FC2ブログ

小粋な調べ

存在を知ってから興味を持つまでに、私は30年もかかってしまいましたが、
御詠歌というものがございます。

かつて、西国三十三所霊場について書いたことがあったと思いますが、
これは、平安時代から伝わっている日本最古の巡礼コースで、
現在の2府5県にまたがっている総延長は1000kmにおよびます。
古くから、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、
この世で犯したすべての罪業が消滅すると言われているため、
多くの人がその功徳を願って巡礼をしてきたと伝えられていますが、
現代の私たちからすると、総延長1000kmを歩くなんて、正気の沙汰ではありません。

さて、この巡礼には御詠歌というものがあるのです。
基本的に、“歌詞”の内容は、祀られている観世音菩薩を讃えるものですから、
キリスト教でいうところの賛美歌みたいなものでしょう。
たとえば、教会での葬儀に参列すると歌われる賛美歌320番。
映画『タイタニック』で船が沈む時、最後に楽団が演奏したアレです。


左 アカペラ https://www.youtube.com/watch?v=94XDAo7T1FU
右 映画『タイタニック』 https://www.youtube.com/watch?v=1_3ndgpggoM


タイタニック沈没の際、状況的に、もはや死は避けられぬと見た乗客たちですが、
宗教的な法悦に意識を向けることで、死の恐怖を抑えようとしたのでしょう、
沈没に際し、ヴァイオリンを弾いた者がいたかは分かりませんが、
自然発生的にこの賛美歌320番が歌われたことは史実だそうです。
そういう生死を分ける場面と同列に論じていいのかどうかは不明ですが、
総延長1000kmの西国巡礼も、かつては徒歩で巡っていたわけで、
決死の覚悟で歩き続け、ようやく札所に到着し、
自らが犯したすべての罪業が消滅するようにと薄暗いお堂で一心に祈る時、
おそらく、ある種の宗教的法悦の境地に至る、
そういう効果があったのではないかと感じています。

ところで、面白いのは、この御詠歌、西国巡礼の33寺、すべてで異なる点。
キリスト教でいうと、教会ごとに讃美歌が違う状態です。
寺ごとの“指定曲”って、各駅の発車メロディーみたいなものでしょうか。

曲といっても、平安時代発祥ですからポップなものではなく、
鉦の音に合わせて短歌のようなものにフシをつけて詠う感じです。
たとえば、みなさんよくご存知の、京都・清水寺。
ここは、西国巡礼の第十六番札所なので、御詠歌があります。

https://www.youtube.com/watch?v=PMFTC1LVNSk

どうですか、不思議でしょう。
何キロも歩き続け、ようやく着いたお寺の、薄暗いお堂で一心に祈る巡礼者。
揺れる灯明の中、どこからかこんな曲が聞こえてきたり、または自ら口ずさめば、
宗教的にハイになること請け合いです。

ところで、私は、実は、御詠歌の節回しにはそんなに興味がありません。
私が興味を持っているのは、“歌詞”。
清水寺の場合は、
松風の 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん
・・・・・・どうです、微妙でしょう。
御詠歌は、短歌と同じ基本字数でありながら、
季語を入れたり韻を踏んだりといった芸術性は、ほとんどありません。
というのも、御詠歌は貴族の遊びなどではなく、
巡礼する庶民に仏の功徳を知らしめるために作られたからです。

いくつかご紹介しましょう。

第八番札所・長谷寺。
奈良の奥のほうにある、西国巡礼のほぼ発祥のお寺で、
像高10mもある十一面観音がご本尊です。
御詠歌は、
いくたびも 参る心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」。
何度お参りしても初めて訪れたような気がする長谷寺。
その観音様の慈悲は、谷川のようにとても深いものです・・・という歌で、
要するにご本尊賛歌的な意味合いを持つ御詠歌です。
“はつせ寺”というのは“初瀬寺”と書いて“長谷寺”の古称で、
“初めて”というのと“初瀬寺”というのが掛けてあったり、
“山も誓いも深い”と、大喜利のような表現があったりと、
けっこう遊びも盛り込まれていて、楽しい御詠歌です。

第十番札所・三室戸寺。
宇治にあるこの寺は、『源氏物語』の宇治十帖ゆかりの寺です。
御詠歌は、
夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」。
夜どおし、月を見ようと三室戸に向かって分け入り、
宇治川にさしかかると、その川瀬に白波が立っていました・・・という歌です。
さきほどの長谷寺の御詠歌は仏の慈悲深さを伝える感じでしたが、
ここ三室戸寺の御詠歌は、なんか、静謐な水墨画のような情景が目に浮かびますよね。
また、月を“見ようと”に“三室戸”を掛けてあるところに、文学的なオシャレを感じます。
ちなみに、節回しは風雅で高貴な感じで、他寺にはない雰囲気です。

第十八番札所・六角堂。
本当は、華道家元・池坊が住職を務める頂法寺というお寺なのですが、
本堂が六角形なので、通称・六角堂と呼ばれて親しまれています。
御詠歌は、
わが思ふ 心のうちは 六つの角 ただ円かれと 祈るなりけり
私の心のなかには6つの鋭い欲があるのを感じます。
その角ができるだけ丸いものであってほしいと祈るばかりです・・・というこの歌、
6つの鋭い欲というのは、
仏教で説かれている、六根(眼・鼻・耳・舌・身・意)から生じる欲のことです。
いわゆる「お説教」という感じもあって、
長谷寺の観音賛歌とも、三室戸寺の情景の美しさとも、
だいぶ雰囲気が異なる御詠歌になっていますね。

