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キケンなクシャミ④

前回はヘルニアの手術をして無事退院した話をしました。
入院中はほとんど寝られなかったのですが、
家に帰ってようやくぐっすり眠ることができました。
ただし、仰向けに寝ると手術した傷口がまだ痛く、寝返りをうつのが大変でした。

1週間過ぎた頃から元の生活ができるようになりましたが、
無理をしないように慎重に過ごし、
1ヶ月たった頃には手術したこともすっかり過去のこととなっていき、
ずいぶん身軽になったことを実感しました。

そんな時、数時間立ちっぱなしの姿勢でいることがあり、
その後、腰に何とも言えない違和感を覚えました。
なんか変だと思いながら1週間がたち、
スッキリしないまま歩いている途中でクシャミをしたところ、
手術した反対側の腰に痛みが走りました。
なんと驚いたことにまたもやギックリ腰になりました。
手術をしてまだ2ヶ月も経っていないし、
もうこれでならないと思っていた私はかなりのショックを受けました。
体の痛みよりも精神的な落ち込みの方が強かったと思います。

投げやりな気持ちで1週間ほど動けずにいたのですが、
今後のことを考えると何もしないのもどうかと思い、
今までと違う治療法を探しました。

もちろんビビリの私ですから痛くない治療限定です。
そこでヒットしたのがAKA-博田法(関節運動学的アプローチ)というものです。
動きにくい関節を動かそうとする目的(関節機能障害の治療)で、
博田節夫先生により開発された治療法です。
1979年から約20年の研究開発の過程において、
関節の動きを治療することにより体の痛みが軽くなることを発見されたそうです。
この方法では、ギックリ腰は仙腸関節(骨盤の後ろの関節)の捻挫で、
仙骨がねじれた位置でひっかかった状態にあるとされ、
AKAでひっかかりを取り除くと痛みはただちに減少し、
早い期間で治るとされています。

私が住んでいるところで調べると、この治療法を行なっている整形外科が2ヶ所あり、
家から近いほうを選び行きました。
診察で話を聞かれレントゲンを撮り、仙腸関節が炎症を起こしていると言われ、
横向きに寝かされ、お尻の上のあたりから腰、背中にかけて触られ、
炎症止めの注射を打たれて治療が終わりました。

仙腸関節のズレは数ミリ単位と言うことなので、
本当に触る程度で全く痛みを感じませんでした。
その後リハビリとして電気治療と、
ベッドに寝るタイプの自動マッサージ機を受けて帰りました。
3日後には痛みがかなり無くなり、普通の生活に戻りました。
それからは2、3週間に一度触る程度の治療を受けリハビリをしています。
あまり激しい運動は避けていますが、
腰の痛みは今のところありません。
治療を受けた感想としては、
治療自体は整体やマッサージに比べると激しくないのでリスクは少ないと思います。
なんと言っても痛くありません(ここ重要)
しばらく続けてみようと思います。

いろんな治療がありますが、自分に合った治療を探すのは大変です。
人にあそこがいいと紹介されて行ってみたら、
全然効果がなかったなんていう話もよく聞きますからね。
結局自分でやってみないとわからないんですよね。

[M M]
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怖い顔の秘密 ~魅惑の・・・(番外編)

現存する日本最古の仏像といえば飛鳥大仏ですよね。
609年ごろの完成ということですから、今年で1410歳。

飛鳥大仏
http://pippi-papa-from2008.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-3405.html

この飛鳥大仏、奈良・明日香村の飛鳥寺というところにいらっしゃるのですが、
写真が教科書などにもよく掲載されているので、
行ったことはなくとも、お顔を知っている方も多いことでしょう。
私も、教科書だったか資料集だったかの写真を見て、その顔貌の怖さになかなか足が向かず、
また、他に会いたい仏像がたくさんあったためについつい後回しとなり、
御朱印帖の記録によれば、ようやく訪れたのが平成13年。

飛鳥寺 ご朱印

私、昭和60年ごろから御朱印を集めているので、
平成13年といえばデビューから15年後ということになります。
飛鳥大仏、日本最古というビッグネームでありながら、
ずいぶん、ないがしろにされてきた感じですね、私から。

