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魅惑の・・・(10)

今回は、2012年3月に投稿した観音菩薩の話の続きです。

この観音菩薩という仏さまの最大の特徴は、変身ができること。
それってくだらない能力のようにも見えますが、
ママに怒られても言うことを聞かない子供がパパに怒られるとシュンとするように、
相手が変わると素直に従えることもあるというもの。
そういう方便のために、求められればどんな姿にもなって人々を救おうと決意し、
変身できるようになったのが観音菩薩なのです。
少し前に紹介した如意輪観音も、その変身パターンのひとつですし、
ほかに、千手観音や十一面観音なども知られています。

で、今回は十一面観音のお話です。
十一面観音は、苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、
全方向を見守っているとされています。
また、それぞれの顔は、人々をなだめたり怒ったり、励ましたり、
それぞれに別の役目をするのだと説かれています。

十一面観音は、顔は多いものの腕がたくさんあったりはせず、
首から下は、私たち普通の人間と同じようなビジュアルになっています。
そのため、肉体に違和感を感じさせることなく造形美を追求しやすいようで、
仏像としては奈良時代の昔から人気があって、多くの作例が遺されています。
十一面観音で国宝に指定されているのは7躯ですが、
そのうち、よく筆頭に挙げられるのが、渡岸寺の十一面観音立像。

渡岸寺 十一面観音立像http://www.kokokujitanbo.com/takatuki-14-2.htm

像高は195cmで、ほぼ等身大ですが、上部20cmほどは十一面が占めています。
パースから見て、11の面のひとつひとつは握りこぶし大といったところでしょう。
想像するになかなか重そうで、肩こりが心配になります。
しかし、肩こりを感じさせない鼻筋の通った精悍な顔立ちに柔らかなプロポーション。
特に腰のくねりからは、実に妖艶な雰囲気が漂っています。
……どうでしょうか、往年の河内桃子とか、そういう感じです。

さて、十一面観音の頭上の正面には、
まず、阿弥陀如来のミニチュアのような「化仏(けぶつ)」がついています。
これはこの観音が阿弥陀如来の化身だということを示しています。
観音菩薩というのは阿弥陀如来ファミリーの一員なので、この化仏はデフォルトです。
そして、それ以外に、十一面観音の頭の上の顔には5種類の表情があります。
頭頂に1つだけあるのが「仏頂面(ぶっちょうめん)」。
仏頂面(ぶっちょうづら)という表情がありますが、実はそれは悟りの表情ということで、
何が起きても動じなさそうな無表情になっています。
次に、本面のちょうど額の部分にあたる前3面が「菩薩面(ぼさつめん)」。
まぁ、いわば、正攻法での穏やかな導きを担当している優しいお顔で、
“観音といえば”というような表情として正面に配置されるのも納得です。
続いて、左のこめかみあたりについている3面は「瞋怒面(しんぬめん)」。
世の中、優しく諭してもヘラヘラして言うことを聞かぬ者というのはいるものです。
そういうバカ者を「ゴルァ」と戒める、怒った顔をしています。
そして、右側の3面が「狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)」。
“牙”ってなんか怖っ!と感じますが、牙って、爽やかな白い歯のこと。
頑張っている人に白い歯をチラリと見せる、微笑みの表情。
そして背後の1面を「暴悪大笑面(ぼうまくたいしょうめん)」といい、全部合わせて11面です。

ところで、この背後の1面、暴悪大笑面。
煩悩だらけの人の悪行や屁理屈を笑い飛ばす表情とされていますが、
字面からしても、“悪を暴いて大笑い”……ということで、
なんでしょうか、すべてお見通しの水戸黄門みたいな感じでしょうか。
いずれにせよ、愚かすぎる人間を笑っちゃっている表情と言われています。

ところが、この暴悪大笑面、なかなか見ることのできないものなのです。
そりゃそうですよね。
だいたい仏像は正面から鑑賞するようになっているものですから、
多くの寺院で、観音像の背後には回り込めない構造になっていて、
暴悪大笑面も見られないことが普通です。
また、見えても暗い堂内では表情がよくわからなかったりするもの。

しかし、こちらの渡岸寺は違います。
後頭部の暴悪大笑面が鑑賞できるよう、観音様の背後に通路があるうえ、
わざわざ大笑面にスポットライトまで当ててくださる暴悪大笑面推しなのです。
その顔がこちら。

