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やめるべき5つの習慣⑤

『やめるべき5つの習慣』の第5弾。
私は全5箇条のうち、これが一番深いかもしれません。

やめるべき5つの習慣⑤「うまくいかないと落ち込む。」

うまくいかないと落ち込む……これをやめろと言っています。
……いやいや、うまくいかないと落ち込むでしょ、普通でしょ、と思いますよね。

でも、うまくいかないからと落ち込む人は心がマイナスになる人だといいます。
まぁ、落ち込んでいるわけですから、イメージ的にそうですよね。
そして、心がマイナスになってしまうと、
そのあとの行動のパフーマンスが落ちてしまうわけで、
そうすると次に起きてくる出来事もマイナスなことになりがちだ、というわけです。

だって、分かりやすく言えばですよ、
落ち込んでるときと、落ち込んでないとき、
当然、落ち込んでない時のほうが活力というか、エネルギー量が高いですよね。
だとすれば、仮に、いま、現実にうまくいっていないとすれば、
落ち込んで、エネルギー量が低い状態ですよね。
そこから立ち直って、その、エネルギー量の高い状態にまで活力を戻そうとするとき、
身体でいえば栄養ドリンクなどで活力を補給するように、
エネルギーを補給しなくてはなりませんよね。
エネルギーが必要な場面なのにそこで落ち込んでいたら、
エネルギーが不足するわけですから、ますます状況は悪くなるわけです。
つまり、うまくいってないときほどエネルギーが必要なんだから、
落ち込んでちゃダメだっていうわけなんです。


むしろ、うまくいっている時なら少々落ち込んでも大丈夫です。
しかし、人間、逆にやっちゃいがちです。
だいたい、うまくいってるときは鼻高々でちっとも反省しないくせに、
うまくいかなくなると、途端に「やべぇやべぇ、どうしよう」って、
あたふたし始めるもの。
本来は、うまくいっているときほど用心して、
「何か、まだ機会損失しているはずだ」とか、
「まだまだ未熟なんだ、ワタシは」というふうに、
うまくいってエネルギーが高い状態だからこそ、きちんと反省するべきなんです。
逆に、むしろ、うまくいっていないときは反省しちゃダメだと言いますよ。
そんな状況で深く反省するとメンタルが崩れちゃうから、
そんな時は、ヘラヘラ笑ってるくらいでいいのです。

うまくいかないから落ち込むのは、一見、当然のようにも思えますが、
さらにうまくいかないことを引き寄せる体質に変わっていってしまうと言います。
たまに、「あ、この人、いま、うまくいってないな」って顔の方がいらっしゃいますが、
そんな、周囲から察知されるほどに辛気臭い顔してたら、
うまくいくもんもうまくいかなくなって、ますます悪くなるというものです。
だから、うまくいってないときこそ、調子に乗ってる顔、しなきゃダメだそうです。

うまくいってないときが勝負ってことです。
そういう時にどれだけ笑えるか、どれだけ背筋を伸ばせるかです。
この世界は、心が先で、現実はあとからついてくるんです。
うまくいかないときこそ、
落ち込まないようにコントロールするべきです。


その実践方法は、やや言葉遊び的ですが、
「苦難感を貼り替える」ことだそうです。

「やっべ~、なんだよ、うまくいかねぇよ」ってことを、
「やった~」って喜ぶってことなんです。
これはどういうことかというと、
うまくいかないということには理由があるはずなので、
そのことに気づかせるために起きてるトラブルだということです。
つまり、何か自分の身の回りで問題が起きるとき、
「おいおい、気をつけろよ」っていう教訓なんだということです。

たとえば、私の知人に、毎年警察に捕まり続けている人がいます。
もちろん、スピード違反とか、一旦停止義務違反とか、軽微な違反で、
つまり、ちょっと違反したことを、隠れてたおまわりさんに見つかる程度ですが、
捕まった瞬間、彼は、
「ふざけんなよ。こんなところでスピード出したからって事故起きるわけねぇだろ。
オメエら他にも重要な犯罪あんのに、俺ばっかりつかまえてんじゃねぇよ!」って、
思うんだそうです。

