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キケンなクシャミ③

前回は腰や左足の痛みを止めるのにブロック注射をした話までしましたが、
その後、1週間安静にして様子を見ました。
しかし左側のお尻から前太もも、スネにかけての痺れや痙攣はあまり変わらず、
病院の診察の日が来ました。

主治医にブロック注射のおかげで痛みはかなり軽減されているものの、
症状は改善されていないことを告げ、
今後このまま痛みを押さえて様子を見るのか、
あきらめて手術をするのか話し合いました。

私は1週間経っても症状が全く変わらなかったことから、
このまま時間が経過してもそれほど改善しないのではないかと感じていました。
そこで手術をした場合、痺れが治るものかと聞いてみましたが、
またもや人によるとのこと。
痛みは取れても痺れは残るかもしれないと。

そうは言っても神経に触っているところを取り除けばスッキリするだろうと思い、
手術することにしました。
内視鏡手術なので傷口が2cmほどで、時間も麻酔を合わせて1時間半ぐらいで済み、
入院も順調なら術後4日間で退院できると言われました。
2日後か3日後に1人ぐらいなら手術入れれるけどどうしますかと聞かれ、
ビビリの私は心の準備期間を少しでも欲しいというのと、
ちょっとでも先延ばしにしたいという往生際の悪さから3日後にしました。
そして手術の前日に入院し、緊張と慣れない環境で寝られません。

いよいよ手術当日、ストレッチャーに乗せらせて手術室に入ります。
そこで別のストレッチャーに乗せられるのですが、
ヒーターが入っていて温かいのです。
温かいんですねと付添いの看護師に話しかけると、
あなたのために温めておきましたよと笑いながら言われました。
まあ、私は緊張で笑えませんでしたが。

その後のことは麻酔のため覚えていないのですが、
手術後大きいな声で呼ばれて目が覚めました。
無事に終わったことを聞いてホッとしました。

病室に戻ると、麻酔の副作用で強烈な吐き気とだるさが襲って来て、
吐き気止めの点滴を打ち、数時間後にようやく落ち着きました。
すると今度は尿意が襲って来ました。
尿道に管を通すのが嫌で拒否した私は、シビンでしなければなりません。
寝たままだと力が入らないのでシビンはちょっと無理そうだなと思っているところに、
丁度主治医が様子を見に来て、
私が見ているから自分で立ってトイレに行ってすればいいと言われました。
個室だったのでトイレは近いのですが、
手術後いきなりすぐに自力でトイレに行くとは思っていなかったのでかなり驚きました。
実際何とかできましたが、少し動くだけで傷口が痛くて苦労しました。

肝心の手術後の体の症状は、その時点で腰の痛みはないのですが、
残念ながら左足の膝からスネにかけての 痺れは取れていませんでした。
スッキリ治ると思っていたのですが、
やるだけやったのだから時間の経過を待つしかしょうがないなと、
特に落ち込む事もありませんでした。
とにかく終わってホッとしました。
その3日後に傷口の抜糸をし、4日目に退院しました。
予定通りです。

入院中は夜も病室の戸を開けっ放しで出入りが激しく、
他の病室から夜中じゅう叫んだり奇声を発する声が聞こえ、
ナースコールをしょっちゅう鳴らす人や、
向かいのベッドの人は心臓が苦しいと言って緊急事態になったりと、
全くといっていいほど寝れませんでした。
毎日夜になると動物園にいるような気分になり、さながらナイトズーです。
食事も、特に何も制限されていなかったのですが、
学校給食の方がまだ美味いと思えるものしか出ませんでした。
もう入院はこりごりです。
あらためて健康の大切さを感じました。

実は話はこれで終わりません。
また今度。

[M M]
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飛鳥の執念➉ ~天皇の名前

ちょっと変化球で行きますが、
奈良時代後期の貴族に淡海三船という人がいました。
この人物は、奈良時代以前の歴史散歩好きにとっては欠かせない人物です。

乙巳の変(大化の改新)で有名な中大兄皇子が天智天皇として即位するのは、
近親相姦とかなんだかんだあって、先代の斉明天皇が崩御してから6年半後、
正式に即位した時には既に42歳でした。
42歳って、いまでは働き盛りの年代ですが、
当時は寿命が短く、実際、天智天皇も46歳で崩御しますので、
42歳と言えば、もはや晩年と言っても差し支えないほどの年齢です。

