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やめるべき5つの習慣④

『やめるべき5つの習慣』の第4弾。
私は全5箇条のうち、実は、これに一番感銘を受けました。

やめるべき5つの習慣④「自分との約束を守れない。」

みなさんどうでしょうか。
他人との約束は守ろうとするが、自分との約束は守れないことがあるタイプなのか、
他人との約束はどうでもいいが、自分との約束はバッチリ守るタイプなのか、
2択だとしたら、みなさんどちらでしょうか。

多分ほとんどの人が、他人との約束を守ろうとするのではないでしょうか。
それをやめなさいということです。

つまり、自分との約束を大切にしなさいということです。
もちろん、他人との約束も守ったほうがいいですよね。
他人との約束は破りなさいと言っているわけではありません。
ただ、他人との約束を優先的に守ろうとする、
その傾向が危険だと気付きなさいということです。


なぜならば、すごく浅はかだからだと講師は言います。
ほとんどの人が他人との約束を守ろうとするのは、
おそらく、他人との約束を破ると、怒られたり、評価を下げられたりと、
直接的な損害が予想できるからではないでしょうか。
これは、目に見える利益を追っているということです。

でも、他人との約束ばかりを守って他人からの協力を得たとしても、
あなたが自分との約束を守れなければ、
本当に自分の思った通りの人生なんて歩めませんよね。
他人との約束を守っていても、自分との約束を破りまくっていたら、
それって、自分で考えたことをやっていないということじゃないですか。
それでは、他人に操られた人生を歩んでいることになりますよね。

そもそも、「幸せに生きる」というのは、目に見える利益を追うことだけでしょうか。
意外と、「私は本当に思った通りの人生を送っている」という充実感のほうが、
幸せな人生にとってウエイトが大きいのではないかと思えるのです。
事実、古今東西、生き生きと働く高名な経営者などは、
「自分との約束を守る」ことを自分に課していて、
目に見える利益(=他人の評価)なんて気にしていませんよね。
他人からどう見られているかを気にすると、ブレてしまいますから、
そこを断ち切ることこそ肝心と述べていますよね。

もちろん、他人からの約束も守れるように努力はしましょう。
しかし、究極の選択、どちらか選べと言われれば、
自分との約束を守る人のほうが信頼できますよね。
なぜなら、ブレない人だという意味ですから。


試しに、「自分との約束を守る」ことを自分に課してみましょう。

つまり、他人の評価を気にせず、自分との約束を守ると決めるわけです。
私の場合、軽くそれを意識するくらいの取り組みでしたが、
「今、自分は自分との約束を守ってるな!」と自分で実感できるので、
それ自体が、なかなか爽快な感じでした。
もはや感覚的な話で申し訳ないのですが、
他人からの目や評価を気にして何事かを成し遂げても、
「オレ、やったぜ!」という充実感なんて、得られないのではないでしょうか。
充実感の根源は、自分との約束を守り、考え、
成し遂げたことによる達成感なのではないかと思うのです。
他人との約束を守ることは、マナーとしては必要だし、
目に見える利益が必要なときはそれでいいとは思うのですが、
充実感とは別のような気がするのです。

そして、昨今の日本人、この充実感の不足が、
つまり、自分との約束を破り、他人との約束ばかりを気にする習性が、
生きている実感を失わせ、自己肯定感を下げ、
先進国ではぶっちぎりの、自信のない国民になっているのでしょう。

その実践方法は、「共に学ぶ仲間を持つ」ことだそうです。

人間、一人だと弱いので退転しやすいもの。
そもそも、自分との約束を重視していない状態では、
自分の人生が、他人の目を気にしたダメな状態であるということに、
なかなか気づけないものです。
だって、そんなの誰も指摘してくれませんもん。
他人との約束を破ると指摘というか、苦言を頂戴しますが、
自分との約束を守らなくても、指摘してくれる人がいないので、
自分ではなかなか気づけないんですよね。

だったら、「自分との約束を守ろうね」という価値観を共有できる仲間を見つけて、
互いに鼓舞しながら生活することが大事なのではないでしょうか。
彼が生き生きしている秘訣、彼女が楽しそうにしている秘訣を、
仲間として学び合うことが大切のように思うのです。