まぁ、再生する人はいないかもしれませんが、いちおう。


長谷寺 https://www.youtube.com/watch?v=YNXhLNu1HnE
三室戸寺 https://www.youtube.com/watch?v=924jFRk2V6U
六角堂 https://www.youtube.com/watch?v=NWgVTEhAwIQ


御詠歌、個性的で面白くないですか。
かくいう私も、存在を知ってから興味を持つまでに30年もかかりましたので、
ご紹介したところでなかなか関心を持ってもらえるものではないと承知はしていますが、
だまされたと思って聞き比べてみるのも面白いかもしれません。
ただ、最近は札所でも、あんまり御詠歌を歌っている方は見かけません。
せいぜい般若心経とご真言(ご本尊ごとの呪文のようなもの)を唱える程度で、
少し寂しい感じもします。

ちなみに、私の感覚では、
第四番札所・施福寺とか第十一番札所・上醍醐寺とか、
山門から1時間ほど山道を登らねば札所に到着しない寺もあって、
そういうお寺では、着いただけで息が上がっていて、
歌なんか歌えるかっ!という気分にもなりますが、
昔の人は平気だったんでしょうか。

[SE;KICHI]
スポンサーサイト

年末年始休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は年末年始につきまして、勝手ながら2018年12月29日(土)~2019年1月3日(木)を休業とさせていただきます。
新年は2019年1月4日(金)より通常営業させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]

ああっ、またきた……

時期がずれてしまって申し訳ないですが、
ここ数年、毎年6~7月頃になって送られてくるA4サイズ程の茶色い封筒に、
いささか悩まされています。
いえ、正直、苛立ちを覚えています。

分かる方にはわかるであろう、
○○庁とか、△△省とかからくる調査という名目で来る書類です。
調査に協力するのは構わないのです。
(あ、ちょっときれいごとを言いました。
自分には自分の業務があるので、正直、迷惑に感じてないといえばウソになります)

が、何に一番苛立ちを覚えるかといえば、
過去3年の同じ内容のデータを毎年要求されるということです。
(もちろんすべての調査に該当するわけではありません)

あくまでも、私個人の意見として、過去三年分のデータを要求するなら、
調査は3年ごとでいいのではないか、
もしくは毎年1年分のみでいいのではないかと思うのです。

もちろん、調査ですから、
要求通りに回答することで何かの役に立っているのでしょう・・・が、
正直、無知な私にはそれが何に役立っているのかは不明です。

分からないものですから、忙しい業務の合間を縫ってデータを収集し、
提出期限までに提出しなければいけないこと、
しかも立て続けに同じような時期に何通か調査依頼がくることが、
大きな声では言えませんがうんざりしています。

以前にいた会社でも□□省みたいなところから同じように調査依頼がありましたが、
「無作為に選ばれた企業だけに調査依頼を出しています」と記載があったんですが、
毎年立て続けに調査依頼が来ました。
そこでまた、素直でない私は思うのです。

本当に無作為?
真面目に回答したら、回答してくれる企業に出してるんじゃないの? 
ヒマじゃないんですけど。

とその時も苛立っていました。
その時の調査は現場の人にも協力してもらわないといけなかったので、
それこそデータを取るのにとても苦労しました。

本当に無作為でたまたま毎年調査依頼が来ただけなのかもしれませんが、
業務をしている人にとって、
自分の業務以外にしなければいけないことがあるというのは、
少数かもしれませんが、苦痛に思う人もいるということです。
少なくとも、当時の現場の人は明らかに迷惑がっていました。

もしかしたら私が無知なだけで、
これらの調査が、
とても世の中に役立っているのかもしれませんが、
本当に役に立っているのであれば、
出来ればぜひ、無知な私にも分かるように調査結果を伝えたり、
それが何かに繋がっていることを、
明確に示していただけるとありがたいなと思います。


もう一度聞きます。
「本当にこの調査は役に立っているんですか?」

[Okei]

開発の動機

「あゆみ」というピンクの靴があるのをご存知ですか。
徳島の徳武産業という会社が展開している高齢者用ケアシューズです。

以前、十河会長にお聞きしたところ、「あゆみ」は、
施設の床を工夫しても転倒がなくならないという老人施設からの声に応え、
2年もの試行錯誤を経て開発されたものだそうです。
そもそも、開発に着手した1993年当時、
施設内で高齢者が履くシューズなどというジャンルはありませんでしたが、
十河会長は、
ただひたすら、「お年寄りの歩行を助けたい」という一心で、
会社を傾けながらも開発に没頭したとおっしゃっていました。

こうやって書けば、たいしたことでもないように思えるかもしれませんが、
これはかなりエポックなことです。
そもそも、老人施設には、いろいろなタイプの老人がいらっしゃるわけで、
たとえば、何かの後遺症で歩行の左右バランスがイレギュラーな方もいるし、
代謝の関係でむくみやすく、朝晩で足のサイズが違う方もいるしと、
転んでしまう要因は千差万別です。
そういう方々に、まんべんなく貢献したいと思えば、細かいケアが必要になり、
歩行の左右バランスが違う方には左右違うサイズのシューズを売り、
朝晩でサイズが大幅に変わる方にはマジックテープで締めるシューズを売るなど、
徳武産業ではきめの細かい対応をされてきました。