暴悪大笑面http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/butuzou2.htm

いかがでしょうか。
ちょっと……その……下品、じゃないですか?
前述の通り、これは、人の煩悩を笑い飛ばす表情とされていますが、
実際に誰かからこの顔で笑われたらムッとしてしまいそうな表情です。
何というか、朗らかでないというか、夢に出てきたら寝苦しそうな、
ちょっと、観音としての活動に支障はないのか心配になるような顔立ちです。
もしかして、この顔の不快さに、悪人たちも思わず改心してしまうのか?と、
あまりの表情にいらぬ邪推をしてしまうくらい。

ところで、私が不思議だなと思うのは、
なぜ、このようなものを考え出したのかということ。
だって、仏像がいまよりももっと人々の尊敬を集めていた時代、
仏像の背後に回って後頭部を見るなんて、そもそも罰当たりなことでしたから、
この暴悪大笑面を作ったところで、ほぼ人目に触れることがないはずです。
そんな、ほとんど人が見ない場所にバカ笑いする顔を彫る意味の分からなさ。

私のたどり着いた答えは、これは内心を表しているのだなということ。
正面から見たら菩薩面など穏やかな顔立ちをされている観音さまですが、
裏に回ってみれば、人々のしょうもなさにバカ笑いしちゃっている状態。
見られてないと思って……ということでもないでしょうが、
たぶん、見られることは想定していない素の表情、つまり本心です。
つまり、観音さまの本心は、
「見えてるところでは澄ましてるけどね、
ホンマは、みんなのしょうもなさに笑ろてしもてんねん」

ということなのでしょう。
なんか、そういう表情をさせてしまい、申し訳ないことです。

よく、悪を滅するには笑うが一番といいますが、
しかし、それにしては、気味の悪い表情です。
個人的には、瞋怒面で「ゴルァ」と凄まれるより、
こういう気味の悪い表情で嘲笑されるほうが、じわじわとダメージがあります。
こういう人があっちから近づいてきたら、怒ってる人の何倍も怖いですしね。

その他の国宝・十一面観音像について、ご紹介しておきます。

聖林寺(奈良)観音寺(京都)六波羅蜜寺(京都)道明寺(大阪)法華寺(奈良)室生寺(奈良) 造像年順

あと、国宝ではありませんが、背後から暴悪大笑面を見ることのできる十一面観音としては、斑鳩の法輪寺(奈良)があります。

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


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怖い顔の秘密 ~魅惑の・・・(番外編)

現存する日本最古の仏像といえば飛鳥大仏ですよね。
609年ごろの完成ということですから、今年で1410歳。

飛鳥大仏
http://pippi-papa-from2008.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-3405.html

この飛鳥大仏、奈良・明日香村の飛鳥寺というところにいらっしゃるのですが、
写真が教科書などにもよく掲載されているので、
行ったことはなくとも、お顔を知っている方も多いことでしょう。
私も、教科書だったか資料集だったかの写真を見て、その顔貌の怖さになかなか足が向かず、
また、他に会いたい仏像がたくさんあったためについつい後回しとなり、
御朱印帖の記録によれば、ようやく訪れたのが平成13年。

飛鳥寺 ご朱印

私、昭和60年ごろから御朱印を集めているので、
平成13年といえばデビューから15年後ということになります。
飛鳥大仏、日本最古というビッグネームでありながら、
ずいぶん、ないがしろにされてきた感じですね、私から。

さて、日本最古の仏像である飛鳥大仏ですが、
国宝ではありません。

ちなみに、「国宝」という指定自体は明治期からもあったのですが、
戦後、1950年に文化財保護法が施行されたことにより、
それまでに指定された国宝を、すべて一旦「重要文化財」に改称したうえで、
そのなかから、特に価値の高いものを、改めて国宝として選びなおしました。
飛鳥大仏は旧国宝には指定されていたのですが、
いったん重要文化財になった後の指定からは漏れてしまい、
いまだに重要文化財にとどまっているというわけです。

飛鳥大仏が国宝指定から漏れたのは何故でしょうか。
これは私が小学生の時分に知った知識ですが、
永年の歴史のなかで、この飛鳥大仏は、後世の補修箇所が多くなっていて、
確か、最初に作られた7世紀当初の部分は、
目の周りと右手中央の指3本くらいしか残っていないという話でした。
そういえば、お顔にはブラックジャックのような継ぎ目がありますね、
ここで接合しましたよ、手術の傷跡ですよ、的な。

つまり、私が小学生だったころの通説は、
ほとんどオリジナルではないから国宝にはなれませんと、そういうことでしたが、
ここ1~2年の研究で、顔面の金属成分に偏りがないことが分かってきたそうです。
それは、すなわち、お顔は均一だということであり、
オリジナルであることが確認されている目の周りとも成分的に均一であることは、
顔が全体的にオリジナルであるということにほかなりません。
ブラックジャックの手術痕のような継ぎ目は単なる稚拙な技術の結果であり、
おそらく、鋳造時にできた穴などを埋めた跡ではないかとのことです。
これは旧来の通説が覆ることで、なかなかエキサイティングです。
そればかりか顔と胴体の金属組成はかなり似ていたとのこと。
合致ではないことから、顔と胴体が同時期の造像ではないと思われますが、
似ているというのはどういうことなんでしょうか。
これは私が勝手に思っているのですが、
震災や戦乱で胴体が破損した際に、壊れた素材をかき集め、
それを再利用する形で新しい胴体を改鋳したのではないでしょうか。
それだと、組成が似ていて、かつ同一でないという結果に説明がつくと思うのですが、
さて、どうでしょうか。

ともあれ、飛鳥大仏の頭部がほぼオリジナルであると分かった意義は大きいでしょう。
興福寺にある旧山田寺仏頭のように、頭部だけで国宝指定されている例もありますから、
この飛鳥大仏の頭部がオリジナルであると分かったということは、
突如、国宝指定に向けた障害がなくなったということに他なりません。

それに、だって、今年で1410歳なんですよ。
その顔の皮膚(というかそれを形成している金属ね)は1410年モノってことですよ。
人間の世界では、たかだか40年か50年で、
やれ“ドモホルンリンクル”だ、やれ“50の恵”だと騒がしいですが、
なんと言っても、1410年前からの顔なんですよ、飛鳥大仏。
ひゃああああ、もう想像を絶するロマンですよね。

いつもなら、最後に、オススメを・・・・・・となるところなのですが、
今回は飛鳥寺限定の話であるうえ、飛鳥寺にはホームページがないんですよ。
でも、明日香村は以前にも紹介した如意輪観音の優品のある橘寺や、
日本三大仏像のひとつに挙げられる西国第七番札所の岡寺など、
観るべきお寺が多いエリアですので、村全体がおすすめです。

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。

というより、1410歳ですからね、見とかないと損ですよ。

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魅惑の・・・(9)

前々回の『魅惑の・・・(7)』では阿弥陀三尊を紹介しました。
その際、阿弥陀三尊の優品として、
浄土寺(兵庫)、仁和寺(京都)、三千院(京都)を挙げたのですが、
来ましたよ、クレームが。
我らが浄楽寺を忘れているのではないかと、横浜の方から。

浄楽寺は横須賀にあります。
横須賀という町は、富山の田舎から想像すると都会的に思えるのですが、
実際に訪れてみると、とても山がちなところで、驚きます。
最初に浄楽寺を訪れた際、知らずに横須賀中央駅で下車して、ひどい目にあいました。
浄楽寺は横須賀市西部の海沿いに位置しているのですが、
横須賀中央とか浦賀とか、鉄道が整備されている東部地区からは、行けないのです。

なぜ、仏像マニアが奈良でも京都でもなく、横須賀のこのお寺に行くかといえば、
このお寺の阿弥陀三尊が運慶作だからです。
現在、運慶作の仏像は、その真作とされるものが全国に17体あるのですが、
そのうちの5体が浄楽寺収蔵庫に安置されているというわけで、
仏像マニアにとっては外せないお寺なんです。