人間、会社などの組織に所属してしまうと完璧を求めがちです。
会社も含め、社会なんて未熟な人しかいないはずなのに、
やれ、部下は上司に「あの人、上司なのに、なんでちゃんとやらないんだ!」と、
完璧な上司なんているわけないのに、完璧を求め、
やれ、上司は上司で、能力的に劣るから部下になっている者に対し、
「なんでやれねーんだよ!」なんて怒ってみたり。
会社では利害関係があってなかなか厳しいのかもしれませんが、
仮に、「自分との約束を守ろう」という一点でコンセンサスがとれれば、
その場は、どんなに素っ頓狂な未来図を宣言しても肯定されるでしょう。

学校では「お友達との約束は守ろう」などと教えていますが、
お友達よりも大切な、約束を守るべき相手は自分であると、
まずは大人が実践し、
子供たちの将来のために喧伝しなくてはいけないと思うのです。

[SE;KICHI]
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やめるべき5つの習慣③

『やめるべき5つの習慣』の第3弾。

やめるべき5つの習慣③
「環境や他人のせいにする。」


今回は前回の「他人の目や意見を気にする」と少し似ています。
が、「……のせいにする」という文章に構造からして、
それがあまり好ましくないんだろうなということは察しがつく感じですね。

その実践方法は、「依存心・責め心を捨てる」ことだそうです。

依存心や責め心があると、ついつい他人のせいにしてしまいますから、
努めて依存しないで、すべて自分のせいだと思おうということです。
本当はすべて自分のせいというのは言いすぎだと思うのですが、
自分ができることは何だろうと、自分でしっかり考えて、
自分で行動するということが大事なのでしょう。
もちろん、できもしないことをやれと言っているのではありません。
そうではなくて、自分ができることはいっぱいあるのだから、
そちらに目を向けましょうよという話です。

たとえば、会社の場合。
経営者でなければ、会社の経営の問題を直接解決することはできなくても、
今日一日お客様に一生懸命尽くすことは自分でやれるわけですし、
チームの雰囲気が悪い場合でも、
「社長、なんか言ってやってくださいよ」などと上役に頼まずとも、
自分だけでも元気に屈託なく挨拶をしようとか、
いつもありがとうございますと感謝を伝えようとかはできますから。

私たちができることは腐るほどあるんです。
なのに、ほとんどの人は、この依存心のせいで、
自分ができることを考えずに、他人のことばかり考えているような気がします。

たまに国会前とかで、何かの抗議活動を行っている方などをTVで見ます。
「アベ政治にNO!を」とか、横断幕か何かを持って練り歩いています。
子供に見られて恥ずかしくないんでしょうか。
いや、私は主義主張の話をしているのではないのです。
特定の政策に対して異議を唱えるとか、そういうことは大いに結構だと思うのです。
ただ、私が問題だと思うのは、
友人でも部下でもない人物を呼び捨てて、そのうえ全否定すること。
子供に「ねぇ、“アベにNO!”って、悪口じゃないの?」って聞かれたら、
「違うよ」って言えないですよね。
だいたい、あんなに徒党を組んで集まって、
その中のどれだけが、本当に政策について考えて反論しているのか、
流されてるだけだろうと思うのですが、子供に何て説明しましょうか。
考えることなく雰囲気に流されて思考停止って、
本当はそれはとても怖いことですよね。

私たちができることは腐るほどあるんです。
空気に流されて抗議活動をやっている場合ではないんです。
精一杯働いて税金を納めて国の発展に資するとか、
何かを生み出して国際的な競争力を作り出す努力をするとか、
子供たちの目を意識して信念に基づいた生き方を見せるとか、
真に国を憂えるなら私たちがやれることはたくさんあるんです。

夫婦関係もそうですよね。
「何でうちの旦那、私のこといたわってくれないのかしら」とか、
「ウチの子供たちが勉強しないのは、カミさんが……」とか、
責め心が長じて夫婦げんかになります。
そして、夫婦げんかが起きると子供たちはこう思います。
「ボクのせいだ……」
「ボクさえいなかったらお父さんとお母さんはケンカしなくて済むのに……」
と、こうして自尊心の低い子供が育つわけです。

たぶん、両親が環境や他人のせいにしなかったら、子供たちは自信満々なのです。
自尊心は高めなくても、もともと高いのです。
「あら、かわいいわねぇ」 「そんなことないでちゅよぉ」などという、
自尊心が低い赤ちゃん、見たことないでしょう。
赤ん坊は生後すぐから自尊心の固まりで、
きっと、自分が笑えば世界中の人が笑顔になると、心から信じています。
つまり、私たちはもともと自尊心マックスだったんです。
その自尊心を下げたのは、大人です。
大人が責め心を子供の前で見せ、子供たちを落胆させたからです。