あゆみシューズ
https://www.tokutake.co.jp/beginner/

在庫や手間を考えたら、なかなか踏み切れることではありません。
実際、シューズ業界では異端で、
最初は効率を捨てたバカな経営だと笑われたそうです。
しかし、私は、お客様のために、そこに踏み切った、
十河会長のその心意気に感銘するのです。
それどころか、通常品の「あゆみシューズ」で、
お客様のお悩みや不便を充分に解決することが難しい場合など、
“パーツオーダー”と言って、通常品にパーツを追加して加工し、
お客様の症状になるべく合う商品をオーダーメイドすることも可能だそうです。

「大事にしてもらってね、頑張っておいで」と、
大事な娘をお嫁に出す気持ちで、一足一足を出荷していると言いますから、
いや、凄いですね。

ところで、少し前、富山にも「乃が美」というパン屋ができました。
5年ほど前に大阪府の総本店をオープン以来、
「生でもおいしい食パン」ということで評判を呼んでいるパン屋さんです。

一口食べると、分かる人には分かるマーガリンの味で、
実は、その点では賛否両論あるようで、
知り合いの建築会社社長など、苦手だという意見も多いようなのですが、
そもそも、“高級「生」パン®”という商標で売り出していますので、
自らハードルを上げている感がありますね。

乃が美の創業者・阪上雄司代表は、20年以上、飲食業界に身を置きながら、
大阪プロレスの会長も務めており、老人ホームへの慰問活動を続けていたとのこと。
そこで、「朝食はパンが多いけど、耳は硬くて食べにくい」という入居者の声を聞き、
やはり、何より、『食』が一番の楽しみになっているお年寄りに対し、
ただひたすら、「お年寄りの食を豊かにしたい」という一心で、
柔らかい、とにかく柔らかい食パンを作ろうと思いついたとのこと。

高級「生」食パン
https://townwork.net/detail/clc_3760334001/

もともと、長年の飲食店経営の経験から、
「やわらかくて甘いもの」は流行の定番であると感じていたそうですが、
それにしても、誰かのために作ろうと一念発起した心意気、素敵ですね。
私自身はあんまり得意な味ではないのですが、この話は勉強になりました。
2斤サイズで800円ちょっとする、ちょっと強気の価格設定ですが、
いまでは、「ウチの子、ここの食パンじゃないと食べないの」という、
舌の肥えた子供まで出現しているそうです。

徳武産業と乃が美、共通して感じるのは、
信念は力なりということですね。
たまたま老人ホームだったのは偶然だとしても、
誰かのために作る、どうしても作るという思いで産み出された商品で、
それがヒットするのは当然という気もします。

ちなみに、私の家では朝食の食パンは自家製のことが多いですが、
どこからか買うときは金谷ベーカリーのロイヤルブレッドを買います。

買いに行くにはちょっと遠くて困るのですが、お店は駅前のいいところにあるし、
1斤くらいのサイズで500円ちょっとと乃が美よりも高いですが、
なんといっても、みっちり詰まっていて私好み。
生でも美味しいかどうかは不明です。
私は食パンを生で食べたいとは思っていませんので。

金谷ベーカリー

この金谷ベーカリーだって、
大正14年(1925)年に金谷ホテルに入った川津勝利さんの信念の賜物。
外国人が日本に観光でやってくる時代になることを見越して、
ホテルに宿泊した外国人へ、
たとえば、アメリカ人は、やわらかくてあったかいのが好きとか、
イギリス人はパリッとした耳を好むとか、その国に応じて、好みのパンを出し、
そのことを通じて日本を好きになってもらおうという信念を持っていたそうです。

やっぱり信念は力なり
誰かのために作るという思いで産み出された商品は強いですね。

[SE;KICHI]

キケンなクシャミ②

以前、クシャミをしてギックリ腰になった話をしました。
そしてクシャミにだけは勝てる体にしたいとも言いました。
その時はまさか続編を書く事になるとは思っていませんでした。
しかし、結果から言うとクシャミに負けてしまいました。
完敗です。


普段からクシャミにはずっと気を付けていて、
出る時には何かにしがみついてショックをやわらげるなどの対策を講じていました。
ところが、車に乗って信号待ちをしている時にクシャミが出そうになり、
慌ててハンドルを握る手に力を入れて準備をしたのですが、
クシャミをした途端腰に強烈な痛みが走り、
あぁまたしてもやってしまったなと、
それにしてもいつもより痛みがすごいなと思っていると、
左足が痺れてきました。

これはヤバイとすぐに引き返して家に戻り、病院へ連れて行ってもらいました。
病院に行く最中も左足の前太ももからスネにかけて強い痛みと共に引きつり、
前太ももがピクピク痙攣しているのが見た目でもわかりました。
唸りながら病院に着き、レントゲンを撮って診察を受けると、
多分腰の椎間板が神経に触っているんだろうとのことで、
痛み止めをもらって様子を見ることにしました。

その後2日たっても痛みと痙攣が治まらないので、
前回とは違う大きめの病院に行き、
今度はレントゲンと合わせてMRIも撮りました。
MRIの画像を見ると、椎間板が背骨の間から飛び出して見事に神経を押していて、
明らかに椎間板ヘルニアになっていました。

