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岬めぐり

白尾燈台

いや、これはまた、いい写真ですねぇ。

そこそこ前の話になりますが、
仕事のPRの一環ということでラジオ番組に出演する機会があり、
石川県の「FMかほく」というラジオ局に向かいました。
そんな頻繁に訪れる場所ではないため、土地勘があまりなく、
余裕を持って出たところ、生放送開始の1時間も前に到着してしまい、
することもなかったため、近くを散策していたところ、
出くわしたのがコレでした。

白尾燈台、というのだそうです。

ただし、この白尾燈台は2018年に灯台としての役目は終えており、
いまは、ただの、背の高い建造物となっています。

豊漁を司る恵比寿神社と、船を導く近代設備としての灯台の隣接は、
古代と現代の融合のようで、斬新な気もします。

ところで、灯台といえば、なんとなく、『岬めぐり』という歌なんかを思い出すものですが、
この灯台の珍しいのは、
岬の先などでない直線的な海岸線にあることです。
まぁ、実は『岬めぐり』の歌詞には灯台なんて出てこないので、
勝手なイメージで話しているだけなのですが。

そういえば、吉田拓郎が小柳ルミ子に提供した、
『赤い灯台』という曲がありましたね。
〽︎カモメ群がる 防波堤の先には…というあの曲ですが、
その曲のせいで、私は灯台とは赤いものだと思いこんでおり、
この白尾燈台の白さと、腰から下の爽やかなブルーには驚いたものです。
もしも、この白尾燈台が赤かったなら、
隣の神社とのコントラストが下品なものになっていたことでしょう。

白尾燈台 銘板

調べて分かったのですが、灯台には固有の銘板があり、
ビルの定礎のように、「初点」とか「改築」とかを刻みつけてあります。
それによれば、白尾燈台の初点は大正3年だそうで、
それは1914年、第一次世界大戦が勃発した年です。
もちろん、途中、昭和42年に改築はされてはいるものの、
基本的に、ずっとここに立って海を照らしていたのかと思うと、
すごく感慨深い気分になります。

さて。
前述の通り、この白尾燈台は2018年に灯台としての104年の働きは終えており、
光を発さなくなった現在は、単なる「ウドの大木」となっています。
急いで解体するようなものでもないですが、
建築物ですから、永遠にここに立っていることも難しく、
きっといつか、膝を屈する日も来ることでしょう。
第一次世界大戦からコロナパンデミックまで、
100年以上を見続けた燈台にとって、
日本はどのような国だったでしょうか。

自身が朽ちていくなかで、燈台は何を思うのでしょうか。

[SE;KICHI]
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トワイライトエクスプレスの思い出 ~再訪・糸魚川

人口4万人の新潟県糸魚川市。
新幹線駅はあるとはいえ、速達型列車の停まらないタイプの小型駅です。
それにもかかわらず、その糸魚川駅の待合室が、鉄道博物館のようで、
初見で驚くのは、以前紹介したとおり
です。
その糸魚川駅に先日、再び訪れる機会がありました。

なにしろ、初見ならたいていの方は驚くところでしょうが、
すでに知っている私にとっては、楽しみに訪れたい待合室です。
今回は、そこまで多くの時間はなかったので、
「まずは HOゲージ眺めて、それから Nゲージ見て……
いや、キハ52の車内でゆっくりもしたいしな……」なんて、
それなりに構想を練りながら、ワクワクしながら待合室に向かったのでした。

この待合室は新幹線高架下にあります。
エスカレーターで高架下に降りた私は驚愕しました。

なんと、入口に展示してあるキハ52の隣に、
トワイライトエクスプレスがいたのです。

再現車両 前面再現車両 側面
ホーム再現ダイナープレヤデス

みなさん、トワイライトエクスプレスを覚えておられるでしょうか。
かつて運行されていた寝台特急で、
1989年の運行開始から2015年に引退するまでの25年間ほど、
大阪と札幌の間、約1500kmを約22時間で結んでいました。
いまでこそ豪華なクルーズトレインが乱立状態になっていますが、
なにしろ、当時は北海道新幹線もなかったので、
このトワイライトエクスプレスが北海道へ行く交通手段として重宝されていて、
22時間もかかるのに、必ずしも観光に特化した特急ではなく、
意外とビジネスユースでも使われていました。

