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魅惑の・・・(12)

ちょっと変な話を聞きました。
『七福神めぐり』が流行っているのだそうです。

たとえば、四国の“お遍路さん”は、徳島県の霊山寺から香川県の大窪寺まで、
四国4県に散らばる88箇所の寺を巡るのがひとつのパターンです。
“西国三十三所”は和歌山から京都、姫路、舞鶴を経由して岐阜までの33箇所の寺を、
“坂東三十三所”は鎌倉から埼玉を経て、群馬、茨城を経て千葉に至る33箇所の寺を、
順番に巡りながら御朱印をいただくもので、
どれも、移動距離としては1,000kmを超えるそうで、なかなかのものです。
これらの札所は、もちろん、極楽往生を望む衆生に向けた信仰の形ですが、
庶民にとっての旅行コースという側面もあったでしょう。

しかし、このコロナ禍で、そんな物見遊山なことはしておられません。
いや、別にコロナ禍でも寺に参ってはいけないということはないはずですが、
33箇所とか88箇所を巡る旅に行くとなれば、人目を気にするものなのでしょう、
何より、自分が良くても親類縁者に止められたりするのかもしれません。
そこで人気が出たのが『七福神めぐり』なのだそう。
なにしろ、7人しかいませんからね、7か所で終わりなので気軽です。

しかし、七福神、不思議なユニットですよね。

七福神
https://niceillust.com/%e5%95%86%e7%94%a8%e3%83%95%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e7%84%a1%e6%96%99%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%82%b9%e3%83%88_%e4%b8%83%e7%a6%8f%e7%a5%9e%e5%85%a8%e5%93%a1%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%82%b9%e3%83%88_/

みなさん、この7人、全員言えますか?

この絵で言えば、上段の左側にいるのが大黒天
米俵に乗り、白い袋を担いでいて、打ち出の小槌を持っていて、
もう、見るからに「福の神」というビジュアルですが、もともとは軍神でした。
というのも、大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神が日本に上陸したもので、
「いまは温厚だけど昔はワルだった」を地で行く神様です。

同じく上段の右側に描かれているのが恵比寿
七福神のなかでは唯一の日本出身の神様です。
釣竿を持って鯛を抱えているので、漁師さんからの信仰が篤く、
結果的に、漁業サイドから福をもたらすスタイルの神様です。
なお、恵比寿は耳が遠いそうで、ドラを叩いて祈願しなくてはならないそうです。

この、大黒天と恵比寿が、七福神での不動の2トップです。
10年ほど前のAKB48で言えば、前田敦子と大島優子です。

あと、有名なのは、前列左から3人目、槍を持っている軍神がいますが、
それが毘沙門天で、武装して左手に塔を持っているのが特徴です。
もともとはヒンドゥー教出身で、そちらでは福徳増進の神様でしたが、
日本に来てからは鎧を身に着け、戦勝の神様になりました。
この毘沙門天は、ほかに『四天王』というユニットにも所属してリーダーを務めており、
そっちでは「多聞天」を名乗っています。
AKBでもHKTでも活躍して成り上がった指原莉乃のようです。

その左隣の琵琶を持った女神は弁財天です。
元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神で、
仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある女神となりました。
それにしても、6人のおじさんたちの中で紅一点、
貞操の危機のようなものは感じないものなのでしょうか。
しかも、ほぼ裸みたいなおじさんもいる中で、果たしてどういう気分なのでしょうか。

その、ほぼ裸みたいなおじさん、後列の中央が布袋です。
唐の末期に実在したといわれる仏教の禅僧で、七福神中唯一の実在です。
確かに裸なのですが、その太っておおらかな風貌が好まれ、
持っている袋から財を出し与えてくれると信じられてきました。
三の線を一手に引き受けていた峯岸みなみみたいな感じでしょうか。