さてどうするかという話になり、選択を迫られました。
一つ目はこのまま痛み止めを飲んで経過を見る。
二つ目はブロック注射を打ちとりあえず早急に痛みを抑えて経過を見る。
最後の三つ目はあきらめて早目に手術をする。
この三つに対して私と医者の先生と看護師で話し合いが始まりました。

私は時間と共に痛みや痺れが無くなることがあるのか質問しましたが、
無くなる人もいれば無くならない人もいる、
つまり人によって違うと言われました。
自分がどっちなのかは誰にもわからないことなので、
結局は時間が経ってみないとわかりません。
手術をするなら数日後に1人ぐらいなら入れるよと言われ、
心の準備が無くビビった私はいきなり手術は避けたいと主張し、
一旦経過を見る方向でお願いしました。

そうなると今度はどのくらいの期間様子を見るかという話です。
1週間なのか1ヵ月なのか3ヵ月なのか。
とりあえず1週間後に診察を再度受けて、その時にもう一度話し合うことにしました。

それまでにもらっていた痛み止めが全く効いていなかったので、
今の症状に効く痛み止めを出してもらうことにはなりましたが、
ブロック注射をした方がもっと確実に痛みが治まるよと言われ、
骨に向かって針を刺されるのが怖くて、
注射は痛いですかと聞くと、またまた人によって違うと言われ、
すがるように看護師さんの顔を見ると、
私はブロック注射をしたことがないから、
どの程度の痛みか言ってあげられないの、ゴメンねと謝られました。
注射を打つとどのくらいの期間効きますかと聞くと、
それも人によって違うと言われる始末。

同じ話を繰り返すビビリの私。
他にも待っている患者さんがいるであろうに何かと粘る私。
でも痛みがこれ以上続くとノイローゼになりそうなくらいでしたので、
意を決して注射を打つことにしました。
お尻の方から骨に向かって針が入ってきました。
ツーンとした痛みが何とも言えません。
そしてクスリを注入する際、先生から早く終わらせたいか聞かれました。
そうしてくださいと言うと、ギューッと薬が入って来るのがわかり、
思わずイテテテッと声が出ました。
すると先生が、やっぱり早く入れると痛いんだねぇ、
じゃあゆっくり行くよと言われ、半分遊ばれているようでした。トホホ。

さて、この後の事はまた今度という事で。

[M M]

『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』

最近はセンセーショナルなタイトルの書籍がヒットするもんです。

『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』

「語彙力がないまま社会人になってしまった人へ」。
そういわれると、それは自分に向けて言われているような気になるものです。

この本は、前提として、
社会人としてのレベルは語彙力で測られるという立場に立っていて、
つまり、どんなに能力がある人でも、表現が稚拙だったりすれば、
社会人としてのレベルを低く見られて、軽く扱われてしまうのだから、
そうならないように語彙力を身につけましょうという話です。

たとえば、第一章の手前、“はじめに”に挙げられている例では、
代替案を考えます」というのを「だいがえあんを考えます」と誤読してしまえば、
知性を疑われますし、仕事相手は不安になってしまいます…と書かれていて、
なかなか手厳しい感じです。
また、人を褒めるときの言葉にしても、
「頭がいいですね」では、やや上から目線の印象を与えてしまいますので、
「頭がいい」などという幼稚な表現を避けて、
「どう頭がいいのか」、つまり、「機知に富んでいる」のか、「含蓄がある」のか、
知性と教養を兼ね備えた言葉を選び、うまく使う必要があると言います。

はぁぁ、なるほどねぇ。
いや、実は私、この手の本は苦手だったのです。
最近、「雑学王」とか「東大王」のようなクイズ番組が多いですが、
たとえば、「“がむしゃら”という単語はもともとどんな意味?」のような、
ある特定の単語について、
「昔は別の意味で使われていた」とか「もともとの語源はコレ」というエピソードは、
どうも、使い道のない情報のような感じがして現実感がないというか、
聞いた後に「ふぅ~ん……それで?」という気分になりやすいため、
私は、そういうクイズ番組が好きではないですし、
同じ感覚で、この手の本も苦手だったのです。

私自身はそういうスタンスなので、この本についても、
言葉の「なりたち」や「語源」に関するエピソードを知って、
おもしろく言葉を身につけようではありませんか、という、
著者の姿勢に対して、私は必ずしも好意的ではありません。
なので、全編まるまる詠嘆したというようなことはないのですが、
その、社会人としてのレベルは語彙力で測られるという著者の確信は、
確かにそういう面もあると実感しているので、納得しました。

たとえば、些末な話で恐縮ですが、
最近、メールやLINEなどで用件を送信すると、
「了解です」という返信が返ってきたりすることが多くなりました。
まぁ、別にそんなことで腹を立てるような導火線の短い私ではありませんが、
私自身は、最初に就職した会社の上司・K次長から、
「失礼だから、ビジネスで『了解』という単語は使ってはいけないよ」と教わっており、
その理由は知らないながらも、後生大事に守っていましたので、
最近の社会の「了解です」の多用は、実に不思議な感じです。

この本によれば、「了」には、垂れ下がるとか、もつれるという意味があって、
あまり良い字ではないため、少なくとも目上の方には使うべきではないとのこと。
目上に対する正解は「承知いたしました」なのだそうで、
これは私がかつてK次長から教わったとおりでした。
K次長は、初対面の私をジャズダンスに誘ったワケの分からない男でしたが、
語彙力という面では、それなりに的確だったということでしょうか。