さて、日本最古の仏像である飛鳥大仏ですが、
国宝ではありません。

ちなみに、「国宝」という指定自体は明治期からもあったのですが、
戦後、1950年に文化財保護法が施行されたことにより、
それまでに指定された国宝を、すべて一旦「重要文化財」に改称したうえで、
そのなかから、特に価値の高いものを、改めて国宝として選びなおしました。
飛鳥大仏は旧国宝には指定されていたのですが、
いったん重要文化財になった後の指定からは漏れてしまい、
いまだに重要文化財にとどまっているというわけです。

飛鳥大仏が国宝指定から漏れたのは何故でしょうか。
これは私が小学生の時分に知った知識ですが、
永年の歴史のなかで、この飛鳥大仏は、後世の補修箇所が多くなっていて、
確か、最初に作られた7世紀当初の部分は、
目の周りと右手中央の指3本くらいしか残っていないという話でした。
そういえば、お顔にはブラックジャックのような継ぎ目がありますね、
ここで接合しましたよ、手術の傷跡ですよ、的な。

つまり、私が小学生だったころの通説は、
ほとんどオリジナルではないから国宝にはなれませんと、そういうことでしたが、
ここ1~2年の研究で、顔面の金属成分に偏りがないことが分かってきたそうです。
それは、すなわち、お顔は均一だということであり、
オリジナルであることが確認されている目の周りとも成分的に均一であることは、
顔が全体的にオリジナルであるということにほかなりません。
ブラックジャックの手術痕のような継ぎ目は単なる稚拙な技術の結果であり、
おそらく、鋳造時にできた穴などを埋めた跡ではないかとのことです。
これは旧来の通説が覆ることで、なかなかエキサイティングです。
そればかりか顔と胴体の金属組成はかなり似ていたとのこと。
合致ではないことから、顔と胴体が同時期の造像ではないと思われますが、
似ているというのはどういうことなんでしょうか。
これは私が勝手に思っているのですが、
震災や戦乱で胴体が破損した際に、壊れた素材をかき集め、
それを再利用する形で新しい胴体を改鋳したのではないでしょうか。
それだと、組成が似ていて、かつ同一でないという結果に説明がつくと思うのですが、
さて、どうでしょうか。

ともあれ、飛鳥大仏の頭部がほぼオリジナルであると分かった意義は大きいでしょう。
興福寺にある旧山田寺仏頭のように、頭部だけで国宝指定されている例もありますから、
この飛鳥大仏の頭部がオリジナルであると分かったということは、
突如、国宝指定に向けた障害がなくなったということに他なりません。

それに、だって、今年で1410歳なんですよ。
その顔の皮膚(というかそれを形成している金属ね)は1410年モノってことですよ。
人間の世界では、たかだか40年か50年で、
やれ“ドモホルンリンクル”だ、やれ“50の恵”だと騒がしいですが、
なんと言っても、1410年前からの顔なんですよ、飛鳥大仏。
ひゃああああ、もう想像を絶するロマンですよね。

いつもなら、最後に、オススメを・・・・・・となるところなのですが、
今回は飛鳥寺限定の話であるうえ、飛鳥寺にはホームページがないんですよ。
でも、明日香村は以前にも紹介した如意輪観音の優品のある橘寺や、
日本三大仏像のひとつに挙げられる西国第七番札所の岡寺など、
観るべきお寺が多いエリアですので、村全体がおすすめです。

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。

というより、1410歳ですからね、見とかないと損ですよ。

[SE;KICHI]

キケンなクシャミ③

前回は腰や左足の痛みを止めるのにブロック注射をした話までしましたが、
その後、1週間安静にして様子を見ました。
しかし左側のお尻から前太もも、スネにかけての痺れや痙攣はあまり変わらず、
病院の診察の日が来ました。

主治医にブロック注射のおかげで痛みはかなり軽減されているものの、
症状は改善されていないことを告げ、
今後このまま痛みを押さえて様子を見るのか、
あきらめて手術をするのか話し合いました。