確か、1990年頃だったと思いますが、
私は、当時の『鉄道ピクトリアル』か何かの雑誌でその車両の豪華さを知り、
どうしてもその車両に乗ってみたくなったのです。
もう時効であろうと思って白状しますが、乗りたさに一計を案じた私、
途中の停車駅で車中に乗り込み、内部を堪能してすぐに降りることを画策しました。
調べたところ、だいたいどこの駅も停車時間は1分程度の短さなのに対して、
金沢駅だけはどういうわけか5分の停車時間が設定されていることが分かり、
その作戦は金沢駅を舞台に遂行されることとなりました。
15時過ぎ、金沢駅で入場券を買って改札を通り、ホームで待機します。
目指すは3号車と4号車の間の乗降口。
入場券で車内に立ち入るのは違反なので、駅員さんに怪しまれないよう、
入線した深緑の車両に、素知らぬ顔をして乗り込みます。
わざわざ3号車と4号車の間の乗降口から乗ったのは、
3号車が「ダイナープレアデス」という食堂車、
4号車が「サロンデュノール」というサロンカーだったため。
それ以外の号車は“他人の寝室”で、勝手に見るわけにはいきませんので、
私は、わざわざ3号車と4号車の間の乗降口から乗って、
食堂車とサロンカーの写真だけを撮影して、
列車が発車する前、5分以内に降車したのでした。

しかし、まぁ、人間とは欲深いものでございます。
5分ではなく、もっと長いこと乗りたいと思うのは自然のことで、
次に私が画策したのは、その金沢駅からどこかまで乗車してしまう作戦。
もちろん、さきほどの、入場券で列車に乗り込んでしまうのも禁止行為ですが、
入場券で列車に乗車して移動するなんて、要するに無賃乗車ということですから、
これは微罪では済まされない違法行為です。
しかし、乗りたい乗りたいの気持ちが昂ってしまっていた私、
立てた計画は14時40分金沢発の下り列車にもぐりこみ、
次の高岡か富山まで乗ってしまおうという計画でした。
14時40分金沢発の下り列車が次の高岡に着くのは16時15分、
富山着はその15分後の16時30分。
十津川警部も驚くほど緻密に計画を立てたわけです。
まぁ、それって犯罪の計画なんですけどね。

結果から言うと、金沢駅にまでは行ったものの、
それは度胸がなくて実行できませんでした。
いや、犯罪を思いとどまるのが度胸なのかどうかは知りませんが。
というのも、14時40分金沢発の下り列車が次の高岡に着くのは16時15分で、
少なくとも 30分くらいは列車内にいなくてはいけません。
無賃乗車の私に立ち入れる個室などありませんので、
私がいられる場所は4号車のサロンカー「サロンデュノール」のみ。
そこにいて車掌さんに話しかけられた日には、万事休すです。

というわけで、犯罪を未然に思いとどまった私。
トワイライトエクスプレスの淡い……とも言えない思い出です。
私が正規の運賃を払ってトワイライトエクスプレスに乗れたのは、
それから10年以上が経った 2002年頃のことだったと思います。

そもそもね、私は好きだったんですよ、寝台特急が。
社会人になって東京出張などが発生した場合、
当時は富山から特急で出発し、途中で新幹線に乗り換えて向かうのが主流でしたが、
わざわざ寝台特急『北陸』をチョイスして、2段ベッドで寝ながら行ったものです。
私にとって、横になれるというのが、新幹線にはない寝台特急の魅力です。
ただ、寝台特急は乗車区間の乗車券と特急券に加え、寝台券が必要となるので、
実質的には新幹線より高い費用が掛かってしまいます。
まぁ、遅いのに高いというのが寝台特急なのですが、
トワイライトエクスプレスについて言えば、
大阪~札幌間でスイートが4万5000円ほどで、さすがにそんなには払えないとしても、
当時、一番安いBコンパート(二段ベッド)でも2万5000円くらいはしましたので、
そりゃ無賃乗車したくなる気持ちも分からんではないでしょう。(しませんでしたけどね。)
いや、冷静に考えたら、競合する飛行機もそれくらいはするので、
必ずしも高かったわけでもないでしょうが。

ところで、糸魚川駅の話に戻りますが、
糸魚川駅は、トワイライトエクスプレスの上り下りとも、停車駅ではなかったはずです。
つまり、糸魚川駅に飾ってあるこの車両は、
廃止前に糸魚川駅に停車したことはないはずなのです。
……え、なんでよ?
たぶん、糸魚川駅側が動態保存を誘致したんでしょうけど、
どうして停まったこともない車両を誘致したのでしょうか。

その理由は当時の新聞記事を検索して分かりました。
この車両は『トワイライトエクスプレス再現車両』というもので、
当時の本物の車両の動態保存ではなく、つまり、レプリカ。
よく見れば車体側面の方向幕が「糸魚川」になってますよね。
JR西日本から譲り受けた実際の客車備品の一部を活用し、
内装などは本物のデザイナーに設計してもらったうえ、
ボディは、糸魚川市産スギ材を使用して地元の大工・職人が製作したのだそうです。
……え、なに、その本気度。ますますなんでよ?

実は、この再現車両、
糸魚川駅にトワイライトエクスプレスは停まらないけど、
ちょうど夕日の沈む日本海を一望できる時間帯に糸魚川市内を走行する寝台特急は、
市民にとって憧れの列車だったとのことで、
2016年に大規模火災があった糸魚川を元気にしようと作られたものだそうです。

思いがけない場所で、思いがけないものに出会い、
その、込められた思いに感動した私でした。

[SE;KICHI]

どぼどぼどぼ。

K.K さんは銭湯がお好きなようなので、
お風呂の話は彼のお株を奪うことになるかもしれませんが、
私も時折、ちょっと変わった温泉に出かけます。

それは庄川湯谷温泉

まず、駐車場に車を停め、
少し先の郵便ポストの脇に下り坂を見つけたら、そこを下っていきます。
3分も下ると眼下に民家のような建物が見えてくるわけですが、
まぁ、民家です。
看板もなにもないので、
ここが入浴できる温泉施設であることは、
まさに知っている人にしか分らぬことでしょう。

庄川湯谷温泉-入口の下り坂庄川湯谷温泉-全景

正面まで来ても、民家は民家なんですが、
それにしても誰もいません。
というか、誰かがいる気配がしません。
が、玄関はフルオープンで、『営業中』の札が出ています。
そこで、勇気を出して敷居をまたいでみますと、
そこには、入浴料の自動支払いシステムが稼働中です。

庄川湯谷温泉-玄関庄川湯谷温泉-番台?

大人は500円だそうです。
いつ訪れても500円玉が2枚置いてあるので、お釣り用に用意されているのでしょう。
3枚目の500円玉は私が払ったものです。
支払いを済ませて顔を上げると、
順路を示す掲示があったので、それに従って廊下を進みます。

庄川湯谷温泉-浴室へのアプローチ①庄川湯谷温泉-浴室へのアプローチ②

が、この廊下、長くて暗くて、なんというか、背後が気になる感じです。
実はこの民家風の建物は、元は湯治場だったようで、
長くて暗い廊下には「ろ-7」とか部屋番号が書かれた扉がずらりと並び、
ここから急に誰かが出てきたら気を失うかもしれないななどと、
しょうもない想像をしながら、知らず知らずのうちに小走りで廊下を抜けます。

庄川湯谷温泉-浴室へのアプローチ③庄川湯谷温泉-浴室へのアプローチ④

長い廊下の先に裏口のようなところがあり、
そこから外に出ると、階段になっています。
なかなか急な階段ですが、そこをまた、降りていきます。
写真の右に見えるのはダム湖です。
台風か何かの影響で壊れてしまったのでしょう、
階段は途中からブルーシートになっていますが、
応急処置というわけではないのでしょう、私の記憶では、もう5年くらいはこの感じです。

階段の突き当りを直角に曲がると、
突然、道は二股に分かれ、男女別の脱衣所になっています。

庄川湯谷温泉-浴室へのアプローチ⑤庄川湯谷温泉-脱衣所

この写真は女湯の脱衣所を二股のところから撮ったものです。
脱衣の際には自分でアコーディオンカーテンを閉める仕組みです。

見えにくいですが、作り付けの棚の向かいに勝手口の扉みたいなのがあり、
その先が浴室になっていますが、その勝手口の扉の先は、またしても階段になっており、
浴室に降りていくスタイルです。