まぁ、そういうものかもしれませんが、本質は違いますよね。
捕まったら「ありがとうございます。
おかげでこの後、大きな事故を起こすところを救われました。」くらいでないと。

つまり、すべての艱難辛苦が、
「おいおい、オマエ、そろそろ気をつけろよ。ほっとくとヤバいぜ」っていう、
シグナルなんだということです。
しかも、苦難とは、だんだん大きく育つという特性を持っているといいます。
見逃すと(つまり、対処せずに放っておくと)、次はもっと大きくなって再来します。
だから最初は、「よっ、大丈夫?」くらいだったのが、
それを無視すると、「おいっ、気をつけてるか?」と、強度が上がり、
それでも無視すると、「くぉらっ! 気をつけろって言ってんだろうが!」ってなるのです。
それでもスルーすると、バーンといくわけです。

会社や家庭も同じでしょう。

会社、倒産するときだって、倒産する前にシグナルがいっぱい起きているはずです。
最初は社員さんの笑顔が減るとか、そういうのです。
それを「なんだアイツ、最近元気ねぇな……おいっ、暗い顔すんなよ」とか、
社員のせいにしてスルーしていると、その社員さんはそのまま暗くなっていきます。
そのうち社員さんが、売り上げを上げないとか、成果を出さなくなっていくでしょう。
それをまた「おいっ、何やってんだよっ」って責めたとしましょう。
そうすると、その社員は「働くのがつらい」とか言い出して、パフォーマンスが落ち、
何か客前で失敗するようになり、クレームが起きるわけです。
「誰だ、このクレーム起こしたのは! オマエかっ! 何やってんだ!」とか言うでしょう。
そうすると、この社員は辞めてしまいます。
そして、人手が足りなくて、他の社員もイライラし始めて、
業績が悪くなり、赤字になって、キャッシュアウトして、倒産していくんです。

そりゃそうですよね、いきなり倒産なんかしません。
夫婦関係も同じです。
急に離婚なんかしないと思います。
最初は奥様が話しかけてるのに、ダンナが聞いてないとか、
そういう些細なことから始まるんです
その手当てを怠ると、あとあとの少しの亀裂が修復不可能になるといいます。
だって、離婚騒動になって別れましょうって言ってるときに、
「うちのダンナは本当に私の話はよく聞いてくれるんだけど、無理!」とか、
そのようなことはないでしょう。
いちばん最初のシグナルは、話を聞いていないってところからです。

小さいことのシグナルを無視しないということです。
そこを直視せず、放置しているから、問題がだんだん大きくなっていって、
それすらも人のせいにしてるから、大問題になるんです。

そう考えると、どうでしょうか。
苦難って、改善ポイントを指摘されたってことです。
ノーヒントよりも幸運なことですよね。
よくよく感謝したいところです。

[SE;KICHI]
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やめるべき5つの習慣④

『やめるべき5つの習慣』の第4弾。
私は全5箇条のうち、実は、これに一番感銘を受けました。

やめるべき5つの習慣④「自分との約束を守れない。」

みなさんどうでしょうか。
他人との約束は守ろうとするが、自分との約束は守れないことがあるタイプなのか、
他人との約束はどうでもいいが、自分との約束はバッチリ守るタイプなのか、
2択だとしたら、みなさんどちらでしょうか。

多分ほとんどの人が、他人との約束を守ろうとするのではないでしょうか。
それをやめなさいということです。

つまり、自分との約束を大切にしなさいということです。
もちろん、他人との約束も守ったほうがいいですよね。
他人との約束は破りなさいと言っているわけではありません。
ただ、他人との約束を優先的に守ろうとする、
その傾向が危険だと気付きなさいということです。


なぜならば、すごく浅はかだからだと講師は言います。
ほとんどの人が他人との約束を守ろうとするのは、
おそらく、他人との約束を破ると、怒られたり、評価を下げられたりと、
直接的な損害が予想できるからではないでしょうか。
これは、目に見える利益を追っているということです。

でも、他人との約束ばかりを守って他人からの協力を得たとしても、
あなたが自分との約束を守れなければ、
本当に自分の思った通りの人生なんて歩めませんよね。
他人との約束を守っていても、自分との約束を破りまくっていたら、
それって、自分で考えたことをやっていないということじゃないですか。
それでは、他人に操られた人生を歩んでいることになりますよね。