私は1週間経っても症状が全く変わらなかったことから、
このまま時間が経過してもそれほど改善しないのではないかと感じていました。
そこで手術をした場合、痺れが治るものかと聞いてみましたが、
またもや人によるとのこと。
痛みは取れても痺れは残るかもしれないと。

そうは言っても神経に触っているところを取り除けばスッキリするだろうと思い、
手術することにしました。
内視鏡手術なので傷口が2cmほどで、時間も麻酔を合わせて1時間半ぐらいで済み、
入院も順調なら術後4日間で退院できると言われました。
2日後か3日後に1人ぐらいなら手術入れれるけどどうしますかと聞かれ、
ビビリの私は心の準備期間を少しでも欲しいというのと、
ちょっとでも先延ばしにしたいという往生際の悪さから3日後にしました。
そして手術の前日に入院し、緊張と慣れない環境で寝られません。

いよいよ手術当日、ストレッチャーに乗せらせて手術室に入ります。
そこで別のストレッチャーに乗せられるのですが、
ヒーターが入っていて温かいのです。
温かいんですねと付添いの看護師に話しかけると、
あなたのために温めておきましたよと笑いながら言われました。
まあ、私は緊張で笑えませんでしたが。

その後のことは麻酔のため覚えていないのですが、
手術後大きいな声で呼ばれて目が覚めました。
無事に終わったことを聞いてホッとしました。

病室に戻ると、麻酔の副作用で強烈な吐き気とだるさが襲って来て、
吐き気止めの点滴を打ち、数時間後にようやく落ち着きました。
すると今度は尿意が襲って来ました。
尿道に管を通すのが嫌で拒否した私は、シビンでしなければなりません。
寝たままだと力が入らないのでシビンはちょっと無理そうだなと思っているところに、
丁度主治医が様子を見に来て、
私が見ているから自分で立ってトイレに行ってすればいいと言われました。
個室だったのでトイレは近いのですが、
手術後いきなりすぐに自力でトイレに行くとは思っていなかったのでかなり驚きました。
実際何とかできましたが、少し動くだけで傷口が痛くて苦労しました。

肝心の手術後の体の症状は、その時点で腰の痛みはないのですが、
残念ながら左足の膝からスネにかけての 痺れは取れていませんでした。
スッキリ治ると思っていたのですが、
やるだけやったのだから時間の経過を待つしかしょうがないなと、
特に落ち込む事もありませんでした。
とにかく終わってホッとしました。
その3日後に傷口の抜糸をし、4日目に退院しました。
予定通りです。

入院中は夜も病室の戸を開けっ放しで出入りが激しく、
他の病室から夜中じゅう叫んだり奇声を発する声が聞こえ、
ナースコールをしょっちゅう鳴らす人や、
向かいのベッドの人は心臓が苦しいと言って緊急事態になったりと、
全くといっていいほど寝れませんでした。
毎日夜になると動物園にいるような気分になり、さながらナイトズーです。
食事も、特に何も制限されていなかったのですが、
学校給食の方がまだ美味いと思えるものしか出ませんでした。
もう入院はこりごりです。
あらためて健康の大切さを感じました。

実は話はこれで終わりません。
また今度。

[M M]

飛鳥の執念➉ ~天皇の名前

ちょっと変化球で行きますが、
奈良時代後期の貴族に淡海三船という人がいました。
この人物は、奈良時代以前の歴史散歩好きにとっては欠かせない人物です。

乙巳の変(大化の改新)で有名な中大兄皇子が天智天皇として即位するのは、
近親相姦とかなんだかんだあって、先代の斉明天皇が崩御してから6年半後、
正式に即位した時には既に42歳でした。
42歳って、いまでは働き盛りの年代ですが、
当時は寿命が短く、実際、天智天皇も46歳で崩御しますので、
42歳と言えば、もはや晩年と言っても差し支えないほどの年齢です。

さて、42歳で即位した天智天皇は、
弟の大海人皇子を皇太弟に指名しました。

ところで、この大海人皇子という人は、天智天皇の弟でありながら、
皇后となった鸕野讚良皇女や、その姉の大田皇女のほかに、
兄・天智天皇の娘(つまり自分の姪っ子)を4人も妻にしたうえ、
さらに、それとは別に6人、合計10人の妃を持ちました。
その一人が、私が峰不二子似説を提唱している額田王です。

この額田王は、最初、大海人皇子の妃で、十市皇女という娘を生んでいますが、
のちに、大海人皇子は兄の天智天皇に額田王を奪われてしまっています。
そして、大海人皇子と額田王の娘である十市皇女は、
天智天皇の息子である大友皇子の妻となり、葛野王という子を産んでいます。

さて、弟の大海人皇子を皇太弟に指名した天智天皇、
これは、簡単に言えば「次は彼です」という内外に向けた宣言なのですが、
その2年半ほど後、天智天皇は大友皇子を、史上初の太政大臣に指名しました。
突然作られた太政大臣というのは皇太弟より上の立場で、
これは、「次は彼です」といったん指名していた弟の大海人皇子を飛び越え、
その上に自分の息子を据えた形です。
つまり、天智天皇は、いったんは弟を後継指名したものの、
そのうち、わが子・大友皇子を後継者にしたいと思い始めてしまったということでしょう。

この時代、権力者にとって目障りな人物は容赦なく粛清されますから、
大海人皇子は震え上がったはずです。
その結果、大海人皇子は皇太弟を辞退し、出家して山奥に隠れてしまい、
代わりに大友皇子が皇太子になりました。
まぁ、たぶん、天智天皇の思う壺でしょう。

天智天皇が死ぬと、大友皇子が(即位したかどうかは不明ですが)後継として朝廷を主宰します。
その半年後、山奥の大海人皇子は挙兵を決意して山奥から脱出、
武力で大友皇子を自殺に追い込んで、自ら即位し、天武天皇となりました。(壬申の乱)
大友皇子の妻であり、天武天皇の娘である十市皇女の悲壮感
計り知れませんね。

しかし、こうなってしまうと、自殺した大友皇子を父に持つ葛野王の立場が、
俄然、不安定なものになっていきます。
天武天皇の死後、その皇后の鸕野讚良皇女は持統天皇として即位し、
わが子・草壁皇子の継がせるために執念を燃やします
が、
葛野王は、その彼女にひれ伏し、草壁皇子後継のために尽力しました。
まぁ、そうしなければ生き残るすべはなかったでしょうから、
保身のために魂を売ったとも言えますが、
ある意味では“うまく立ち回った”というわけです。

その葛野王の子が池辺王という人物で、さらにその子が、冒頭の淡海三船です。
縷々書き連ねてきたのは、
彼が天智系の正統であるということを伝えたいがためですが、
天智系は壬申の乱で非主流派に追いやられており、
この人物は大友皇子の曽孫でありながら、若いころから出家していました。
しかし、30歳ころに勅命により還俗させられて御船王に戻ったのち、
淡海の氏姓を賜って臣籍に降下し、淡海三船と名乗っているわけです。
それはともかく、彼の最大の功績は、
初代神武天皇から第44代元正天皇までの、
ほぼ全部の天皇の漢風諡号を決めたこと
です。

実は天皇の呼び名というのは、在位中から本人が名乗っているわけではなく、
退位後、第三者が決め、そう呼ばれるものなので、
たとえば桓武天皇の“桓武”という称号は崩御後に贈られた名前なので、
生前、「桓武さ~ん」と話しかけても、
「は~い、桓武で~す」ということにはならないのです。
つまり、どの天皇も、基本的に在位中はその名前では呼ばれていないのですが、
この天皇の名前について、初代から第44代までの分を決めたのが淡海三船で、
そういうわけで、彼は歴史散歩好きにとっては欠かせない人物です。

というより、この記事に出てきた斉明天皇も天智天皇も天武天皇も持統天皇も、
全部、彼のネーミングなんだということです。
臣籍降下ということで、皇族としては主流ではなかったのかもしれませんが、
“名付け親”として、現在に至るまで名が遺っているというのは、
それはそれで、大を成した人生だったのだなぁと感心します。

[SE;KICHI]

キケンなクシャミ②

以前、クシャミをしてギックリ腰になった話をしました。
そしてクシャミにだけは勝てる体にしたいとも言いました。
その時はまさか続編を書く事になるとは思っていませんでした。
しかし、結果から言うとクシャミに負けてしまいました。
完敗です。


普段からクシャミにはずっと気を付けていて、
出る時には何かにしがみついてショックをやわらげるなどの対策を講じていました。
ところが、車に乗って信号待ちをしている時にクシャミが出そうになり、
慌ててハンドルを握る手に力を入れて準備をしたのですが、
クシャミをした途端腰に強烈な痛みが走り、
あぁまたしてもやってしまったなと、
それにしてもいつもより痛みがすごいなと思っていると、
左足が痺れてきました。

これはヤバイとすぐに引き返して家に戻り、病院へ連れて行ってもらいました。
病院に行く最中も左足の前太ももからスネにかけて強い痛みと共に引きつり、
前太ももがピクピク痙攣しているのが見た目でもわかりました。
唸りながら病院に着き、レントゲンを撮って診察を受けると、
多分腰の椎間板が神経に触っているんだろうとのことで、
痛み止めをもらって様子を見ることにしました。

その後2日たっても痛みと痙攣が治まらないので、
前回とは違う大きめの病院に行き、
今度はレントゲンと合わせてMRIも撮りました。
MRIの画像を見ると、椎間板が背骨の間から飛び出して見事に神経を押していて、
明らかに椎間板ヘルニアになっていました。

さてどうするかという話になり、選択を迫られました。
一つ目はこのまま痛み止めを飲んで経過を見る。
二つ目はブロック注射を打ちとりあえず早急に痛みを抑えて経過を見る。
最後の三つ目はあきらめて早目に手術をする。
この三つに対して私と医者の先生と看護師で話し合いが始まりました。

私は時間と共に痛みや痺れが無くなることがあるのか質問しましたが、
無くなる人もいれば無くならない人もいる、
つまり人によって違うと言われました。
自分がどっちなのかは誰にもわからないことなので、
結局は時間が経ってみないとわかりません。
手術をするなら数日後に1人ぐらいなら入れるよと言われ、
心の準備が無くビビった私はいきなり手術は避けたいと主張し、
一旦経過を見る方向でお願いしました。

そうなると今度はどのくらいの期間様子を見るかという話です。
1週間なのか1ヵ月なのか3ヵ月なのか。
とりあえず1週間後に診察を再度受けて、その時にもう一度話し合うことにしました。

それまでにもらっていた痛み止めが全く効いていなかったので、
今の症状に効く痛み止めを出してもらうことにはなりましたが、
ブロック注射をした方がもっと確実に痛みが治まるよと言われ、
骨に向かって針を刺されるのが怖くて、
注射は痛いですかと聞くと、またまた人によって違うと言われ、
すがるように看護師さんの顔を見ると、
私はブロック注射をしたことがないから、
どの程度の痛みか言ってあげられないの、ゴメンねと謝られました。
注射を打つとどのくらいの期間効きますかと聞くと、
それも人によって違うと言われる始末。

同じ話を繰り返すビビリの私。
他にも待っている患者さんがいるであろうに何かと粘る私。
でも痛みがこれ以上続くとノイローゼになりそうなくらいでしたので、
意を決して注射を打つことにしました。
お尻の方から骨に向かって針が入ってきました。
ツーンとした痛みが何とも言えません。
そしてクスリを注入する際、先生から早く終わらせたいか聞かれました。
そうしてくださいと言うと、ギューッと薬が入って来るのがわかり、
思わずイテテテッと声が出ました。
すると先生が、やっぱり早く入れると痛いんだねぇ、
じゃあゆっくり行くよと言われ、半分遊ばれているようでした。トホホ。

さて、この後の事はまた今度という事で。

[M M]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

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