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何様のつもり

正月早々、わざわざ引っ張り出すようなことでもない気もしますが、
生き方として、自らの指針にしたいこともあり、意図的に披瀝します。

一昨年の話になりますが、東名高速道路の下り線で、
迷惑な男が、家族連れの乗ったワゴン車を追走し、
蛇行運転などで進路をふさいで停車させるということがありました。
この事件では、その迷惑男が、手前のパーキングエリアで、
家族連れのパパに駐車マナーか何かを注意されていたとのことです。
つまり、そのことを恨みに思った迷惑男が、
注意した家族連れのワゴン車を追いかけ回し、
結果、高速道路上でムリに停止させられたワゴン車の夫婦が、
娘2人を遺して落命してしまうという、
なんとも痛ましい結果になってしまいました。

この事件で危険運転致死傷などの罪に問われた石橋和歩被告に対して、
昨年12月14日、横浜地裁は最終的に懲役18年を言い渡したわけですが、
そもそも、停車している車輛に対して「危険運転」が認定されるのかどうか、
判例が乏しく、法解釈がグレーゾーンだったために、
一般人が裁判を担当する裁判員制度の対象だったにもかかわらず、
えらく高度な法判断が求められたようで、その判決が注目されました。

まぁ、それは、いいんです。
私は判決に対して……特に感想はないですね。
いや、石橋被告については、逮捕前にテレビのインタビューで、
「言われたらカチンとくるけん、こっちも人間やけん」
と言っていたことだけは不快に感じますが、
量刑が適切だったかどうか、私には、特に感想はありません。
ただ、裁判員の方が判決後に記者会見され、
感情を抑え、過度に被害者に感情移入することなく、
法に基づいて判断することが大変だったと言っていたのが印象的でした。

ところが、最近のネットニュースにはわざわざコメント欄があって、
その裁判員の方の会見の後、なぜ感情を抑える必要があるのか、
被害者に感情移入して何が悪いのかという議論が巻き起こり、
しまいには、「18年で出てくるなんて許せない」とか、
「これは致死罪ではなく殺人罪だ」とか、
「2人殺したんだから死刑にすべきだ」というコメントがたくさん出ました。

私は、これに、何様のつもりかと思うのです。
そもそも、たとえば懲役18年というのは、
「18年間、刑務作業などを通じてきちんと反省しなさい」ということで、
基本的に更生を期待した制度なわけですよね。
あまりに罪状が重い場合には、
更生を期待せずに死刑などが選択されることもあるのでしょうが、
基本的には「更生するにはこれくらいかかるでしょう」という年数が量刑のはずです。
つまり、人間は更生するんだということを前提とするシステムであって、
「危ないから閉じ込めておけ」という考え方ではないはずです。

逆に言えば、その「危ないから閉じ込めておけ」という考え方は、
基本的に、人間は、年数をかけて反省しても変わらないという考え方です。
私は、そんなはずはないと考えています。
機根は人によってそれぞれでしょうが、人間は変わると信じています。
だって、どの人も、生まれつきのまま成長していない人はいないでしょう。
年数をかけても人間は成長しないのだったら、
学校も行かなくていいし、習い事もムダですよね、
逆上がりとか縄跳びとか、コツコツ練習することは全部ムダです。
……人間は変容するんですよ、仮にゆっくりとであっても。

本人は、法廷で、いちおう謝罪の言葉を口にしたそうですが、みんな、そこは無視。
「あんなヤツが反省なんてするわけない」と言わんばかり。
繰り返しますが、何様のつもりかと思うのです。
悪いことをした者は、心の底から真っ黒なのか、
何故、そんなことを他人が言えるのか、そういうオマエは真っ白なのか、と。
おそらくは、石橋被告がいけ好かないキャラクターだったことも相まって、
なんだか、みんなして「殺せ! 死刑にしろ!」と言っているようで、
私はなんだか、怖さを感じるのです。

最近の世の中はどうなってるんでしょうか。
マクレガーの「XY理論」で言うところの、
X理論で生きている人が増えたんでしょうか。
だとすれば、マクレガーが提唱したとおり、
世間が低次元化してきているということでしょう。

私は、自らの指針として、他人に対する見方は Y理論でありたいと思うし、
ゆえに、人間は反省などを経て変容(すなわち成長)するものであり、
周囲の人間には、それを信じて見守る忍耐力が求められると思うのです。