「その言葉遣いはおかしい」と、
30歳を過ぎた大人にダメ出ししてくれる先輩や上司は、なかなかいません。
なぜなら、語彙力の不足を指摘することは、
その人の家庭環境や知的レベルを否定する行為のような感じがして、
パワハラのように取られてはたまらないというわけで、なかなか指摘できないもの。
つまり、注意を受けないのは、己に問題がないからではなく、
妙な逆恨みが怖いだけのことで、問題はあるのかもしれません。

そのことに気が付かぬまま、ネットニュースだけを読んで、
仲間同士でテキトーに『エモい』『スノる』『tkmk』みたいな、
空気を読むだけの上っ面会話を積み重ねていくと、
まぁ、そりゃ、語彙力は退化するに違いないでしょう。

私は、最近は気が滅入るので、新聞なんて読まなくていいと思っているほうですが、
美文に触れるというほどのことではないけれど、
「よみうり寸評」とか「産経抄」のような短文は勉強になるなと思っています。
結局のところ、スマホばっかり見てないで、
徒然草とか、読んでみればいいのにと思う今日この頃です。

[SE;KICHI]

苦悩を突き抜けて歓喜へ!

「ルートヴィヒ・ヴァン・べートーヴェン」

おそらくこの人の名を知らない人はいないでしょう。
音楽界にして楽聖と呼ばれ、バッハとともに史上極めて重要な音楽家です。
古典派音楽からロマン派音楽の時代に活躍し、
その分野の世界に留まらず、
芸術の分野全体においても多大な影響を残しました。
彼は特に交響曲第9番の二短調(合唱付き)という作品で世に知られていますね。

ベートーヴェン肖像
http://ja.cantorion.org/composers/117/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3

今年も年末が近づいてきました。

富山では北日本新聞社の主催で、
年末に約500名超えでその第九を合唱するイベントを毎年開催していますが、
実は私、かつて第九の合唱に出たことがあります。
そこらの少人数のものではなく、500名超です。
毎年大阪城ホールで行われる1万人の第九ほどではないですが、
この人数です。
やはり普通の合唱とは次元が違います。

第九交響曲 歓喜の夕べ2014

週2回、富山市市民芸術創造センターで、男女に分かれて2時間みっちり練習しました。
アレグロアッサイ、メゾフォルテ、フォルテシモ・・・
合唱だけの4楽章だけでも20分を超えますが、有名な冒頭部、
マーチ調の男声混成部、ソリストたちとの掛け合い、
そしてラストフィナーレの感動的なクライマックスに、
合唱の素晴らしさを感じたのです。
当日はプロのソリストの方々もこられて、感動の本番となりました。

15年連続で出演しておられる一般の方など、
それぞれ仕事をしながらも、練習に真剣に取り組んでいました。
自分も全ての練習に出ようと時間を作り、
例え別用があっても5分でも出た気がします。。
そのおかげかなんと皆勤賞で、
かの楽聖の現存する生家で作っているワインをもらいました。
全てを含めて、なかなかできない、本当に素晴らしい経験をさせて頂きました。

ワイン

ところでこの交響曲には、ドイツのシラーという大詩人が書いた詩がつけられています。

略して説明すると、もともとフランス革命時、
詩が最初に作られ、ある時それを目にしたヴェートーベンが、
この詩に感動し、これを基に作曲したものであります。

大変メッセージ性の強いものです。

この詩は、キリスト教などの特定の神への崇拝概念とは違い、
もっと普遍的な、
創造主、自然への感謝などがの意味が込められているものです。
創造主や神とよく出てくるので、
宗教的と言われたりもしますが、決してそうでもないのです。
(当方精通しているわけではないので、詳細はお調べいただければと思います。)

話は変わりますが、自分は映画や歌などを見る時、
どうしてもそれが何かの抽象作品であり、
何か意味があるのではないかと、哲学的見方を必ずしてしまいます。
これには何かの意味が込められているんだ、
何のメッセージがあるのか?など。(あくまで個人的ですが。)

そしてそれは歌にも強いメッセージがあるはずと考えます。

以前も書きましたが、昔の歌に名曲が多いと感じるのは、
意味の深い、強いメッセージがあるからだと思います。
愛だの恋だの、最近のリズムやノリだけの、
イタズラに刺激と快楽を求めた、軽薄な音楽は、
その瞬間のノリは満たせても、後になって心には響かないし、
残らないと感じてしまうのです。

名曲とは単に歌いやすい、歌い継がれてきたという物理的な一面だけではなく、
作り手側の思い、その心、思想哲学なりがあり、
それに音楽がついて来たと言っても過言ではないかと思っています。

「歌の心を知れ!
どんなに素晴らしい歌もその心が分からなければ、
その歌を知ったことにはならない、歌ったことにはならない。」
と、ある先哲の言葉です。

またある大詩人は、
「音楽には国境が存在しない。
音楽は誰人も欲して止まぬ文化の華であり、芸術であり、
しかも世界共通の語(ことば)であるからである。
何処の国も何処の民族も、民衆が活き活きと立ち上がって行くときには、
その根底に必ず偉大な思想哲学があった。
そしてその偉大な哲学の実践は、とうとうと流れる大河の如く、
民衆の息吹となり、躍動となって、必ず偉大なる音楽と現れ、
その民族の大いなる前進のエネルギーとなってきたのである。」
と。

