魅惑の・・・(13)
愛染明王についてしつこく質問される方に、立て続けに2人、出会いました。
おひとりは行政書士をやっていらっしゃるご婦人で、
先日、何かのツアーに乗っかって奈良の西大寺というお寺を訪れ、
そこで拝観した秘仏の愛染明王坐像が忘れられないのだとか。
なるほど、実は、西大寺というお寺は、仏像好きにしてみれば、
愛染といえば西大寺、西大寺といえば愛染というほどのお寺なので、
予備知識なく行かれたとはいえ、ご婦人、なかなかの慧眼です。
もうおひとりは占い師で、タロットカードを使っていらっしゃる方なのですが、
タロットカードというのは様々なデザインがあるのだそうで、
この方が使っていらっしゃるのは伝統的なデザインのカードではなく、
どういうつもりなのか、密教をモチーフとしたカード。
そこで出てくる愛染明王の仏教らしからぬ風貌に度肝を抜かれ、
これは何の仏様なのかと気になってしまったとのこと。

https://www.pinterest.jp/pin/661114420273275541/
そもそも、“愛染”という語彙は、「未亡人」シリーズの愛染恭子のせいか、
なんとなく淫靡というか、
良く言えばロマンチック、悪く言えば卑猥なイメージを連想しがちです。

http://blog.livedoor.jp/hidesmile/archives/cat_47306.html?p=3
まぁ、それは、「愛染」という漢訳と、
日本国内のイメージが合致していないからなのですが、
この愛染明王のすごいところは、実はそこにあります。
もともと、仏教は、金銭欲や名誉心、怠惰な心など、
様々な執着を断ちなさいと教えているわけですが、
そうは言ったって、
普通の人間は怠け者で自分に甘いので、
いきなり清らかに生きることはできません。
そのなかでも、特に断ちがたいのが、
恋慕する心なども含めた性欲である「愛欲」だとされていて、
まぁ、平たく言えば、衆生が仏法を信じないのは、
愛欲を抑えるのが難しいからということだそうです。
そこにきて、この愛染明王のすごいのは、
そもそも、愛欲に肯定的なところです。
おおよそ動物の愛欲というのは、
子孫を残すために、異性を見たら発情するようにできているわけなので、
社会が維持繁栄するために、本能に従った性欲的なものは不可欠なはず。
愛染明王は、この本能的な興奮を肯定し、
それを悟りへの原動力に昇華しようとするわけです。
人々は煩悩に溺れ、心は千々に乱れることも多いわけですが、
そんなことに使うエネルギーがあるなら、
煩悩パワーで悟りの道を切り拓こうということです。
そこまで清く生きられない私たちに対し、理解がありますね。
厳しい担任の先生の目を盗んで助け舟を出してくれる、優しい副担任のようです。
愛欲を否定しないので、話の分かるセンコーだってことで、
遊女というか、水商売の方からの信仰が篤いのでした。
まぁ、鎌倉時代の儀軌によれば、愛染明王の密号は「離愛金剛」ですからね。
“離愛”というのは、“愛”から“離”れると書きますが、
ここでの“愛”というのは、いわゆる“渇愛”、
それは、喉の渇きのような、「欲しい欲しい」と貪る愛のことで、
つまり、“離愛”というのは、“渇愛”から“離”れる、
いわば、「煩悩から自由になれ」ということだと言えるでしょう。
そんな、優しい愛染先生ですが、
見た目は相当イカついです。
もともと愛を表現した仏ですからね、
その身体は真紅であり、後背に日輪を背負っています。
一面六臂の忿怒相で、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを表す獅子の冠をかぶり、
叡知を収めた宝瓶の上に咲く蓮の華の上に座るという、
他に類のない姿をしています。
ハマったらたまらない感じです。
最後に、オススメをご紹介しておきますね。
なんといっても西大寺(奈良)。
それから、愛染堂勝鬘院(大阪)、金剛三昧院(和歌山)、神童寺(京都)、覚園寺(神奈川)
一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。
[SE;KICHI]
おひとりは行政書士をやっていらっしゃるご婦人で、
先日、何かのツアーに乗っかって奈良の西大寺というお寺を訪れ、
そこで拝観した秘仏の愛染明王坐像が忘れられないのだとか。
なるほど、実は、西大寺というお寺は、仏像好きにしてみれば、
愛染といえば西大寺、西大寺といえば愛染というほどのお寺なので、
予備知識なく行かれたとはいえ、ご婦人、なかなかの慧眼です。
もうおひとりは占い師で、タロットカードを使っていらっしゃる方なのですが、
タロットカードというのは様々なデザインがあるのだそうで、
この方が使っていらっしゃるのは伝統的なデザインのカードではなく、
どういうつもりなのか、密教をモチーフとしたカード。
そこで出てくる愛染明王の仏教らしからぬ風貌に度肝を抜かれ、
これは何の仏様なのかと気になってしまったとのこと。

