、どうなんでしょうか。

私は、幼いころに聖書の『第一コリント13章』に触れ、
そこで説かれている「寛容で親切であれ。人をねたむな。自慢せず、高慢になるな。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思うな」という教えを、わりと大切にして育ってきました。
そして、それは、濃淡はあっても、みんなそう思ってるだろうと思っているため、
実は、嫉妬という感覚がよく理解できません。
私自身も含め、人間、嫉妬はないとは言いませんが、
そもそもポジティブな感情ではないので、各自が自制するものであって、
不用意に嫉妬を撒き散らすことはないだろうと思っているのです。
だから私も、誰かに嫉妬することは少ないし、
逆に、自分が嫉妬されることもないだろうと思っています。

私が長く教わり、肝に銘じてきたのは、
もし、誰かの行為(旅行など)に対して、自分が「いいなぁ」と感じたとしても、
その人は、何かズルをして労なくして実りを手に入れたわけではなく、
相応の努力(旅行であればせっせと資金を積み立てたとか、
仕事を融通して休める日を捻出したとか)を重ね、
その結果を手に入れたのだということです。
だいたい、経済状況から名誉や健康に至るまで、
すべての結果は、当人の努力によって成り立っているのであって、
努力して手に入れたものへの嫉妬はお門違いというもので、
むしろ、その努力に対して「よかったね」と『祝福』を与えるべきでしょう。

また、嫉妬というか、羨ましいという感覚は、それが自分の理想像でもあるということですよね。
先を越されて悔しいとか、そういう感情でしょう。
そうであれば、自分も、その理想に向かって努力精進しよう!と決意するべきであって、
妬んだり、嫌味を言ったりすることは、自己の理想像の否定することになります。
それって、自分にとっても損なことであると言われています。

ちょっと理屈っぽくなってしまいましたが、
だいたい、嫉妬って、なんのためにするんでしょうか。
嫉妬している本人は、嫉妬している状態が楽しいんでしょうか。
嫌味を言っている人は、誰のためにそれを言っているんでしょうか。
誰もハッピーにならないなら嫉妬なんてやめたらいいし、
誰も喜ばないなら嫌味なんて言わなかったらいいんです。

「あらあら、ご家族で海外旅行だなんて、優雅ねぇ」と言うとき、
そのあとに続くのは、「ウチなんて、とてもとても無理ですわ」という言葉。
これは、一見謙遜のようにも聞こえますが、
結局、相手をハッピーにしない言葉だし、
自分には無理だという自己暗示をかける言葉です。
昔から「つぶやく者の恋は成就しない」というでしょう、
意図もないのに「とても無理ですわ」とか言っていると、
本人の望み通り、ハッピーは遠ざかっていくに違いありません。

しかし、私自身はよく理解できていない嫉妬ですが、
体感的に、世の中には嫉妬の気持ちを持っている人が多いことは知っています。
冒頭の家族旅行の彼も、嫉妬を警戒して発言の抑制を強いられているわけですから、
事実、その潜在的な影響はかなり大きいようです。

軽く想像してみましょう。
いま、旅行者が、嫉妬を気にして旅行したことを公言しにくいとします。
それでは、何だったら公言しても大丈夫なのでしょうか。
おそらく、家もクルマも家電も、何か高額の買い物をしたことは秘密でしょう。
相撲や歌舞伎を観に出かけたり、有名な美術展を鑑賞に行ったり、
被災地に寄付したようなことも公言してはいけないことになります。
そうすると、人に公言できるようなことはほとんどなくなり、
昨日、コンビニでパンを買って食べましたくらいの、
意味のない体験談しか言えなくなります。
結果、努力によって手に入れたものについて、話すことができなくなります。

努力によって手に入れたものについて、話すことができない社会とはなんでしょうか。
それは、昔ならソビエト、今なら北のアノ国みたいな感じでしょう。

だいたい、私自身の感覚に従えば、
“スペイン周遊8日間”などであれば、いま調べたら 1人38万円ほどらしいので、
それは、もしかしたら嫉妬を受けるかもしれないとは思うのですが、
台湾なんて、下手な国内旅行よりも安く行けるというのに、
それでも、聞いた側が嫉妬することがあるとすれば、
それは内容と関係なく、もはや、嫉妬すること自体が目的化しているということでしょう。
果たして、それのどこが楽しいのでしょうか。

誰かの話を聞いて羨ましいと思うことは自然ですが、
次のステップとしては「アタシも頑張ろうっと」などと決意するのが上策であり、
本当に、そう決意した人が努力すれば、同じ結果を手に入れることができるわけです。