とはいえ、他人のせいにしてはいけないということは分かるけれども、
では、どうしたらいいかということになると分からないですよね。
それについて講師は、『積極性』を身につけなさいと言います。
要するに、積極的に、すべて自分のせいだと思おうということです。
他人のせいにしている場合ではなく、
起こったことすべてを自分の問題だと捉えて解決に向かって邁進せよというのです。

他人のせいにしている場合ではない……
それは他人の言動にかまっている場合ではないという意味です。

いま、日本は他人に批判的な国ですよね。
何かが気に障れば刺し殺したり放火したり、高速道路上で停車させたり、
そこまで根性がない者は SNS などでコソコソ文句言ったり。
YouTube のトラッキングによれば、他人の投稿に批判的な国 No.1 だそうです。
もっと寛容になればいいのに、情けない。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣②

『やめるべき5つの習慣』ということで書き始めた拙稿でしたが、
「検討すんな」という内容がそれなりにセンセーショナルだったせいか、
久々に大きめの反響をいただきました。
今回はその続編です。

やめるべき5つの習慣②
「人の目や意見を気にする。」


確かに、自分の人生ですからね。
でも、そんなことを言い切ると、世間から浮いてしまうと思うのですが、
この訓に従うのであれば、世間から浮いたって構わないということになります。

講師は言います。
自分の人生を有意義に生き切りたかったら、
他人をしっかり無視しなさい
と。
逆説的ですが、それは真実だろうと私は思います。

私は、実は、ほとんどの人が潜在的に、
「他人の目を気にせず、自由に生きたい」と、乞い願っていると思っています。
だって、たとえば、死の間際に自分の人生を振り返ってみて、
「あぁ、もっと他人の目を気にすればよかった……」なんて後悔する人は、
たぶんいません。
一方、「あぁ、もっと他人の目を気にせず、自由に生きればよかった……」という、
逆の意味での後悔を抱く人は、おそらく、そこそこの割合でいそうです。
つまり、ほとんどの人が、心の奥底では、
「他人の目を気にせず、自由に生きたい」とのだと思うのです。

そう思っているのなら、そうすればいいじゃないですか、という話です。
その実践方法は、「自分軸を確立する。 信念を持つ」こと。

自分の感覚や選択に責任を負うということですね。
“信念を持つ”とかいうと、意志が固い立派な人物を思い浮かべますが、
ここで言うのはそういうことではありません。
自分が思ったようにちゃんと生きるということです。

しかも、これができると、他人のせいにしなくなります。
「いや、オレは他人の目は気になるけど、別に他人のせいにはしてない」と、
反論する方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そもそも、他人の目を気にしている人というのは、
どう見られるかが行動の動機(理由)になっているため、
人生のオペレーションが、いちいち、「他人から変に思われないか」という、
自分ではなく、他人の価値観に依存しているわけで、
それは、結局、人のせいにして生きているということにほかなりません。

そういう人は、「あなたはなぜそう思うのか」と尋ねると、
「いや、だって、みんなそう言ってるから」とか、
「いや、テレビで流行ってるって言ってたから」とか、
自分で出した結論の理由に他人が登場してきます。
もう少しマイルドなパターンでは、
「ほら、自分だけ違うことするわけにもいかんから」とかもそうですね。
こういうのは、結局、人のせいにして生きているということです。
私は、自分で出したはずの結論に他人が登場してきたら危ないと思っています。

ちなみに子育てでも同じことが言えます。
「ウチの子はなかなか漢字を覚えない」とか、
「ウチの子は足が遅い」とか、そういうことで悩む親御さんは多いようですが、
そもそも、漢字を覚えるタイミングなんてそれぞれ違うに決まっていますし、
足の速い遅いも個々に違うので当然なのですが、
なにを、他の子と比べて我が子だけができないかのように言っているのか。
そんなことだから子供たちは委縮し、大人たちの顔色をうかがう、
どうにもならない大人となって社会に出てくることになるのです。

それくらい、人目を気にすることは悪いことだという話です。

しかし、日本人はそういう人が多いそうです。
かつて山本七平が言っていたように、日本人は空気で動きますから、
「給料上がんないのは社長のせいだ」とか、
「モチベーション上がんないのは上司が悪いんだ」とか、
自分じゃない相手をどんどん責め始めます。
これを拡大していくと、
「日本の経済が良くならないのはアベのせいだ」とか、
会ったこともない人物のせいにし始めたりもします。

日本人は、元来、会ったこともない人物には言及しないものでした。
それなのに、いま。
景気が悪いと言っては一国のリーダーである首相をなじり、
行動がけしからんと言っては芸人を追放し、
発言が気に食わんと言ってはシュプレヒコールを上げる国民です。
完全に、何かに毒された、習慣のなせるワザだと思います。
つまり、それくらい、私たちは、
なんでも他人のせいにして生きているということです。
もう、クセになってて、自分では気づかないだけなのです。

だから、ここはひとつ。
人の目や意見を気にせず、
「私は私よ、関係ないわ」
©中森明菜 という、
他人が介在することのない信念を持つべき
だと思います。

さぁ、みなさん。
周囲がみんな暗い顔をしていても、自分一人でも笑っていましょう。
会社のために家族のために、地域のために日本のために、
浮いている存在にならなくてはダメです。
平気で浮こうじゃありませんか。

[SE;KICHI]

鉄の失敗談③

先日、船堀に行きました。
江戸川区の。
ちょっと、駅前の江戸川区総合区民ホールというところに用がありまして、
たぶん、生まれて初めてだと思いますが、船堀駅に向かったわけです。

さて、船堀駅へは東京駅から向かいます。
10年以上前とはいえ、いちおう、何年か東京に住んでいましたので、
船堀駅、訪れたことはないとはいえ、
漠然とした位置のイメージはありました。
とはいえ、「確か、千葉とか行く途中にあるよね」くらいのものでしたが。

まぁ、とりあえず、千葉方面に向かってみることにして、
新幹線改札のあたりから、長い長い動く歩道を通り、
地下ホームへと向かいます。
そこにいたのはオレンジのラインカラーをまとった電車。
これは間違いなく千葉に向かう電車。
躊躇なく乗り込みます。

ところで、WAKAさんなんかは、出張中、
スマホを片手に、地図アプリをフル稼働させて歩き回っているそうですが、
私は、たとえば通勤電車などで、乗客のほぼ全員がスマホを眺めている光景を、
何か、催眠術にでもかかっているのかと気味悪く思うタイプなので、
自分自身、あんまりスマホを見ながら行動することはありません。
それでも、あらかじめきちんと調べてから出発するので、
仮に初めての場所に行く場合でも、問題が起こることはありませんでした。

この日も、道中で経路を検索することなく、千葉に向かったわけです。
八丁堀、越中島、潮見……
暢気に構えていた私ですが、目的地は江戸川区だったはず。
さすがに舞浜、新浦安と、千葉県に入ったころには焦りはじめました。
しまった、まちがえた!
慌ててスマホを鞄の奥底から取り出して経路検索。
普段ポケットに入れたりしていないため、スマホを取り出すにも苦労するありさまで、
その間にも電車はどんどん千葉方面に向かって進んでおり、
やっと自分の何が誤っていたのか判明したのは二俣新町駅。

敗因は、「千葉のほうだよね」という漠然としたイメージで出発したこと。
そして、分かっているつもりで、ロクに調べずに出発したことです。
「千葉のほうだよね」という漠然としたイメージにより、
どういうわけか、何も考えずに八重洲口側から地下に降りてしまい、
そこに入っていた京葉線の電車に乗ってしまったというわけです。

正解は、丸の内口側から地下に降りたところにある総武線ホームに向かうべきでした。
東京駅で「千葉といえば地下ホーム」と思ったところまでは悪くなかったのですが、
2種類ある地下ホームのうち、どうして自動的に京葉線だと思い込んだのか……。
いや、というより、船堀駅が総武線であることは認識していた覚えがありますので、
「船堀駅は総武線だ」と認識しながら、
どういうわけか、足が勝手に京葉線に向かってしまったという感じ。
だとしても、長い長い動く歩道を通ったり、
オレンジのラインカラーの電車を見た時点で、
「ん? あ、ここは京葉線じゃん!」って気づくべきでした。
東京に住んでいたころ、総武線沿線の新日本橋まで通勤していたのに、
あぁ、悔しいっ。