脱衣所から浴室に降りていくスタイルというのは、
そう珍しいものでもないのですが、
驚くのは、4段ほど降りると、途中で階段が冠水している点です。

庄川湯谷温泉-浴室足元庄川湯谷温泉-浴室

伝わりますかね?
要するに、温泉の水位が浴槽よりも上になっていて、階段のところまでヒタヒタ来ている感じ。
浴槽から湯があふれて浴室を水没させてしまったというイメージです。
したがって、身体を洗う場所なんてないし、それどころか、かけ湯もできない状態。
だって、浴室へのアプローチまでお湯が押し寄せてきてますから。

これが庄川湯谷温泉の最大の特徴で、
“水没している温泉”などといって、その筋では有名です。

湯舟はコンクリート製の素朴な作りで、
タイルなどを貼ってはいないため、ザラザラとしていて尻や背中が痛くなります。
つまり、お世辞にも快適な座り心地ではないのですが、
少しタマゴ臭を感じる湯は39.5℃と、ややぬるめで長湯ができる感じ。

それと、もう一つ、この温泉を有名にしているのが、
もともとの浴槽の中央くらいに設置されている、湯の吐出口。
形状はまるで男根ですが、
その先端から温泉がどぼどぼどぼと注がれています。

庄川湯谷温泉-吐出口庄川湯谷温泉-吐出口拡大

それだけだと、「形状が卑猥な蛇口」くらいの話なのですが、
当然、この、男根蛇口、反対側の浴室にも設置されていて、
しかも、その根っこの部分がつながっており、
男女を隔てる壁の真ん中を支柱にしたシーソーのような構造になっているのです。

伝わりますかね? Part 2
要するに、両手の先が男根になったヤジロベエみたいな構造で、
こっちを上げるとあっちが下がる、こっちを下げるとあっちが上がる、みたいな感じなのです。
上の写真ではこっちがやや上がっていますから、
あちら側ではやや下がって、水中に噴射するジェットバスみたいになっているはず。

これは、上下可動式筒形湯口といって、
現在も残っているのは非常に珍しいんだそうで、
それはそれで、その筋では有名なんだそうです。

ちなみに、この蛇口をシーソーのようにギッコンバッタンと上下させる構造上、
男女間の壁には可動域を設けなくてはなりません。
そのため、この蛇口の周囲の壁は切り取られ、そこそこの穴が開いており、
互いにあちらを見ることができます。
まぁ、もちろん誰も来ませんが 笑

この温泉、昔は湯治場として、連日満室になるほど賑わったといいますから、
富山の方なら知っていて当然のレベルだと思いますが、
いまとなっては全国的に、世にも珍しい温泉の部類でしょう。

さて、問題は、館外・館内を問わず、駐車場からだいぶ下ってきてしまったことです。
入浴後は、だいぶ上らなくてはなりません。
脱衣所も廊下の突き当りで、座って涼める場所もなく、
使われなくなった湯治場は座敷も開放されていませんので、
湯上りで、まとわりつく衣類に辟易としながら、せっせと上らなくてはなりません。
駐車場に戻るころには、到着時よりも汗まみれになっているという、
なかなか、本末転倒の名湯です。

[AKA]

突然の観光スポット

コロナで日本中が自粛だった春先、
テレビ番組も新しい番組収録ができないとのことで、
過去の放送分を再放送するようなことをしていたようですね。
特に、かつて放送されて名作と言われたドラマが再放送され、
改めて人気を博したなんていうことがあったようです。

この時期、バラエティ番組もしかりで、
ナニコレ珍百景』とか『月曜から夜ふかし』のような番組も、
「傑作選」などと銘打って過去の放送分を再放送していたようです。
その再放送で話題を集めたのが、
われらが富山県高岡市にある『温泉天国よつやの湯』だそうです。

『温泉天国よつやのゆ』

ここは、まぁ、単なる銭湯です。
いや、銭湯というのは各都道府県の公衆浴場組合に加盟している施設のことなので、
加盟していないこの施設は、厳密には銭湯とも言えないのですが、
いまのようにスーパー銭湯が百花繚乱となる以前からある施設で、
入浴料も銭湯よりは高く、スーパー銭湯よりは安い 550円。
とはいえ、
私がちょくちょく足を運んでいた20年ほど前よりは値上げされている印象です。

『温泉天国よつやのゆ』の裏

ここがどうしてテレビ番組に紹介されるかというと、
風呂屋なのに、ウォータースライダーがあるから。
男湯だけなんですが。
建物の外観、側面にはそれっぽいチューブ状のものが設置されています。