そもそも、「幸せに生きる」というのは、目に見える利益を追うことだけでしょうか。
意外と、「私は本当に思った通りの人生を送っている」という充実感のほうが、
幸せな人生にとってウエイトが大きいのではないかと思えるのです。
事実、古今東西、生き生きと働く高名な経営者などは、
「自分との約束を守る」ことを自分に課していて、
目に見える利益(=他人の評価)なんて気にしていませんよね。
他人からどう見られているかを気にすると、ブレてしまいますから、
そこを断ち切ることこそ肝心と述べていますよね。

もちろん、他人からの約束も守れるように努力はしましょう。
しかし、究極の選択、どちらか選べと言われれば、
自分との約束を守る人のほうが信頼できますよね。
なぜなら、ブレない人だという意味ですから。


試しに、「自分との約束を守る」ことを自分に課してみましょう。

つまり、他人の評価を気にせず、自分との約束を守ると決めるわけです。
私の場合、軽くそれを意識するくらいの取り組みでしたが、
「今、自分は自分との約束を守ってるな!」と自分で実感できるので、
それ自体が、なかなか爽快な感じでした。
もはや感覚的な話で申し訳ないのですが、
他人からの目や評価を気にして何事かを成し遂げても、
「オレ、やったぜ!」という充実感なんて、得られないのではないでしょうか。
充実感の根源は、自分との約束を守り、考え、
成し遂げたことによる達成感なのではないかと思うのです。
他人との約束を守ることは、マナーとしては必要だし、
目に見える利益が必要なときはそれでいいとは思うのですが、
充実感とは別のような気がするのです。

そして、昨今の日本人、この充実感の不足が、
つまり、自分との約束を破り、他人との約束ばかりを気にする習性が、
生きている実感を失わせ、自己肯定感を下げ、
先進国ではぶっちぎりの、自信のない国民になっているのでしょう。

その実践方法は、「共に学ぶ仲間を持つ」ことだそうです。

人間、一人だと弱いので退転しやすいもの。
そもそも、自分との約束を重視していない状態では、
自分の人生が、他人の目を気にしたダメな状態であるということに、
なかなか気づけないものです。
だって、そんなの誰も指摘してくれませんもん。
他人との約束を破ると指摘というか、苦言を頂戴しますが、
自分との約束を守らなくても、指摘してくれる人がいないので、
自分ではなかなか気づけないんですよね。

だったら、「自分との約束を守ろうね」という価値観を共有できる仲間を見つけて、
互いに鼓舞しながら生活することが大事なのではないでしょうか。
彼が生き生きしている秘訣、彼女が楽しそうにしている秘訣を、
仲間として学び合うことが大切のように思うのです。

人間、会社などの組織に所属してしまうと完璧を求めがちです。
会社も含め、社会なんて未熟な人しかいないはずなのに、
やれ、部下は上司に「あの人、上司なのに、なんでちゃんとやらないんだ!」と、
完璧な上司なんているわけないのに、完璧を求め、
やれ、上司は上司で、能力的に劣るから部下になっている者に対し、
「なんでやれねーんだよ!」なんて怒ってみたり。
会社では利害関係があってなかなか厳しいのかもしれませんが、
仮に、「自分との約束を守ろう」という一点でコンセンサスがとれれば、
その場は、どんなに素っ頓狂な未来図を宣言しても肯定されるでしょう。

学校では「お友達との約束は守ろう」などと教えていますが、
お友達よりも大切な、約束を守るべき相手は自分であると、
まずは大人が実践し、
子供たちの将来のために喧伝しなくてはいけないと思うのです。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣③

『やめるべき5つの習慣』の第3弾。

やめるべき5つの習慣③
「環境や他人のせいにする。」


今回は前回の「他人の目や意見を気にする」と少し似ています。
が、「……のせいにする」という文章に構造からして、
それがあまり好ましくないんだろうなということは察しがつく感じですね。

その実践方法は、「依存心・責め心を捨てる」ことだそうです。

依存心や責め心があると、ついつい他人のせいにしてしまいますから、
努めて依存しないで、すべて自分のせいだと思おうということです。
本当はすべて自分のせいというのは言いすぎだと思うのですが、
自分ができることは何だろうと、自分でしっかり考えて、
自分で行動するということが大事なのでしょう。
もちろん、できもしないことをやれと言っているのではありません。
そうではなくて、自分ができることはいっぱいあるのだから、
そちらに目を向けましょうよという話です。

たとえば、会社の場合。
経営者でなければ、会社の経営の問題を直接解決することはできなくても、
今日一日お客様に一生懸命尽くすことは自分でやれるわけですし、
チームの雰囲気が悪い場合でも、
「社長、なんか言ってやってくださいよ」などと上役に頼まずとも、
自分だけでも元気に屈託なく挨拶をしようとか、
いつもありがとうございますと感謝を伝えようとかはできますから。

私たちができることは腐るほどあるんです。
なのに、ほとんどの人は、この依存心のせいで、
自分ができることを考えずに、他人のことばかり考えているような気がします。

たまに国会前とかで、何かの抗議活動を行っている方などをTVで見ます。
「アベ政治にNO!を」とか、横断幕か何かを持って練り歩いています。
子供に見られて恥ずかしくないんでしょうか。
いや、私は主義主張の話をしているのではないのです。
特定の政策に対して異議を唱えるとか、そういうことは大いに結構だと思うのです。
ただ、私が問題だと思うのは、
友人でも部下でもない人物を呼び捨てて、そのうえ全否定すること。
子供に「ねぇ、“アベにNO!”って、悪口じゃないの?」って聞かれたら、
「違うよ」って言えないですよね。
だいたい、あんなに徒党を組んで集まって、
その中のどれだけが、本当に政策について考えて反論しているのか、
流されてるだけだろうと思うのですが、子供に何て説明しましょうか。
考えることなく雰囲気に流されて思考停止って、
本当はそれはとても怖いことですよね。

私たちができることは腐るほどあるんです。
空気に流されて抗議活動をやっている場合ではないんです。
精一杯働いて税金を納めて国の発展に資するとか、
何かを生み出して国際的な競争力を作り出す努力をするとか、
子供たちの目を意識して信念に基づいた生き方を見せるとか、
真に国を憂えるなら私たちがやれることはたくさんあるんです。

夫婦関係もそうですよね。
「何でうちの旦那、私のこといたわってくれないのかしら」とか、
「ウチの子供たちが勉強しないのは、カミさんが……」とか、
責め心が長じて夫婦げんかになります。
そして、夫婦げんかが起きると子供たちはこう思います。
「ボクのせいだ……」
「ボクさえいなかったらお父さんとお母さんはケンカしなくて済むのに……」
と、こうして自尊心の低い子供が育つわけです。

たぶん、両親が環境や他人のせいにしなかったら、子供たちは自信満々なのです。
自尊心は高めなくても、もともと高いのです。
「あら、かわいいわねぇ」 「そんなことないでちゅよぉ」などという、
自尊心が低い赤ちゃん、見たことないでしょう。
赤ん坊は生後すぐから自尊心の固まりで、
きっと、自分が笑えば世界中の人が笑顔になると、心から信じています。
つまり、私たちはもともと自尊心マックスだったんです。
その自尊心を下げたのは、大人です。
大人が責め心を子供の前で見せ、子供たちを落胆させたからです。

とはいえ、他人のせいにしてはいけないということは分かるけれども、
では、どうしたらいいかということになると分からないですよね。
それについて講師は、『積極性』を身につけなさいと言います。
要するに、積極的に、すべて自分のせいだと思おうということです。
他人のせいにしている場合ではなく、
起こったことすべてを自分の問題だと捉えて解決に向かって邁進せよというのです。

他人のせいにしている場合ではない……
それは他人の言動にかまっている場合ではないという意味です。

いま、日本は他人に批判的な国ですよね。
何かが気に障れば刺し殺したり放火したり、高速道路上で停車させたり、
そこまで根性がない者は SNS などでコソコソ文句言ったり。
YouTube のトラッキングによれば、他人の投稿に批判的な国 No.1 だそうです。
もっと寛容になればいいのに、情けない。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣②

『やめるべき5つの習慣』ということで書き始めた拙稿でしたが、
「検討すんな」という内容がそれなりにセンセーショナルだったせいか、
久々に大きめの反響をいただきました。
今回はその続編です。