さて、問題は前列の左端と右端の、ほぼ同じビジュアルの老人2人です。
この絵でも、目や眉毛の感じはコピペのようです。

左端の、シカを連れて、手に桃を持っているのが寿老人です。
道教の神で、南極老人星の化身とされています。
一方、右端の、ツルを連れて、杖に巻物を結わえているのが福禄寿です。
この福禄寿も道教の神で、南極老人星の化身とされています。
……ん? どっちも南極老人星の化身って、どういうこと?
というわけで、このよく似た老人2人、同一人物かと思われて、
福禄寿のほうが七福神から外されていた時期もありました。
それはいいのですが、その時期、その空いた席に誰が座っていたかというと、
能の演目でもおなじみの「猩猩」が加えられていました。
猩猩って、毛むくじゃらの犬みたいなもので、
もし七福神にプロデューサーがいたなら、センスを疑わざるを得ません。

最後に、オススメをご紹介しておきますね。

と言っても、七福神としての古い造像はありません。
ソロ活動している2神については、
毘沙門天として、成島毘沙門堂(岩手)鞍馬寺(京都)安養寺(岡山)
弁財天としては、なんといっても寶嚴寺(滋賀)ですかね。
それよりも何よりも、参拝しやすくまとめられた各地の七福神巡り。
仏像を拝観する巡拝にはなりませんが、
なにしろ7箇所で満行できる手軽さと、それなりの達成感は、
イマドキのニーズに合っているのかもしれません。

一生に一度くらいは
“巡って”おいて損はないと思いますよ。


[SE;KICHI]
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飛鳥の執念⑭ ~『高市』といえば

今年、話題をさらった女性といえば、
眞子内親王殿下か高市早苗さんといったところでしょうか。
特に高市さん、
私が初めて認識したのは柿澤弘治の腰巾着みたいなことをしていた頃で、
あれから25年ちょっと、政権与党の総裁の座をうかがうようになるなんて、
あの頃、誰が予想できたでしょうか。

さて。
とにかく、令和のニッポンで、
『高市』といえば『早苗』ということになったわけですが、
歴史上で『高市』といえば、知名度で、まだまだ 高市皇子 の圧勝でしょう。
なにしろ、「吉野の盟約」の「六皇子」のうちの1人ですからね、
みなさんも、名前を聞いたことくらいはあるでしょう。

高市皇子は「たけちのみこ」と読み、
天武天皇の長男なんですが、
母の家格が低かったので皇統を継がなかった人物です。
奈良県高市郡の出身なので高市皇子と呼ばれているようですが、
高市早苗さんも奈良県橿原市出身だそうなので、
同じ出自なのかもしれませんね。

教科書にも出てくる「壬申の乱」が勃発したとき、
彼は、大津京にいたのですが、
吉野に隠れていた父に呼応して行動を起こしました。
父と合流した彼は、美濃の不破というところで全軍を任されて活躍し、
その結果は、みなさんご存じのとおりで、
大友皇子が打ち破られ、天武の勝利で欄は完結します。
つまり、高市皇子は、天武政権の立役者ともいえる人物です。
そういうところも、
今回、河野包囲網の一翼を担った高市早苗さんと似ているかもしれません。

ところで、『吉野の盟約』というのは、
679年の5月6日に、天武天皇、皇后(のちの持統天皇)と、
草壁皇子、大津皇子、高市皇子、川島皇子、忍壁皇子、志貴皇子の6皇子が、
表向き、「この先、何があっても互いに助け合おうね」と約束し合った会です。
自分の死後、壬申の乱みたいな兄弟の争いが起きないようにと、
天武天皇が釘を刺したものであるというのが定説ですが、
表向き…というのは、この時代は序列というのが非常に大切であったため、
それを知らしめるための会であったと言われています。
つまり、招集時の草壁、大津、高市、川島、忍壁、志貴の序列に意味があり、
暗に、「筆頭位は草壁、次席は大津」と誇示しているのだということです。

事実、草壁は天武と皇后の子であり、大津は天武と皇后の姉の子(皇后の甥)です。
一方、高市以下、あとの4人は、天武の息子ではあるけれど、母親の出が悪く、
まぁ、なんというか、軽んじられている感じです。
私は思うのです。
高市皇子、どういう気持ちなのかしら、と。

この6皇子のなかでは一番年長だった高市皇子。
それでも序列は3位で、自分の使命は弟の補佐。

何度か触れたことがありますが、
このあと、天武が亡くなり、
その直後、序列2位の大津が、謀反の罪で死刑になり、
続いて序列1位の草壁も病没してしまいます。
序列3位の高市の立場なら、ふつう、どう思います?
おっ! 目の前が開けた!って思いません?