さて、42歳で即位した天智天皇は、
弟の大海人皇子を皇太弟に指名しました。

ところで、この大海人皇子という人は、天智天皇の弟でありながら、
皇后となった鸕野讚良皇女や、その姉の大田皇女のほかに、
兄・天智天皇の娘(つまり自分の姪っ子)を4人も妻にしたうえ、
さらに、それとは別に6人、合計10人の妃を持ちました。
その一人が、私が峰不二子似説を提唱している額田王です。

この額田王は、最初、大海人皇子の妃で、十市皇女という娘を生んでいますが、
のちに、大海人皇子は兄の天智天皇に額田王を奪われてしまっています。
そして、大海人皇子と額田王の娘である十市皇女は、
天智天皇の息子である大友皇子の妻となり、葛野王という子を産んでいます。

さて、弟の大海人皇子を皇太弟に指名した天智天皇、
これは、簡単に言えば「次は彼です」という内外に向けた宣言なのですが、
その2年半ほど後、天智天皇は大友皇子を、史上初の太政大臣に指名しました。
突然作られた太政大臣というのは皇太弟より上の立場で、
これは、「次は彼です」といったん指名していた弟の大海人皇子を飛び越え、
その上に自分の息子を据えた形です。
つまり、天智天皇は、いったんは弟を後継指名したものの、
そのうち、わが子・大友皇子を後継者にしたいと思い始めてしまったということでしょう。

この時代、権力者にとって目障りな人物は容赦なく粛清されますから、
大海人皇子は震え上がったはずです。
その結果、大海人皇子は皇太弟を辞退し、出家して山奥に隠れてしまい、
代わりに大友皇子が皇太子になりました。
まぁ、たぶん、天智天皇の思う壺でしょう。

天智天皇が死ぬと、大友皇子が(即位したかどうかは不明ですが)後継として朝廷を主宰します。
その半年後、山奥の大海人皇子は挙兵を決意して山奥から脱出、
武力で大友皇子を自殺に追い込んで、自ら即位し、天武天皇となりました。(壬申の乱)
大友皇子の妻であり、天武天皇の娘である十市皇女の悲壮感
計り知れませんね。

しかし、こうなってしまうと、自殺した大友皇子を父に持つ葛野王の立場が、
俄然、不安定なものになっていきます。
天武天皇の死後、その皇后の鸕野讚良皇女は持統天皇として即位し、
わが子・草壁皇子の継がせるために執念を燃やします
が、
葛野王は、その彼女にひれ伏し、草壁皇子後継のために尽力しました。
まぁ、そうしなければ生き残るすべはなかったでしょうから、
保身のために魂を売ったとも言えますが、
ある意味では“うまく立ち回った”というわけです。

その葛野王の子が池辺王という人物で、さらにその子が、冒頭の淡海三船です。
縷々書き連ねてきたのは、
彼が天智系の正統であるということを伝えたいがためですが、
天智系は壬申の乱で非主流派に追いやられており、
この人物は大友皇子の曽孫でありながら、若いころから出家していました。
しかし、30歳ころに勅命により還俗させられて御船王に戻ったのち、
淡海の氏姓を賜って臣籍に降下し、淡海三船と名乗っているわけです。
それはともかく、彼の最大の功績は、
初代神武天皇から第44代元正天皇までの、
ほぼ全部の天皇の漢風諡号を決めたこと
です。

実は天皇の呼び名というのは、在位中から本人が名乗っているわけではなく、
退位後、第三者が決め、そう呼ばれるものなので、
たとえば桓武天皇の“桓武”という称号は崩御後に贈られた名前なので、
生前、「桓武さ~ん」と話しかけても、
「は~い、桓武で~す」ということにはならないのです。
つまり、どの天皇も、基本的に在位中はその名前では呼ばれていないのですが、
この天皇の名前について、初代から第44代までの分を決めたのが淡海三船で、
そういうわけで、彼は歴史散歩好きにとっては欠かせない人物です。

というより、この記事に出てきた斉明天皇も天智天皇も天武天皇も持統天皇も、
全部、彼のネーミングなんだということです。
臣籍降下ということで、皇族としては主流ではなかったのかもしれませんが、
“名付け親”として、現在に至るまで名が遺っているというのは、
それはそれで、大を成した人生だったのだなぁと感心します。