私はそうしたテレビ番組のことは知らなかったのですが、
子どもたちがその番組を観ていて「行きたい、行きたい」の大合唱で、
私としては20年ぶりくらいに、仕方なく行ってきたというわけです。

店先にも、取材を受けたことが誇らしく掲示されています。

「取材されました!」

北海道テレビ? よくこんなところまで来ましたね。
しばらく行かないうちに、
有名になったものです。


券売機でチケットを買い、それをフロントに出して脱衣場に通ります。
脱衣場には、100円のコインロッカーが並んでいます。
100円は開錠時にリターンされる方式のようですが、
壊れてしまって、100円投入口がガムテープでふさがれているロッカーもあり。
ソファーや床が、ところどころ、ガムテープで補修されているのもご愛敬で、
一事が万事、この調子です。

当然、かなり年季の入った浴室。
浴槽のお湯は柔らかく、ぬるめで長く入りやすい感じです。
奥のほうには、スーパー銭湯で見かけるバブルの出るような浴槽もありますが、
変わっているのが『背中洗い』。
浴槽の中にナイロン製と思われるブラシが回転しており、
これに背中を押し当てることで背中を洗ってくれるという、
なかなか他では見かけないコンテンツ。
20年前と変わらないB級感に、思わず1人で笑ってしまいました。

背中洗いの脇の階段を上がるとサウナと水風呂。
水風呂はサウナの真横にあって、さらにその隣に、噂のウォータースライダー入口。
このウォータースライダー、180°ほど曲がっているので、
出発箇所から着水箇所の様子は見えないのです。
私の記憶では、滑り降りた先で誰かにぶつからないよう、
昔はモニタがあったような気がしたのですが、気のせいでしょうか。

とりあえず滑ってみましょう。
予想に反して、めっちゃスピードが出ます。
めっちゃです。

自分以外に滑っている大人は全然いませんので、
正直、羞恥心を捨てて童心に帰るというプロセスは要りますが、
やってみるとかなり楽しい。
ただし、着水点のプールが浅いので、
放り出される時に身体を強打しないよう、大人はちょっとだけ注意が要ります。
さっきの『背中洗い』の風呂のほうが深いくらいです。

ところで、風呂屋ですから、内部を撮影するわけにはいきません。
ので、『月曜から夜ふかし』の放送画面をキャプチャーしておきます。
少しでも雰囲気は伝わるでしょうか。

ウォータースライダー① From『月曜から夜ふかし』ウォータースライダー② From『月曜から夜ふかし』
https://trend-at-tv.com/word/16788

何がいいって、
銭湯に入るくらいの料金で、ウォータースライダーを楽しめることですかね。
何度か行きましたが、毎回、子どもがそこそこの人数いて、
まるで“ちびくろサンボ”のように、
階段を駆け上がっては滑り降り、ということを無限ループで繰り返していました。

ウチの長男は、ちょっと体質が特異というか、少し配慮が必要な子で、
2週間に一度は大きな病院に通院して、毎日10錠ほどの薬を飲まなくてはなりません。
当然、プールなどのアクティビティにも制限が課せられているのですが、
ここなら、公共のプールではないし、所詮は銭湯の滑り台、
詭弁ではあるのですが、ここなら問題ないだろうと連れて行ったところ、
普段いろいろ制限されている分、大興奮の長男でした。
いや、実際は「所詮は銭湯の滑り台」などという、
そんな生半可なレベルのものではないのですが。

しばらく行かないうちに、
有名になったものです。

原田泰造さんも、『ナニコレ珍百景』でここのことを知り、
自家用車を飛ばして夜中に入りに来たとのこと。
昔からある施設が突然観光地化されたようで、びっくりです。

うたせゆもロウリュの装置も壊れているくらいの古い施設で、
この先、老朽化だけが心配ですが、
せっかく珍百景に登録されたわけですし、
みなさんも、いまのうちにちょっとお試しください。

[AKA]

竹藪の奥

“切通し”といえば鎌倉ですかね。
私は、幕府がここに開府されたのも偶然ではなく、
この切通しによって、鎌倉が「天然の要塞」になりえたからだと思っています。

しかし、この切通し、よくよく見てみると、ただ岩山を切り開いた道ですよね。
現在までそれなりに往時のまま遺っているので、
鎌倉市は古道として観光資源に活用していますが、
考えてみたら、もともとは単なる岩山を切り開いた道なので、
特に鎌倉に特有のものではなく、全国各地にあったものだと思うのです。
ただ、鎌倉開府から1,200年が経とうとする今、
亀ヶ谷坂のように舗装されてしまっている切通しもありますし、
巨福呂坂に至ってはクルマがバンバン走る幹線道路になっていたりします。
時代とともに車道になってしまうことは致し方のないことかもしれません。

こういう切り通しは、別に鎌倉でなくても、私が住む富山にもあります。
『峠茶屋』と呼ばれている場所で、
その地名だけで富山県民には「あぁ、あそこね」と分かると思います。
ここは、寛永10年に、北陸街道の峠沿いに家の建築が許され、広がった地域で、
富山平野を南北に貫く呉羽丘陵を越える峠になっていました。
まぁ、そこをえぐって国道(現県道)を通したのが、
いまある、この切り通しというわけです。

呉羽丘陵の切り通し

江戸初期の当時は、
「アメヤ」とか「マンジュヤ」とかいう屋号を持った茶屋が並んで、
街道を行き交う人で賑わっていたといいます。
現在は、切り通しにありがちな隘路になっていて渋滞だらけの場所ですが。

明治11年、明治天皇が北陸巡幸された際には、
当然、現在の車道はないわけで、
それなりに険しい峠道を、輿に乗って越えられたとのこと。
その際の御休所の跡地には、現在も文部科学省による顕彰碑が立っています。

明治天皇中茶屋御小休所 峠茶屋の馬頭観音碑

そもそも、皇太子時代の大正天皇も呉羽山に登っていらっしゃいますから、
存外、やんごとなき方々が多く訪れる山なのですね。

ところで、いま、県道によって切り通しになってしまったところから、
上に上がる階段のようなものがあります。
こういうところには何かあるものです。

行ってみると、急坂を少し上がったところで、
平坦な竹林の中の小道が現れます。
(当社の okei さんがどんな花か知らぬという曼殊沙華も咲き誇っています。)

竹の小径 曼殊沙華

これ、嵐山の竹林の小径みたいですが、
北陸の田舎の山の中です。
しばらく行くと、脇にそれる階段があり、その奥に社のようなものが見えてきました。

七面堂アプローチ七面堂

ここは、日蓮宗の総本山である身延山(みのぶさん)の七面大明神と、
同形の像を祀ったといわれる、七面堂(しちめんどう)です。
七面大明神とは、末法の時代に、法華経を修め広める者を末代まで守護し、
その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えるとされる仏様で、
山梨の七面山なんかは、この七面大明神の信仰の山です。

当時、この近くには、
日蓮宗に帰依した富山藩主 前田正甫により建立された武運山長久院というお寺があり、
多くの参詣客で賑わっていたようですが、
明治初期、仏像マニアが怒り心頭の廃仏毀釈(仏教廃止運動)が起こり、
この長久院は破却されてしまいました。

数年後に再建されたわけですが、
当時(というか今も)、神社とお寺は一括して信仰するのが普通で、
お寺の境内に稲荷社があったり、神社のなかに観音様がいたりするものですが、
廃仏毀釈では仏教のみが毀釈対象なので、
この武運山長久院の場合、まず再建が許されたのは稲荷社でした。
七面堂のもっと奥、竹やぶも途切れた草いきれの中、
顔に降りかかる蜘蛛の巣を何度も振り払いながら進むとこの稲荷社があります。
稲荷ですから、祭神は当然、倉稲魂命、
つまり、『日本書紀』などに記載される宇迦之御魂神ですが、
こちらの稲荷社は、七面大明神も併せて祀られているそうで、
極めて特徴的な神社です。

稲荷社の鳥居脇茶屋町稲荷社

ちなみに、このように渋いビジュアルのお堂ですが、
七面大明神というのは妙齢の美しい女神ということになっています。
神仏を擬人化するクセのある私、
こんな山中に妙齢の美人がじっとしてるなんて……と、
泉鏡花の『高野聖』みたいな、
なんとも不思議な感覚に囚われるのでした。

みなさんの街にも、こういう地味な史跡があると思います。
訪ねてみるのもよいと思いますよ。

[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
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■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
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