寝言みたいな話ですが、みんながみんなそのように行動すれば、
社会はもっと良くなり、豊かになると思うのです。
一方で、みんながみんな嫉妬して、努力した人の嫌味を言うようになれば、
成功者になりたいと思う人はいなくなってしまいますし、
成功者になりたいと思う人がいなくなってしまえば、
全員一律、突出するものがいない社会になってしまいます。
一億総中流などと言って、日本人はそういう環境を好みそうですが、
牽引する者が不在の社会は、早晩、停滞します。
つまり、嫉妬は社会を停滞させると思うのです。
そう思えば、嫉妬というのはかなりの害悪ですよね。
その害悪を目的にしている心の動きが自分にあるとすれば、
日本の未来や子供たちの未来を思った時、厳に慎むべきです。

いいですか、日本の未来をダメにするのは嫉妬です。
人の成功話を聞いて、嫉妬の気持ちが沸く人は、
自分が日本の未来をダメにする活動をしていると自覚しましょう。

『ヘブル人への手紙』によれば、
私達が嫉妬心を抱くのは、
神様が下さったものに満足していないときであると言います。
なるほど、自分に与えられたものではなく、他人に与えられたものばかり見て、
「神様はなんだか不公平だなぁ」とか思っていれば、
そりゃ、嫉妬するようになりますよねぇ。

嫉妬の反対は祝福です。
みんなが祝福のマインドで他者を肯定し、
家族で旅行に行った話や念願のクルマを買った話を気兼ねなくできる社会こそ、
日本の繁栄のためには不可欠だと思います。

[SE;KICHI]

ファミリーヒストリー

NHKの『ファミリーヒストリー』という番組の再放送を何も考えずに眺めていました。
この番組は著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、
アイデンティティや家族の絆を見つめるのが目的の番組です。
毎回幅広い著名人が出て、驚きや感動ありのドキュメンタリーになっています。
調査の過程では、ともすれば、
古文書の系譜図を頼りに江戸や戦国の世まで遡ったりするもんですから、
私は割と好きですね。

そこで、ふとこの番組を観て、自分はどうなのだろう?と思いました。

私の両親は、共に地元である富山県出身です。
母方の祖父母は施設に入っているものの、まだ存命です。
その祖父母はそれぞれ10人兄弟で、
特に祖父方は遊郭好きの曽祖父とヤンチャな曽祖母のもと産まれ、
富山市中心部から出身、県内や県外へ散り散りになり、
それぞれ家庭を成したとか。
ある人は教師に、ある人は某ガラス会社を創業したり、
ある人は芸能人のマネージャーになったり等、意外と大勢いて活躍してたりと、
何やら誇らしいのやら、遠くてそんなに実感が湧かないのやら…。
まあ母なんかは双方合わせて従兄弟が50人近くいたそうなので、
正月の顔合わせなんかは大盛り上がり!
曽祖母にも会ったことありますが、
まあ凄かったでしょうね~顔とか覚えれるのでしょうか。
お年玉とか大変でしょうに。笑

そうすると、私には、薄くても血縁のある再従兄弟姉妹なんかは、
もっと大勢いるということになります。
まさに一族って感じです。
一部は知っていますが、そのほとんどは知りません。
ですから、もはや知らないうちにその再従兄弟姉妹に会っているのでは?
とか考えてみたりします。
実際高校の頃、後輩でいました!後で知り驚きました。まさか、あの娘が?と。
これ、考えたら結構面白いことだと思います。

では、父方はどうかというと、
祖父母のうち祖父は、
私が産まれる前に亡くなっていますので会ったことありませんが、
祖母は兄弟がいて、それでも8人ほどです。
半数は戦争で戦死したり、復員したものの、
その後の回復が悪く病気で亡くなったりしたと聞きました。
残り半数は会ったことはありますが、歳もありほとんど他界しています。
だから父の従兄弟もそんなにいないのです。

ここまでのことから、
母方は大勢いて明るいイメージ、父方はほとんどいなくて暗いイメージ。
ここまでが私が何となく教えられ、知っていた自らのルーツのこと。
ここで、冒頭にも思った疑問がまた出てきました。
ん、あれ?そういえば父方のルーツは何?