振り返ってみれば、歴史の中の数多の革命や変動期などにおいても、
この点は確かに歴然としていることがあります。

時代を変え、大きく転換させてきた音楽。
このことを考えるに、音楽界、芸術界等、
多くの人々に衝撃と感動を今なお与え続けるこの第九。

「あらゆる芸術は人に喜悦を与えるためのものである。
しかも、人間を幸福ならしめることこそ、
最高のそして最も厳粛な仕事なのである。」
まさにこのシラーの思想哲学と、音楽芸術とが融合して昇華した、
これこそが第九だと思います。

そしてこうやって現在も、後世に生きる我々に、
力強い希望と勇気を与えてくれている。

それは彼自身、全聾の苦悩に打ち勝ち、乗り越え、
それを更なるエネルギーとして突き抜けた勝利者であったから、
言えることだと思います。

楽聖、ヴェートーベンはこのようなメッセージを残してくれました。
「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」
この交響詩最大のテーマです。

私は会社に入る前、大学進学で滑って様々アルバイトを経験しました。
決して楽しいだけではなく、目標や人生に悩み苦しんだことも多いですが、
知り合いの方から誘われて参加したこの第九に、
「諦めれば労苦は後悔になるが、諦めず貫いて戦い、
最後に勝てば、一切の労苦は皆宝になる。」と教えてもらったと思います。
どのような苦しみも悩みも突き抜けて、最後は歓喜!!
今の悩みも全て小さく見えたし、
自らにとって、また悩める友にとって財産になるのだと思うと、
素敵なことだなと思いませんか!!

怒涛の荒波の如き、現代社会を生き抜く我々にとって、
人生をより価値的に、そして幸せに生きる為の、
とても大切な要諦のひとつであると思います。

第九を歌いつつ、心に勇気を奮い起こし、またひとつ決意を新たに出発する毎日を。

[K.K]

緊縛プレイ

そろそろ12月になります。
毎年のことなのですが、
私は、4月に新社会人としてスタートを切った各社の新入社員に対し、
定期的に研修をさせていただく機会があり、
それが、12月になると、今年度分はいちおう修了となります。
例年、私は「ちょっとでも彼らの人生の役に立つ話ができますように」と、
祈りにも似た気持ちでお話しさせてもらっているのですが、
実際のところ、なかなか難しいもので、
3年後・5年後・10年後の彼らに、クオリティの差は生じてしまうのが実情です。

その差は何でしょうか。

よく、マネジメントの話で使われる『レンガ積み職人の譬え』というのがありますね。
ある所に、レンガを積んでいる職人達がおりました。
1人目の職人さんに「何をしているのですか?」と尋ねると、
「見て分からないのか。レンガを積んでいるんだ。」 と答えました。
次の2人目の職人さんに尋ねると「時給を稼いでいるんだ。」 と答えました。
最後に3人目の職人さんに尋ねると
「立派な大聖堂を作っているんだ。ここは、いつか人々の聖地になるんだぜ。」と、
胸を張って言いました
……という話です。

私は、働く姿勢というのは、おおまかに言うと3種類あると思っています。
“義務感で働く人”と“責任感で働く人”と“使命感で働く人”の3種類です。
“義務感で働く人”とは、さきほどの1人目のレンガ積み職人のような、
つまり、「それが仕事だから黙々とレンガを積んでいる人」ですね。
“責任感で働く人”というのは、さきほどの2人目のレンガ積み職人と同じ、
「家族の生活費を稼ぐためにレンガを積んでいる人」です。
“使命感で働く人”は、3人目のレンガ積み職人のように、
「立派な聖地を作るためにレンガを積んでいる人」でしょう。

さて、どの人が楽しそうでしょうか。
私自身は、3人目の職人でありたいと思います。
だって、自分の積んだレンガが大聖堂になってみんなに喜ばれるなんて、
なんか想像しただけでワクワクしませんか。
作業そのものは、どの職人も「レンガを積む」仕事で、違いはありません。
しかし、どういう気持ちで働くかで、その作業に対する見方が、
奴隷の苦役のようにも思えるし、崇高な創造のようにも思えるということです。
つまり、解釈ひとつで、自分の人生を明るくも暗くもできる
ということです。

老若男女問わず、真面目な方に、顕著に表れる傾向なのですが、
多くの方が無自覚に「義務感」や「責任感」に囚われているようで、驚きます。
それは、つまり、仕事をするうえでの、
いや、人生を生きるうえでの「~せねばならぬ」という発想です。

これは自説ですが、「責任感は自分を追いつめ、委縮させます」
「営業成績をあげなければならぬ」、
「毎日コツコツと取り組まねばならぬ」、
「上司の意見には従わねばならぬ」……など、
ならぬ、ならぬと、字面を見るだけでも楽しそうではありません。

なぜ、ちっとも楽しそうではないのに、みんなそういう仕事をするのでしょうか。
それは、「仕事とは、生活のために我慢してするものだ」という価値観に、
みんな、知らず知らずのうちに毒されてしまったから。
「本当はやりたくないけど、家族の生活もあるし・・・」という責任感に縛られ、
どんどん追い詰められて、ストレスが溜まっていくようになると思います。
そして、焦りや不安が襲ってくるようになるでしょう。
こうなってくると、たぶん仕事はつまらなくなってしまいます。
新入社員たちも、親たちがそういう愚痴を言いながら奴隷のように働くさまを見て育ち、
仕事とは、足に鉄球をはめられ、ムチ打たれて働かされるイメージを持っています。
これは、悲しいことですね。