私は、別に石橋被告の肩を持つわけではありませんが、
そもそものポリシーとして、人間は善なりと思っているのです。
よく、葬儀などで、「生かされている私」と言われたりしますが、
もし、誰か偉大な存在から生かされている私たちなのであるならば、
私たちの本性が悪であるはずがないではありませんか。

2019年、私の戒は、「人間は善なりと信じる」ことにしたいと思います。

この話は、そのうち続きを書きますね。

[SE;KICHI]
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緊縛プレイ

そろそろ12月になります。
毎年のことなのですが、
私は、4月に新社会人としてスタートを切った各社の新入社員に対し、
定期的に研修をさせていただく機会があり、
それが、12月になると、今年度分はいちおう修了となります。
例年、私は「ちょっとでも彼らの人生の役に立つ話ができますように」と、
祈りにも似た気持ちでお話しさせてもらっているのですが、
実際のところ、なかなか難しいもので、
3年後・5年後・10年後の彼らに、クオリティの差は生じてしまうのが実情です。

その差は何でしょうか。

よく、マネジメントの話で使われる『レンガ積み職人の譬え』というのがありますね。
ある所に、レンガを積んでいる職人達がおりました。
1人目の職人さんに「何をしているのですか?」と尋ねると、
「見て分からないのか。レンガを積んでいるんだ。」 と答えました。
次の2人目の職人さんに尋ねると「時給を稼いでいるんだ。」 と答えました。
最後に3人目の職人さんに尋ねると
「立派な大聖堂を作っているんだ。ここは、いつか人々の聖地になるんだぜ。」と、
胸を張って言いました
……という話です。

私は、働く姿勢というのは、おおまかに言うと3種類あると思っています。
“義務感で働く人”と“責任感で働く人”と“使命感で働く人”の3種類です。
“義務感で働く人”とは、さきほどの1人目のレンガ積み職人のような、
つまり、「それが仕事だから黙々とレンガを積んでいる人」ですね。
“責任感で働く人”というのは、さきほどの2人目のレンガ積み職人と同じ、
「家族の生活費を稼ぐためにレンガを積んでいる人」です。
“使命感で働く人”は、3人目のレンガ積み職人のように、
「立派な聖地を作るためにレンガを積んでいる人」でしょう。

さて、どの人が楽しそうでしょうか。
私自身は、3人目の職人でありたいと思います。
だって、自分の積んだレンガが大聖堂になってみんなに喜ばれるなんて、
なんか想像しただけでワクワクしませんか。
作業そのものは、どの職人も「レンガを積む」仕事で、違いはありません。
しかし、どういう気持ちで働くかで、その作業に対する見方が、
奴隷の苦役のようにも思えるし、崇高な創造のようにも思えるということです。
つまり、解釈ひとつで、自分の人生を明るくも暗くもできる
ということです。

老若男女問わず、真面目な方に、顕著に表れる傾向なのですが、
多くの方が無自覚に「義務感」や「責任感」に囚われているようで、驚きます。
それは、つまり、仕事をするうえでの、
いや、人生を生きるうえでの「~せねばならぬ」という発想です。

これは自説ですが、「責任感は自分を追いつめ、委縮させます」
「営業成績をあげなければならぬ」、
「毎日コツコツと取り組まねばならぬ」、
「上司の意見には従わねばならぬ」……など、
ならぬ、ならぬと、字面を見るだけでも楽しそうではありません。

なぜ、ちっとも楽しそうではないのに、みんなそういう仕事をするのでしょうか。
それは、「仕事とは、生活のために我慢してするものだ」という価値観に、
みんな、知らず知らずのうちに毒されてしまったから。
「本当はやりたくないけど、家族の生活もあるし・・・」という責任感に縛られ、
どんどん追い詰められて、ストレスが溜まっていくようになると思います。
そして、焦りや不安が襲ってくるようになるでしょう。
こうなってくると、たぶん仕事はつまらなくなってしまいます。
新入社員たちも、親たちがそういう愚痴を言いながら奴隷のように働くさまを見て育ち、
仕事とは、足に鉄球をはめられ、ムチ打たれて働かされるイメージを持っています。
これは、悲しいことですね。

一方で、好きなことを想像するとワクワクしてくるはずです。
大聖堂のためのレンガを積む職人も然りですが、
自分が本当にやりたいことに取り組んでいたり、
お客さんが喜んでくれている場面を想像すると、楽しくなりませんか。
たとえば、自分は楽しく過ごしているが他人は喜ばない場合だと、
それではビジネスにならないので、それは単なる趣味ということになりますが、
そうではなくて、
自分は楽しく過ごしており、かつ他人も喜んでくれる……というパターンだって、
組み合わせとしては作れるはずです。
古今東西の成功者を観察すると、
自分が楽しいのと同時に、他人も喜ばせていることが分かります。
決して、ムチ打たれて働かされてなどいません。

私は、古今東西の成功者と比較するのもおこがましいですし、
大聖堂を作っているわけでもありませんが、
自分の仕事を通じて社会に貢献しているんだという自負を持って、
それなりに、ワクワクしながら働いています。

アンタは陽気でいいね……という声が聞こえてきそうですね。
こっちはアンタと違って余裕がないんだから……と。

いやいや、私も同じですよ。
人間とはある意味では弱いもので、崇高な目標もすぐに忘れてしまうし、
ついつい生活に目を奪われてしまい、
「~せねばならぬ」というマインドに戻ってしまいがちなもの。
それは私も一緒です。
しかし、私はそういうダメな自分を知っているので、
そうなってしまった時、そんな自分にいち早く気づいて、
そこに、ワクワクを上書きしていくことにしています。
朝起きたら、今日、どんなに素晴らしいことが起こるのか、
夜寝る前に一日を振り返り、明日はどんな素晴らしい未来がやってくるのか、
いちいち想像して、自分をワクワクさせていくのです。

結局、普通の人間は、義務感だけでは苦痛なのではないかと思うのです。
もちろん、仕事に義務感を持つことは当然だとは思います。
必要なことでもあるでしょう。 
しかし、私は、そればかりだと苦痛を感じるということを言いたいのです。
社会人生活は長く、苦痛を感じることは継続できませんから、
ワクワクがないと長い人生を完投することは難しいのではないかと思います。
人工知能の進歩が目覚ましい昨今、
そういうワクワクしないことは、機械にやらせておけばよいと私は思います。

このほど、研修をコンプリートする新入社員たちを含め、
みなさん、義務感や責任感に囚われてはいませんか。
毎日、「~すべき」と考えてはいませんか。
そんな緊縛プレイはやめて、
自由に「自分はどうありたいか」を考えてみましょうよ。
そのほうが絶対に楽しいですよ。

ちなみに、近年、ワークアンドライフバランスなどというバカな思想が流行っていますが、前述の古今東西の成功者を見れば、成功者に「仕事とプライベートに明確な境目がない状態」の人が多いこともわかってきました。私はこれも見習うことにしています。

[SE;KICHI]

熱闘、甲子園!

枕草子に「有馬温泉」「玉造温泉」と並んで登場するのが「渋温泉」です。
猿が入浴することで有名ですね。
先日、渋温泉は春蘭の宿 さかえやさんにお邪魔しました。
こちらは豪華な高級旅館というわけではありませんが、
私は充分に満足するサービスを受けることができました。

ロビー ご案内
絵手紙コーナー 夕食

旅館業界には、『旅館甲子園』というのがあります。
自館の魅力や取り組み、仕事への思いを従業員がプレゼンテーションする大会です。
私は、その映像を見て、その旅館に泊まってみたいと思い、訪れたわけです。

私たちが来館した際、客室まで案内してくれた仲居さん。
着物につけた名札によれば梅沢有里さんという若くてかわいらしいお嬢さんで、
ご挨拶などもしっかりされていて、すこぶる好印象でした。
しかし、旅館甲子園の映像に登場する彼女は、
大勢の前で声を張り上げ、「私は不登校で、自傷行為を繰り返していましたが、
さかえやの就労体験のおかげで立ち直ることができました!」と言い、
「今度は私がみんなを支えます」と誓っていました。
いまでは、お客様のために太鼓のパフォーマンスを発案し、
傷を気にせず二の腕丸出しで太鼓をたたいている元気娘になりました。

また、渋温泉は外湯めぐりが有名なのですが、
私たちが外湯から戻った際、サッと新しい浴衣を用意してくれた番頭さん。
名札によれば堀内勇斗さんという爽やかな青年で、
実に細やかなところに気遣いをしていただけて、これまた好印象。
しかし、旅館甲子園の映像でのプレゼンによれば、
彼は漢字が読めず、食事の献立すら読めないため、
小学5年生の漢字ドリルで勉強しているんだとのこと。
そんな彼でも、番頭として館内を整備したいと、
コツコツ積み立てて、駐車場の舗装などを実現したんだそうです。

それから、私たちの夕食の給仕を担当してくれた菅原麻弥さん。
秋田出身で、大学からこちらに来たという彼女も、
よく話し、よく笑う、実に感じの良い方で、つい日本酒を追加注文してしまいました。
彼女も、映像によれば、さきほどの堀内さんなどの頑張りを見て、
接客部門の自分にも何かできないだろうかと考えた末、
オリジナルのプリンなどのメニュー開発に取り組み、
それが館内で思うように売れないと分かると、
近隣のコンビニに交渉して置かせてもらうなど、
目を見張る行動力を見せています。

ちょっとワケアリふうの社員さんが多いことにお気づきになったかもしれません。
そうなのです。
この旅館は、素泊まりでも一泊ひとり 10,000円くらいするのですが、
その分、付加価値を高めるということに注力しておいでです。
付加価値とは何でしょうか。
さかえやさんが考える付加価値は“人”なんだそうです。
コンサルタント出身の湯本社長は、旅館で働く「人」にスポットを当て、
スタッフ教育や目標共有のみならず、
不登校や引きこもり等の学生を受け入れるフリースクールを開校したり、
犯罪を犯した人の矯正に取り組んだりという地域貢献にも力を入れておられ、
これら、さまざまな取り組みが評価され、旅館甲子園では2連覇を達成されています。

湯本社長は、豪華な調度品とか、そんなものよりも、
社員を見てほしいと、しきりにおっしゃいます。

私は最初、そういうプロフィールだけを聞いて、
湯本社長という人物は、さそや強い信念を持って、
強いリーダーシップで社員を牽引していらっしゃる経営者なのかと思っていたのですが、
膝詰めで話をお聞きすると、ここまで決して順風満帆だったわけではなく、
事業承継がうまくできずにリーダーを退職に追い込み、
そのことによって労働裁判が巻き起こったり、
それを知った他のリーダーたちが一斉に退社したり、
社内のクーデターで突然団体交渉が始まったりと苦難が続き、
そんななか、唯一の頼りと思って意気投合していた料理長も通勤中に急死するなど、
様々な苦難が映画のように襲いかかってきていたそうです。

そんな湯本社長が、どん底で気づいたのが、
自分は従業員を見ていなかったのではないかという反省。
売り上げばかりを気にして、
従業員に寄り添った経営をしていなかったのではないかと気づいた湯本社長は、
部下を成功させることが上司の役目だと悟り、
全員で、お客様に喜んでもらえる旅館づくりに力を入れました。
いまは、どんな人でもみんなで一緒に働ける職場を作りたいという、
その思いだけで経営しておられます。

「ウチだって人は大事にしているよ」という会社は、数多くあるでしょう。
しかし、さかえやさんでは、お客様にご満足いただけているかどうかはもちろん、
どうやったらお客様に喜んでもらえる旅館づくりができるか、
社員の呼びかけで自発的に学習会が始まり、
経営者のビジョンや経営方針を全社員で共有する風土が生まれ、
現在では全社員が決算書を作れるようになっているんだそうです。
全社員が決算書を作れるようになっている会社が、日本にどれだけあるでしょうか。

企業の存続と発展には、
経営者と社員が心をひとつにすることが不可欠だと言います。
そのために、経営者は勘に頼った経営から脱却し、
日頃から真摯に学び、人格の陶冶に努めなくてはいけないと湯本社長は言います。
私は、ここに、その真髄を見た気がします。

さて、ところで、途中で少し触れましたオリジナルプリン。
味噌が隠し味になっていて、すごくおいしいです。

オリジナルプリン

1個 300円ですが、ついつい大量に買ってしまった私、
気づけばさかえやさんの目論見にまんまとやられている、
そんな感じです。

[SE;KICHI]

キース・リチャーズ似の彼女

聖書というのは、読むごとに意外な発見があるもので、
もう20年以上前ですが、思い立って少し真剣に読んでみたところ、
いくつかのフレーズに心が奪われたものです。

そのひとつが「あなたの敵を愛せよ」という言葉。
“言葉”と表現してみたものの、
聖書という書物の特性上、これは実質、イエスからの命令です。
それから20年以上を経た私にとっては、敵を愛するなど難しいことでもないのですが、
当時、若かった私にとって、
確かに敵を愛することができれば、それに越したことはないとは思うものの、
かといって、そう簡単に敵を好きになれるものでもないだろうと、
未熟な私にはキレイごとのように感じられて、悶々と悩んだものです。

しかし、聖書は命令ではあるのですが、
よくよく読んでみると、
敵である相手を心から好きになれなどと命じてはいないことに気づきます。
つまり、たとえ心のなかは憎悪で煮えたぎっていようが、
行動において、相手が好人物である場合と同じようにふるまえと、
聖書はそのように命じているのです。
すなわち、内心と行動が違っていても、聖書はそれを許容するということですね。

もちろん、行為が智慧の具現である以上、聖書のその教えは方便だと思うのですが、
しかし、仮に内心は別であったとしても、行動を統御して習慣化することができれば、
習慣化の力が内心を超えることはあり得るように思います。
要するに、そのように振る舞っていれば、そのうち心もそうなるということです。

いずれにせよ、人間は、心のなかには嫌悪や憎しみを抱きながらも、
表情や行動には出さず、表面上の微笑や穏やかさを保っていれば、
いちおう、最低限のところで許されはすると聖書は説いているわけですが、
このところの社会は、思ったことは口にしてしまう社会で、
そういう表面上の“たしなみ”みたいなことを大事にしない感じがします。

たとえば、雑な言い方をすれば、
大人になるために、嘘くらいつけなければ穏やかには生きられないのかもしれませんが、
しかし、その嘘は、その場しのぎのデタラメではなく、
危機回避などのための深い配慮の結果である必要があるでしょう。
いわゆる“優しい嘘”ってやつですが、
そういう意味のある、おそらく聖書的に許される嘘のつき方というのは、
学校で教えてもらえるようなものではないでしょう。
つまり、一人ひとり、哲学がいるのです。

近頃は、テレビも新聞も週刊誌も、とてもうるさく感じます。

私は理系出身ですが、
年次が低いうちは、繰り返し『レポートの書き方』を習います。
そこでは、たとえば花が咲き誇っていたとして、
それを「美しい花」と表現することはいけないことだと教わりました。
美しいかどうかは見る者の主観であって、
それを他者に強いることはいけないことだというわけです。
様々な角度から描写を尽くし、
それを聞いた者に「たぶん、その花は美しいのだろう」と感じさせることが正しい描写で、
つまり、答えを書いてはならぬというわけです。

そこへ行くと、このところの押しつけがましい報道はどうしたことでしょうか。
パンダはかわいいとか、不倫はいけないとか、
説明に出てこない理事長はいけ好かんとか、
だいたい何であんなカタギではない雰囲気を醸し出しているのかとか、
テレビの中で結論を決め、それを押し付けられている感じが不快ですね。

私がたまに行く画材屋の店主は、
もうそろそろ80歳になろうかという常に穏やかなお婆ちゃんなのですが、
その彼女が、たびたび、
年を取ると耳が遠くなって、
つまらないことが聞こえないから幸せよ
と言います。
八千草薫のような上品そうなお婆ちゃんが言うのならともかく、
彼女はキース・リチャーズ似の、穏やかだけどロックな雰囲気な人で、
その彼女が、さもおかしそうに「年を取るって、幸せ」と話すのです。

そういう穏やかな矜持というのは、どうしたのでしょうか。
人間は、心もようを表情や行動には出さず、表面上でも穏やかさを保っていれば、
いちおう、最低限のところで許されはすると聖書に説かれているわけです。
キース・リチャーズでもそれができるというのです。
見た目が似ているだけですが。
いろいろ思うことがあっても、
それらを包み込んで、穏やかに「幸せ」と笑えるのが日本人だったはず。
みんな、どうしちゃったというのでしょうか。
日本、どうしちゃったというのでしょうか。

キース・リチャーズhttps://www.barks.jp/news/?id=1000084040

[SE;KICHI]

みなさん、どっちがいいですか。

今年は、累計180万部を突破した池井戸潤の小説を原作にした、
『空飛ぶタイヤ』という映画が公開されました。
ある日突然起きたトレーラーの脱輪事故。
整備不良を疑われた運送会社社長・赤松は、車両の欠陥に気づき、
製造元である大手自動車会社のホープ自動車に再調査を要求……と、
まぁ、映画のあらすじは別にいいのですが、
その主題歌が、サザンオールスターズの『闘う戦士たちへ愛を込めて』。

私は、なんというか、その歌詞に慄然としました。
自分のために人を蹴落として 成り上がる事が人生さ
それを許さず抗う相手には 殺られる前に殺るのが仁義だろう?
」ですって。

……この映画のテーマは、大企業のリコール隠しと、
それを四面楚歌になりながらも糾弾しようとする赤松社長の奮闘です。
マスコミを使おうとしても上層部からの圧力で潰され、
大企業の息がかかった銀行からは借入金の早期償還を迫られ、
先行きの不透明感から従業員の一部が辞めていくなか、
それでも孤軍奮闘する社長の姿を見て心を動かされる人が出てきて・・・という、
巨悪に立ち向かう弱者という構図の映画で、
最後には大企業のリコール隠しが公になるのですが、
このストーリー展開に、この主題歌はよく合っていると、
なかなかの高評価だそうです。

また、PVもえげつないんですよ。
最後まで見ていただければ分かりますが、
道に倒れた人を踏み越えて 見据えたゴールへとひた走る」って、
歌詞のとおりの競争が展開されています。


https://www.youtube.com/watch?v=uSFdckpwXQc

……う~ん、まぁ、人生にそういう面があることは理解していますし、
日本自体が、“喰うか喰われるか”みたいな国になって久しいのも事実ですし、
反語的というかアンチテーゼとしてつくられた作品であることも分かっていますが、
私は、ちょっと承服できませんね。

それにつけても思い出されるのは、
以前にも軽く触れたことのあるドラマ『ありがとう』です。
主役の水前寺清子の、
上目遣いで相手役の石坂浩二を見つめる表情がチャーミングでしたが、
民放史上最高の視聴率56.3%を記録したドラマだそうなので、
当時の国民の半分ちょっとが、水前寺清子を見て萌えていた計算になります。
その主題歌が、ド直球に、水前寺清子の『ありがとうの歌』。

じゃ~ん ちゃらちゃちゃちゃちゃんちゃ ちゃちゃんちゃー♪ という前奏は、
もし、スーパーイントロクイズをやれば、
当時ならほとんどの日本人が正解できたことでしょう。


https://www.youtube.com/watch?v=MXdAksOgyRM

お聞きになって思い出した方も多いかもしれませんが、
歌詞は、実は、そんな難しい構成になっていません。
いつも心に青空を いつも優しい微笑を
さわやかに みつめあい さわやかに 信じあう
」と。
そんな難しいことは歌っていませんが、実に清々しいですね。

このドラマは、婦人警官やら看護婦やら、舞台や配役を変えながら足掛け5年続き、
特に、視聴率56.3%を記録したのは看護婦編で、
国民は、こぞって石坂浩二と水前寺清子の恋愛の進まなさ加減にやきもきしていました。
私としては、水前寺清子演じる古山新(こやまあらた)に対して、
恋敵として登場する同僚看護師・水戸さん役の上村香子とか、
同じく同僚看護師で、病院御用達のラーメン屋の娘・もも役の沢田雅美とか、
あと、おしゃべりで、食べてばっかりいる外科医・宮川先生役の佐良直美とか、
登場人物のみんながみんな、泣いたり拗ねたり怒ったりしているんですが、
おぼこくてチャーミングだなぁと思います。

歌は、「今日も明日も ありがとう」と歌い上げて終わります。
はっきり言って、ドラマのストーリー展開に、この主題歌はぜんぜん合致していないのですが、
なにしろ、4年以上も同じ主題歌を聞いていれば、聞き慣れてくるもので、
だんだん、“今日も明日も ありがとう”に洗脳されてくるというか、
まぁ、そういうもんかなという気持ちになってきます。

しかし、『ありがとうの歌』から、そろそろ50年。
いまのスタンダードが『闘う戦士たちへ愛を込めて』だとすれば、
この50年で、「いつも心に青空を いつも優しい微笑を」から、
「自分のために人を蹴落として成り上がる」へと、スタンダードが変わったということ。
ちょっと、同じ文明とは思えない、隔世の感がありますよね。

みなさん、どっちがいいですか。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
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