知っていたのは長野県佐久市方面出身という、
富山の生まれではないということだけ。
知りたくなって聞いてみましたが、祖母は全く話しません。
父も話しづらそうでした。
母に聞くと、どうやら祖母は、”当時の嫁”としては異例の、
祖父方の実家や親戚付き合いを完全放棄して、
自分の兄弟のみの付き合いしかしてこなかったとか。
(狭く易しいコミュニティだけの付き合いだけ。嫌なことから逃げてきたのでしょうか。)
ので、祖父が亡くなった後、父が結婚したことも、私が産まれたことも、
何も伝わっていない。
逆にあちらがどうなっているかも知らない、まさに無でした。

こんなありさまですので、尚更その祖父の実家行って確かめたいと思った私は、
渋る父を連れて長野県佐久市の実家方面へ向かいました。
場所は父が教えてくれたのですが、
なにぶん行ったことないので少し緊張しました。

先祖が眠る墓
(先祖が眠る墓だそうです。眺望の良いところでした。)

まずは年賀状だけは届いていた、祖父の妹である大叔母の家に伺いました。
初めて会う大叔母は80後半ですが大変元気で、歓迎してくれました。
祖父の葬式以来です、祖母の非礼を詫び、
この24,5年間のことをざっくり話すとこから始め、
孫がもう大きくなり私と同世代、大阪と松本市にいると教えてくれました。
ひとつ、知ることができました。
これからは定期的に会うことになりました。

その次は隣、御牧ヶ原高原のある東御市へ、
弟である大叔父の家に向かいました。
父は記憶を頼りに、ここやここやと懐かしそうに案内、
高原の山の中の小高いところにありました。
インターホンを押すと、父より若い感じの息子らしい人が出てきました。
父は懐かしそうな表情で、葬式以来やな!と話しかけていました、
どうやら従兄弟みたいです。
そうしているうちに奥から大叔父が出てきました。
こちらも初めて会いましたが、とても元気な方です、
突然の久方ぶりの来訪にびっくりしていました。
そして、とても祖父にそっくり瓜二つなのです。笑
(私は写真の祖父しか知りませんが、父曰く、まるで親父と会っているみたいだそう。)
産まれる前に亡くなっているので、祖父に会ったことはありませんが、
まるで祖父と会っているような気分になりましたね。
随分と無沙汰であったにも関わらず、よく来たと歓迎してくれました。

しばらく会わない間のことなどざっくり話しながら、
自分より年上の孫が東京と宮城県仙台市にいること、
また祖父のことや、この一族のことなど聞きました。

話によると、どうやら大叔父の住むこの家が、皆の本当の実家だとか。
一族に関しては、古くは刀鍛冶の職人をしながら、
宮内庁に献上する馬を高原で育てる兼業する、
吉澤という姓の家だったらしいですが、
今の姓の家が男児が産まれなかったことから、
長男ながら婿入りしてきて、変わったそうです。
祖父に関しては、旧制中学を卒業後、
長男であるにも関わらず単身石川県小松市に渡り、
海軍の爆撃機通信兵として訓練を受け、出撃間近で終戦。
その後鉄工所などで技術を学んで転々とした後、
不二越に就職し、富山へ住み着いたこと等、様々教えてくれました。

何から何まで驚きの連続でした、
自分の先祖はこうだったのか!などと。

そして、そんないろんな人がいて、今の自分がいるんだと思うと、
ありがたいなと感じました。
自分に関する、家族の知らなかったことや、
そのルーツを知ることができ、本当に良かったです。
本当の孫を見るような優しい目で歓迎してくれたその大叔父とも、
定期的に会うことになりました。
そのことを聞いた兄弟達も意外と気になっていた?そうです。
後日会いに行きました。


実家から見える浅間山
(実家の方から見える浅間山、雪が被って本当に綺麗でした。)

まさに驚きの感動の連続でした。
全て知り得たわけではないですが、これが私のファミリーヒストリーです。

自分は一人ではなく、誰かの繋がりから始まり、
その人達の様々な思いや、物事の上に生かさせてもらっている。

両親共にそうですが、改めて関わりある全てに感謝したいと思います。
また、これからは自分の時代のファミリーヒストリーを、
子やその先の孫に一生懸命紡いでいこうと思いました。

[K.K]

一日一生。

お通夜に参列したときの話です。

以前、『ロマンチックな世界観』ということで特殊な世界観について書きましたが、
私も、その記事でご紹介した方と同じで、
人間は修行のために地上に生まれ、修行が終わると天国に帰る
という、修学旅行のような人生観を持っていますので、
基本的に、人の死を悲しいことだとは感じなくなっています。

それが、先日、悲しいというか、凄いなと思うお通夜に参列しました。

故人は51歳の主婦の方でした。
乳がんからの転移を繰り返し、5年も闘病した末に、
高校1年生と中学1年生の2人の娘さんを遺して亡くなりました。
ママ同士の交流があったのでしょうか、
制服をまとった娘を伴う母子連れが多く参列していたのが印象的でした。