一方で、好きなことを想像するとワクワクしてくるはずです。
大聖堂のためのレンガを積む職人も然りですが、
自分が本当にやりたいことに取り組んでいたり、
お客さんが喜んでくれている場面を想像すると、楽しくなりませんか。
たとえば、自分は楽しく過ごしているが他人は喜ばない場合だと、
それではビジネスにならないので、それは単なる趣味ということになりますが、
そうではなくて、
自分は楽しく過ごしており、かつ他人も喜んでくれる……というパターンだって、
組み合わせとしては作れるはずです。
古今東西の成功者を観察すると、
自分が楽しいのと同時に、他人も喜ばせていることが分かります。
決して、ムチ打たれて働かされてなどいません。

私は、古今東西の成功者と比較するのもおこがましいですし、
大聖堂を作っているわけでもありませんが、
自分の仕事を通じて社会に貢献しているんだという自負を持って、
それなりに、ワクワクしながら働いています。

アンタは陽気でいいね……という声が聞こえてきそうですね。
こっちはアンタと違って余裕がないんだから……と。

いやいや、私も同じですよ。
人間とはある意味では弱いもので、崇高な目標もすぐに忘れてしまうし、
ついつい生活に目を奪われてしまい、
「~せねばならぬ」というマインドに戻ってしまいがちなもの。
それは私も一緒です。
しかし、私はそういうダメな自分を知っているので、
そうなってしまった時、そんな自分にいち早く気づいて、
そこに、ワクワクを上書きしていくことにしています。
朝起きたら、今日、どんなに素晴らしいことが起こるのか、
夜寝る前に一日を振り返り、明日はどんな素晴らしい未来がやってくるのか、
いちいち想像して、自分をワクワクさせていくのです。

結局、普通の人間は、義務感だけでは苦痛なのではないかと思うのです。
もちろん、仕事に義務感を持つことは当然だとは思います。
必要なことでもあるでしょう。 
しかし、私は、そればかりだと苦痛を感じるということを言いたいのです。
社会人生活は長く、苦痛を感じることは継続できませんから、
ワクワクがないと長い人生を完投することは難しいのではないかと思います。
人工知能の進歩が目覚ましい昨今、
そういうワクワクしないことは、機械にやらせておけばよいと私は思います。

このほど、研修をコンプリートする新入社員たちを含め、
みなさん、義務感や責任感に囚われてはいませんか。
毎日、「~すべき」と考えてはいませんか。
そんな緊縛プレイはやめて、
自由に「自分はどうありたいか」を考えてみましょうよ。
そのほうが絶対に楽しいですよ。

ちなみに、近年、ワークアンドライフバランスなどというバカな思想が流行っていますが、前述の古今東西の成功者を見れば、成功者に「仕事とプライベートに明確な境目がない状態」の人が多いこともわかってきました。私はこれも見習うことにしています。

[SE;KICHI]

鉄の失敗談②

以前にもちょっとだけ触れたことがありますが、
北陸から出張や旅行で名古屋へ行こうとするとき、
“特急しらさぎ”と乗り換えの東海道新幹線がセットになった、
「名古屋往復割引切符」というのがあります。
この切符では、特急は指定席ですが、途中の米原より先、
名古屋までの東海道新幹線は自由席になります。
帰りも然りで、米原から北陸方面の特急は指定席ですが、
米原までの、名古屋からの東海道新幹線は自由席を利用することになります。

さて、何しに行ったのかははっきり覚えていないのですが、
仕事で名古屋に出かけた際の話。
その日は、思っていたよりも効率的に予定が消化でき、
名古屋駅に戻った時点で、当初の想定時間より1時間も早かったので、
そこは自由席の気安さ、
予定より早い新幹線に乗って、早めに帰ろうと思ったわけです。

私は、行動しました。
いま思えば、米原までは新幹線自由席ですが、その先の特急は指定席なので、
まずは、みどりの窓口に向かい、乗車可能な乗り換えを提示してもらい、
乗車変更の手続きをしてもらうべきでした。

しかし、その時の私には、そのようなことは露ほども思い浮かばず、
早い新幹線に乗るため、とりあえずホームへ急ぎました。
歩きながらスマホで乗り換え案内を検索すると、
14:19発のひかり513号に乗れと教えてくれます。
その時点で時刻は 14:08 頃なので、余裕で乗れそうです。
穏やかな心境で、エスカレーターでホームに上がります。
ホームに「ルルルルル……」と発車ベルが鳴り響いています。
徐々に視界に入ってきた電光掲示板によれば
いま、発車しようとしているのは 14:09 発のひかり471号のようです。
「おおっ、ラッキー! 10分早いひかりに乗れるじゃん!」と、慌てて飛び乗り、
「ふふふ、だいぶ早い新幹線に乗れたぞ。これは早く帰れるなぁ」と、
密かにほくそ笑む私。

車内アナウンス。
「今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます。
この電車は、ひかり号新大阪行きです。
途中の停車駅は、京都、です。
この電車は全席禁煙となっておりま……」
・・・・・・んっ!? 米原は?