とはいえ、急ぎ船堀駅に向かわねばなりません。
調べによると、二俣新町駅からは50分くらいかかるようです。
東京駅から誤って京葉線に乗って二俣新町駅まで約30分。
正しい経路なら東京駅から20分もせずに船堀駅についていたはずですが、
二俣新町駅を経由したために80分もかかってしまう羽目に。
もちろん、大幅に遅れて到着し、陳謝したことは言うまでもありません。
あぁ、悔しいっ。

教訓は何でしょうか。
たまにはスマホを活用して、経路が正しいか調べましょう、か。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣①

日本の人口は、毎年50万人ほどのスパンで減少しているということです。
富山市の人口は42万人ほどなので、
毎年、富山市1個が吹き飛ぶような人口減少が起こっているということになります。
おそらく、この感じで進めば、日本は、あと数十年ほどもすれば、
毎年 100万人ほどの人口が消えていく国になることでしょう。

これ自体は自然減ですので、どうにもなりません。
そこで考え出されたのが“働き方改革”です。
「休もう」みたいなことばかりに目が向けられていますが、
本質は、生産性を上げて、減っていく100万人分をカバーしようという趣旨です。
ということは、残る者が能力アップしないことには、
その100万人分のカバーができないということになりますから、
各人が自己変革し、
能力アップして生産性を上げることが絶対必要です。


さて、この半年ほど、何度か機会をいただいてセミナーに参加し、
『いますぐやめるべき5つの習慣』というようなテーマを学びました。
もちろん、そのやめるべき理由は、各人が自己変革し、能力アップするためです。
せっかくなので、今回から5回ほどに分けてご紹介します。

やめるべき5つの習慣①
「即決しないで検討する。」


やめるべき習慣という話ですので、
つまり、「即決しないで検討することをやめなさい」と言っているわけです。

なぜかというと、時代の変化のスピードがとてつもなく速いからです。
昔は、社会はゆっくり変化していたので、
ゆっくり検討していても、タイミングは逸しなかったのだと思うのですが、
いまは VUCA の時代、即決しないと乗り遅れるというわけです。 

それに、人間は検討したらやらなくなりますからね。
第一印象で「いいな」と思ったとしても、
持ち帰って検討している間に不安要因なんかがどんどん頭に浮かんで、
「まぁ、やめとくか」ってなりやすいものです。
「なんかぁ、クチコミ見ると、結構ヤバいコメントあるんすよ」とか。
もともと、クチコミなどというものは、
どんな事柄でも良いクチコミと悪いクチコミがあるものなのに、
わざわざ悪いクチコミを探して取り上げようという無意識のふるまいは、
結局、「やめときましょう」という結論に向かおうとしているわけです。

つまり、古今東西、『検討』は、“やらない理由探し”でしょう。
「検討を重ねてるうちにどんどんやりたくなってきた」なんて話、
聞いたことないですから。

だから、やり始めてから検討して変化させるという柔軟さはあっていいですが、
やり始める前に検討するというのは愚者のやることだという話です。

しかし、そうは言っても、即決しないで検討するというのは勇気がいります。
そこで推奨されているのが「朝起きの習慣」です。

「朝起き」というのは「早起き」とは違います。
「早起き」というのは、朝早くに起きることですが、
「朝起き」というのは、朝、目が覚めたらすぐに行動することだそうです。
科学者によれば、人間が目が覚めるというのは偶然ではないそうで、
脳が「今すぐ起きるべきだ」と判断したときに目が開くようになっており、
つまり、目が覚めた時には、何らかの理由があるのだそうです。
まぁ、卑近な例では尿意ですよね。
夜中に脳が「今すぐ起きるべきだ」と判断したからこそトイレに行けるのだし、
そういう“虫の知らせ”的な危機管理機能があるというのです。

つまり、「朝起き」というのは、
その、脳の判断に忠実であろうとするトレーニングだということです。
チャンスの女神は、前髪しかないという前衛的な髪形だそうなので、
それが通ったらいつでもパッとつかめるように、
朝、パッと起きるトレーニングを重ね、
即断即決力を磨いておくことが大切だということです。


まぁ、目が覚めているのに寝床でダラダラしているような人が、
人生の大切な局面で果敢に判断できるかといえば、
確かに、それはなんとなく無理そうな気がしますよね。

だから、たとえばレストランでメニューがなかなか決められないとか、
いろいろ慎重に、検討に検討を重ねるタイプだ、とかいうのは、
別に性格的な問題ではなく、トレーニングの不足であるともいえます。

トレーニングを積み、
瞬時にアクションを起こす習慣を身につけたいものです。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
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