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飛鳥の執念⑪ ~悲劇の皇子

孝徳天皇という人物について、以前、さらりとスルーしましたが、
その子である有間皇子は悲劇の皇子として有名です。

645年、女帝・皇極天皇は息子である中大兄皇子に皇位を譲ろうとしましたが、
中大兄皇子は辞退して、皇極天皇の弟・軽皇子を推薦しました。
これが孝徳天皇で、大胆な政治改革を断行した天皇だったと言われています。
その孝徳天皇の息子が有間皇子、次期天皇を担う存在でした。
おそらく有間皇子本人も、天皇に即位する意思を持っていたと思いますが、
父である孝徳天皇と、影の権力者だった中大兄皇子の関係が悪化したことで、
有間皇子の状況は危ういものになってしまいます。

653年、孝徳天皇と対立した中大兄皇子は、
孝徳天皇の治める難波宮を捨て、かつて都だった飛鳥へ帰ってしまいました。
しかも、母(先帝・皇極天皇)や妹(間人皇女)を連れて。
この、先帝・皇極天皇というのは、孝徳天皇にとっては実の姉ですし、
間人皇女というのは、孝徳天皇にとっての妻でした。
つまり、孝徳天皇にしてみれば、姉ばかりか妻までも、
自分を捨てて中大兄皇子について行ってしまったという屈辱。
翌654年、妻にも見放されて独りぼっちの孝徳天皇は無念の死を遂げます。
間人皇女は実兄である中大兄皇子と近親相姦の関係にあったと言われていますので、
孝徳天皇、浮かばれません。

さらに翌年の655年、中大兄皇子の母である皇極天皇が斉明天皇として再登板します。
斉明天皇は、当然、次の天皇は自らの息子である中大兄皇子だと考えますが、
そのライバルになるのが、先帝・孝徳天皇の息子である有間皇子なのでした。

当時は、皇子たちはお互いにライバル同士で、
邪魔な皇子たちは謀略によって次々と消される運命にありました。
孝徳天皇死後、後ろ盾を失った有間皇子は身の危険を感じたのでしょう、
中大兄皇子にあらぬ嫌疑をかけられぬよう、狂人を装いました。
なにしろ中大兄皇子は乙巳の変を首謀した男、油断は禁物です。
以前、昼間から酒を飲んでゴロゴロしていて粛清を免れた白壁王の話を書きましたが、
この、無能な振りをして相手の警戒心を解くという手法、
その時代にはスタンダードだったのかもしれません。

さて、その白壁王は、無能を装って、のちに光仁天皇として即位しますが、
こちらの、狂人を装った有間皇子はどうなったのでしょうか。

それは、658年のことでした。
ある日、斉明天皇は中大兄皇子らと温泉へと出かけ、都を留守にしたわけです。
留守役には、蘇我馬子の孫で、蘇我赤兄という人物が任されていましたが、
その蘇我赤兄、天皇不在中に有間皇子へ急接近します。
蘇我赤兄は、有間皇子を前に斉明天皇や中大兄皇子を批判し、
「実は自分はあなたの味方である」と告げました。
これに有間皇子は大いに喜んでしまい、意気投合。
狂人キャラをすっかり忘れ、
斉明天皇と中大兄皇子を打倒するという自らの意思を口走ったわけです。

お気づきでしょうが、これはワナ。
蘇我赤兄は中大兄皇子が放った刺客で、これは中大兄皇子の仕込みでした。
そうとは知らず、有間皇子は蘇我赤兄を盟友と信じ込み、
「中大兄皇子、やっつけるぞー! オー!」なんつって、
そそのかされるままに挙兵の構想を練り、皇位簒奪の準備を進めたのでしたが、
突如、蘇我赤兄が、湯治先の中大兄皇子に、
「天皇不在の都で有間皇子が謀反の企みをしております!」と密告したため、
皇位簒奪計画が露見してしまうのです。
なんか、こう、2時間ドラマ的というか、
美人局に引っかかったような感じですね。

父の孝徳天皇が崩御して以来、
ライバル・中大兄皇子が失脚の機会を虎視眈々と狙っているなか、
悔しい気持ちなどもあったでしょうが、迂闊に他人を信用することもできず、
自分を胸の内をひた隠しにしてきたというのに、
有間皇子、ここにきて油断してしまったということでしょう。
それほど、彼にとって蘇我赤兄が心を許せる盟友に見えたということでしょう。
やっと理解者が現れたと思った次の瞬間に裏切られた気持ちは、
察するに余りあります。

有間皇子は即座に捕らえられ、中大兄皇子のいる温泉地へと連行されます。
温泉地に連行される途中、松の木が目に入った有間皇子は、
有名な辞世の一句を詠みました。

磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見ん

「浜にある松の枝を結んで願を掛けつつ、
もし私に幸運があるなら、またこの枝を見たいものだ」という、
どうせダメだろうけどという、諦念を感じさせる切ない歌です。

いや、しかし、有間皇子は、3日後に再びその松の枝を見ることができました。
が、それは処刑地に護送されるためにそこを通ったから。
温泉地で中大兄皇子に執拗に尋問された有間皇子は、
その日、絞首刑に処せられました。
有間皇子が蘇我赤兄と出会ってからわずか1週間後のことでした。
いまなら、大きな箱に隠れてレバノンに出国とか、
逃げる方法もあるのかもしれませんが、
当時は目をつけられたら、終わり。
享年19。
有間皇子、やはり悲劇の皇子ですね。

このとき、中大兄皇子はすでに32歳でしたから、
別に殺さなくても、そこまでの脅威ではなかったと私は思うのですが、
そう考える私は甘すぎるのでしょうか。
なお、斉明天皇の次に天智天皇として即位した中大兄皇子でしたが、
その崩御後にも、実弟の大海人皇子と実子の大友皇子との間で、
古代日本最大の内乱と言われる『壬申の乱』が勃発しますから、
歴史は繰り返すということでしょう。

なお、どうでもよいことですが、弊社の Okei さん(文学部卒)に、
「中大兄皇子って知ってる?」って聞いてみたところ、
「中臣鎌足と闘った人?」って言っていました。
そんなもんです。

[SE;KICHI]
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魅惑の・・・(10)

今回は、2012年3月に投稿した観音菩薩の話の続きです。

この観音菩薩という仏さまの最大の特徴は、変身ができること。
それってくだらない能力のようにも見えますが、
ママに怒られても言うことを聞かない子供がパパに怒られるとシュンとするように、
相手が変わると素直に従えることもあるというもの。
そういう方便のために、求められればどんな姿にもなって人々を救おうと決意し、
変身できるようになったのが観音菩薩なのです。
少し前に紹介した如意輪観音も、その変身パターンのひとつですし、
ほかに、千手観音や十一面観音なども知られています。

で、今回は十一面観音のお話です。
十一面観音は、苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、
全方向を見守っているとされています。
また、それぞれの顔は、人々をなだめたり怒ったり、励ましたり、
それぞれに別の役目をするのだと説かれています。

十一面観音は、顔は多いものの腕がたくさんあったりはせず、
首から下は、私たち普通の人間と同じようなビジュアルになっています。
そのため、肉体に違和感を感じさせることなく造形美を追求しやすいようで、
仏像としては奈良時代の昔から人気があって、多くの作例が遺されています。
十一面観音で国宝に指定されているのは7躯ですが、
そのうち、よく筆頭に挙げられるのが、渡岸寺の十一面観音立像。

渡岸寺 十一面観音立像http://www.kokokujitanbo.com/takatuki-14-2.htm

像高は195cmで、ほぼ等身大ですが、上部20cmほどは十一面が占めています。
パースから見て、11の面のひとつひとつは握りこぶし大といったところでしょう。
想像するになかなか重そうで、肩こりが心配になります。
しかし、肩こりを感じさせない鼻筋の通った精悍な顔立ちに柔らかなプロポーション。
特に腰のくねりからは、実に妖艶な雰囲気が漂っています。
……どうでしょうか、往年の河内桃子とか、そういう感じです。

さて、十一面観音の頭上の正面には、
まず、阿弥陀如来のミニチュアのような「化仏(けぶつ)」がついています。
これはこの観音が阿弥陀如来の化身だということを示しています。
観音菩薩というのは阿弥陀如来ファミリーの一員なので、この化仏はデフォルトです。
そして、それ以外に、十一面観音の頭の上の顔には5種類の表情があります。
頭頂に1つだけあるのが「仏頂面(ぶっちょうめん)」。
仏頂面(ぶっちょうづら)という表情がありますが、実はそれは悟りの表情ということで、
何が起きても動じなさそうな無表情になっています。
次に、本面のちょうど額の部分にあたる前3面が「菩薩面(ぼさつめん)」。
まぁ、いわば、正攻法での穏やかな導きを担当している優しいお顔で、
“観音といえば”というような表情として正面に配置されるのも納得です。
続いて、左のこめかみあたりについている3面は「瞋怒面(しんぬめん)」。
世の中、優しく諭してもヘラヘラして言うことを聞かぬ者というのはいるものです。
そういうバカ者を「ゴルァ」と戒める、怒った顔をしています。
そして、右側の3面が「狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)」。
“牙”ってなんか怖っ!と感じますが、牙って、爽やかな白い歯のこと。
頑張っている人に白い歯をチラリと見せる、微笑みの表情。
そして背後の1面を「暴悪大笑面(ぼうまくたいしょうめん)」といい、全部合わせて11面です。

ところで、この背後の1面、暴悪大笑面。
煩悩だらけの人の悪行や屁理屈を笑い飛ばす表情とされていますが、
字面からしても、“悪を暴いて大笑い”……ということで、
なんでしょうか、すべてお見通しの水戸黄門みたいな感じでしょうか。
いずれにせよ、愚かすぎる人間を笑っちゃっている表情と言われています。

ところが、この暴悪大笑面、なかなか見ることのできないものなのです。
そりゃそうですよね。
だいたい仏像は正面から鑑賞するようになっているものですから、
多くの寺院で、観音像の背後には回り込めない構造になっていて、
暴悪大笑面も見られないことが普通です。
また、見えても暗い堂内では表情がよくわからなかったりするもの。

しかし、こちらの渡岸寺は違います。
後頭部の暴悪大笑面が鑑賞できるよう、観音様の背後に通路があるうえ、
わざわざ大笑面にスポットライトまで当ててくださる暴悪大笑面推しなのです。
その顔がこちら。

暴悪大笑面http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/butuzou2.htm

いかがでしょうか。
ちょっと……その……下品、じゃないですか?
前述の通り、これは、人の煩悩を笑い飛ばす表情とされていますが、
実際に誰かからこの顔で笑われたらムッとしてしまいそうな表情です。
何というか、朗らかでないというか、夢に出てきたら寝苦しそうな、
ちょっと、観音としての活動に支障はないのか心配になるような顔立ちです。
もしかして、この顔の不快さに、悪人たちも思わず改心してしまうのか?と、
あまりの表情にいらぬ邪推をしてしまうくらい。

ところで、私が不思議だなと思うのは、
なぜ、このようなものを考え出したのかということ。
だって、仏像がいまよりももっと人々の尊敬を集めていた時代、
仏像の背後に回って後頭部を見るなんて、そもそも罰当たりなことでしたから、
この暴悪大笑面を作ったところで、ほぼ人目に触れることがないはずです。
そんな、ほとんど人が見ない場所にバカ笑いする顔を彫る意味の分からなさ。

私のたどり着いた答えは、これは内心を表しているのだなということ。
正面から見たら菩薩面など穏やかな顔立ちをされている観音さまですが、
裏に回ってみれば、人々のしょうもなさにバカ笑いしちゃっている状態。
見られてないと思って……ということでもないでしょうが、
たぶん、見られることは想定していない素の表情、つまり本心です。
つまり、観音さまの本心は、
「見えてるところでは澄ましてるけどね、
ホンマは、みんなのしょうもなさに笑ろてしもてんねん」

ということなのでしょう。
なんか、そういう表情をさせてしまい、申し訳ないことです。

よく、悪を滅するには笑うが一番といいますが、
しかし、それにしては、気味の悪い表情です。
個人的には、瞋怒面で「ゴルァ」と凄まれるより、
こういう気味の悪い表情で嘲笑されるほうが、じわじわとダメージがあります。
こういう人があっちから近づいてきたら、怒ってる人の何倍も怖いですしね。

その他の国宝・十一面観音像について、ご紹介しておきます。

聖林寺(奈良)観音寺(京都)六波羅蜜寺(京都)道明寺(大阪)法華寺(奈良)室生寺(奈良) 造像年順

あと、国宝ではありませんが、背後から暴悪大笑面を見ることのできる十一面観音としては、斑鳩の法輪寺(奈良)があります。

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣⑤

『やめるべき5つの習慣』の第5弾。
私は全5箇条のうち、これが一番深いかもしれません。

やめるべき5つの習慣⑤「うまくいかないと落ち込む。」

うまくいかないと落ち込む……これをやめろと言っています。
……いやいや、うまくいかないと落ち込むでしょ、普通でしょ、と思いますよね。

でも、うまくいかないからと落ち込む人は心がマイナスになる人だといいます。
まぁ、落ち込んでいるわけですから、イメージ的にそうですよね。
そして、心がマイナスになってしまうと、
そのあとの行動のパフーマンスが落ちてしまうわけで、
そうすると次に起きてくる出来事もマイナスなことになりがちだ、というわけです。

だって、分かりやすく言えばですよ、
落ち込んでるときと、落ち込んでないとき、
当然、落ち込んでない時のほうが活力というか、エネルギー量が高いですよね。
だとすれば、仮に、いま、現実にうまくいっていないとすれば、
落ち込んで、エネルギー量が低い状態ですよね。
そこから立ち直って、その、エネルギー量の高い状態にまで活力を戻そうとするとき、
身体でいえば栄養ドリンクなどで活力を補給するように、
エネルギーを補給しなくてはなりませんよね。
エネルギーが必要な場面なのにそこで落ち込んでいたら、
エネルギーが不足するわけですから、ますます状況は悪くなるわけです。
つまり、うまくいってないときほどエネルギーが必要なんだから、
落ち込んでちゃダメだっていうわけなんです。


むしろ、うまくいっている時なら少々落ち込んでも大丈夫です。
しかし、人間、逆にやっちゃいがちです。
だいたい、うまくいってるときは鼻高々でちっとも反省しないくせに、
うまくいかなくなると、途端に「やべぇやべぇ、どうしよう」って、
あたふたし始めるもの。
本来は、うまくいっているときほど用心して、
「何か、まだ機会損失しているはずだ」とか、
「まだまだ未熟なんだ、ワタシは」というふうに、
うまくいってエネルギーが高い状態だからこそ、きちんと反省するべきなんです。
逆に、むしろ、うまくいっていないときは反省しちゃダメだと言いますよ。
そんな状況で深く反省するとメンタルが崩れちゃうから、
そんな時は、ヘラヘラ笑ってるくらいでいいのです。

うまくいかないから落ち込むのは、一見、当然のようにも思えますが、
さらにうまくいかないことを引き寄せる体質に変わっていってしまうと言います。
たまに、「あ、この人、いま、うまくいってないな」って顔の方がいらっしゃいますが、
そんな、周囲から察知されるほどに辛気臭い顔してたら、
うまくいくもんもうまくいかなくなって、ますます悪くなるというものです。
だから、うまくいってないときこそ、調子に乗ってる顔、しなきゃダメだそうです。

うまくいってないときが勝負ってことです。
そういう時にどれだけ笑えるか、どれだけ背筋を伸ばせるかです。
この世界は、心が先で、現実はあとからついてくるんです。
うまくいかないときこそ、
落ち込まないようにコントロールするべきです。


その実践方法は、やや言葉遊び的ですが、
「苦難感を貼り替える」ことだそうです。

「やっべ~、なんだよ、うまくいかねぇよ」ってことを、
「やった~」って喜ぶってことなんです。
これはどういうことかというと、
うまくいかないということには理由があるはずなので、
そのことに気づかせるために起きてるトラブルだということです。
つまり、何か自分の身の回りで問題が起きるとき、
「おいおい、気をつけろよ」っていう教訓なんだということです。

たとえば、私の知人に、毎年警察に捕まり続けている人がいます。
もちろん、スピード違反とか、一旦停止義務違反とか、軽微な違反で、
つまり、ちょっと違反したことを、隠れてたおまわりさんに見つかる程度ですが、
捕まった瞬間、彼は、
「ふざけんなよ。こんなところでスピード出したからって事故起きるわけねぇだろ。
オメエら他にも重要な犯罪あんのに、俺ばっかりつかまえてんじゃねぇよ!」って、
思うんだそうです。

まぁ、そういうものかもしれませんが、本質は違いますよね。
捕まったら「ありがとうございます。
おかげでこの後、大きな事故を起こすところを救われました。」くらいでないと。

つまり、すべての艱難辛苦が、
「おいおい、オマエ、そろそろ気をつけろよ。ほっとくとヤバいぜ」っていう、
シグナルなんだということです。
しかも、苦難とは、だんだん大きく育つという特性を持っているといいます。
見逃すと(つまり、対処せずに放っておくと)、次はもっと大きくなって再来します。
だから最初は、「よっ、大丈夫?」くらいだったのが、
それを無視すると、「おいっ、気をつけてるか?」と、強度が上がり、
それでも無視すると、「くぉらっ! 気をつけろって言ってんだろうが!」ってなるのです。
それでもスルーすると、バーンといくわけです。

会社や家庭も同じでしょう。

会社、倒産するときだって、倒産する前にシグナルがいっぱい起きているはずです。
最初は社員さんの笑顔が減るとか、そういうのです。
それを「なんだアイツ、最近元気ねぇな……おいっ、暗い顔すんなよ」とか、
社員のせいにしてスルーしていると、その社員さんはそのまま暗くなっていきます。
そのうち社員さんが、売り上げを上げないとか、成果を出さなくなっていくでしょう。
それをまた「おいっ、何やってんだよっ」って責めたとしましょう。
そうすると、その社員は「働くのがつらい」とか言い出して、パフォーマンスが落ち、
何か客前で失敗するようになり、クレームが起きるわけです。
「誰だ、このクレーム起こしたのは! オマエかっ! 何やってんだ!」とか言うでしょう。
そうすると、この社員は辞めてしまいます。
そして、人手が足りなくて、他の社員もイライラし始めて、
業績が悪くなり、赤字になって、キャッシュアウトして、倒産していくんです。

そりゃそうですよね、いきなり倒産なんかしません。
夫婦関係も同じです。
急に離婚なんかしないと思います。
最初は奥様が話しかけてるのに、ダンナが聞いてないとか、
そういう些細なことから始まるんです
その手当てを怠ると、あとあとの少しの亀裂が修復不可能になるといいます。
だって、離婚騒動になって別れましょうって言ってるときに、
「うちのダンナは本当に私の話はよく聞いてくれるんだけど、無理!」とか、
そのようなことはないでしょう。
いちばん最初のシグナルは、話を聞いていないってところからです。

小さいことのシグナルを無視しないということです。
そこを直視せず、放置しているから、問題がだんだん大きくなっていって、
それすらも人のせいにしてるから、大問題になるんです。

そう考えると、どうでしょうか。
苦難って、改善ポイントを指摘されたってことです。
ノーヒントよりも幸運なことですよね。
よくよく感謝したいところです。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣④

『やめるべき5つの習慣』の第4弾。
私は全5箇条のうち、実は、これに一番感銘を受けました。

やめるべき5つの習慣④「自分との約束を守れない。」

みなさんどうでしょうか。
他人との約束は守ろうとするが、自分との約束は守れないことがあるタイプなのか、
他人との約束はどうでもいいが、自分との約束はバッチリ守るタイプなのか、
2択だとしたら、みなさんどちらでしょうか。

多分ほとんどの人が、他人との約束を守ろうとするのではないでしょうか。
それをやめなさいということです。

つまり、自分との約束を大切にしなさいということです。
もちろん、他人との約束も守ったほうがいいですよね。
他人との約束は破りなさいと言っているわけではありません。
ただ、他人との約束を優先的に守ろうとする、
その傾向が危険だと気付きなさいということです。


なぜならば、すごく浅はかだからだと講師は言います。
ほとんどの人が他人との約束を守ろうとするのは、
おそらく、他人との約束を破ると、怒られたり、評価を下げられたりと、
直接的な損害が予想できるからではないでしょうか。
これは、目に見える利益を追っているということです。

でも、他人との約束ばかりを守って他人からの協力を得たとしても、
あなたが自分との約束を守れなければ、
本当に自分の思った通りの人生なんて歩めませんよね。
他人との約束を守っていても、自分との約束を破りまくっていたら、
それって、自分で考えたことをやっていないということじゃないですか。
それでは、他人に操られた人生を歩んでいることになりますよね。

そもそも、「幸せに生きる」というのは、目に見える利益を追うことだけでしょうか。
意外と、「私は本当に思った通りの人生を送っている」という充実感のほうが、
幸せな人生にとってウエイトが大きいのではないかと思えるのです。
事実、古今東西、生き生きと働く高名な経営者などは、
「自分との約束を守る」ことを自分に課していて、
目に見える利益(=他人の評価)なんて気にしていませんよね。
他人からどう見られているかを気にすると、ブレてしまいますから、
そこを断ち切ることこそ肝心と述べていますよね。

もちろん、他人からの約束も守れるように努力はしましょう。
しかし、究極の選択、どちらか選べと言われれば、
自分との約束を守る人のほうが信頼できますよね。
なぜなら、ブレない人だという意味ですから。


試しに、「自分との約束を守る」ことを自分に課してみましょう。

つまり、他人の評価を気にせず、自分との約束を守ると決めるわけです。
私の場合、軽くそれを意識するくらいの取り組みでしたが、
「今、自分は自分との約束を守ってるな!」と自分で実感できるので、
それ自体が、なかなか爽快な感じでした。
もはや感覚的な話で申し訳ないのですが、
他人からの目や評価を気にして何事かを成し遂げても、
「オレ、やったぜ!」という充実感なんて、得られないのではないでしょうか。
充実感の根源は、自分との約束を守り、考え、
成し遂げたことによる達成感なのではないかと思うのです。
他人との約束を守ることは、マナーとしては必要だし、
目に見える利益が必要なときはそれでいいとは思うのですが、
充実感とは別のような気がするのです。

そして、昨今の日本人、この充実感の不足が、
つまり、自分との約束を破り、他人との約束ばかりを気にする習性が、
生きている実感を失わせ、自己肯定感を下げ、
先進国ではぶっちぎりの、自信のない国民になっているのでしょう。

その実践方法は、「共に学ぶ仲間を持つ」ことだそうです。

人間、一人だと弱いので退転しやすいもの。
そもそも、自分との約束を重視していない状態では、
自分の人生が、他人の目を気にしたダメな状態であるということに、
なかなか気づけないものです。
だって、そんなの誰も指摘してくれませんもん。
他人との約束を破ると指摘というか、苦言を頂戴しますが、
自分との約束を守らなくても、指摘してくれる人がいないので、
自分ではなかなか気づけないんですよね。

だったら、「自分との約束を守ろうね」という価値観を共有できる仲間を見つけて、
互いに鼓舞しながら生活することが大事なのではないでしょうか。
彼が生き生きしている秘訣、彼女が楽しそうにしている秘訣を、
仲間として学び合うことが大切のように思うのです。

人間、会社などの組織に所属してしまうと完璧を求めがちです。
会社も含め、社会なんて未熟な人しかいないはずなのに、
やれ、部下は上司に「あの人、上司なのに、なんでちゃんとやらないんだ!」と、
完璧な上司なんているわけないのに、完璧を求め、
やれ、上司は上司で、能力的に劣るから部下になっている者に対し、
「なんでやれねーんだよ!」なんて怒ってみたり。
会社では利害関係があってなかなか厳しいのかもしれませんが、
仮に、「自分との約束を守ろう」という一点でコンセンサスがとれれば、
その場は、どんなに素っ頓狂な未来図を宣言しても肯定されるでしょう。

学校では「お友達との約束は守ろう」などと教えていますが、
お友達よりも大切な、約束を守るべき相手は自分であると、
まずは大人が実践し、
子供たちの将来のために喧伝しなくてはいけないと思うのです。

[SE;KICHI]

やめるべき5つの習慣③

『やめるべき5つの習慣』の第3弾。

やめるべき5つの習慣③
「環境や他人のせいにする。」


今回は前回の「他人の目や意見を気にする」と少し似ています。
が、「……のせいにする」という文章に構造からして、
それがあまり好ましくないんだろうなということは察しがつく感じですね。

その実践方法は、「依存心・責め心を捨てる」ことだそうです。

依存心や責め心があると、ついつい他人のせいにしてしまいますから、
努めて依存しないで、すべて自分のせいだと思おうということです。
本当はすべて自分のせいというのは言いすぎだと思うのですが、
自分ができることは何だろうと、自分でしっかり考えて、
自分で行動するということが大事なのでしょう。
もちろん、できもしないことをやれと言っているのではありません。
そうではなくて、自分ができることはいっぱいあるのだから、
そちらに目を向けましょうよという話です。

たとえば、会社の場合。
経営者でなければ、会社の経営の問題を直接解決することはできなくても、
今日一日お客様に一生懸命尽くすことは自分でやれるわけですし、
チームの雰囲気が悪い場合でも、
「社長、なんか言ってやってくださいよ」などと上役に頼まずとも、
自分だけでも元気に屈託なく挨拶をしようとか、
いつもありがとうございますと感謝を伝えようとかはできますから。

私たちができることは腐るほどあるんです。
なのに、ほとんどの人は、この依存心のせいで、
自分ができることを考えずに、他人のことばかり考えているような気がします。

たまに国会前とかで、何かの抗議活動を行っている方などをTVで見ます。
「アベ政治にNO!を」とか、横断幕か何かを持って練り歩いています。
子供に見られて恥ずかしくないんでしょうか。
いや、私は主義主張の話をしているのではないのです。
特定の政策に対して異議を唱えるとか、そういうことは大いに結構だと思うのです。
ただ、私が問題だと思うのは、
友人でも部下でもない人物を呼び捨てて、そのうえ全否定すること。
子供に「ねぇ、“アベにNO!”って、悪口じゃないの?」って聞かれたら、
「違うよ」って言えないですよね。
だいたい、あんなに徒党を組んで集まって、
その中のどれだけが、本当に政策について考えて反論しているのか、
流されてるだけだろうと思うのですが、子供に何て説明しましょうか。
考えることなく雰囲気に流されて思考停止って、
本当はそれはとても怖いことですよね。

私たちができることは腐るほどあるんです。
空気に流されて抗議活動をやっている場合ではないんです。
精一杯働いて税金を納めて国の発展に資するとか、
何かを生み出して国際的な競争力を作り出す努力をするとか、
子供たちの目を意識して信念に基づいた生き方を見せるとか、
真に国を憂えるなら私たちがやれることはたくさんあるんです。

夫婦関係もそうですよね。
「何でうちの旦那、私のこといたわってくれないのかしら」とか、
「ウチの子供たちが勉強しないのは、カミさんが……」とか、
責め心が長じて夫婦げんかになります。
そして、夫婦げんかが起きると子供たちはこう思います。
「ボクのせいだ……」
「ボクさえいなかったらお父さんとお母さんはケンカしなくて済むのに……」
と、こうして自尊心の低い子供が育つわけです。

たぶん、両親が環境や他人のせいにしなかったら、子供たちは自信満々なのです。
自尊心は高めなくても、もともと高いのです。
「あら、かわいいわねぇ」 「そんなことないでちゅよぉ」などという、
自尊心が低い赤ちゃん、見たことないでしょう。
赤ん坊は生後すぐから自尊心の固まりで、
きっと、自分が笑えば世界中の人が笑顔になると、心から信じています。
つまり、私たちはもともと自尊心マックスだったんです。
その自尊心を下げたのは、大人です。
大人が責め心を子供の前で見せ、子供たちを落胆させたからです。

とはいえ、他人のせいにしてはいけないということは分かるけれども、
では、どうしたらいいかということになると分からないですよね。
それについて講師は、『積極性』を身につけなさいと言います。
要するに、積極的に、すべて自分のせいだと思おうということです。
他人のせいにしている場合ではなく、
起こったことすべてを自分の問題だと捉えて解決に向かって邁進せよというのです。

他人のせいにしている場合ではない……
それは他人の言動にかまっている場合ではないという意味です。

いま、日本は他人に批判的な国ですよね。
何かが気に障れば刺し殺したり放火したり、高速道路上で停車させたり、
そこまで根性がない者は SNS などでコソコソ文句言ったり。
YouTube のトラッキングによれば、他人の投稿に批判的な国 No.1 だそうです。
もっと寛容になればいいのに、情けない。

[SE;KICHI]
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