[SE;KICHI]

キケンなクシャミ②

以前、クシャミをしてギックリ腰になった話をしました。
そしてクシャミにだけは勝てる体にしたいとも言いました。
その時はまさか続編を書く事になるとは思っていませんでした。
しかし、結果から言うとクシャミに負けてしまいました。
完敗です。


普段からクシャミにはずっと気を付けていて、
出る時には何かにしがみついてショックをやわらげるなどの対策を講じていました。
ところが、車に乗って信号待ちをしている時にクシャミが出そうになり、
慌ててハンドルを握る手に力を入れて準備をしたのですが、
クシャミをした途端腰に強烈な痛みが走り、
あぁまたしてもやってしまったなと、
それにしてもいつもより痛みがすごいなと思っていると、
左足が痺れてきました。

これはヤバイとすぐに引き返して家に戻り、病院へ連れて行ってもらいました。
病院に行く最中も左足の前太ももからスネにかけて強い痛みと共に引きつり、
前太ももがピクピク痙攣しているのが見た目でもわかりました。
唸りながら病院に着き、レントゲンを撮って診察を受けると、
多分腰の椎間板が神経に触っているんだろうとのことで、
痛み止めをもらって様子を見ることにしました。

その後2日たっても痛みと痙攣が治まらないので、
前回とは違う大きめの病院に行き、
今度はレントゲンと合わせてMRIも撮りました。
MRIの画像を見ると、椎間板が背骨の間から飛び出して見事に神経を押していて、
明らかに椎間板ヘルニアになっていました。

さてどうするかという話になり、選択を迫られました。
一つ目はこのまま痛み止めを飲んで経過を見る。
二つ目はブロック注射を打ちとりあえず早急に痛みを抑えて経過を見る。
最後の三つ目はあきらめて早目に手術をする。
この三つに対して私と医者の先生と看護師で話し合いが始まりました。

私は時間と共に痛みや痺れが無くなることがあるのか質問しましたが、
無くなる人もいれば無くならない人もいる、
つまり人によって違うと言われました。
自分がどっちなのかは誰にもわからないことなので、
結局は時間が経ってみないとわかりません。
手術をするなら数日後に1人ぐらいなら入れるよと言われ、
心の準備が無くビビった私はいきなり手術は避けたいと主張し、
一旦経過を見る方向でお願いしました。

そうなると今度はどのくらいの期間様子を見るかという話です。
1週間なのか1ヵ月なのか3ヵ月なのか。
とりあえず1週間後に診察を再度受けて、その時にもう一度話し合うことにしました。

それまでにもらっていた痛み止めが全く効いていなかったので、
今の症状に効く痛み止めを出してもらうことにはなりましたが、
ブロック注射をした方がもっと確実に痛みが治まるよと言われ、
骨に向かって針を刺されるのが怖くて、
注射は痛いですかと聞くと、またまた人によって違うと言われ、
すがるように看護師さんの顔を見ると、
私はブロック注射をしたことがないから、
どの程度の痛みか言ってあげられないの、ゴメンねと謝られました。
注射を打つとどのくらいの期間効きますかと聞くと、
それも人によって違うと言われる始末。

同じ話を繰り返すビビリの私。
他にも待っている患者さんがいるであろうに何かと粘る私。
でも痛みがこれ以上続くとノイローゼになりそうなくらいでしたので、
意を決して注射を打つことにしました。
お尻の方から骨に向かって針が入ってきました。
ツーンとした痛みが何とも言えません。
そしてクスリを注入する際、先生から早く終わらせたいか聞かれました。
そうしてくださいと言うと、ギューッと薬が入って来るのがわかり、
思わずイテテテッと声が出ました。
すると先生が、やっぱり早く入れると痛いんだねぇ、
じゃあゆっくり行くよと言われ、半分遊ばれているようでした。トホホ。

さて、この後の事はまた今度という事で。

[M M]

鉄の失敗談②

以前にもちょっとだけ触れたことがありますが、
北陸から出張や旅行で名古屋へ行こうとするとき、
“特急しらさぎ”と乗り換えの東海道新幹線がセットになった、
「名古屋往復割引切符」というのがあります。
この切符では、特急は指定席ですが、途中の米原より先、
名古屋までの東海道新幹線は自由席になります。
帰りも然りで、米原から北陸方面の特急は指定席ですが、
米原までの、名古屋からの東海道新幹線は自由席を利用することになります。

さて、何しに行ったのかははっきり覚えていないのですが、
仕事で名古屋に出かけた際の話。
その日は、思っていたよりも効率的に予定が消化でき、
名古屋駅に戻った時点で、当初の想定時間より1時間も早かったので、
そこは自由席の気安さ、
予定より早い新幹線に乗って、早めに帰ろうと思ったわけです。

私は、行動しました。
いま思えば、米原までは新幹線自由席ですが、その先の特急は指定席なので、
まずは、みどりの窓口に向かい、乗車可能な乗り換えを提示してもらい、
乗車変更の手続きをしてもらうべきでした。

しかし、その時の私には、そのようなことは露ほども思い浮かばず、
早い新幹線に乗るため、とりあえずホームへ急ぎました。
歩きながらスマホで乗り換え案内を検索すると、
14:19発のひかり513号に乗れと教えてくれます。
その時点で時刻は 14:08 頃なので、余裕で乗れそうです。
穏やかな心境で、エスカレーターでホームに上がります。
ホームに「ルルルルル……」と発車ベルが鳴り響いています。
徐々に視界に入ってきた電光掲示板によれば
いま、発車しようとしているのは 14:09 発のひかり471号のようです。
「おおっ、ラッキー! 10分早いひかりに乗れるじゃん!」と、慌てて飛び乗り、
「ふふふ、だいぶ早い新幹線に乗れたぞ。これは早く帰れるなぁ」と、
密かにほくそ笑む私。

車内アナウンス。
「今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます。
この電車は、ひかり号新大阪行きです。
途中の停車駅は、京都、です。
この電車は全席禁煙となっておりま……」
・・・・・・んっ!? 米原は?

敗因は、ひかりの停車駅が全便共通だと思い込んでいたことです。
つまり、米原に停車しないひかりがあることを知らなかったのです。
というわけで、後ろに飛び去って行く米原駅ホームを車窓に眺め、
次に私が新幹線を降りたのは、古都・京都。

スマホの指示通りに乗っていれば 14:52 には米原に着いていたはずで、
14:56の特急しらさぎに乗れたのですが、
10分早いひかりに乗ったばっかりに、京都に到着してしまった私。
現在時刻 14:46 から、戻らねばなりません。
14:56発、のぞみ28号、米原に停まらない。
14:58発、ひかり472号、米原に停まらない。
15:02発、のぞみ372号、米原に停まらない。
15:05発、のぞみ232号、米原に停まらない。
15:08発、こだま666号、米原に……あぁ、やっと停まる新幹線だ。
それに乗って米原駅まで戻り、米原駅に着いたのは15:30。
当然、14:56 の特急しらさぎには乗れませんで、
乗れたのは 15:56 の特急しらさぎ。
当初の想定時間より1時間も早く名古屋駅を出た私でしたが、
意味なく米原⇔京都を往復したせいで、乗れた特急は、当初の予定通りでした。
・・・・・・乗車変更しなくてよかったぁ。。。

教訓は何でしょうかね。
慌てて飛び乗ってはいけません、か。

とまぁ、これは何年も前の話なのですが、最近、ちょーっとだけ似た話が。
東京などに出張する際、
私は、基本的に自宅にクルマを置き、
最寄りの駅まで歩いて、そこから出張に出かけるのですが、
仕事が立て込んでいるときなどは、その次の仕事を想定して、
あらかじめ必要な場所にクルマを停めておくことがあります。

その日は、夜に富山駅から出発する出張でしたが、戻った後の仕事を見越して、
富山駅からトラムで20分ほどの蓮町駅というところにクルマを停めました。
蓮町駅からトラムで富山駅に向かい、新幹線に乗るという寸法です。
私は駐車場にクルマを入れ、駅手前の踏切で富山駅行きを1本見送ったのち、
蓮町駅のホームに入りました。
スマホの乗り換え案内は何事か指図してきますが、
早朝や深夜じゃあるまいし、本数も多いはずなので問題ないでしょう、
蓮町駅の時刻表を確認します。

なるほど、毎時6分、21分、36分、51分……15分間隔のようです。
しばし、おとなしくベンチでトラムの到着を待ちます……来ない!
現在時刻は20時06分。
毎時6分に来るはずじゃなかったのか、
さては遅延かと時刻表を再度確認。

蓮町駅時刻表

……おおっと。
……20時台から、まさかの間引き運転でした。
次に蓮町駅にトラムが来るのは20時21分。
乗る予定の新幹線の富山駅発は20時41分。
蓮町駅から富山駅まで20分……あぁ、もう、ダメだな。
つまり、さっき駅手前の踏切で見送った富山駅行きが私的終電。

大急ぎで駐車場に戻り、富山駅まで車で移動した私。
どうも、もうひとつ思慮が足りないというか、綿密さに欠ける私。
西村京太郎ばりの完全犯罪には向いていないタイプなのでしょう。

[SE;KICHI]

鉄の失敗談

鉄道に関する記事を書いたら、少し反響をいただきました。

私は、特に鉄道マニアというわけではないのですが、
鉄道は身近な交通手段だったので、エピソードとしては多いです。
恥ずかしながら、ここでは、少し失敗談を書いてみましょう。

経験のある方は分かると思うのですが、
首都圏や関西圏の私鉄電車の特急列車というのは、
ホームに設置してある券売機で特急料金を支払います。
券売機からは、支払うと席番号の記された小紙片が出てきて、
乗客は、そこに書かれている席に着くというスタイルです。
いま、小紙片と呼びましたが、
この小紙片は切符と同じ材質の紙でありながら、切符ではありません。
というのも、券売機の設置場所がホームである以上、
乗客は各自、すでに自動改札を通過した切符を持っているはずだからです。
つまり、切符と同じ紙でありながら、改札の出入りとは関係のない、
自分の席を教えてもらうためだけの小紙片ということです。

さて、いつだったか、学会発表か何かで埼玉の大学を訪れた時のこと。
その最寄り駅は、私鉄の、特急だの急行だのが停車する、大きめの駅でした。
私は、大学での用務を終え、次の目的地に向かいます。
SUICA で改札を通過して駅構内に入り、
ホームで特急券を買い、席番号の記された小紙片を受け取りました。
前述のとおり、この小紙片は改札の出入りとは関係のない紙です。
私は SUICA で入場しましたので、SUICA さえ紛失しなければ問題ありません。

私は紙片の指示に従い、特急に乗り込み、自席に陣取りました。
それから、うとうとしながら45分ほど乗車した私。
最終的な降車駅が普通電車しか停まらない駅だったので、
途中駅で特急を降り、普通電車に乗り換えました。
普通電車はロングシートで、ぼんやりと座っていた私でしたが、
ふとパンツの左のポケットに手を入れると、
指先にさきほどの小紙片と思われるものが触れました。
しつこいですが、この小紙片は改札の出入りとは関係のない紙で、
特急を降りた時点で必要のないものです。
そこで、いけないことではあるのですが、
私は、何を思ったか、そのいらない紙片をポケットから出し、
一瞥もすることなく、
ロングシートの座面と背もたれに間にねじ込み、
そのまま目的の駅で普通電車を降りたのです。

改札を出る直前、
SUICA を出そうとパンツの右ポケットをまさぐったところ、
出てきました、SUICA と、あの小紙片。
えっ! 小紙片?
じゃあ、さっきロングシートにねじ込んだアレは、何?


何がなくなったのか不明ながら、
改札前で、焦りつつ身体じゅうを点検する私。
やがて、なくなっているものが判明しました。
それは、自宅まで帰るためのJRの切符。
つまり、それがないと帰れない、重要な切符。
その切符を乗せた普通電車は、すでに発車している・・・・・・。


そこからの行動は早かったです。
急いでホームに戻って、
(©小林稔侍)">神保徳之助(©小林稔侍)(©恵俊彰)">北斗鉄太郎(©恵俊彰)かという勢いで、
やってきた急行列車に飛び乗り、
先行していた問題の普通電車を追い越し、
急行停車駅に先回りして普通電車を捕捉。
目の前に滑り込んできた普通電車の当該車輛に乗り込んで、
ロングシートの隙間から、まんまとJRの切符を回収したのでした。
ふ~、焦ったぁ。

私は思いました。
いらぬと思われるものでも、
ロングシートの座面と背もたれに間にねじ込んではいけません、と。

実はこう見えて(どう見えているというのか)
このような浅はかな失敗には事欠かない私。
ニーズがあれば、ほかの失敗談も語ります。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
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■富山本社/〒930-0821
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FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
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