ところが、持統天皇として跡を継いだのは、それまで皇后だった鸕野讚良皇女でした。
正直、え~、マジかぁとなりそうなところで、
歴史上、人物によっては大暴れして処刑されたりする場面ですが、
ここをグッと我慢した高市、太政大臣の地位を獲得します。
これは、天皇・皇太子を除く皇族・臣下のうちの最高位です。

不思議じゃありません?

内心どう思っていたかは分かりませんが、
母の出自が悪いなどという、自分ではどうにもできない点をずっと耐え、
おそらくは野心を見せることもなく、
愚直に淡々と仕事をしていると引き上げられるということでしょうか。
どうにもならぬことを分かっていながら、
突如いきり立って鎮圧されて立場を失う者なんて、
古今東西、わんさかいますからね。

ところで、もう一点。
高市皇子といえば十市皇女ですよね。
この十市皇女、父親は天武天皇なので、高市皇子とは異母兄弟です。
母親は以前お話したことのある額田王
そして、なんと、壬申の乱で高市皇子らに倒された大友皇子の正妃です。
つまり、十市皇女にとって高市皇子は、兄であり、夫の仇。
なんとなく、複雑な恩讐のありそうな感じです。
ところが、この十市皇女、
高市皇子どころか、父・天武帝よりも先に亡くなってしまいます。
病気ということなので、それは仕方ないのですが、
その時に、その死を悼んで高市皇子が詠んだ挽歌が疑惑の歌です。

三諸の 神の神杉 夢にのみ 見えけんながらも いねぬ夜ぞ多き

三輪山の 山辺まそ木綿 短か木綿 かくのみ故に 長くと思ひき

山振の 立ちよそひたる 山清水 酌みにゆかめど 道の知らなく


上から、「夢に出るけど悲しさに寝られない夜が多いよ」とか、
「寿命がこんなに短いとは。もっと長いと思っていたよ」とか、
「復活させるための湧水を汲みに行きたいのに、道が分からないよ」という歌で、
いずれも、兄が妹を偲ぶ歌としてはちょっと女々しいので、
ちょっと特別な関係だったんじゃないの……と思われる原因の挽歌です。

ちなみに、この、妹にウエットな歌を詠む高市皇子にも妻がおり、
それは、御名部皇女といって、父は天智天皇、母は姪娘ですから、
大友皇子とは異母兄弟にあたり、
それどころか、父・天武の皇后だった鸕野讚良皇女の叔母であり、
阿閇皇女(のちの元明天皇)とは姉妹の関係


もう、ワケが分からんですが、
令和3年、『高市』と聞いて高市皇子を思い出した方も多かろうと思い、
書いてみました。

[SE;KICHI]

鉄の失敗談④

北陸から新潟に向かおうとする時、
北陸各駅から北陸新幹線で上越妙高駅まで行き、
そこから『特急しらゆき』というのに乗り換えるのが一般的です。
北陸新幹線も特急しらゆきも、そう混む列車ではなく、
自由席でも座れないということはないため、
JRとしても往復の自由席をパッケージにした、
『新潟自由席往復きっぷ』という割引切符まで用意しています。
まぁ、とにかく、北陸から新潟は上越妙高乗り換えと覚えといてください。

ある時、新潟に向かおうとした私。
誰もがそうするように、新幹線のなかでは書類に目を通したり、
メールを書いたりして過ごします。
その日の私もそうしていたわけですが、
時期的に少し無理が続いていたせいか、ついつい、途中でうとうとしてしまいました。

ハッと目覚めた時、列車はどこかの駅に入線しており、発車ベルが鳴っている状態。
「どこっ?」と跳ね起き、ホームの駅名標を確認したところ、「上越妙高」。
ヤバイ、降りる駅じゃん! と、飛び上がって、
荷物をひっ掴んで乗降口に走ったものの、
無情にも新幹線の扉は目の前でプシューと閉まり、やがて走り出したのでした。

寝過ごしてしまったたものは仕方ないので、
席に戻ってスマホを繰り、リカバリーの方法を検索します。
調べの結果、次の飯山で降りて上越妙高に戻ったところで、
特急の接続が悪いため、新潟へ着くのは夜になってしまう見通し。
もちろん仕事で行くわけなので、夜になってしまうのでは意味がありません。
悩んだ挙句、結果的に新潟に早く着く方法ということで、
次の飯山では降りず、そのまま7つ先の高崎まで乗って、
高崎から上越新幹線で新潟に向かうことにしました。

高崎到着。
ここまでのところを精算しようと、自動改札の脇の窓口に向かいましたが、
高崎の駅員さんは、北陸と新潟を結ぶ割引切符なんて知りません。
15分ほど、どこかに電話を掛けたり、いろいろ調べてもらって、
なんとかその時点での精算額が判明したようです。
待っている間、私の目には気になる張り紙が。
「こちらの窓口では現金のみお取り扱いいただけます。」

えっ、いまどき?
……ということもないのですが、
以前にも告白したことがあるとおり
私は、現金を持ち歩くということを、あまりしませんし、
銀行のキャッシュカードも持ち歩かない主義です。

今回だって、乗り過ごすつもりで準備をしていたわけではないので、
たしなみとしてクレジットカードは持っていますが、
現金など持っていませんし、キャッシュカードもありません。

高崎までの精算額を確定させた駅員さんの機先を制して私は言います。
「現金はないのですが。」と。
すると、駅員さんは「えっ!」という顔をして、しばし固まったあと、
近くのATMを指さし、下ろしてくるように言います。
しかし、私は現金もキャッシュカードも持っていません。
「払え」→「ない」→「下ろしてこい」→「下ろせない」→「じゃあ精算できない」という、
堂々巡りの押し問答が10分ほど繰り返されたところで、
ついに駅員さんが折れまして、
「乗車証明書を発行するから、着駅で精算してください」と。
つまり、「新潟まで行って、新潟で精算しなさい」ということで、
高崎駅としては新潟駅に取り扱いをなすりつけた形です。

乗車駅証明書

私は少しだけ憤りました。
この、政府によってキャッシュレス決済が推奨され、
国民にもずいぶん浸透してきたと思われる令和の日本で、
現金でないと決済できないなんてことがあっていいのだろうか、と。
しかも、ここは天下のJRであって、世が世なら国鉄の窓口です。
現金しか使えないなら、もう少し申し訳なさそうにしてもよさそうなものですが、
「そこで下ろしてこい」とは不親切ではないか、なんて、
自分が悪いのも棚に上げ、「どうしろというのですか!」と、
声を荒げることすらありませんでしたが、密かにムッとします。

ともあれ、晴れて仮釈放となったので、上越新幹線で新潟に向かいます。
その道すがら、またスマホを繰り、
JRに後日現金を届ける“支払猶予”という制度があることを突き止めた私。
新潟で、なんとかクレジットカード払いを認めてもらえるよう頼むか、
それがダメなら支払猶予をお願いしようと作戦を練ったわけです。

新潟到着。
すべてを精算しようと、自動改札の脇の窓口に向かいました。
新潟の駅員さんは、もちろん北陸と新潟を結ぶ割引切符はご存じでしたが、
高崎経由で使用されるとは想定されていなかったようで、
私が経路を説明すると、でっぷりとした初老の駅員さんが、
「へっ?」みたいな顔をして、奥の事務所に引っ込みます。
10分ほどして戻ってきた駅員さんは、
「この切符は、この区間は含まれているんです……
しかし、あなたは高崎に向かわれたから、その分の特急券が……」とか、
噛んで含めるように経路を確認して、
「これは結構お金かかるよ」とか言いながら、差額を算出してくれます。

お気づきかもしれませんが、私は金額なんてどうでもいいのです。
ミスをして寝過ごしたのは私なので、発生してしまった差額運賃はお支払いします。
それより私にとって一大事なのは、手持ちの現金がないうえに、
引き出すためのキャッシュカードも持っていないこと。
つまり、現金決済のみと指定されたら、
私は支払うことができず、改札から出られません。

私は言い放ちます。
「乗り過ごすつもりはなかったので、現金はないのです。」と。
駅員さんは、「えっ! ……現金がない?」と絶句します。
ここでは「そこのATMで下ろしてこい」などと不親切なことは言われませんでしたが、
案の定、狼狽した様子の駅員さん、すぐに事務所の奥に引っ込みます。
すぐに引っ込まれてしまったので、何の交渉にも入れませんでしたが、
私としては、クレジットカードだけはあったので、
なんとかクレジットカード払いを認めてもらえないか、
もしそれがダメなら支払猶予、しかもここは自宅から離れた新潟なので、
自宅近くの駅にお納めすることで許してもらうか、
もしくは書留等で送金するという方法で改札を出してもらえないか、
とにかく、駅員さんが戻ってきたらその手の交渉をしてみようと、
その場で再び10分待ちました。

改札横の窓口は無人となり、
そこにあんまり長く放置されるもんだから、人目に触れること甚だしく、
そのまま逃げようかと思ったほどですが、社会人としてそこはグッと我慢して待ちます。
人々の好奇の目にさらされながら合計20分ほど待ったころ、
駅員さんが再び登場。
「……今回は大目に見ましょう。」

……❕❔

「次からは寝過ごさないようにということです。」
と、なんと、突如、無罪放免となったのでした。

富山⇔新潟の『新潟自由席往復きっぷ』は、14,000円ほどの往復切符です。
今回の乗り越しでは、本来、1万円ほどの差額が出ているはずであり、
価格のバランスからしても、JRがそれを許すとは少しも思っていなかった私、
この結論は本当に予想外で、びっくりし、
よくよく、その駅員さんにお礼を言って窓口を去ったのでした。

とはいえ、当初の到着時刻よりも2時間近く遅れて駅の外に出た私。
しかも、このようなことがあっても、現金も持っておいたほうがいいだろうかとか、
何かのためにキャッシュカードも持っておこうとか、
自らをそういう方向に改めようとは少しも思いませんでしたので、
教訓があるとすれば、やはり「寝過ごさないように注意しよう」しかありません。
それか、ひと駅前の糸魚川駅までは起きていた覚えがあるので、
「あとひと駅のところで眠りに入らないようにしよう」でしょうか。

というわけで、キャッシュレス全盛のいまどき、現金のみなんてどうかしてるわ!と、
いったんは国鉄体質に憤った私でしたが、
最終的に、優しくしてくださった駅員さんに感謝している私、
現金なものです。

[SE;KICHI]

魅惑の・・・(11)

あらら、2020年は書いていませんでしたね。

「お釈迦さま」って、よく聞きますよね。
パンチパーマの仏像を見たらお釈迦さまだと思う人も多いのでしょうか、
仏さまの代名詞のような扱いになっているのが「お釈迦さま」です。

この「お釈迦さま」、正式には釈迦如来と呼びますが、
仏像のなかで、唯一、
実在した人物を表現しているのが、この釈迦如来です。

“如来”というのは「悟った人」というような意味で、役職名みたいなものですが、
“釈迦”のほうは、釈の字も迦の字も特に深い意味はなく、
シャカ族という、現在のインドとネパールの国境近くに住んでいた部族の名前を、
漢訳といって、わざわざ漢字で表現しただけのものです。
つまり、釈迦如来って、「シャカ族の悟った人」という意味になります。
そのネーミングだと該当者が何人いても大丈夫な感じもしますが、
具体的には、紀元前5世紀前後に実在していたシャカ族の皇子で、
ゴータマ・シッダールタ( गौतम सिद्धार्थ )という個人を指しています。

皇子なので、おそらく左うちわでの生活が保障されていたと思うのですが、
彼はなぜか求道家であり、王宮での酒池肉林に虚しさを感じて、
皇位も妻子も捨てて出奔したのでした。
そして、いろいろな仙人の弟子になったり、苦行林(という場所)で肉体行に励んだりして、
7年ほどの歳月をかけて修行して悟りを開いたのが、仏教の始まりで、
釈迦如来というのは、つまり、創始者を神格化したものというわけです。

その後、本人没後に、
「悟った人(“如来”)がひとりだけとか、おかしくね?」ということになり、
薬師如来やら阿弥陀如来やらの同僚が生み出され、
「あと、もう少しで悟れそうな後輩とかもいたほうがそれっぽくね?」から、
「じゃあさ、その後輩、変身が得意な設定とか、どうよ?」とか、
「どうせなら、もっとスケール大きい、宇宙神とか出そうぜ!」なんて、
脚本をいじってるうちに登場人物が増えたというのが、いまの仏教の世界観です。

よく、キン肉マンとか、魁!!男塾とか、もしかしたらドラゴンボールなども、
仏教の世界観に似ていると言われることがあります。
まぁ、たくさんの個性的なキャラクターが登場し、
それぞれの個性を生かして敵(仏教だと迷いとか執着)と対峙するという構造は、
たしかに似ている面もあるとは感じますが、
それよりも、おそらく、世界観を広げようとしたときに、
必要に応じてキャラクターを追加しつつ全体を統合しようとした手法が、
なんとなく仏教とそれらとの共通点なのかなという気がします。

さて、釈迦如来は、なにしろ実在の人物がモチーフですから、
キャラクター設定が多彩というか、緻密で、
生まれたての姿や苦行中のガリガリに痩せた姿から、
菩提樹の下で瞑想している姿や亡くなる直前で横になっている姿まで、
それはそれは、人生のさまざまなシーンを切り取られています。
それぞれのモチーフで仏像が作られるので、
如来の仏像としてはパターンの多い種といえると思います。

また、世界観拡大のなかで釈迦如来には弟子が登場しており、
左右に文殊菩薩と普賢菩薩を従えた三尊で作られることもあります。
それもまた、ヘルクラウダー + ベビークラウド みたいな感じで、
ドラゴンクエストを彷彿とさせます。
しかも、ビジュアル的にも、
文殊菩薩は獅子に乗っており、普賢菩薩はゾウに乗っているなど、
そのダイナミックな造像も魅力のひとつになっています。

最後に、オススメをご紹介しておきますね。

8年前にもチラッと紹介させていただいた、白鳳仏の蟹満寺(京都)
体内に布で作った内臓が収められ、生身仏として祀られてきた清涼寺(京都)
平安期の国宝・釈迦如来像を2体も有する室生寺(奈良)

それから、生まれたばかりの姿を表現している誕生仏を擁する東大寺(奈良)
厳しい修行でガリガリになった姿を表現した苦行像を祀っている建長寺(神奈川)
それから、亡くなる直前の寝そべった姿を表現した涅槃像を安置する法隆寺(奈良)

また、椅子に腰を下ろした白鳳期の像が特徴的な深大寺(東京)も有名ですし、
ちょっと前に紹介した飛鳥寺(奈良)の飛鳥大仏も釈迦如来ですね。

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


[SE;KICHI]

飛鳥の執念⑬ ~長屋王の不幸

教科書にも出てくるので、いちおうはみんなが習った「長屋王の変」
ざっくり言えば、現在の首相ほどの権限を持っていた長屋王が、
官房長官ほどの立場だった藤原不比等の息子4兄弟から冤罪をかけられ、
自宅を包囲されて自害……という事件です。

まぁ、当時、よくある話と言ってしまえばそのとおりなのですが、
このクーデターで長屋王とともに亡くなったのが、
妻の吉備内親王と、膳夫王や桑田王など、4人の息子たちでした。
この、妻の吉備内親王という人物は尋常でない血統の人で、
元明女帝の愛娘の一人で、父方の祖父母は天武天皇・持統天皇夫妻であり、
母・元明と祖母・持統の父親は同じく天智天皇なので、
天武・持統の孫でありながら、天智の孫にもあたるという、
もう、ゴリゴリの天皇家の娘っ子だったわけです。

時を戻そう (笑)

以前紹介した、持統天皇が執念で孫につなげた皇統でしたが、
彼女の崩御後、孫の文武天皇が、まだ25歳だというのに病死してしまったため、
皇統はたった5年でピンチに陥ったのでした。
それも、まぁ、よくある話ではあるわけですが、
娘の宮子を文武に送り込んでいた重臣・藤原不比等にとっては大誤算ですよね。
亡き文武と宮子の間には首皇子というのが生まれてはいたものの、
まだ7歳なので、さすがに譲位を断行するわけにはいきません。
そこで、中継ぎが必要となるわけですが、
不比等としては、確実に孫である首皇子に皇位が継承されるために、
何が何でも皇位を文武の家族から動かすわけにはいきません。
たとえば、亡き文武の妹である吉備内親王が即位することになったりすれば、
その夫である長屋王が皇統を牛耳ることになるに違いないし、
皇統は、そのまま長屋王の子・膳夫王に継承されてしまうので、
首皇子に皇位が継承されなくなってしまいます。
それは、藤原一族としてはどうしても避けねばならない事態であり、
まずは、間違っても、吉備内親王系に皇位が流れるのを阻止しなくてはなりません。

そこで編み出されたのが、首皇子の祖母で文武の母である阿閇皇女への譲位でした。
阿閇皇女は吉備内親王の母でもありましたが、
不比等としては、一世代遡ることで、
とりあえず吉備内親王から皇位を遠ざけることに成功した形です。
いや、何が言いたいのかというと、
中継ぎとして阿閇皇女を即位させて元明天皇とする案は、
おそらく藤原不比等の策略だったと思われるということです。

しかし、阿閇皇女も波乱の人生です。
夫の草壁皇子の亡きあと、姉でありながら姑でもある持統女帝と助け合い、
何とか3人の子供たちを成長させ、
軽皇子が文武天皇として即位し、吉備内親王も長屋王との間に孫を生んで、
おそらくホッとしていたころだったはずです。
息子が急死して傷心だったと思うのですが、
阿閇皇女はどういうつもりで即位を承諾したのでしょうか。

ともあれ、とりあえず、皇位は文武の母に戻されたわけですが、
この、異例な形での即位は、
長屋王に皇位継承の可能性を認識させたに違いありません。
もともと、長屋王自身は、天武の孫ではあるとはいえ、高市皇子系統であり、
直接の皇位継承権はないような人物でした。
言うなれば、野心を抱いたところでどうにもならないような立場だったわけですが、
いま、突如として妻の母が天皇となったわけで、
仮に、現天皇が妻を後継者に指名してくれれば、
我が家に皇位が転がり込んでくるというもの。
長屋王、浮足立ったに違いありません。
実際、不比等は保険をかけて、別の娘である長娥子を長屋王にめとらせ、
どっちに転んでも大丈夫なようにしています。

しかし、私は思うのです。
首皇子にまで皇統をつなぐ執念を持っていたのは不比等だけで、
阿閇皇女には、そのような執念はなかったのではないか、と。
わが息子・文武の子であるとはいえ、不比等の娘(宮子)から生まれ、
不比等の正妻(橘三千代)が養母となり、
そして不比等の娘(安宿媛)が妻となる予定の首皇子。
そのような者を身内だとは思えなかったでしょうし、
これ以上、不比等一族の力が強くなることは危険なことです。

そこで、阿閇皇女は何年かかけて布石を打ちました。
首皇子を皇太子にすると同時に、氷高皇女を高位に昇格させたのです。
不比等は首皇子の立太子に夢中で気づかなかったようです。
そうしておいて、譲位断行。
もちろん、皇太子である首皇子ではなく、氷高皇女に。
元正天皇の誕生です。
さらに阿閇皇女は畳みかけます。
もう一人の娘である吉備内親王を高位に引き上げ、
彼女が産んだ孫たちを“皇孫”扱いにしたのでした。

結局、不比等の負けです。
吉備内親王一家への対抗策として、皇位継承者を誕生させようと、
送り込んだ安宿媛を急かして、せっせと子作りをさせますが、
なかなか妊娠しないうえに、たまに産んでは女の子だったり、
せっかく男の子を産んでも早く亡くなってしまったり。
失意のなか、不比等はこの世を去るわけですが、
その後継者である四兄弟が、
破れかぶれで長屋王一家を陥れるのが「長屋王の変」です。

つまり。
「長屋王の変」と呼ばれてはいますが、
別に、特に長屋王は何もしておらず、ただ、お仕事頑張って出世しただけ。
彼が不幸だったのは、妻がやんごとなき家柄の生まれであり、
藤原家から勝手に張り合われていたこと。
そんなことで、一家皆殺しの目に遭わされ、恐ろしい限りです。
ちなみに、長屋王一家を陥れた藤原四兄弟は、
「長屋王の変」から8年後くらいに、全員一斉に病死します。
祟りなのでしょうか、恐ろしい限りです。

[SE;KICHI]
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Author:kkseishin
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