浄楽寺阿弥陀三尊像
https://www.pinterest.ca/pin/388998486553264681/

仏像に興味のない方でも聞いたことはあるでしょう、運慶。

仏像を彫る職人を“仏師”と呼びますが、
平安中期くらいまで、仏師はあくまで製作スタッフ的な存在であり、
仏師の名前が知られることは多くありませんでした。
ところが平安末期、国風文化の少し後になってくると、
そんな仏師の世界に大革命を起こす、定朝(じょうちょう)という人物が登場します。
定朝は、それまで1本の木から掘り出すのが主流だった仏像製作に、
寄木造というコスパの良い手法を導入しました。
また、作風は、彫りが浅く穏やかな表情が特徴で、
それが平安貴族に喜ばれ、定朝の仏像が大ブームになります。
こうして定朝は「仏師と言えば定朝!」という名声を得て、
仏師の地位を飛躍的に高めます。

定朝が確立した仏師フィーバーは弟子たちによって受け継がれましたが、
弟子たちはいくつかの流派を作ります。
そのひとつが「慶派」で、運慶も慶派に所属する仏師の一人でした。
まぁ、慶派は、グループとしての経営は下手だったようで、
運慶も、その同僚・快慶も仕事のない毎日を送っていたようですが、
幸運にもというと不謹慎かもしれませんが、
平重衡が1180年に南都焼討事件をやらかして東大寺が全焼したため、
急遽、東大寺復興という大型プロジェクトが立ち上がり、
ヒマだった運慶は、快慶とともにプロジェクトリーダーに抜擢され、
突如として活躍の場を与えられることになりました。
東大寺南大門の金剛力士像が有名ですよね。

ところで、運慶作とか快慶作と伝わる仏像ですが、
別に、運慶とか快慶が、一人でコツコツ彫っているわけではありません。
いや、実は私も小学生のころまでは、一人で作っていると思っていて、
「運慶、スゲー!」とか、「さすが快慶だぜ!」とか、思ってたのですが、
実際は、今でいえば、複数の職人が所属する〇〇工務店みたいなところが制作し、
その職人たちを束ねる棟梁の名前が運慶や快慶だったりするわけです。
そのことを知った時は、いくらか落胆したものですが、
とはいえ、それまでは、制作者の名前など残っていないか、
残っていても、「伝弘法大師」とか、「伝行基」のような、
“そんなわけないじゃん”的な銘だったところを、
定朝以降、運慶・快慶といった仏師が銘を残せるようになったという意味で、
彼らの存在はエポックなことだったと思います。

運慶と快慶は、同じ流派に属していましたがその作風はむしろ正反対で、
運慶は力強い作風、快慶は優美で繊細な作風が特徴でした。
当時、人気だったのは、たぶん運慶でしょう。
鎌倉時代は本格的に武士が台頭してきた時代ですから、
武士達は、その前の時代の、定朝作の柔和な表情の仏像よりも、
運慶のような力強い作品を好んだのだと思います。
ただ、武士のための仏像が多かったということは、
その家が滅んだり弱体化してしまうと、仏像も破却されてしまう運命にあり、
そのせいで、特定の客層にこだわらず活動した快慶よりも、
残っている作例が少ないのかもしれません。

運慶と快慶のことは、私自身はそこまで強い関心を持ってはいませんが、
知識として、知っていると寺院めぐりが数倍面白くなるのは確実なので、
ちょっと覚えておかれるとよいと思います。

最後に、オススメをご紹介しておきますね。

 運慶作; 浄楽寺(神奈川)-阿弥陀三尊立像・不動明王立像・毘沙門天立像、円成寺(奈良)-大日如来座像、願成就院(静岡)-阿弥陀如来坐像・不動明王立像・毘沙門天立像、興福寺(奈良)-無著菩薩・世親菩薩立像

 快慶作; 浄土寺(兵庫)-阿弥陀三尊立像、東大寺(奈良)-僧形八幡神坐像、安倍文殊院(奈良)-文殊五尊像、醍醐寺三宝院(京都)-弥勒菩薩坐像・不動明王坐像

 運慶&快慶作; 東大寺(奈良)-金剛力士立像

 ちなみに、定朝作; 平等院(京都)-阿弥陀如来坐像(確実なのはこれだけ)

それと、興奮していつもより長めに書いちゃってますが、
“おかめ”発祥で有名な千本釈迦堂(大法恩寺;京都)というお寺の話を付け加えます。
このお寺の本尊は釈迦如来坐像で、快慶の一番弟子・行快の作。
また、それを囲むのは十大弟子と言って、
釈迦如来の十人のお弟子さんの像で、快慶最晩年の作。
それから、私がこの寺で最高だと思っているのが、
運慶晩年の弟子・肥後定慶の、重文唯一の六観音立像。
千本釈迦堂って、庶民的な大根炊きの寺として見くびられていますが、
実は、これだけ揃っているのはすごいことですよ。
これらが一堂に会する、
つまり千本釈迦堂がまるごと引っ越してくるような特別展が、
今日から東博で開催されるそうで、これはもう、行かざるを得ないでしょう。

京都大法恩寺 快慶・定慶のみほとけ

特別展も含めて、
一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


[SE;KICHI]

魅惑の・・・(8)

6年前、観世音菩薩について書いた記事で、
如意輪観音について、ほんの数行だけ触れましたね。

観音の中では、「1000の手で一人残らず救済するぜ!」の千手観音や、
「11の顔で漏らさず見守るから!」の十一面観音などがビッグネームであり、
如意輪観音というのは、いまいちメジャーな感じがしないのですが、
なかなかどうして、私は如意輪観音、好きです。

如意輪観音は、膝を立てて、なにやらアンニュイに頬杖をつくという独特な姿で、
その妖艶さというか、エロさが仏像マニアの心をつかんでいます。

如意輪観音
https://blogs.yahoo.co.jp/bashar8698/37730067.html

エロくない?

そもそも、仏像というのは、でっぷりとした半裸でチリチリパーマの人物が、
無表情にどっしりと座っているものと思っている人も多いのですが、
この如意輪観音からは、風呂上りに半裸で座っている熟女のような色香を感じます。
かたせ梨乃とか、どうでしょうか。

エロさの秘訣は手の感じでしょうか。

如意輪観音には腕が6本あります。
右手側、上から一番目の手は指先を頬に当てています。
これはどうやって衆生を救おうか考えているところです。
2番目の手は、如意宝珠という珠を掌に乗せて胸の中央に置いています。
この宝珠は特殊な珠で、思うがままに財宝を取り出せると言われています。
如意輪観音の「如意」は、ここからきています。
3番目の手は、下方に伸ばして数珠を持っています。
私は、頬に当てた手よりも、数珠を持つ手指の感じなどに、
そこはかとない色香を感じるのです。

左、一番上の手は指を伸ばし、その指先に法輪を乗せています。
この輪宝を回すと全ての煩悩を打ち砕くことができるのだそうです。
如意輪観音の「輪」はここからきています。
2番目の手は、蓮華を持っています。
3番目の手は、腕を下に伸ばして身体を支えるみたいな形になっています。
これは、触地印といって、地を鎮めるようなことを意味します。
私は、この床に触れている手の感じにも気怠い感じを受けます。

ところで、ちょっと感性的な話をしますが、
指先を頬に当てるスタイルについて、
さきほど、どうやって衆生を救おうか考えているところなのだと書きましたが、
私は子供のころ、そこにちょっとした違和感を感じたのです。
だって、どうやったら人々を苦しみから救えるか、
観音様は仏様なのに、頬に指を当てて考えないと分からないんだ、変なの、と、
幼少の私は、なんだか滑稽に感じたわけです。

もともと、菩薩という階級は修行中の身なので、
衆生救済について考えを巡らせる場面はあって当然ではあるのですが、
儀軌といいますが、最初に造形のルールを考えた人は、
仏とて、人と同じように、
悩み苦しんだりしているのだということを表現したかったのでしょうか。

結果、如意輪観音にはどことなく親近感があり、
人を惹きつける妖艶な魅力を漂わせている感じがするのです。

ところで、私は、如意輪観音というのはお堂に祀られているもので、
路傍の石仏が如意輪観音なんてこと、ないと思っていたのですが、
先日、富山市の大山地区というところで、
地蔵菩薩だと思って近づいた石仏が如意輪観音でびっくり仰天しました。
ただ、私が仏像好きということを知らない知人は、
地味にびっくりしている私の隣で、
「あら、珍しい姿のお地蔵さんね」くらいに思ったようです。
・・・・・・いや、それ、如意輪ですから。

道端の如意輪観音

最後に、オススメをご紹介しておきますね。

観心寺(大阪)室生寺(奈良)神呪寺(兵庫)醍醐寺(京都)正法寺(岩手)

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


[SE;KICHI]

魅惑の・・・(7)

信仰というものは、何かを信じ、その教えを腑に落とし、
それを自分自身の価値観の基軸として日常生活を営むことですよね。
つまり、ただ漠然と「いいね」と思うとか、親和性を感じている程度では、
信仰とか、信じているとは言えないのだと思います。

さて、ここ北陸の地では特に盛んなのですが、
阿弥陀信仰って、何なのでしょうか。
前述の通り、信仰というからには、
ただ好きとか、そういうことではなく、その教えを腑に落として、
それを自分自身の生き方のベースに据える必要があります。

どうして私が阿弥陀信仰に疑問を持っているかというと、
阿弥陀如来のご利益というのが、
死んだ後、いいところに連れて行ってあげようというものだから。
要は、受験合格とか、病気平癒とか、家内安全とか、そういうのではなく、
死後の安寧を担当しているのが阿弥陀如来なのです。
だとすれば、現在ただいま、欲深い人生を歩んでいる私たちにとって、
死後担当の阿弥陀如来は、それほど縁深い存在ではないと思うのですが、
よくもこれほどまでに広まったものだと感心します。

よく「お迎えが来る」などと言いますが、
生前に阿弥陀如来を信仰していれば、死後、
「いいところに連れて行ってあげよう」というご利益により、
死後担当の阿弥陀如来がわざわざ迎えに来てくれて、
極楽に連れて行ってくれるのだそうです。

迎えといえばリムジンを連想しますが、
阿弥陀如来は、リムジンではなく、雲に乗って迎えに来ます。
そして、阿弥陀如来はひとりで来るわけではなく、
弟子の観音菩薩と勢至菩薩を従えてという、水戸黄門編成で迎えに来ます。
この様子を表しているのが阿弥陀三尊と言われる仏像です。

三千院阿弥陀三尊像 http://blog2.hix05.com/2014/08/

この写真は有名な京都・大原、三千院の阿弥陀三尊です。
死ぬと、この3人が雲に乗り、迎えに来てくれるというのです。
私のイメージでは、効果音はワンダバダバダバダバです。
もしかして、ちょっと不謹慎でしょうか。

ちなみに、向かって右の、水戸黄門で言うと格さんの位置にいるのが観音菩薩です。
ドロンボー一味で言うとボヤッキーの場所ですね。
観音菩薩については、ちょうど5年前の『魅惑の・・・(1)』で紹介したとおり、
ソロ活動で大活躍ですが、ここでは阿弥陀如来の忠実なしもべとなっています。
その観音菩薩、上の写真で鉢のようなものを持っているの、分かりますでしょうか。
これは蓮台と言って、蓮の花なのですが、
ここに死者を載せて、極楽へと連れていくということになっています。

つまり、人間は、この観音菩薩が持っている台に載せられる大きさということで、
これは、実は凄いスケール感です。
そのデカさで迎えに来るというのですから、
そりゃ、効果音はワンダバダバダバダバでしょう。
生きているうちは、特に何もしてくれないけれど、
その威圧感で「死んだ後、いいところに連れて行ってやろうか」と聞かれたら、
「ははぁぁぁぁー、恐れ入ります」って、なりますよね。

ところで、『観無量寿経』に説かれている“九品往生”によれば、
生前の行いによって、お迎えには9つのランクがあるとされています。
たとえば、最高位の“上品上生”では、
三尊どころか25菩薩を従えた阿弥陀オールスターズでお迎えに来てくれるそうですが、
最下位の“下品下生”にもなると誰も、阿弥陀如来すら迎えに来ず、
弟子の観音菩薩が持っているはずの蓮台だけがポツンと配車されて来て、
死者自らが「どっこいしょ」と乗らなければならないのだそうです。

最後に、オススメをご紹介しておきますね。

 弥陀三尊;浄土寺(兵庫)仁和寺(京都)三千院(京都)

これらとは別に、お迎えの9つのランクに応じた9種類の阿弥陀如来を、
なんと9体並べて祀っているお寺があります。

 阿弥陀如来坐像9躯;浄瑠璃寺(奈良)

そうそう、東京の世田谷に「九品仏駅」というのがありますが、
それも近くに阿弥陀如来坐像9体を祀っている浄真寺にちなんでいます。
最後に独尊としての阿弥陀如来像の優品をご紹介します。

 阿弥陀如来;平等院(京都)法界寺(京都)広隆寺(京都)

一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


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kkseishin

Author:kkseishin
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