やめるべき5つの習慣②
「人の目や意見を気にする。」


確かに、自分の人生ですからね。
でも、そんなことを言い切ると、世間から浮いてしまうと思うのですが、
この訓に従うのであれば、世間から浮いたって構わないということになります。

講師は言います。
自分の人生を有意義に生き切りたかったら、
他人をしっかり無視しなさい
と。
逆説的ですが、それは真実だろうと私は思います。

私は、実は、ほとんどの人が潜在的に、
「他人の目を気にせず、自由に生きたい」と、乞い願っていると思っています。
だって、たとえば、死の間際に自分の人生を振り返ってみて、
「あぁ、もっと他人の目を気にすればよかった……」なんて後悔する人は、
たぶんいません。
一方、「あぁ、もっと他人の目を気にせず、自由に生きればよかった……」という、
逆の意味での後悔を抱く人は、おそらく、そこそこの割合でいそうです。
つまり、ほとんどの人が、心の奥底では、
「他人の目を気にせず、自由に生きたい」とのだと思うのです。

そう思っているのなら、そうすればいいじゃないですか、という話です。
その実践方法は、「自分軸を確立する。 信念を持つ」こと。

自分の感覚や選択に責任を負うということですね。
“信念を持つ”とかいうと、意志が固い立派な人物を思い浮かべますが、
ここで言うのはそういうことではありません。
自分が思ったようにちゃんと生きるということです。

しかも、これができると、他人のせいにしなくなります。
「いや、オレは他人の目は気になるけど、別に他人のせいにはしてない」と、
反論する方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そもそも、他人の目を気にしている人というのは、
どう見られるかが行動の動機(理由)になっているため、
人生のオペレーションが、いちいち、「他人から変に思われないか」という、
自分ではなく、他人の価値観に依存しているわけで、
それは、結局、人のせいにして生きているということにほかなりません。

そういう人は、「あなたはなぜそう思うのか」と尋ねると、
「いや、だって、みんなそう言ってるから」とか、
「いや、テレビで流行ってるって言ってたから」とか、
自分で出した結論の理由に他人が登場してきます。
もう少しマイルドなパターンでは、
「ほら、自分だけ違うことするわけにもいかんから」とかもそうですね。
こういうのは、結局、人のせいにして生きているということです。
私は、自分で出したはずの結論に他人が登場してきたら危ないと思っています。

ちなみに子育てでも同じことが言えます。
「ウチの子はなかなか漢字を覚えない」とか、
「ウチの子は足が遅い」とか、そういうことで悩む親御さんは多いようですが、
そもそも、漢字を覚えるタイミングなんてそれぞれ違うに決まっていますし、
足の速い遅いも個々に違うので当然なのですが、
なにを、他の子と比べて我が子だけができないかのように言っているのか。
そんなことだから子供たちは委縮し、大人たちの顔色をうかがう、
どうにもならない大人となって社会に出てくることになるのです。

それくらい、人目を気にすることは悪いことだという話です。

しかし、日本人はそういう人が多いそうです。
かつて山本七平が言っていたように、日本人は空気で動きますから、
「給料上がんないのは社長のせいだ」とか、
「モチベーション上がんないのは上司が悪いんだ」とか、
自分じゃない相手をどんどん責め始めます。
これを拡大していくと、
「日本の経済が良くならないのはアベのせいだ」とか、
会ったこともない人物のせいにし始めたりもします。

日本人は、元来、会ったこともない人物には言及しないものでした。
それなのに、いま。
景気が悪いと言っては一国のリーダーである首相をなじり、
行動がけしからんと言っては芸人を追放し、
発言が気に食わんと言ってはシュプレヒコールを上げる国民です。
完全に、何かに毒された、習慣のなせるワザだと思います。
つまり、それくらい、私たちは、
なんでも他人のせいにして生きているということです。
もう、クセになってて、自分では気づかないだけなのです。

だから、ここはひとつ。
人の目や意見を気にせず、
「私は私よ、関係ないわ」
©中森明菜 という、
他人が介在することのない信念を持つべき
だと思います。

さぁ、みなさん。
周囲がみんな暗い顔をしていても、自分一人でも笑っていましょう。
会社のために家族のために、地域のために日本のために、
浮いている存在にならなくてはダメです。
平気で浮こうじゃありませんか。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣①