https://www.pinterest.jp/pin/661114420273275541/
そもそも、“愛染”という語彙は、「未亡人」シリーズの愛染恭子のせいか、
なんとなく淫靡というか、
良く言えばロマンチック、悪く言えば卑猥なイメージを連想しがちです。

http://blog.livedoor.jp/hidesmile/archives/cat_47306.html?p=3
まぁ、それは、「愛染」という漢訳と、
日本国内のイメージが合致していないからなのですが、
この愛染明王のすごいところは、実はそこにあります。
もともと、仏教は、金銭欲や名誉心、怠惰な心など、
様々な執着を断ちなさいと教えているわけですが、
そうは言ったって、
普通の人間は怠け者で自分に甘いので、
いきなり清らかに生きることはできません。
そのなかでも、特に断ちがたいのが、
恋慕する心なども含めた性欲である「愛欲」だとされていて、
まぁ、平たく言えば、衆生が仏法を信じないのは、
愛欲を抑えるのが難しいからということだそうです。
そこにきて、この愛染明王のすごいのは、
そもそも、愛欲に肯定的なところです。
おおよそ動物の愛欲というのは、
子孫を残すために、異性を見たら発情するようにできているわけなので、
社会が維持繁栄するために、本能に従った性欲的なものは不可欠なはず。
愛染明王は、この本能的な興奮を肯定し、
それを悟りへの原動力に昇華しようとするわけです。
人々は煩悩に溺れ、心は千々に乱れることも多いわけですが、
そんなことに使うエネルギーがあるなら、
煩悩パワーで悟りの道を切り拓こうということです。
そこまで清く生きられない私たちに対し、理解がありますね。
厳しい担任の先生の目を盗んで助け舟を出してくれる、優しい副担任のようです。
愛欲を否定しないので、話の分かるセンコーだってことで、
遊女というか、水商売の方からの信仰が篤いのでした。
まぁ、鎌倉時代の儀軌によれば、愛染明王の密号は「離愛金剛」ですからね。
“離愛”というのは、“愛”から“離”れると書きますが、
ここでの“愛”というのは、いわゆる“渇愛”、
それは、喉の渇きのような、「欲しい欲しい」と貪る愛のことで、
つまり、“離愛”というのは、“渇愛”から“離”れる、
いわば、「煩悩から自由になれ」ということだと言えるでしょう。
そんな、優しい愛染先生ですが、
見た目は相当イカついです。
もともと愛を表現した仏ですからね、
その身体は真紅であり、後背に日輪を背負っています。
一面六臂の忿怒相で、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを表す獅子の冠をかぶり、
叡知を収めた宝瓶の上に咲く蓮の華の上に座るという、
他に類のない姿をしています。
ハマったらたまらない感じです。
最後に、オススメをご紹介しておきますね。
なんといっても西大寺(奈良)。
それから、愛染堂勝鬘院(大阪)、金剛三昧院(和歌山)、神童寺(京都)、覚園寺(神奈川)
一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。
[SE;KICHI]
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