読経が終わり、喪主の挨拶に移ります。
憔悴した喪主は開口一番「みなさん、申し訳ありませんでした」と謝りました。
彼は、妻が闘病中であることを誰にも言っておらず、
今日、突然、訃報という形での案内になったことを詫びたのでした。
私は喪主と交際があっただけで、
故人である奥さんのことは存じ上げない立場だったので、
私が病状を知らないのは別に不思議ではなかったのですが、
驚くことに、その挨拶によれば、娘たちにすら病状は伏せられていたとのこと。
故人はこのお通夜の前日に亡くなっているのですが、
娘たちに母の死期が知らされたのは、さらにその前日だったそうです。
この徹底して隠すという故人の遺志に、私は矜持を感じ、感嘆します。

また、故人は亡くなる少し前から、
ゴミの捨て方を間違わないように伝授したり、
娘が自分で弁当を作れるように指導したり、
いろいろのことを精力的に教え込んでいたといいます。
これは、明らかに“引き継ぎ”です。
その時の心境というのは、どのようなものだったのでしょうか。
本当は闘病を実らせて復活したかったはずですが、
どうやらそれは叶わず、
娘に弁当を作り続けることはできないらしいと悟ったとき、
母親として、娘が自分で生きていけるようにと方法を与えたわけです。
その時の心境というのは、どのようなものだったのでしょうか。

元来、子育てとはそういうものだと思うのです。
最近では過保護な親が増えたと聞いていますが、
蝶よ花よと祭り上げられた子供が何もできないのは当然で、不幸なことです。
親がいつまでもエサを口に入れてやるわけにはいかないのです。
いつかは自力でエサを探せるようになってもらわないといけないし、
いつかは天敵から自分で身を守れるようにならなくてはいけない、
いずれは森に放つつもりで育てないといけないのです。
亡くなった彼女の場合は、そのいつかが今だったということでしょう。
巣立ちが高1と中1というのはいささか早かったのかもしれませんが。

いや、実際のところ、私も死にゆく肉親を見送った経験がありますが、
日に日に衰えていく母親の姿に、
娘たちが何も感じていなかったということは考えにくいでしょう。
母親が、どうして自力で弁当を作ることを強要してくるのか、
本当はみんな分かっていたはずなんです。
しかし、母親はそのことを明文化せず、娘たちも尋ねない、
あえてそのことに誰も触れないという空間がそこにあったのでしょう。
そこには関係者全員の覚悟を感じます。

最終的に、娘たちが満足に弁当を作れるようになったころ、
つまり、自分でエサが獲れそうに育った娘たちの姿を見届けたころ、
故人はついに亡くなってしまったわけです。
亡くなってすぐ、葬儀の準備をするなかで、
あらかじめ「もしもの時に使ってよね」なんて、
冗談めかして撮っていた記念写真を遺影に使おうと取り出したところ、
その額の裏に、笑顔のイラストとともに、
「楽しい人生でした。ありがとう。」と書かれていたとのこと。
喪主が膝から崩れたのは想像に難くないことです。

このような喪主の挨拶は、私が過去に聞いた挨拶のなかでは長いものでした。
かつて私が喪主を務めたときのことを思い起こしても、尋常でない長さでした。
しかし、ぜんぜん迷惑などではなく、
私はこの喪主の挨拶を聞いて、いたく感銘を受けたのでした。
うまく言えないのですが、
心配をかけぬようにと娘にすら病状を隠した彼女の生き方は、
遺された家族がしっかり生きていけるように必死で段取りした彼女の生き方は、
最期の最期に相手に感謝を伝えようとメッセージを残した彼女の生き方は、
相当に立派な生き方であり、相当に立派な死に方だと感じます。
そして、生きるということはどういうことなのかを、
改めて感じさせてもらった気がします。

どの人も不死身ではないし、死が迫ることは自分にも起こりうることなのに、
みんな、もちろん、私も含めてですが、そんな日は来ないと思ってるのか、
私たちは本氣で生きてない感じがします。
それはいつもぬるくて、必死に生きて死んでいった人に失礼だなって思いました。
実は、私、昨年から終活を勉強し始めているのですが、
本気で生きていない人ほど、あるものに執着しているというか、
身の回りの整理が大変になるように感じています。

一日一生。
大昔にも書きましたが、人生は1日1日の繰り返しです。
しかし、それは、ある日、必ず終わるんです。
それがいつかは、分かりませんし、終わり方も人それぞれです。
いつ終わるかなんて分からないのだから、
今日、終わっても悔いなしと思えるよう、必死で生きたいと誓ったお通夜でした。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
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■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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