日本の人口は、毎年50万人ほどのスパンで減少しているということです。
富山市の人口は42万人ほどなので、
毎年、富山市1個が吹き飛ぶような人口減少が起こっているということになります。
おそらく、この感じで進めば、日本は、あと数十年ほどもすれば、
毎年 100万人ほどの人口が消えていく国になることでしょう。

これ自体は自然減ですので、どうにもなりません。
そこで考え出されたのが“働き方改革”です。
「休もう」みたいなことばかりに目が向けられていますが、
本質は、生産性を上げて、減っていく100万人分をカバーしようという趣旨です。
ということは、残る者が能力アップしないことには、
その100万人分のカバーができないということになりますから、
各人が自己変革し、
能力アップして生産性を上げることが絶対必要です。


さて、この半年ほど、何度か機会をいただいてセミナーに参加し、
『いますぐやめるべき5つの習慣』というようなテーマを学びました。
もちろん、そのやめるべき理由は、各人が自己変革し、能力アップするためです。
せっかくなので、今回から5回ほどに分けてご紹介します。

やめるべき5つの習慣①
「即決しないで検討する。」


やめるべき習慣という話ですので、
つまり、「即決しないで検討することをやめなさい」と言っているわけです。

なぜかというと、時代の変化のスピードがとてつもなく速いからです。
昔は、社会はゆっくり変化していたので、
ゆっくり検討していても、タイミングは逸しなかったのだと思うのですが、
いまは VUCA の時代、即決しないと乗り遅れるというわけです。 

それに、人間は検討したらやらなくなりますからね。
第一印象で「いいな」と思ったとしても、
持ち帰って検討している間に不安要因なんかがどんどん頭に浮かんで、
「まぁ、やめとくか」ってなりやすいものです。
「なんかぁ、クチコミ見ると、結構ヤバいコメントあるんすよ」とか。
もともと、クチコミなどというものは、
どんな事柄でも良いクチコミと悪いクチコミがあるものなのに、
わざわざ悪いクチコミを探して取り上げようという無意識のふるまいは、
結局、「やめときましょう」という結論に向かおうとしているわけです。

つまり、古今東西、『検討』は、“やらない理由探し”でしょう。
「検討を重ねてるうちにどんどんやりたくなってきた」なんて話、
聞いたことないですから。

だから、やり始めてから検討して変化させるという柔軟さはあっていいですが、
やり始める前に検討するというのは愚者のやることだという話です。

しかし、そうは言っても、即決しないで検討するというのは勇気がいります。
そこで推奨されているのが「朝起きの習慣」です。

「朝起き」というのは「早起き」とは違います。
「早起き」というのは、朝早くに起きることですが、
「朝起き」というのは、朝、目が覚めたらすぐに行動することだそうです。
科学者によれば、人間が目が覚めるというのは偶然ではないそうで、
脳が「今すぐ起きるべきだ」と判断したときに目が開くようになっており、
つまり、目が覚めた時には、何らかの理由があるのだそうです。
まぁ、卑近な例では尿意ですよね。
夜中に脳が「今すぐ起きるべきだ」と判断したからこそトイレに行けるのだし、
そういう“虫の知らせ”的な危機管理機能があるというのです。

つまり、「朝起き」というのは、
その、脳の判断に忠実であろうとするトレーニングだということです。
チャンスの女神は、前髪しかないという前衛的な髪形だそうなので、
それが通ったらいつでもパッとつかめるように、
朝、パッと起きるトレーニングを重ね、
即断即決力を磨いておくことが大切だということです。


まぁ、目が覚めているのに寝床でダラダラしているような人が、
人生の大切な局面で果敢に判断できるかといえば、
確かに、それはなんとなく無理そうな気がしますよね。

だから、たとえばレストランでメニューがなかなか決められないとか、
いろいろ慎重に、検討に検討を重ねるタイプだ、とかいうのは、
別に性格的な問題ではなく、トレーニングの不足であるともいえます。

トレーニングを積み、
瞬時にアクションを起こす習慣を身につけたいものです。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
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