敗因は、ひかりの停車駅が全便共通だと思い込んでいたことです。
つまり、米原に停車しないひかりがあることを知らなかったのです。
というわけで、後ろに飛び去って行く米原駅ホームを車窓に眺め、
次に私が新幹線を降りたのは、古都・京都。

スマホの指示通りに乗っていれば 14:52 には米原に着いていたはずで、
14:56の特急しらさぎに乗れたのですが、
10分早いひかりに乗ったばっかりに、京都に到着してしまった私。
現在時刻 14:46 から、戻らねばなりません。
14:56発、のぞみ28号、米原に停まらない。
14:58発、ひかり472号、米原に停まらない。
15:02発、のぞみ372号、米原に停まらない。
15:05発、のぞみ232号、米原に停まらない。
15:08発、こだま666号、米原に……あぁ、やっと停まる新幹線だ。
それに乗って米原駅まで戻り、米原駅に着いたのは15:30。
当然、14:56 の特急しらさぎには乗れませんで、
乗れたのは 15:56 の特急しらさぎ。
当初の想定時間より1時間も早く名古屋駅を出た私でしたが、
意味なく米原⇔京都を往復したせいで、乗れた特急は、当初の予定通りでした。
・・・・・・乗車変更しなくてよかったぁ。。。

教訓は何でしょうかね。
慌てて飛び乗ってはいけません、か。

とまぁ、これは何年も前の話なのですが、最近、ちょーっとだけ似た話が。
東京などに出張する際、
私は、基本的に自宅にクルマを置き、
最寄りの駅まで歩いて、そこから出張に出かけるのですが、
仕事が立て込んでいるときなどは、その次の仕事を想定して、
あらかじめ必要な場所にクルマを停めておくことがあります。

その日は、夜に富山駅から出発する出張でしたが、戻った後の仕事を見越して、
富山駅からトラムで20分ほどの蓮町駅というところにクルマを停めました。
蓮町駅からトラムで富山駅に向かい、新幹線に乗るという寸法です。
私は駐車場にクルマを入れ、駅手前の踏切で富山駅行きを1本見送ったのち、
蓮町駅のホームに入りました。
スマホの乗り換え案内は何事か指図してきますが、
早朝や深夜じゃあるまいし、本数も多いはずなので問題ないでしょう、
蓮町駅の時刻表を確認します。

なるほど、毎時6分、21分、36分、51分……15分間隔のようです。
しばし、おとなしくベンチでトラムの到着を待ちます……来ない!
現在時刻は20時06分。
毎時6分に来るはずじゃなかったのか、
さては遅延かと時刻表を再度確認。

蓮町駅時刻表

……おおっと。
……20時台から、まさかの間引き運転でした。
次に蓮町駅にトラムが来るのは20時21分。
乗る予定の新幹線の富山駅発は20時41分。
蓮町駅から富山駅まで20分……あぁ、もう、ダメだな。
つまり、さっき駅手前の踏切で見送った富山駅行きが私的終電。

大急ぎで駐車場に戻り、富山駅まで車で移動した私。
どうも、もうひとつ思慮が足りないというか、綿密さに欠ける私。
西村京太郎ばりの完全犯罪には向いていないタイプなのでしょう。

[SE;KICHI]

ご来場に感謝いたします。

先日ご紹介しましたが、この週末は、
富山商業高校の模擬株式会社「TOMI SHOP」の本番でした。

3年生の武田社長以下、社員である全校生徒を巻き込んで、
春から準備を重ね、ここまで作り上げてきました。
社外取締役として関わってきた私たちにとっては、
なんだか我が子の集大成を見るようで、ほほえましいです。

この模擬株式会社では、
「社会貢献 幸福追求」を理念に掲げています。
提携企業と商品開発を進め、ただ売るだけではダメです。
それだと、仮に売れなかったとき、
商品が悪かったって、提携企業のせいにできますから。
商品開発から営業から接客・会計まで、すべてを我が責任ととらえ、
接客までを商品と考えて、いかにお客様に幸福になってもらうか、
そういう考え方を大切にしています。

とはいえ、最初から一枚岩でそのように思っていたわけではなく、
昨年を経験している上級生が、
今年から入った1年生にその経営理念を教え込む、ということを連綿と繰り返し、
そしてようやく今があります。
私たち社外取締役も含め、教え込む側の上級生にしてみれば、
最初は荒れ果てた荒野に水を撒くような途方もない作業でしたが、
考えてみたら、普通の会社というか、
社会というのも、実はそういう構造を持っていますよね。
高校生たちにとっては、将来のための、良い経験になったことでしょう。

毎年、「TOMI SHOP」の日は土砂降りの雨なのですが、
晴れ女だという武田社長のおかげで、今日は好天に恵まれ、客足も上々でした。

2018 TOMI SHOP①2018 TOMI SHOP②
2018 TOMI SHOP③2018 TOMI SHOP④

ただ、欲を言うなら・・・・・・みんな品行方正でしたね。
ふざけたり、「やってられねーぜ」と怠けている生徒はいませんでした。
まぁ、指導する立場としては思惑通りで結構なことなのですが、
高校生というのはふざけてナンボみたいな気もしますので、
最近の高校生はおとなしいなぁと、少し寂しい感じがしたのも事実です。
大人が、ふざけるな!と言い過ぎなのかもしれませんね。

いずれにせよ、ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
ご来場いただいた皆様のおかげで、この「TOMI SHOP」が、
単なる地元企業を巻き込んだイベントから、
生徒たちにとって素晴らしい経験へと昇華するのだと思います。
ぜひ、彼らには、これからの人生に役立てていって欲しいです。

[AKA]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR